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帝国書院 | 高校の先生のページ 高等学校 世界史のしおり 2005年 1月号

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Academic year: 2018

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− 8 − − 9 −

今までどのような授業を行ってきたか

 東南アジアの近代は西欧世界との接触なくして は語ることはできない。その近代とは19世紀前半 の西欧列強による植民地支配に直面してから始ま る。つまりイギリスの海峡植民地の形成、フラン スの仏領インドシナの形成、オランダの蘭領東イ ンドの形成、スペインにかわってアメリカのフィ リピン支配という近代の歴史である。そして植民 地時代の終焉は第二次世界大戦後、いわゆる冷戦 開始前後である。

 この間東南アジアは、西欧の物質的優位を否定 しようもなく西欧の文物を受け入れ、様々な支配 の過程を経て、その中から民族主義や国民国家的 まとまりを育むこととなった。

 教科書の多くは、植民地化の過程を客観的に描 く中で、東南アジアの人々が過酷な植民地支配に あえぎ、打ちのめされる存在であったと描く傾向 にある。確かにそれは間違いではない。イギリス におけるインド支配がそうであり、東

南アジアでも例外ではないからだ。  ところが帝国書院の教科書「高等世 界史B 新訂版」の記述はそれのみで はない。私が注目するのは、現代の東 南アジアの社会構造を踏まえての記述 がみられ、きちんとした東南アジア像 を提示していることにある。

 そこで私は、この社会構造を生徒に 理解させ、現代の東南アジアを知る手 がかりを紹介したいと考える。

 植民地化される東南アジアについて、 授業では東南アジアの全体を理解させ るため、教科書の歴史地図を用いて西 欧諸国による植民地の形成を跡づけて

いる。結果的に生徒自身は東南アジア像をほとん ど描けず、植民地になった事実しか理解しない。 人が生活し、文化を育むといった姿は捨象されて いる。本来なら、そうした点を理解させるべきだ が、東南アジア全体を理解させることを優先する 必要から無視している。結局、生徒の東南アジア 像は、西欧諸国の圧倒的な力の前に呆然とするし かないという東南アジアの人々の姿を固定化させ ることになる。

 こうした授業に対する教師の負い目も手伝って、 教師は唯一植民地にならなかったタイの説明では、 タイの自立性、とりわけ近代化を強調する説明を 行うのである。

 イギリスとフランスの緩衝地帯という地政学的 環境の中で、植民地化の危機を深刻に受けとめた タイ王室が、日本と同じように近代化を模索し、 独立を維持すべく列強と粘り強い外交を展開して いき、その圧力と対峙していったと説明するので ある。

植民地時代の東南アジア

−世界システムの周辺と地域間貿易の機能−

神奈川県立総合教育センター

 小 島 正

仏領 インドシナ連邦

フィリピン

オ ラ ン ダ 領 東 イ ン ド 英領

マレー

 東ティモール シャム(タイ)

王国 

台湾

英領インド

サンボアンガ マニラ

サイゴン

 ホンコン (英) マカオ (ポ)

(ポ) (日)

フエ

台北

コタキナバル

シンガポール マラッカ

バタヴィア

バリ島 クチン

ブルネイ ペナン

ラングーン

バンコク ハノイ

ス マ ト ラ 島

ボ ル ネ オ 島

ジ ャ ワ 島

*(ス)スペイン領  (ポ)ポルトガル領  (日)日本領 1867

1896

1819 1858

1825

1813 1863 1888

1844

1860 1898(米) 1565(ス) 1887

1863 1886 1893

1842

1887 1895

太 平 洋

0 500km

オランダ領(オ) フランス領(仏) アメリカ領(米) イギリス領(英) イギリス保護領 イギリス海峡植民地 宗主国による獲得年 数字

(2)

− 8 − − 9 −

 植民地化時代の東南アジアという単元において、 授業時間の確保が容易でないこともあり、こうし た授業が行われてきたのではないかと思う。  このような授業の進め方では、どうしても歴史 の主体として生きた東南アジアの人々の歴史を説 明したことにはならない。加えて教科書にもほと んどそうした点を意識した記述はみあたらない。  では東南アジアの人々が、どのように近代との 出会いを受けとめ、どのような明日を描こうとし たのかということについて、私たち教師はどこで それらの事項を説明しているのか?

 その点は、次の20世紀前半から第一次世界大戦 前後のアジアにおける民族主義の台頭のところで 説明するのである。私もそのような授業の進め方 をとってきた。たとえば、インドネシアのカルティ ニやヴェトナムのファン=ボイ=チャウなどを紹介 している。少々長いが、有益な資料なので紹介す る。

資料 インドネシア民族主義の芽−カルティニ  オランダ語を自由にあやつり、ヨーロッパ文化 に通じていたカルティニ(1879∼1904)であった が、彼女がもっとも愛し心をくだいていたのは ジャワの文学であり、文化であり、ジャワ人の生 活であった。(略)

 村びとが毎日の仕事のあとでの練習で受け伝え てきたジャワ音楽ガムランの調べは、とてもやわ らかく洗練されていて、魅惑的な音がまじりあい ふるえあいどこへともなくただよっていく。それ は、ときには嘆くようにときには泣くようにとき には笑うように語りかける人間の魂の声、民族の 魂としてカルティニの心にしみこんだ。

 彼女はオランダ人の友人にあてた手紙でこう書 いた。

「わたしたちはよく、ジャワ人よりも心はオラン ダに近いといわれます。そういう批判は心をいた めます。わたしたちの血管のなかを熱く流れてい るジャワの血は消すことはできません」

「ああ!もともとは美しく気高く心やさしく信仰 深くつつしみ厚かったジャワ人の魂は今はどう なってしまったのでしょう。外国勢力に支配され、

この落ちこんだ何百年ものあいだにジャワ人の魂 はどうされてしまったのでしょう?」

(吉田悟郎著『恐れと怒りのはなし』「歴史のなかの子ど もたち 4巻」大月書店)

世界システムと域内貿易の活性化の視点

 東南アジアの植民地化について、ほとんどの教 科書では、19世紀以降の東南アジアがイギリスを 中核とする世界システムに組み込まれ、世界市場 向けに商品を輸出する周辺として位置づいたと記 述している。

 ところで帝国書院の教科書は、世界システムと は別にアジア地域間貿易というサブシステムが有 効に機能していることを記述している。そして東 南アジアを含めたアジア経済交易圏は、世界シス テムには完全には従属していないことを明らかに している。この指摘は東南アジアの社会構造を理 解するうえで、きわめて重要な視点である。  そこで私は、植民地化された東南アジアの授業 においては、アジア地域間貿易までを視野に入れ た授業展開を行うことを提案したい。紙面の都合 もあるので、ここでは要点を整理しつつ展開の柱 を明示したいと思う。

①イギリスによる天然ゴム・錫など世界市場向け の商品生産とプランテーション経営。これと関 連してオランダの強制栽培制度を説明する。こ こではプランテーションに特化することの危険 性(食料自給力の低下)も補足説明したい。 ②19世紀以降、プランテーションや鉱山開発にお

いて、東南アジア社会に急増する移民労働者の 動きを説明する。中国系労働者による華人社会 の形成などを例にあげ、現代につながる東南ア ジアの民族構成を理解する手がかりとする。関 連として教科書p.282∼283の内容(「世界の一 体化と社会」)はグローバルな視点から移民を 考えることができるので、生徒にきちんと読ま せたいと考える。

③アジア地域間貿易とは何かを理解させる。また 世界システムとの関連性を明らかにする。「最 新世界史図説 タペストリー 初訂版」p.200の「植

─────────────────────

─────────────────

─────────────────────

─────────────────────

──────

──

(3)

− 10 − − 11 −

民地開発と交易圏の形成」の図を用いてメコン デルタの水田開発とアジア米市場の流れを説明 する。その視点は次の通りである。

④西欧文化の接触と民族文化の変容。

 教科書p.274の内容を生徒に読ませるとよい。  ・地域内での経済発展の不均衡

 ・植民地支配と分断策

 ・経済的優位にある中国人・インド人の存在  ・西欧崇拝と伝統文化の見直し

 以上の視点を生徒に気づかせたい。他の教科書 にはない記述でもあり、教師側にも参考になる。

身近な東南アジアの学習を深める

 現在の生徒は、東南アジアのマレーシアやシン ガポールに修学旅行に行き、東南アジアで生産さ れた多くの商品を消費し、音楽・ファッションなど の文化を受容している。そのため、グローバリゼ ーションの進展で、東南アジアはより身近な存在 となりつつあるのではないだろうか。そうである ならば、過酷な植民地支配のみを強調して理解さ せる説明だけではすまない時代が来たように思う。  東南アジアの人々の過去にはどのような歴史が あり、その歴史の中でどのように生きてきたかが 問われるべきであり、教えるべき本筋ではないだ ろうか。 

 また第二次世界大戦後に東南アジアの国々がど のようにして独立し、 それらの国づくりや地 域の特色がどうであっ たかも考察させるべき ものである。

 19世紀以降の東南ア ジアの近現代を学習す ることはたいへん重要 な時代になってきてい る。しかしながら、教 科書では時代ごとに細 切れの学習に重きをお きがちである。  そこで、東南アジア の近現代をテーマ学習 として取り上げたらど うだろうか。現代世界をよりよく理解するうえで、 生徒にも東南アジアに注目させることが重要で、 そのためには多少時間を多く割く必要を感じてい る。

参考文献

「東南アジアの歴史 人・物・文化の交流史」  桐山昇他著 有斐閣アルマ 2003年

世界市場向け商品の増産 ↓

○ インド系・中国系労働者の増大と食料需要の増 加

○メコンデルタによる米の増産と輸出

○米のアジア域内での流通拡大 ↓

○労働者の収入増加と必需品購入による消費拡大

○製造業(軽工業)の生産活動の活性化 ↓

アジア経済交易圏の形成(東南アジア含む)

────────────────

サイゴン

(ホーチミン) ミイトー

カントー ハティエン

カンボジア ヴェトナム

0 100km

1900年の水田(117.5万ヘクタール) 1937年の水田(102.5万ヘクタール)      (合計220.0万ヘクタール)

コンダオ島

メコン川 南

海 ナ シ オケオ

シャム

朝鮮 日本 フィリピン

ネパール

セイロン

フランス領 インドシナ

中東

蘭領東インド

中国 ・香港 海峡植民地 700

39 135 280 285

121

313 323 116

330 208 147

81 249

335

57

数字

米の産地  米の輸出量 (単位 千トン) シャム

インド

150

〈杉原薫『アジア間貿易の構造』より作成〉

メコンデルタ (年) 作付面積(万ヘクタール) 人口(万人)

サイゴンからの米輸出(万トン)

1880

52.2 167.9 28.4

1900

117.5 293.7 74.7

1937

220.0 448.4 154.8 植民地化の進展

によって,各地でプランテーション建設が

進んだ。食料供給地としてメコンデルタ・ 下ビルマが開発され,米の増産と大量輸出

が図られた。働き手として移民してきた華

僑・印僑の本国への送金と米の輸出を通じ

て,東南アジアに交易圏が形成された。 ④メコンデルタの開発

⑤アジアの米市場の流れ(1913年)

⑥メコンデルタの開発の推移

植民地開発と交易圏の形成

2

参照

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