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Eurogames7 8 最近の更新履歴 ボードゲーム読書会@高田馬場

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Academic year: 2018

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7. Th e Pleasures of Play

現代ボードゲームを遊ぶ時、プレイヤーはどこから楽しさを得るのか。

⃝初期の理論家は主に子供の遊びに着目し、ゲームを遊ぶ目的を、本能的なもの、self-motivating なものであり、かつ機能的なもの(つまり心理的社 会的発育のためのもの)とみなしてきた。子供の遊びを離れた一般論としては、ホイジンガ(後にカイヨワ)が「儀式としてのゲーム」を提唱してお り、これも self-motivating なもの。

⃝体験それ自体のための活動というアイデアは、チクセントミハイ「フロー」で更なる発展を見せる。目的の達成、最適行動の快楽。

⃝Nicole Lazzaro は、ゲームからプレイヤーが受けとる感情に着目し、「ハード・ファン」問題解決「イージー・ファン」没頭「オルタード・ステーツ」 内的体験「ピープル・ファクター」社会的体験のためのメカニズムとしての経験、の 4 つのキーを挙げている。

ただし、これらは「プレーの体験」から得られる楽しさの話であって、個々のゲームの話をしていない。我々があるスタイルのゲームを、あるいは特 定のゲームを選びとるのは何故か?

■メカニクス

ユーロゲームにかぎらず、ボードゲーム一般は、コアメカニクスの共有プールからネタを引っ張ってくる傾向がある。 また、プレイヤーの選好は、他の過去のゲームにおける経験に影響される。

ということで、ゲームにおけるどの特定のメカニクスをどれくらい好むか調査した。

■人気ベスト 5:フェイズ順序選択、ハンドマネジメント、エリアコントロール、タイルプレイスメント、アクションポイント

■不人気ワースト 5:じゃんけん、サイコロ振って動く、パターン認識、投票、賭け物

調査の結果では、このメカニクスが他を圧して人気がある、ということは無く、組み合わせ方のほうを問題にしているようだったが、一般論としてい うと、運の要素に基づくメカニクスの忌避、プレイヤーが意味のある意思決定を行うのを阻害するメカニクスの忌避ということは言える。

■ゲームの要素

そこで質問を変えて、メカニクスではなく、以下のどの要素がゲームの楽しさに貢献しているか調査した。

【貢献度の高い順に】リプレイアビリティ>戦略的深み>戦術的プレイ>直接的インタラクション>コンポーネントの質>間接的インタラクション> グラフィック>独創的メカニズム>テーマとの統合性>直接衝突>複雑性の高さ>複雑性の低さ>運>カオス

■リプレイアビリティ

ここでのリプレイアビリティは、Jull の言う「進行的(Progression)ゲーム」と「創発的(Emergence)ゲーム」の違いに関係する。進行的ゲームという のは、たとえば日本のコンピュータ RPG みたいなゲーム。創発的ゲームというのは、Jull を借りれば、少ないルールの組み合わせにより、ゲームの展 開の多様性を膨大な量で確保するようなゲーム。たいていのマルチゲームは創発的。

(ところで、たいていのホビイストが遊びきれないほどのゲームを抱えているのに、創発性を重視しているのは、何だか皮肉だ)

■知的挑戦:戦略と戦術

ホビイストが「リプレイアビリティ」というとき、それは戦略と戦術の可能性の観点から言っている場合が多い。

これは、ホビイストが「意味のある意思決定 meaningful decisions」を通じた知的挑戦を重視していることを反映している。 戦略については、

・ゲームは戦略の多様性を許容するような一定程度の複雑さを備えているべきで(但し、複雑さ自体が評価の対象になるわけではない。特に、ユーロ ゲームは家庭用ゲームという出自のため、複雑さ自体を挑戦と見るデザインには否定的)、

・あまり予測不可能性が高すぎて、長期計画が不可能になってはならず、

・ゲームシステムの振る舞いを予測できることが肝要である。

戦術に関しては、その定義から言ってゲームシステムからの応答が短期で返ってくるものであり、その応答性はゲームの楽しさにとって重要だと言え る。

注意すべきは、戦略と戦術が重要なのは、その選択が難しい場合に限るのであり、ある戦略が支配的であればゲームの展開は予測可能で退屈なものに なり(Juul)、ある戦術が支配的なら、ゲームはト書きされたように進んでしまう。

■ゲーム内でのインタラクション

同一のゲーム要素の所有権をめぐる衝突、という発生源自体はごく一般的だが、この衝突の解決が非同期的に行われ、非直接的にインタラクションが 行われるという点で、ユーロゲームにおけるインタラクションの組み方は極めて特徴的だ。(ただし、プレイヤーは非直接的インタラクションも直接的 インタラクションも同様に重要だと考えているようだ)

ユーロゲームでは、知的挑戦の主要なポイントはこのプレイヤー間のインタラクションの働き方にあり、ユーロゲームにおける「一回やってみて初め て内容が解る」という言われ方は、このことを指している。(ユーロゲームの多くが 3 人以上向けなのも同じ理由による)

このようなマルチゲームではプレイヤーの意図を読む能力や、他人の認知を操作する能力は極めて重要になる。

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なお、近年のユーロゲームでは、インタラクションを限定し、「経済エンジンを形作りプレイヤーが個々に独立する」タイプのゲームが増加している。 この現象と、インタラクションに関するプレイヤーの強い選好を考えた時、それではユーロゲームがどのようにメカニクスを通じて心理学的な幅を持 たせているのか、考える必要があるだろう。

■ユーロゲームのインタラクション

ここでの「インタラクション」は、ゲームシステムとのインタラクションではなく、プレイヤー間でのインタラクションを意味する。

・タイルプレースメントは「所有権を得る」ことと通常最も強く関係する。特定のタイルを置くというプレイヤーの選択により、非同期的な衝突が発 生する。プレイヤーの責務は、自分自身の優先順位を評価し、同時に相手の意図を評価することだ。この点では役割選択/ワーカープレースメントも同 様。特に後者では、「相手がやるより先に自分が正しい選択をすること」が重要になる。

・オークションでは、プレイヤーは特定のゲーム要素の価値について、必ずしも他プレイヤーにとっての評価に関して明示的な情報を得られないまま、 判断する必要がある。

これらのメカニクスによるインタラクションは非直接的なもので、つまりこれは、他プレイヤーとの衝突が非同期的に解決されることを意味する。こ こから、エリアコントロールがなぜプレイヤーの間ではゴールではなくメカニクスとみなされるのか、それもオークションの一種とみなされるのか、 理由が得られる(つまり、やってることが同じなわけだ)。

トレーディングと交渉は、上記と異なり、同期的に解決される。かつ、上記と異なり、他プレイヤーと協力的な形で実施される。つまり、ユーロゲー ムは、衝突の解決には非直接的なインタラクションを用い、協力の促進のためには直接的なインタラクションを用いている、と言える。

いずれにおいても、個々のゲーム要素の他者にとっての価値を評価する、という行為が重要であり、そのためには、後々の行動に関するそのプレイヤ ーのメンタルモデルの形成・把握が必要となる(部分的には、ゲームシステムへの理解が、このメンタルモデルの形成・把握のためには必要だ、とも 言えるだろう)。そしてこのことを、ユーロゲームのプレイヤーは楽しんでいる。ゲーム会社による解釈(インタラクションの量の低下)とこのサーベ イを照らし合わせるに、重要なのはインタラクションのプレゼンスであり、それは量とは異なる、ということではなかろうか。

■コンポーネントとグラフィック プレイヤーはボードゲームの物理的美的性質に高い重点を置いている。(色々書いてあるけど割愛)

■テーマとメカニクス

テーマとメカニクスの統合性は、想定していたよりは重視されていないが、それでも重要だとはされている。

「ナラティブの感覚(センス)」はユーロゲームにおいて名高いものではないが、テーマとメカニクスの関係は主観的だという点には注意しておくべき だろう。チグリス&ユーフラテスはある人にとってはテーマリッチなゲームで、別の人にはぱさついたアブストラクトに見える。ただひとつ言えるの は、他のホビー・ゲームの分野ではシミュレーション(模倣)に重きを置いているのに対して、ユーロゲームはそうではない、ということだ。

■運とカオス

運の要素はゲームの楽しさに貢献するものとあまり考えられていなかった。これは運の要素が戦略形成の可能性を減らしてしまうということによるも のだろう。カオス(予測不可能性)も同様。ちなみにカオスはプレイヤー人数とプレイヤーがゲームの状態をどれだけドラスティックに変えられるか によって決まるもので、カオスもプレイヤーの認知としてはランダム性として捉えられる。

■「プレーのどの側面に最も楽しさを感じるか?」

上記の設問をオープンクエスチョンで用意したところ、ゲーム内インタラクション(4 位)、知的挑戦(3 位)、戦略性(2 位:30%弱)といった他を圧して、 第一位は「社交的インタラクション(60%)」だった。

マルチゲームの社交的インタラクションには、ゲームによって指示されるものと自発的なものがある。オークションや交渉というのはゲームが指示し てくるものだが、ここでユーザーが回答している社交的インタラクションはそういうものを指しているのではなく、自発的に行われるほうのインタラ クションだ。これは個々のシステムとは基本的に関係なく、プレイヤー構成がもたらすものだ。理論的には、マルチゲームをそういうもの無しに遊ぶ ことは可能だが、現実的には、ボードゲー ムを他プレイヤーとのだらだらした会話無しに遊ぶということは、ちょっと考えられない。

この点に関しては、ゴフマンが「ゲームの面白さ」(「出会い」(1961)に収録)で論じている。ゴフマンは「ゲームをすること gaming」と「ゲームを する出会い gaming encounter」を明確に分けている。「ゲームをする出会い」というのは、ゲームプレイを明確な特徴とする焦点の定まった集まりの ことを指す。我々がいま考える社交的インタラクションは、ゲームのプレイ自体だけから成るものではなく、社会的環境のコンテクストから発生する ものでもある。ゴフマンは「自発的関与」という言葉を用いて、参加者がゲーム自体と同じく社会的な場にもとらわれるということを示している。こ の自発的関与の重要性の理由を、ゴフマンは3つ挙げている。他者に与える安心感、排他的連帯、そして、共有されたプレイ世界のリアリティの保証。

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さらに重要な指摘として、ゴフマンは、この自発的関与を相手と確認できるのは、フェイス・トゥ・フェイスでのプレイの時に限られる、としている。 この「ゲームをする出会い」こそが、プレイヤーが最も楽しんでいる対象物だ。Lazzaro の表現によれば、「我々はゲームというよりもむしろ、人々に ハマっている」。他プレイヤーとの意義あるインタラクションこそが重要であり、没頭やナラティブといったビデオゲームでは重視される要素も、ここ ではさほど重視されない(社会的インタラクションは、チクセントミハイの言う「フロー」を阻害する要因になることにも留意)。さらに言えば、ゲー ム内要素よりもフェイス・トゥ・フェイスでの社会的インタラクションを重視するプレイヤーは少なくない。これはエバンジェリストがこのホビーを 布教する理由でもある。つまるところ、ゴフマンが言うように、「プレーに勝つのはプレイヤーとしてだが、ゲームに勝つことから楽しみを得られるの は(ゲームをする出会いにおける)参加者としてでしかない」。

プレイヤーが「ゲームをする出会い」に自発的閑所するのであれば、ゲームの参加によって生じる「隔離された世界」というのは、実際、その出会い が生じるコンテクストから完全に隔離されているわけではない。次章ではこの点について見ていく。

8. Goals an d Outcomes in Social Play

本 物 の ゲ ー マ ー は 、 プ レ ー に 勝 つ こ と が 目 的 な の で は な く 、 勝 と う と す る こ と で ゲ ー ム の 「 プ ロ ッ ト 」 が で き る の だ 、 と 知 っ て い る 。 如何にしてプレイヤーは社交性と競争の間でバランスを取り、陽気な雰囲気を保つのか。

Juul は、(RPG などの非クラシックなゲームとの対比としてではあるが)クラシックゲームモデルを提唱し、基本的にプレイヤーはポジティブな結果 に幸福を感じ、ネガティブな結果に不幸を感じるものだとしている。この主張で、Juul は「オブジェクトとしてのゲーム」から「主観的(サブジェク ティブ)体験としてのゲーム」に焦点を移しているわけだが、Eskelinen が言う通り、プレイヤーのモチベーションが常にゲームの結果に関係している というような主張は、プレイヤーがゲームを遊ぶことに関する諸々を、単にゲームの結果に関する選好に縮めてしまう危険がある。(そもそも、ゲーム 学者やデザイナーは、プレイヤーのモチベーションというものをアプリオリに仮定してしまいがちだ。)

Heide Smith の観察によれば、ゲーム空間におけるプレイヤーの振る舞いは大きくはゴール・オリエンテッドだが、いまプレイしているゲームについて の有益な情報を共有するような場面も見られる。Smith はこれを、ゲームをする出会いにおけるフェアネスの導入と捉えている。Smith はこの議論にお いて、合理的プレイヤーが純粋に目的を追い求める「ゲーム・サークル」と、コンテクストがありそのゲームにおける社交的期待が満たされる「ゲー ミング・サークル」とを分けている。つまり、ゲームに関する形式的理解と、社会的体験としてのゲームプレイとの間には明確な不一致がある。プレ イヤーは他者にアドバイスや情報共有したりする。「フェアネスへの concern がゲーム空間内への行動にまで及ぶわけではないが」、ゲームの成績が知 識の多寡で決まるべきではない、という態度がここにはある。

さて、Smith は「ゲーム・サークル」と「ゲーミング・サークル」を分けていたわけだが、ビデオゲームでは、この分離は概念的なものではなく、実 際に分かれている。これに対して、ボードゲームでは両者の境は曖昧だ。

■プレーを促進するもの、としての目的

決められたゲームの目的に向かってプレイヤーが進んでいかないと、ゲームは維持できない。Bernard Suits によれば、チェックメイトに向かわないプ レイヤーはゲームをプレイしていない。ここで Suits はプレイヤーの純粋合理性の話をしているのではなく、目的へ向かうこと(目的指向性)はゲーム 体験の為に必要なものだ、という話をしている。ゲームの「目的」というのは、つまりゲームの「プロセス」自体であり、ルールやら目的やらは単に プレー体験を促進するためだけのものだ。

実際、この考え方はプレイヤーに受けられている。多くのプレイヤーが目的指向的な純粋合理性モデルを受け入れているが、同時に、少なからぬ数の プレイヤーが、プレー体験を「ゲームをする出会い」の主目的に置き、また多くのプレイヤーが、ゲームの社交的側面を、目標達成より遥かに重視し ている。このようなプレイヤーにとっては、ゲーム自体はほぼインタラクションの同義語だ。

■社交的コンテクストと目標追求

プレースタイルというのは、ゲームルールの産物ではなく、Social Fabric(社会機構/社交機構)の産物だ。カルカソンヌは社交的に和やかに遊ぶこともで きるし、ごりごりにカットスロートな遊び方もできる。そして「ゲームをする出会い」の社交的環境から来る要請が、勝利の合理的追求を上書きして しまうこともある。つまり「みんなが楽しむことが第一目的」という態度のことで、多くのプレイヤーが、ゲーム中におけるこの空気の維持を共通の 責務と考えている。現在の社交的コンテクストにおいて相応しくないと判断した場合、留保なしにゲームの目的を追求するというところからの妥協が 始まる。

■手加減など

コンテクストを無視していつでも真っ直ぐ勝利を追い求めるプレイヤーの割合はわずか 15%にとどまる。経験のないプレイヤーに手を教えたり、レベ ル差がある時は最適でない手を打ったりする(60%)。これは、人工的に対等な環境をつくりだそうとしているものだ。また、ボードゲームのホビイス

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トには伝道者的心性があり、初心者に「勝つ可能性がある」ことの楽しさを知らしめたい、と思う物が少なくない。

そして対等性の確保以外にも、ゲームの目的よりも Social Fabric が重視される場合がある。たとえば、攻撃的プレイスタイル相手に不快を与える場合、 これを引っ込めることがある。自分以外のプレイヤーの体験の質が、自分の意思決定に絡んでくるわけだ。時に、全員の楽しさは自分の勝利に優先す るのであり、勝利しようとすることと他者の楽しみを削ぐことには明確な一線がある。プレイヤーは一般に、全員の益に成るような形でプレイ環境を 維持しようとするものであり、これは与えられたゲームの目的に優先する。

※だれも全く勝利を目指さないとゲームは基本的には成立しないが、しかし上のような意味での「勝利を優先しないプレイ」は Espen Aarseth の言う

「active player」の概念とは異なる。active player と異なり、プレイヤーはデザインの裏をついてやろうとしているわけではないからだ。単に、ユーロ ゲームにおいては、社交の構造とゲーム自体と、両者の関係から「ゲーミング」の活動が行われる、というだけだ。従って、同じゲームであっても、 別のグループで遊べば、それは別のゲームになる。【ここで「ゲーミング」という単語は専門用語として用いている。つまり、ゲームを構成するコンポ ーネントを実際のプレーへ変換する、プレイヤーの活動を指している】

もうひとつ特筆すべき振る舞いとして、勝てそうになくなったプレイヤーは、ゲームの目的を放棄する場合がある(16%)。これについては後述する(次 章)。

社交上の責任を果たすためにプレイヤーがどのような暗黙の義務を負っているか考えるには、プレイヤーがどの種の行動を不適切とみなしているか見 るのが良いだろう。自分の利益を最大化し相手を妨害するのは 2 人ゲームではごく普通のことだが、マルチゲームで誰かを叩くのは話が変わってくる。 これは戦略的行動でもありえるが、勝利を目指すのとは別の意図でやってるんじゃないかと捉えられるリスクがあり、その場合には、誰かを叩くのは 拙い行動だということになる。この点、調査に対し、下記のような回答が得られた。

・行動には以下の優先順位をつける:自分に利益があり誰かを阻害する>自分に利益がある>誰かを阻害する>誰にも何の損得もない

・首位のみを叩く

・叩いてもゲームの雰囲気が悪くならなそうな相手を叩く

・まんべんなく叩く

また、少なからぬプレイヤー(43%)が、相手を叩くような行動に出るか否かをゲームの性質によって決める、としている

■「良い」結果と楽しさ

・勝とうとすることは重要で、楽しむことも重要だが、実際に勝つことは重要ではない。

・ゲームを楽しむことや同席した人々と一緒にいるのを楽しむことに比べれば、勝つというのは二次的なことだ。

調査において上記のような回答が為されるとき、重要なのは、プレイヤーはどれくらい勝利に重きを負いているかということだ。53%のプレイヤーが、 ゲームの結果自体は楽しさの土台にならない、と回答している。28%が勝利はゲーム体験に良い影響を与えるとしているが、「ゲームをする出会い」に おいて勝利を重要な要素と認めているのはわずか 19%だった。

Fabio Paglieri は、プレイヤーのメンタルモデルにおいて「目的の種類」というのがいろいろあり、これがゲーム体験やゲームへの態度に関係してくる、 としている。彼が定義している「目的の種類」のうち、ここでは 2 種類を取り上げる。「本物のプレイヤーtrue player」と「多面的プレイヤーhedonistic player」だ。

「本物のプレイヤー」は強く目的指向なプレイヤーで、目的を達成できないと楽しくないと考える。

「多面的プレイヤー」は、【メタ目的】から楽しみを得るので、ルールに書かれた目的を放棄することに特段の問題を感じない。

メタ目的というのは(例えば)ここまで触れてきたようなことを指す。実際のプレイヤーをどちらかに明確に分けることは難しいが、ひとつ言えるの は、この調査では、明確に「本物のプレイヤー」と言えるようなプレイヤーはほとんどいない、ということだ。

■社交的プレイヤー

社交的プレイには競争と協調の間での緊張があり、それは例えば助言・助力や手加減のような形で現れる。結局のところ、プレイヤーは概ね、ゲーム のフォーマルな構造によって与えられる「目的」と、社交的コンテクストから決まる「結果に対する価値設定」との違いについて、区別がついている。 ユーロゲームにおける「ゲームの目的」は、プレーを促進する装置なのであって、ゲームの結果に対して価値を設定するものではない。

ある「ゲームをする出会い」の形や体験は、その出会いの社交的構造やプレイヤーの態度・期待に大きく拠っている。ゴフマンが示すように、ゲーム 世界と現実世界を隔てる壁というのは、どちらかというと薄膜のようなもので、互いに向こう側へ浸透している。社交的なゲームを社交的コンテクス トの影響抜きにプレイできる、と主張するのは、こういうゲームが社交的体験であるという事実を否定するものだ。「ゲームをする出会い」を形づくる のは、ゲーム自身の明示されたルールと同じくらい、プレイを取り囲む社交的集まりによってもたらされる暗黙のルールなのだ。

参照

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