世界史のしおり 2017③│1 ちなみに,「ポピュリスト」(「ポピュリズム」)
という呼び名は,この全国人民党を準備するなか で生まれた。カンザス州の人民党指導者たちが人 民党(People’s Party)を短縮した呼び名はない かと思案しているなかで,一人がラテン語の populus(=people)という言葉を口にしたのを 聞きつけた地元新聞の記者がコラムで「ポピュリ スト」という表記を使ったのがはじめとされる。 ただし,人民党が自ら「ポピュリスト」を名のる ことはなかった。「ポピュリスト」という呼称が, 「無政府主義者」,「社会主義者」などと同じく, 初めから「危険思想を抱く者」という意味合いを もたされていたからである。
こうして誕生したポピュリスト党は,1896年の 大統領選において,民主党の候補ウィリアム=ジェ ニングズ=ブライアンを共闘候補として戦うなか でアイデンティティを喪失して急速に衰え,1908 年の大統領選を最後に国政の場から姿を消した。 ここに「ポピュリストの時代」は幕を閉じた。
ポピュリスト運動の時代からニューディールの 時代の半世紀ほどは「改革の時代」とよばれてい る。ポピュリスト運動に続いて,20世紀初頭には 革新主義運動が起こり,保守化した20年代をはさ んで,30年代にはリベラルな現代アメリカ国家体 制をつくったニューディールの時代が訪れた。こ の時代,「ポピュリスト運動」は,民衆的改革運
動であり,改革の時代の幕を開けたものとして肯 定的に評価されていた。
この改革の時代にも,民衆を巻き込んだ政治運 動がいくつか起こった。1920年代半ばにはまたた くまに全米で400万人もの会員を集めた「第2次 KKK」が生じた(タペストリー p.248「③KKK の集会」)。30年代には,大恐慌後の苦況に苦しむ 民衆に,所得の再分配や金融・通貨制度の改革な どシンプルな打開策を示して人気を博した南部ル イジアナ州知事ヒューイ=ロング(タペストリー p.250コラム)や北部都市を拠点にしたチャール ズ=コグリン神父のような「アメリカン・ファシ スト」とよばれた人々が指導する運動も現れた。 しかし,この時代を通じて,これらの運動が「ポ ピュリズム」とよばれることはなかった。
ポピュリズムの意味合いに変化が生じ,大文字 のポピュリズムとは異なる小文字のポピュリズム というとらえ方が生じたのは第二次世界大戦後の ことである。冷戦の開始,中国革命の衝撃のなか で,1950年よりマッカーシズムという「赤狩り旋 風」が荒れ狂った(タペストリー p.276コラム)。 この嵐のなかで東部を拠点とする知識人たちを中 心に,マッカーシズムの歴史的根源が,ロングや コグリンらの運動を回路として半世紀以上前の 「ポピュリスト運動」にあるという議論が展開さ れた。その議論の発信源となったのが,歴史学者 リチャード=ホーフスタッター(1916~70)が1955 年に刊行したアメリカ史研究史上最大の(論争的) 傑作である『改革
の時代─農民神話 からニューディー ル へ ─ 』( 邦 訳: みすず書房,1988 年)である。このな かでホーフスタッ ターは,「ポピュリ スト運動」が陰謀 論,反ユダヤ主義, 排外主義などの不
● ●
●小文字のポピュリズムの誕生 ポピュリストを烏合の衆と風刺した漫画(1891年)
(写真:ユニフォトプレス)
2│世界史のしおり 2017③
寛容な政治文化の浸透を受けていたことを指摘し た。彼自身は「ポピュリスト運動」の革新的側面 を肯定的に評価していたが,周辺の知識人たちが, 彼の議論を利用してマッカーシズムだけでなく, ロング,コグリンらの「アメリカン・ファシズム」 もポピュリズムだと言い始めた。ここに「小文字 のポピュリズム」論が誕生した。
これに対して,「ポピュリスト運動」(大文字の ポピュリズム)の研究者を中心にして,運動の革 新性や寛容さをあらためて強調して,ポピュリズ ムだけでなくアメリカの民衆的改革運動の伝統を 擁護する大きな流れも生じた。
ポピュリズム論争後,1960年代以降のアメリカ では,左右双方の民衆を巻き込んだ政治運動が起 こった。公民権運動,べトナム反戦運動,ニュー レフト運動,1964年新右翼ゴールドウォーターを 共和党の大統領候補に押し上げた運動,1968~72 年白人優越主義者ジョージ=ウォーレスの独立党 運動,共和党ニク ソンの「沈黙の多 数派」獲得戦略, そしてついに1980 年代の「レーガン 保守革命」。この なかで,1970年代 にニューレフトの 流れを多少ともく んだ市民や政治家 が自ら「ポピュリスト」を名のったケースを除い ては,どの運動もポピュリストを名のることも, ポピュリズムとよばれることもなかった。
しかし,中産階級を連邦権力(ワシントン)に 敵対させる戦略で国家権力を獲得したレーガン革 命は,「小文字のポピュリズム」の存在と威力を あらためて研究者たちに知らせることになった。 これを受けとめ,1990年代に入り,ポピュリズム をアメリカ史全体を貫く政治文化としてとらえる 必要性を唱える研究者も現れた。ポピュリスト運 動だけでなく,ロング,コグリン,ウォーレス,
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●小文字のポピュリズムの勝利
ニクソン,レーガンらの政治もポピュリズムだと いうことになる。さらに,南北戦争前の時代の民 衆運動さえポピュリズムとする研究もある。
一方,政治の世界においても,1992年大統領選 において,民主党のビル=クリントンと独立党の ロス=ペローが「ポピュリスト」のレトリックを 利用し,クリントンは当選を果たした。その24年 後のトランプの勝利は「小文字のポピュリズム」 がホワイトハウスを占拠したことをはっきりと国 民に告げた。
最後に,アメリカ史上の「大文字のポピュリズ ム」と「小文字のポピュリズム」をつき合わせて 共通項として取り出せること,つまりアメリカ・ ポピュリズムとは,何であろうか? それぞれの 時代の主要なコミュニケーション手段をたくみに 利用しながら「人民対エリート」の構図を強調す る政治手法であることはいうまでもない。エリー トとは,つまるところ,公約を破って恥じない政 治家である。政治家,政党,総じて政治への「民 衆」の不信と怒り,これがアメリカ・ポピュリズ ムの根底にある。政治への怒りは,前述したよう に1世紀以上前のポピュリズム運動の発火点で あったし,現在トランプを支持するラスト・ベル トのブルーカラーの心情でもあろう。その怒りは, アメリカの人民主権論が民衆のなかに蓄えたマグ マを熱源にしているように思われる。どのような 形をとるにせよ,人民主権の国アメリカにおいて はポピュリズムは必然と思い定めるべきであろう。
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●アメリカ・ポピュリズムの本質
ジョージ=ウォーレス(写真:ユニフォトプレス)
4│世界史のしおり 2017③
••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••• 捉えること」,「歴史家のあいだの主要な論争を検
討すること」 ,「過去になされた決定のもたらす 影響について仮説を立てること」,また基準5「歴 史 的 論 点の分 析と意 思決 定(Historical Issues-Analysis and Decision Making)」では,「過去の 論点と問題を特定すること」,「ある決定の可否に ついて判断すること」など,とても重要な指摘が なされている。
最後に,「歴史的な見方・考え方」として,「ジェ ンダーの視点」をあげたい。これまでの歴史を相 対化し,歴史を読みかえるためには,ジェンダー の視点は不可欠である。幸運にも2014,2015年に あいついで高校や大学でジェンダー史研究の成果 を生かすためのジェンダー史の概説書が出版され た(注3)。フランスの人権宣言を徹底的に書きかえた オランプ=ドゥ=グージュは有名だが,「戦争とジェ ンダー」,「ナチズムとジェンダー」など高校生が 学ぶべきテーマは数多く存在する。
以上のような「歴史的な見方・考え方」を,「問 い」として授業で扱う歴史的事実に問うことが求 められてこよう。
さて,『明解 世界史A』(以下,教科書)p.186 ~ 187「戦争の変化」は,以下の項目から構成さ れている。
117世紀前半 国際法の誕生
218世紀初め ヨーロッパ諸国による利害対立
320世紀前半 総力戦となった第一次世界大戦
420世紀前半 平和維持をめざした国際連盟
何を問うべきか
520世紀半ば 民間人が犠牲となった第二次世界 大戦
620世紀後半 冷戦と核兵器開発競争
720世紀後半 民族紛争の噴出
821世紀初め テロとの戦い
まずは生徒が基本的な歴史的事項を理解できる ように,教科書や『最新世界史図説タペストリー 十五訂版』などの副教材を用いて5W 1Hを問い たい。いつ(When),どこで(Where),だれが (Who),何を(What),なぜ(Why),どのよう
に(How)の要素をプリントにまとめさせる。 次に,答申の「歴史的な見方・考え方」を中心 にすると,以下のように問うことができるであろ う。
例1:1三十年戦争と3第一次世界大戦,5第 二次世界大戦と8テロとの戦いを比較すると,戦 争はどのように変化したのか。また,何がその変 化を可能にさせたのか。
例2:3第一次世界大戦と5第二次世界大戦の 終結後,戦争の反省はどのように行われたのか, その類似点と相違点をあげよ。また,なぜその類 似点や相違点は生じたのか。
例3:6冷戦と8テロとの戦いには,どのよう な関係があるだろうか。6冷戦は7民族紛争にど のような影響を与えたのだろうか。
付録のプリント例は,例1の問いに沿って作成 したものである(生徒の記入例が入っていない,編 集可能なデータが帝国書院のホームページからダ ウンロードできる。URL…http://www.teikokushoin. co.jp/journals/history_world/index.html)。
戦争について深く理解しようとするなら,さら なる歴史的事実と解釈の探究へ向かわねばならな い。例えば,以下のような問いを生徒とともに考 えたい。
8テロとの戦い:まず,この「テロとの戦い」 という言葉自体を批判的にとらえる必要があろう。 なぜ「テロとの戦い」という言葉が使用されたの か。誰がテロリストだと決めるのか,誰がなんの ためにテロリストになるのか。「テロとの戦い」
さらなる「問い」へ
世界史のしおり 2017③│5
••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••• はそれ以前の戦争とどのように異なっているのか。
なぜ「テロとの戦い」から戻ったイラク帰還兵に は自殺者が多いのか(注4)。
7民族紛争の噴出:なぜユーゴスラヴィア内戦 では,隣人どうしが殺し合うことになったのか。 内戦当時のユーゴスラヴィアの民族や宗教構成は どうだったか。NATO軍によるボスニア・ヘル ツェゴビナ空爆(1995年)やユーゴ空爆(1999年) は,なぜ実行され,どのような影響を与えたのか。 なぜ民族浄化やジェノサイドが生じ,スレブレニ ツァで多くの人が殺されたのか。戦時性暴力とは 何か,またなぜそれは生じるのか。旧ユーゴスラ ヴィア国際戦争犯罪法廷は,戦争犯罪者をどのよ うに裁いたのか(注5)。
パレスチナの第2次インティファーダ(図1参 照)において,なぜ少年は戦車に投石せざるをえ ない状況に追い込まれたのか。
6冷戦と核兵器開発競争:冷戦下,朝鮮戦争と ベトナム戦争の非戦闘員への被害や被害者の証言 にはどのようなものがあるか。アメリカ軍が使用 した枯葉剤はベトナムの子どもにどのような被害 を与えたのか。キューバ危機における核戦争は, なぜ回避されたのか。冷戦期に米ソの核兵器が誤 射される危険性はなかったのか。日米間の「核密 約」とは何か(注6)。
ブラント首相の東方外交(図2参照)は,東西 冷戦にどのような影響を与えたのか。またブラン トは,なぜソ連・西ドイツ武力不行使条約を結ん だのか。米ソによる戦略兵器制限交渉,弾道弾迎 撃ミサイル制限条約,偶発核戦争防止協定,そし て核戦争防止協定が締結された歴史的経験は,現 代世界にどのような有効性をもつのか。
5民間人が犠牲となった第二次世界大戦:歴史 上,多くの場合において民間人や非戦闘員は犠牲 となってきたが,この表題にあえてつけられたの はなぜか,それはこの戦争のどのような性格とか かわるのか。なぜ,同じ戦争被害者であるにもか かわらず,補償される人とされない人が存在する のか。なぜ戦争被害の検証は困難なのか。
原子爆弾の使用について,「日本は落とされて 当然だった」というような「歴史的必然論につい
て議論をたたかわせること」(歴史のための全米 基準)をねばり強く続けなければならない。トルー マン大統領,スティムソン陸軍長官,グローヴス 准将は,原爆について何を考えていたのか。なぜ グローヴスは京都へ落とすことをたびたび要求し, なぜトルーマンとスティムソンはそれを拒否し続 けたのか。また,「日本はアメリカと戦争せざる をえなかった」という「歴史的必然論」も同様に, 日米開戦は本当に避けることができなかったのか, と問いを立てて議論をねばり強く続けなければな らない。日米交渉や御前会議ではいったい,何が 議論されていたのか。そして昭和天皇は,この一 連の過程をどのように考えていたのか。
今回は資料を提示できなかったが,問いと資料 を組み合わせて,生徒の戦争認識を深めていきた い。反戦を貫いて投獄された人,人間の生きる権 利,人間の尊厳を踏みにじられた人の証言から高 校生が学ぶことはきわめて多い。また,戦争決定 者や遂行者,そして兵士・軍人の考えや苦悩に肉 薄すると同時に,戦争被害者の証言一つ一つを生 徒とともに読んで悲しみ,そして怒り,今後教員 も生徒も主権者として,どのようにすれば戦争の ない平和な日本や世界を構築できるのか,じっく りと語り合っていきたい。
おわりに
【参考文献】
(注1)小川幸司『世界史との対話〈上〉─70時間の歴史 批評』(地歴社,2011年)p.329
(注2)鳥山孟郎『考える力を伸ばす世界史の授業』(青木 書店,2003年)p.60~63
(注3)三成美保・小浜正子・姫岡とし子編『歴史を読み 替える ジェンダーから見た世界史』(大月書店,2014年), 久留島典子・長野ひろ子・長志珠絵編『歴史を読み替え る ジェンダーから見た日本史』(大月書店,2015年) (注4)デイヴィッド=フィンケル著,古屋美登里訳『帰還
兵はなぜ自殺するのか』(亜紀書房,2015年)
(注5)ジョン=ヘーガン著,本間さおり訳,坪内淳監修『戦 争犯罪を裁く(下)─ハーグ国際戦犯法廷の挑戦』(NHK 出版,2011年)
8│世界史のしおり 2017③
次 期 学 習 指 導 要 領 の 動 向
2016年12月の次期学習指導要領に関する中教審 答申(中教審第197号)は,高校地歴科において, 新たに必修科目として「歴史総合」(2単位)を 設置し,現在の「世界史A」「世界史B」「日本史 A」「日本史B」を廃止し,それぞれ3単位の「世 界史探究」「日本史探究」を選択履修科目として 設置する方向を示した。それに沿って高校学習指 導要領は2017年度中の改訂が予定されている。こ れは,「世界史」と「日本史」に分けられてきた 戦後の高校歴史教育における大きな変化である。 ここでは,それが意味するものをとらえ返し,こ れに向き合う私たちの構えと課題を整理したい。
1.教育を取り巻く状況の激変
まず,次期学習指導要領が大きな改訂となるこ とを現在の文科省の一連の政策のなかで理解して おきたい。中教審は,近年,次々と大きな改革の 方向をうち出している。2014年12月には,新しい 高大接続の実現に向けた高校教育・大学教育・大 学入学者選抜の一体的改革に関する答申(中教審 第177号)を出し,さらに翌2015年12月には,教 員の資質向上(中教審第184号),チーム学校(中 教審第185号),学校と地域の連携・協働の推進(中 教審第186号)の3答申を同じ日に出した。次期 学習指導要領の大きな変化はこの延長線上にたつ。 背景には,グローバル化,情報通信技術(ICT)・ 人工知能(AI)の急速な発展に象徴される社会 の変化を前に,教育もまた子供の「生きる力」を はぐくむことができるように,大きな改革を求め られているという,関係者の共通の認識がある。 次期学習指導要領全体の方向性として,「何が できるようになるか」「何を学ぶか」「どのように 学ぶか」の三つの枠組みが示され,とくに「どの ように学ぶか」については,「主体的・対話的で
深い学び」の実現のための「アクティブ・ラーニ ング」の視点からの授業改善が掲げられたのも, このような文脈のなかで理解できる。
2.「歴史総合」─自国史と世界史の統合─ 中教審答申の示す「歴史総合」の四つの大項目 に沿った単元づくりについては,すでに本『世界 史のしおり』でも複数の試案が示されている。こ こでは,それに屋上屋を架すことはせず,別の観 点から,「歴史総合」の意義をふり返っておこう。
戦後の高校歴史教育が,日本史と世界史(実態 としては「外国史」)に分けられて教えられてき たことについては,1980年代以来,歴史教育者, 歴史研究者の間では批判的に議論が積み重ねられ てきた。世界を見わたせば,例えばドイツでは, 日本の高校に当たるギムナジウムで学ぶ歴史 (Geschichte=ゲシヒテ)は,自国史であるドイ ツ史を核におき,ヨーロッパの歴史,さらには世 界史を同心円的に学ぶ構成をとっている。その観 点にたてば,あえて自国史と外国史を分けること のほうが奇異なのである。
日本の歴史教育のこのような構成は,歴史教育 者の吉田悟郎が指摘したように,明治以来の歴史 を研究・教育するときの枠組みであった「国史」「西 洋史」「東洋史」という三学科体制のなごりとと らえることができる。戦後の新制高校には,新科 目としての「世界史」が誕生したものの,当初こ れは,それまでの「西洋史」と「東洋史」が合わ さったものにすぎなかった。確かに,どのような 世界史像を示すかは大きな課題となり,新たな世 界史像の構築のため,歴史教育者・歴史研究者は 今日まで不断の努力を重ねてきた。しかし,「自 国史」と「世界史」を分けることの弊害は,長く おきざりにされてきたといえる。その意味では, 東京学芸大学 教授
川手圭一
「歴史総合」「世界史探究」
世界史のしおり 2017③│9
「歴史総合」の登場は,これに込める意図が関係 者の立場・考えによって異なるにせよ,私たちは, まずは積極的に受け止めて,その中身の構成がよ りよいものとなるように努力しなければならない。
3.新科目としての「世界史探究」
一方,「歴史総合」の議論に目を奪われて,「世 界史探究」についての検討が進んでいない点につ いては,2017年10月28日に日本歴史学協会・日本 学術会議史学委員会 高校歴史教育に関する分科 会が主催した歴史教育シンポジウム(会場:駒澤 大学)で,東京学芸大学の日高智彦常勤講師が世 界史教育論の観点から報告している。
それによれば,3単位の「世界史探究」は,実 際の授業時間数を考えても,現行の「世界史B」(4 単位)をそのまま踏襲すればよいというようなも のではない。日高は,その認識にたち,「歴史総合」 との関係性のなかで「世界史探究」の構成を検討 する必要があるとして,独自の試案を示した。
高校世界史は,この間,世界史未履修問題,ま たその負担感からの世界史離れなど,多くの課題 に直面してきた。しかし,グローバル化の進展の なかで,生徒がエスノセントリズム(自民族中心 主義)におちいることなく世界に視野を拡げるた めにも,世界史教育はその重要性をますます増し ている。世界史が必修科目からはずれるなかで, 高校歴史教育が,どのような世界史像を提示でき るかが,今,問われている。
4.「主体的・対話的で深い学び」のために 次期学習指導要領をめぐっては,当初「アクティ ブ・ラーニング」という言葉ばかりが先行してし まった感があり,中教審答申ではあらためてこの ことが,「主体的・対話的で深い学び」としてく くり直された。「アクティブ・ラーニング」にせよ, 「主体的・対話的で深い学び」にせよ,悩ましい
のは,少なからぬ教員が,これを実践するための 手がかりとして,ややもすると何かひな型となる モデルやパターンを求めがちになることである。 確かに,今日の教員の多忙さを考えれば,何がし かのフォーマットを用いて授業を組み立てざるを
えないのかもしれないが,これは明らかにその趣 旨と矛盾する。
「主体的・対話的で深い学び」を実践するため の手がかりは,これまでの世界史教育をめぐる多 くのすぐれた授業実践,授業づくりの案に求めら れようが,外国の実践例も参考になろう。
例えば,2016年に明石書店より出版された『世 界の教科書シリーズ43 ドイツ・フランス共通歴 史教科書【近現代史】─ウィーン会議から1945年 までのヨーロッパと世界─』(日本語訳)は興味 深い。これは,いく度となく戦争を繰り広げた隣 国どうしが,和解と相互理解の象徴として進めた 事業の成果でもある。
その構成は,まず独仏の歴史を軸に,両者を対 比的に描きながら,同時代のヨーロッパ史,世界 史との連関性を示そうとするつくりになっている。
しかも,各章では見開き2ページで,関連する 資料が豊富に掲載されている。とくに目を引くの は,資料をどのように読み解き,考える材料とす るのかについて,いくつもの章で「学習方法」を 見開き2ページで設けて解説していることである。 それらは,それぞれ「文書資料を解釈する」「歴 史画を分析する」「学術的解釈を分析する」「文書 館で資料を探して分析する」「統計データを理解 し説明する」「論述課題に答える」「時代の証人に 尋ねる(オーラルヒストリー)」というテーマを 取りあげており,それぞれの作業の意味,その進 め方,分析方法,それをふまえた解釈,評価にた どり着く方法が,注意点も含めてわかりやすく示 されている。これらは,次期学習指導要領に向け て中教審答申が示す「諸資料から,歴史に関する 情報を効果的に収集する・読み取る・まとめる技 能」などの育成に大いに参考になろう。
10│世界史のしおり 2017③
たくさんのみずみずしい野菜と熟した果物。果 物の間からは黄金色の麦やきびがたわわにこぼれ, 下方には色鮮やかな花々が咲き誇っている。種々 多様な植物が精緻に描写されている本作には一方 で,一人の人物の上半身をはっきりと認めること ができる。ふっくらとしたりんごおよび桃の頬と さやえんどうの瞼の間から,さくらんぼと桑の実 の瞳がじっとこちらをみつめているからである。 この二重化されたイメージで見る者を強く引きつ ける絵の作者は16世紀に神聖ローマ皇帝の宮廷で 活躍したジュゼッペ=アルチンボルドであり,本 作は皇帝ルドルフ2世をローマ神話の神ウェル トゥムヌスに見立てて描いた肖像画である。
アルチンボルドを有名にしているのが,本作の ような,多様な動植物が一つ一つ博物学的な精確 さで描写されつつ,全体としては人物の頭像とし て見える奇抜な構成の寄せ絵である。アルチンボ ルドは1526年イタリアのミラノに生まれ,画業初 期を同地で過ごしたあと,1562年に神聖ローマ帝 国の宮廷画家としてウィーンの宮廷へおもむいて いたようである。彼の寄せ絵はこの宮廷において 初めて制作されたと考えられているが,その芸術 活動は皇帝たちを魅了し,マクシミリアン2世と ルドルフ2世の二代の皇帝に仕えたのであった。 アルチンボルドの特異な芸術の源泉については さまざまに論じられている。画業初期の地である ミラノでルネサンスの巨匠レオナルド=ダ=ヴィン チが活動し,その影響が色濃く残っていたことも 重要であった。ダ=ヴィンチは自然観察を重視し ていたが,おそらく彼の追随者たちとの交流を通 しアルチンボルドもその教えに触れ,写実的な自 然描写をきわめていったと考えられるからである。 さらにダ=ヴィンチは人物の醜悪な顔貌をとらえ た素描や,顔を醜く戯画化した素描を残していた。
これらの奇怪な頭像は,アルチンボルドの人物像 を先がけるものであったと指摘されている。画家 が活躍したマニエリスムの時代には,ユーモアや 機知を効かせた奇抜な芸術表現が登場する。この 傾向がアルチンボルドの奇想をこらした寄せ絵の 頭像にも見いだせるのである。
さらにアルチンボルドが宮廷画家であったこと も独自の絵画の形成に重要であった。この時代に 王侯貴族たちは貝や貴石,自動機械など自然物, 人工物を問わず珍奇な品々を競ってコレクション していた。アルチンボルドが仕えた神聖ローマ皇 帝も宮廷に「驚異の部屋」をつくりあげ世界各地 の珍品をおさめるだけでなく,生きた動植物のた めに植物園や動物園を整備していた。こうした場 所に出入りを許されたアルチンボルドは描写対象 をつぶさに観察し,作品の構想を練ることができ たのである。多様な事物からなる彼の寄せ絵は雑 多な品々が収集された,世界の縮図ともいえる「驚 異の部屋」に通じるものとなっている。
さて本作に戻ろう。実りを迎えた四季折々の野 菜や穀物,花々によって,四季や四季の変化をつ かさどる神ウェルトゥムヌスがかたどられている。 ここでは四季の支配者たる神に世界の支配者たる 皇帝が重ねられ,豊かな実りのイメージを通して 皇帝の統治がもたらす平和と繁栄が賞賛されてい る。本作は一見すると植物が寄せ集まった奇妙な 人物像に見えるが,皇帝を称揚する意味合いの強 い作品なのである。ルドルフ2世を喜ばせた本作 はこのたび東京・渋谷のBunkamura ザ・ミュー ジアムで開催されている「神聖ローマ帝国皇帝ル ドルフ2世の驚異の世界展」に出品されている。 皇帝の愛した珍品も展示された本展は,アルチン ボルドの作品とともにその芸術を生み出した当時 の文化的環境に触れる絶好の機会となっている。 武蔵野大学非常勤講師
玉井貴子
写実と奇想が織りなす人物像の意味
文 化
で読み解く当時の社会解説
この絵が日本にやってくる! 2018年1/6〜3/11 ルドルフ2世の驚異の世界展
ウェルトゥムヌス
としての
皇帝ルドルフ2世像
写真:ユニフォトプレス
付録と
いっしょに
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世界史のしおり 2017③│11 16世紀という世紀は,世界史ではとくに魅力の
ある世紀である。この世紀,ヒトや国家が動き, モノが動き,さらに「銀」というカネが動き,ひ いては時代が動いた。この時代を生きた人々に とっては過酷な時代であったかもしれないが,歴 史学を学ぶ者にとってこれほど興味深い時代はな い。その終了期に当たる16世紀末,ルネサンス精 神を身につけた一人のイタリア人画家が,モノに こだわった大変おもしろい絵を描いた。ミラノ出 身のハプスブルク家宮廷画家アルチンボルドがそ の人物で,おもしろい絵とは,ときの神聖ローマ 皇帝を花,野菜,果物,穀物などの栽培植物で描 いた,今回のテーマ作品である。本作を通してみ えてくる,16世紀の世界の一端をのぞいてみたい。
まずは絵画の登場である。この合成肖像画は色 なくしては鑑賞に値しない。カラーコピーした図 版を生徒各自に配布して印象を聞き,題名を提示 する。次に,解説にあるように本作が16世紀に流 行したマニエリスムの流れをくむ作品で,キリス ト教世界の支配者である神聖ローマ皇帝を四季の 神になぞらえ,万物をつかさどる存在としてたた えた作品であることを説明する。そのうえで,画 中の野菜のなかに,大航海時代にヨーロッパに伝 わった作物が4種類あることを指摘し,生徒に画 中の「野菜」探索をうながすことにする。手がか りとして,『明解世界史図説エスカリエ 九訂版』 (以下,エスカリエ)p.121の「コロンブスの交換」 の表を示し,このなかから3種を探すように指示 をする。おそらく,まず気づくのは肖像の胸元に 位置しているかぼちゃで,次にその左下にとうが らしが,さらに肖像の左耳として描かれていると うもろこしに気づいてくれるだろう。あともう一 種とは何か,これはこちらで指定しないと確認で きないかもしれない。今日,広くヨーロッパに普 及しているズッキーニで,肖像の首右側を構成し ている。ちなみに首の真ん中はかぶ,左側はなす である。これら4種の野菜のうち,とうもろこし については,やがてこのとうもろこしが世界中に 広まり,16世紀末当時,“17世紀の危機”を迎えつ
つあったヨーロッパで他の穀物より圧倒的に収穫 率の高いこの作物が貧民層の食料として受け入れ られたことを指摘しておきたい。
気になるのはとうがらしである。肖像画全体の なかでは右肩のカーネーションから始まって,タ チアオイ,白バラ,チューリップ,アーティチョー クとつながり,左肩のたまねぎにいたる部分は, 皇帝の首かざりとして作者が描いたと想定できる が,なぜ,その中心に近いところに赤とうがらし を入れたのか。ここからはあくまで筆者の推測に すぎないが,とうがらしはその強いからみゆえに 当時,一部の地域にしか普及せず,観賞用として 栽培されていたが,その形状からハプスブルク家 出身の神聖ローマ皇帝のシンボルともいえる「金 羊毛騎士団」勲章ペンダントとして使ったのでは ないかと考えられるのである。なぜなら,そのペ ンダントは「ぶら下がり羊」を彫金したもので, そのイメージでここに描いたのではないかと思わ れるからである。生徒には,本画と同じ所蔵先に あるルドルフ2世の肖像画模写を拡大したカラー 図版を提示して,「ぶら下がり羊」のペンダントを 確認し,自説の妥当性を考えてもらうことにする。 この説が正しいとすれば,「ハプスブルク」皇帝を 代表する表象の1つが,大航海時代に新大陸から 伝わった栽培植物を用いて描かれるという,16世 紀らしい試みがなされていたということになる。
最後に本画がなぜスウェーデンの城に所蔵され ているのかを生徒に考えさせたい。17世紀前半の 神聖ローマ帝国内では三十年戦争(エスカリエ p.127)という,16世紀宗教改革の負の遺産といっ てもよい宗教戦争・国際戦争が続いていたことに 生徒が気づいてくれれば,この投げかけは成功で ある。ウェストファリア条約の交渉が行われた1648 年,プラハ城に入ったスウェーデン軍は宮殿内の 絵画や財宝類を軒なみ持ち去っていってしまった のである。その略奪品のなかにこの作品もあった ようで,その後の経緯は不明であるが,現在は17 世紀後半に軍人貴族の邸宅として建てられたス コークロステル城に所蔵されるにいたっている。
絵画が語る16世紀のヨーロッパと栽培植物の情報
─アルチンボルド『ウェルトゥムヌスとしての皇帝ルドルフ2世像』を手がかりに─
福岡県立東筑高等学校今林常美
世界史のしおり 2017③│13 土等に対する大幅な譲歩を強いられることは非常
に厳しい条件であった。授業ではこうしたドイツ がおかれた国際的立場を,風刺画とエスカリエ p.174「④ヴェルサイユ条約の調印」に表れるドイ ツ代表のようすとの共通性から生徒に気づかせる。
アメリカは参戦後に総力戦体制をしき,これま で拡大させてきた国民に対する自由を一転して厳 しく抑圧し,国家主義的傾向を強めることとなる のだが,こうした特徴はこのときに始まったもの ではなく,中米諸国への外交政策からも垣間見る ことができる。メキシコ革命に対する軍事干渉, ニカラグアへの海兵隊駐留,ドミニカ共和国での 財政危機に対する軍事介入などの行動は,確かに 「宣教師外交」ともいわれる民主主義を擁護しよ うとする道徳的立場を強調していたものの,現実 的には従来の「棍棒外交」の延長ともとれるよう な帝国主義的膨張政策を展開していたといえる。 同様に大戦参戦時に掲げた民主主義を守るという 大義も,結果的に貫徹したとはいいがたい。こう したウィルソンの両面性もまた,風刺画に示され たおびえるヴィルヘルム2世に表現されていると も思えるのである。はたしてウィルソン外交を平 和主義的な立場を重視して評価すべきか,それと も理想を標榜しながら現実的な外交を展開する立 場を重視して評価すべきか。この点を次の発問を 通して生徒に価値判断させていきたい。
展開③ウィルソンがめざした「WORLD PEACE」
の看板の先に何があるのだろう?
この風刺画では,左上の「WORLD PEACE」 と書かれた看板の先には何も表現されていない。 まずは歴史的事実として,“十四か条”にもとづい て和平交渉が進展するものの,その目玉ともいえ る国際連盟の設立に向けて,アメリカ国内外にお いて多くの課題に直面したことを確認したい。ア メリカ国内では大戦末期の選挙で上下両院ともに 共和党が多数を占め,ウィルソン政権の運営が困 難な状況となっており,国際連盟規約の一部がア メリカの行動の自由を奪うものであるとして議会 で反対されるにいたった。この結果として提唱国 であるアメリカが国際連盟に参加しないこととな る。国外では,英仏を中心として委任統治方式が
提案され,帝国主義的政策が基本的に維持される こととなった。また,教科書p.163コラム「国際連 盟の問題点」に表れるように,全会一致の原則な どの理想主義的な構想には国際安全保障上の脆弱 性が存在していた。一方で戦後のアメリカ経済は, エスカリエp.177「世界最大の債権国 アメリカ」 に示されるように,空前の繁栄を迎えた。こうし た事実もふまえながら,ウィルソンがめざした 「WORLD PEACE」の看板の先にあるのは「勝利 なき平和」だろうか,それとも「アメリカの勝利」 だろうかと問い,ウィルソン外交をいかに評価す べきか,生徒に価値判断をさせる。
3 おわりに
この授業構想でめざすものは,決してウィルソ ンが果たした国際平和への貢献を否定することで はない。革新主義を唱え国民への自由を主張しな がらも,総力戦体制下で言論統制を行う二面性や, 中米への帝国主義的ともとれる軍事介入の一方で, 国際連盟の創設を提唱するように帝国主義を批判 する立場を示す二面性は,のちのアメリカでも継 続していくのである。ウィルソン外交の評価を価 値判断させる営みは,現在にも存在するアメリカ の複合的な外交姿勢の起点をみるうえで大きな意 味をもっているといえよう。
【参考文献】
・有賀夏紀『アメリカの20世紀(上) 1890年~1945年』(中 央公論新社,2002年)
・飯倉章『第一次世界大戦史─諷刺画とともに見る指導者 たち』(中央公論新社,2016年)
・紀平英作・亀井俊介『世界の歴史23 アメリカ合衆国の 膨張』(中央公論社,1998年)
・長沼秀世『世界史リブレット人74 ウィルソン 国際連 盟の提唱者』(山川出版社,2013年)