Written by HAYASHI Toshiki (L12‐13)
1◆知覚のあり方̶̶̶世界のあり方
・両者の関係はどうなっているのか?
・知覚の真偽はどうやって決められるのか?
「知覚(意識)」、「世界(実在)」などの言葉には明確な概念規定がないため、上の問いに答
えるのは難しい
⇔これらの用語の概念規定を明確にすることこそが哲学の真の問いである
プラトン:探求のパラドクス(『メノン』より)
『意味の分からないものを探求することはできない
⇔意味が分かればその時点で探求が完結してしまう』
哲 学 の 大 部 分 が 、 「 ( 普 段 何 気 な く 使 う よ う な 言 葉 が も つ )意味へ の 問 い 」 ( こ こ ろ っ て な
に?)
→次第に「意味への問い」を先鋭化する(豊かな心と貧しい心って?)
→他者の価値観とジレンマを起こす
→そのため理論化を行い、概念に整合性を与えるようになる(→理論哲学)
『視覚』
知覚(⇔感覚、想像、思考、感情、、、)
知覚={視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚(=五感)}
哲学は視覚に基づいて議論することが多い
知覚:世界のあり方を認識する
哲学用語の世界→我々が生きている環境全体のこと
哲学の問いは1つ1つが独立していない(全体論的)
→そのため単体の問いを抽出するのが難しいし、使う単語の定義が曖昧になってしまう
意識→思考、想像など。その中でも主に知覚のこと
実在→我々が生きる世界のこと
2
哲学Ⅱ(火1:野矢茂樹教官)09年度冬学期講義録
2 Written by HAYASHI Toshiki (L12‐13)
知覚のあり方̶̶世界のあり方
a.
素朴実在論
◆我 々 が 見 て い る も の は 、知 覚 イ メー ジ の よ うな も の で は な く、実物そのもの(一 元 論 的 :知
覚=実在)
見誤りの場合のみ、見ているものは実物そのものではない(二元論的:知覚≠実在)
『見誤り』 知覚イメージと実在が一致しないこと
カカシを人と見間違う 人間 ⇔ カカシ
縄を蛇と見間違う 蛇 ⇔ 縄
→一元論と二元論の混在
〔困難〕
まぶたを軽く押してみるという事例をどう考えるのか →(())→
まぶたを押すと目に見える像(視覚イメージ)が二重化する
⇔実物は一個のまま
→まぶたを押している間だけ、見ている像が視覚イメージになるのか?
〔結論〕
素朴実在論には限界がある
b.
意識と実在の二元論
◆我々が見ているものは、実物を認識した脳が映し出した視覚イメージであって、実物では
ない→「見誤り」や「幻覚」も説明がつく
〔困難1〕
視覚イメージを与えている実物はどこにあるのか?
被写体をカメラで写し、モニターに表示する 三つの理論
◆素朴実在論
◆意識と実在の二元論
Written by HAYASHI Toshiki (L12‐13)
3 →被写体はどこにあるのか?→もちろんモニター上ではない
→今見ている黒板消しは、巨大な3D モニターに映し出されたイメージにすぎないのではな
いか?
→では目の前に広がる世界とは別に実在の世界が存在する?
〔困難2〕
二元論において、視覚イメージが正しいかどうかはどうすれば分かるのか?
正しい知覚・・・知覚イメージが実物と一致している場合(⇔見誤り、幻覚)
→このことはどうやってチェックしているのか?
→知覚イメージと実物を比較するのか?
〔結論1〕
実物と知覚イメージは空間的な関係を持たないと言わざるを得ない
=「実物はどこにある」とは言いようがない
「皿の上のリンゴ」のような空間的位置関係は知覚の中でのこと
つまり世界と知覚の間の空間的関係は意味を持たない
〔結論2〕
知覚の正しさや世界のあり方については分からない
→ゆえに、二元論的な見誤りなど存在し得ない
(知覚イメージとは異なる、正しい実在を確認する手段などないから)
→不可知論
c.意識の一元論
『存在するとは知覚されることである』(G.
Berkeley)
→この世界は全て私が意識(所与)しているものから構成される
=観念論、現象主義(≠現象学)
◆(強い)独我論
『他者はゾンビで、意識を持っているのは私だけである』
◆意識の一元論(=弱い独我論)
『私 だ け で な く他 人 も実 物 を 見 て い る が 、そ の 他 人 の 意 識 (他我)も実 物 とされ る もの (外界)
も消去され、結局自分が意識しているものしか残らない』
→他我や外界の存在を認めているという点で前者ほど排他的ではない
[知覚の真偽に対する二つの考え方]
4
哲学Ⅱ(火1:野矢茂樹教官)09年度冬学期講義録
4 Written by HAYASHI Toshiki (L12‐13)
2. 整合説̶̶̶知覚相互の整(斉)合性を基に考察する(一元論的)
(ちなみに、、、)
・整合的=矛盾がない状態
・斉合的=矛盾がなく、さらに秩序をもつ状態
◆意識の一元論は『見誤り』をどう説明するのか?
意識に映ったものが間違っているとはどういうことか?
例:縄を蛇と見誤る
・二元論的考察
→見誤りとは知覚イメージと実物の不一致
・一元論的考察
→縄も決して知覚を超越した実在ではない(=知覚イメージにすぎない)
遠くから眺めたら蛇に見えた
近くからよく見たら縄に見えた
→つまり蛇も縄も知覚である
→人は近くから見た知覚に信頼を寄せる
⇒見誤りとは知覚同士の不整合である
◆大きなまとまりを形成するものが真であり、それと不整合で孤立してしまうものが誤り
cf. 夢と現(うつつ)
胡蝶の夢(荘子)
荘 周 が 夢 を 見 て 蝶 と な り 、 蝶 と し て 大 い に 楽 し ん で い る と こ ろ で 夢 が 覚 め た 。 果 た し て 荘 周
が夢を見て蝶になったのか、それとも蝶が夢を見て荘周になったのか。
→一見して上の記述では説明がつかない
⇔現実は連続性というより大きなまとまり(一貫性)を形成している
例:夢で借りた借金は、次の夢で返す必要はない
→ゆえに蝶になった夢が真の夢である
◆見誤りの例においては、より大きなまとまりを形成する縄の知覚を正しいと判断する
〔困難1〕
見ていないもの(知覚されていない実在)の存在
→私の意識の外側(外界)にあるものをどう扱うか
1.自分が知覚しているものだけが存在しているものとする
=人に背を向けたら、その人は存在しなくなる(→強い独我論)
Written by HAYASHI Toshiki (L12‐13)
5 〔困難2〕自動ドアはロボットか?ロボットには意識があるのか?他我とロボットの違いは?etc...
『全ては私の夢なのだ』
→ 世 界 の す べ て が 私 の 意 識 か ら 構 成 さ れ て い る の で あ れ ば 、私 が 死 ん だ ら 世 界 自 体 も 終
わるのではないか→他我問題へ
d.代替案の可能性
以上の考察を踏まえると、一元論にも二元論にも問題点が存在することになる
→一元論でも二元論でもない、別の理論が存在しないかを考える
◆一元論と二元論に共通の前提
・二元論:知覚イメージ→(この間の過程が不明)→実在
(まず知覚イメージが与えられ、そこから実在を導こうとする)
・一元論:整合的な知覚イメージのまとまり=実在
では、ある場面での個々の知覚イメージは正しいのか?
机の上のリンゴは本当にリンゴなのか?そもそもそこに物体はあるのか?
→二元論も一元論も、まだ分からないと答える(幻覚や見誤りの可能性を留意)
=真偽未定の知覚イメージと認知する
※一元論では、知覚イメージのまとまり(一貫性)が確認できてようやく正しいと認知される
ここには、『それ自体は真偽未定の知覚イメージが、しかるべきチェックを受けて、正しい知
覚(実在)と認められる』という考えがある <昇格モデル>
所与(データ)=知覚イメージ
↓(←何らかのチェック)
ゴール=実在
まず知覚イメージから論理を出発する時点で、両次元論には無理がある?
→否定主導語というアイデア (J.
L. Austin Sense and Sensibilia )
real (本当の)という語を分析した
⇔あまりに多義的であるため、定義はできない
ex.本当のスパゲッティって?(本物の?食べるに値する?)
◆「実在する」とは、肯定的な規定をもたない
→それは「実在しない」という否定の規定に依存している
→「実在する」とは、「実在しない」という規定に該当しないものを指す
6
哲学Ⅱ(火1:野矢茂樹教官)09年度冬学期講義録
6 Written by HAYASHI Toshiki (L12‐13) 導語ではない(肯定主導語)
こ れ に よ り 、 『 我 々 はデフォルト( 初 期 設 定 ) で 実 在 を 把 握 し て い る 』 と 考 え る 道 が 開 か れ
る
①あ る 場 面 で 、 デ フ ォ ル ト で 何 も 問 題 が な い 個 々 の 知 覚 イ メ ー ジ は 、 実 在 で あ る と 鵜 呑 み
にする
②その上で何かおかしな点があったものはチェックを受け、非実在とされる(降格モデル)
◆普通は(何事もなければ)、実在そのものを見ている(知覚イメージを見ている訳ではない)
非実在であっても、真に非実在であると認識されるまでは、実在と鵜呑みにするため、全て
の実在を「非実在なのではないか」と疑ってかかるのはナンセンス
蛇・・・誤った知覚イメージ←知覚の誤りを説明するために知覚イメージが導入される
↓
縄・・・実在(知覚された実在)
◆この考え方は素朴実在論に帰着する
→二重視の問題が深刻なものとなる
↓(野矢的考察)
二つの何かが見えているのではなく、一つのものが二重に(副詞̶見え方)見えている
Written by HAYASHI Toshiki (L12‐13)
7 =他我問題他人に対して、・外(行動、状況)からの観察
・内(思考、知覚)に秘められた経験
同型性 外側から観察された状態が同じなら、内側の経験も同じであること
例:視覚などは同型性が強いとされる
こ の自他の同型性へ の 信 念 が 疑 わ れ る 自 分 が 悲 し け れ ば 他 人 も 同 様 に 悲 し ん で い る の
か?
a.逆転スペクトルの懐疑
外から観察されたことが一致していても、内側の経験は一致していないかもしれない
例:二人とも空を青いと一致して認識しても、その「青色」は客観的に同じ色なのか?
→他人の内側の経験(心)のあり方は分からない(=他我認識の懐疑)
→さらにradical な懐疑:そもそも他人に心があるのかどうか分からない(=ゾンビの懐疑)
b.
類推説
自分の振る舞い(A)、自分の心の状態(B)、他人の振る舞い(a)を私は知っている。
この場合、他人の心の状態(x)は、 A:B=a:x によって求まるのではないか、と考える
つまり、自分の場合の「内̶外の関係」を他人に適用※しようとしている
<類推説への批判>
①類推説は同型性の信念を前提にしている(論点先取)→※
②radicalな懐疑(x=0?)に対しては無力
③(補足)心身二元論が前提とされている
→他我問題は、その答えを見つける術がないという点でナンセンス(→ 岩盤 )
<他我問題に対する応答>
①他 人 の 心 の 存 在 や 同 型 性 の 信 念 は根拠付けを必要としない、 と い う こ と を 積 極 的 に 認
めてしまう
②私 に しか 心 を認 め ない とい うことは 、私の心の状態を表現するのに公共言語は役に立た
ないということになる(この場合、日本語はゾンビに適用されるゾンビ語であるから)
→私は自分の心の状態を表すのに、私専用の言葉(私的言語)を使わなければならない
⇔しかし、言語は基本的に公共的であり、私的言語は不可能
※ここで、さらに「他人の心」の意味がより根本的な問題になる(他我の意味の問題)
8
哲学Ⅱ(火1:野矢茂樹教官)09年度冬学期講義録
8 Written by HAYASHI Toshiki (L12‐13)
「 赤 」 と い う 感 覚 は 他 者 に 伝 え る こ と が で き る ( 「 こ れ が 赤 色 だ よ 」 ) が 、 内 側 の 経 験 た る 「 痛
み」の感覚は、外側からの観察(怪我をしているという事実)からでは伝えることはで
きない
※「痛 み 」の 意 味 を 、「この 感 覚 」と捉 え る と(感覚説)、「彼 は 腹 が 痛 い 」→ 彼 の 腹 に この 感 覚
が生じている→痛いのは私
c.
(痛みの意味の)感覚説
自他の同型性の信念を除外して(哲学的に)考える
(私が)呻き声を上げる:痛みの感覚=(他人が)呻き声を上げる:他人の痛みの感覚 ・赤の見本を、他の物体に適用する→白い箱を赤く塗りつぶす
・自 分 の 腕 に 感 じ た 痛 み を 、 他 人 の 腕 に 適 用 す る → 他 人 の 腕 に 、 自 分 が 痛 み を 感 じ る こ と に
なってしまう
→この痛みを他人への現れにどのように移行すればよいのか?
自 分 へ の 現 れ が 、 全 て 他 人 へ 適 用 で き る と 考 え て い る 点 で 、類推論は論点先取であると も
言える
d.
代案:行動主義
独我論的行動主義 他人はゾンビだと認めてしまう(論理的整合性は存在する)
私の痛み=感覚
「彼女は足が痛い」=彼女は痛みの振る舞いをしている
※徹底的行動主義というのもあり得る
自 分 も 他 人 も 、 心 的 な 概 念 は 全 て 振 る 舞 い や 状 況 を 表 す 概 念 ( 外 か ら 観 察 さ れ る も の ) に
還元される=自分もゾンビだ
⇔親から教えられた公共言語では、自分の思考を表現されないはず
e.
代替案の可能性
Written by HAYASHI Toshiki (L12‐13)
9※無視点が客観で有視点が主観とは限らない
敢えて言うなら無視点は客観であるが、有視点は誰にでもある客観(知覚、感覚)と人
によって違う主観(感情など)と分類できる
ex.遠くのものが小さく見える 有視点的(ここから見れば)⇔無視点的には同じ大きさ
自然科学、地図 無視点的(Googleのストリートビューや航空写真は有視点的)
(うえの事例は間主観性:主観的なものであるが、ほぼ客観的であるようなもの)
◆「赤い」と「痛い」の違い
「リ ン ゴ の 赤 い 色 を 他 の 物 体 に 適 用 す る 」時 、 「赤 (対 象 の 持 つ 性 質 、 主 体 は 関 わ ら な い )」は
無視点
⇔それ対して、「痛い」は有視点的でしかあり得ない
私の痛みから他人の痛みに移行するためには、視点変換※が必要
※私の内界から他人の内界へと移行することではない
知覚→見ている位置の変換
感覚→身体状態の変換
※ Duck-Rabbit の図は、パースペクティブ的ではない!
これは意味付け(アスペクト)の違い→感情
視点位置 どこから見ているか(ここから見るとどう見えるか)
身体状態 どういう身体のあり方か(虫歯がある、傷がある)
[まとめ]
他我問題の懐疑 他人に心があるかどうかも分からない,という懐疑
↓
他我の意味の問題
「赤い」 「痛い」
↓ ↓(感覚説)
世界
無視点的把握
有視点的把握
アスペクト的
パースペクティブ的 (相貌)
視点位置
1
0
哲学Ⅱ(火1:野矢茂樹教官)09年度冬学期講義録
10 Written by HAYASHI Toshiki (L12‐13) 色見本を提示 感覚見本
↓ ↓
他のものに適用 他人に適用 他人の体に自分が痛みを感じる?
問題
他人に適用可能な「痛み」の意味は何か?
感覚説は不適、行動主義※では不満足→日常言語における「痛み」の意味を調べよ
(※行動主義では、「痛み」という感覚は「痛い」という振る舞いによって定義される)
◆1つの代替案の方向
「赤い」 無視点的→「どこから見られたか」などは関係ない(自然科学全般、1m30cm など)
「痛い」 有視点的→主体の状態への言及が含まれる
ex1)海が見える→視点(どこから見ているか)への言及が含まれる=有視点的
↓
「ここから見れば誰でも海が見える」ということを意味のうちに含んでいる
ex2)痛い→身体の状態への言及が含まれる
「カナヅチで指を叩けば誰でも痛い」
※例2は、「知覚」を「感覚」に応用している点で例1の応用と言える
Written by HAYASHI Toshiki (L12‐13)
11ラッセルの記憶の懐疑 全ての記憶は誤りかもしれない
五分前※世界創造仮説 現在から五分前に全ての記憶(脳状態)、文書、化石etcが作られ
たという考え方
(※三分前でも今現在でも可)
→世界は五分前に作られたかもしれないし、そうでないかもしれない
過去の証拠となる化石も、その状態で五分前に作られたかもしれない
(ただし、この仮説は独我論的発想を時間に適用しただけだとも言える)
◆懐疑の三つの形
(ex1)このおかずはちょっと変な匂いがする.腐っているかもしれない
(ex2)今私は夢を見ているかもしれないと疑おうと思えば疑える
(ex3)全ては夢かもしれない
(ex3)こうした「理由のない包括的疑い」への反論→偽札論法
全てのお札は偽札である←all
cf.任意のお札は偽札かもしれない←any
本物があって初めて偽物がある
分類概念
→全てが偽物なら、その概念は意味をなさない
包括的懐疑の下では、「偽」ということの意味がなくなる
→包括的懐疑は自滅的
同様に、全てが夢なら「夢」ということが意味を失う
any の懐疑が可能でも、 all の懐疑が可能とは限らない
理由のある疑い
理由のない疑い
(ex1)個別の疑い
(ex2)包括的疑い
(ex3)本物
偽物
1
2
哲学Ⅱ(火1:野矢茂樹教官)09年度冬学期講義録
12 Written by HAYASHI Toshiki (L12‐13)
→ any から all への論理の飛躍
この偽札論法をラッセルの懐疑に適用する
個別的で、理由のない疑い→我々の実践を破壊する
理由のない疑い→「死んだ疑い」:いつでも疑おうと思えば疑える
※理由のない懐疑は死んだ懐疑→全ての哲学的な懐疑は死んだ懐疑? 質問3
懐疑は、包括的懐疑が徹底されると崩壊する
(土台モデル)
あ る 主 張 を 正 当 化 す る 方 法 基礎づけ主義的 その主張を支持する証拠を示す※1
帰結主義的 その主張から帰結することを見よ※2
(蝶番モデル)
※1→例:100年前に世界が出来たのではないという証拠を示せ
※2 そ の 主 張 を 前 提 に し て 為 さ れ る 実 践 が 順 調 に 行 っ て い る と い うこ と が 、そ の 主 張 を 正 当
化する
ところで、「ラッセルの言う 五分前 とはいつのことか?」と問うことができる
cf. 夢を見ている場所
今の世界が夢だとしたら、この夢はどこで見ているのだろうか
夢を見ている場所を夢の中からは指差せない
「 五 分 前 」 は 世 界 が 出 来 た ( と ラ ッ セ ル が 主 張 し た ) 時 間 で あ り 、 実 際 に 世 界 が 出 来 た 時 間 を
Written by HAYASHI Toshiki (L12‐13)
13問題: 行為と非行為をどう区別するか
行為 意志を持った運動 ⇔ 非行為 意志を持たない運動(単なる自然現象)
◆意志行為説 意 志 が 原 因 で 生 じ た 運 動 ( 結 果 ) が 行 為 で あ り 、 他 の 出 来 事 が 原 因 で 生 じ
た運動は非行為である
反論
(1)意志など存在しない
○意志するという出来事(状態)を認識できるか?
○右手を挙げようと意志してみよ(ただし、意志だけすること)
→右手は挙らない
(2)無限後退 (仮に、意志という状態があるとする)
恐怖が原因で飛び上がる̶̶̶非行為
意志が原因で飛び上がる̶̶̶行為
意志→飛び上がる=自分の意のままになる
意志̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶→飛び上がる
このようになることを避けるためには、どこかで意のままにしなければならない
①意のままに意志を生じさせる
②その意志に従うかどうか意のままに決める
① しようという意志を生じさせようという意志(意志の意志)
②その意志に従おうという意志(意志の意志の意志)
⇒無限後退に陥る
→意志という言葉は「意志的な」という句で初めて使用することができる
※この背景には、行為を引き起こすメカニズムを調べようという考え方がある
4.行為と意志
意 志 す る あ ま り 飛 び
上 が っ た 行 為 と は 呼
べない 2 . そ の た め に 意 の ま ま に な ら な い
形で有無を言わさずに飛び上がる 1 . も し 意 の ま ま に な ら
ない形で突然生じて
1
4
哲学Ⅱ(火1:野矢茂樹教官)09年度冬学期講義録
14 Written by HAYASHI Toshiki (L12‐13) 意志という動力を求めてしまう考え方
↓
こうした考え方を断ち切る
※「意志」という名詞が表すもの(実際的状態)などない
「意志的な行為」
◆原因と理由
なぜ?という問いについて
行為か非行為かを決定するのは対象そのものの性質ではなく、我々が対象をどちらの連
関に位置づけるか、ということが大事なのではないか?
理由の問い 相手を実践のパートナーとして捉える
なぜ怒ったのか? ←怒った理由を探ってなだめる
原因の問い 相手の行動を自然現象として捉える
怒っている人がいる ←脳を調べて原因物質を取り除くか、鎮静剤を飲ませる
◆行為と記述
ある行為は様々な記述を受ける
(1)「窓を開ける」という記述を受ける行為
↓
「換気する」という記述も受ける(=再記述)
↓
「書類を飛ばした」という記述も受ける(=再記述) →意図せざる行為
運動
自然現象
非行為 (ピュミス)
人間の実践
行為 (ノモス)
原因の問い 自然現象の秩序 →法則的な連関
理由の問い 人間の実践の秩序 →意味の連関
→意図的行為
Written by HAYASHI Toshiki (L12‐13)
15 (2)ある1つの動作には、様々な記述の方法がある①記述の生成
・ある行為はそれによって何事かを引き起こし(=因果的生成)、その影響を受けて再記述
されることがある→記述の付加
(ex.換気、ストレッチ)
・ある行為が社会的規約等によって新たな意味を与えられる(=規約的生成)
ex.タクシーを停める、挨拶する
②ある行為は様々に再記述される
・ここで、行為の中に「意図的行為」と「意図せざる行為」(ex.殺人と業務上過失致死)が区
別される
・意図していないにもかかわらず「私がやった」と言わねばならないのは、それが私の意図
的行為から生成されたものであるから
ex.ゴルフの練習を使用と思って傘を振り回した(意図的行為)
→人にあたってしまった(意図せざる行為)
全ての動作は身体的動作から生成されるのか?
反例→共同行為(個人でないものに主体性を持たせる)という概念
ex. 行為:戦争をする⇔主体:国家
行為は複数の意味(記述)で捉えられる→①と②のタイプがある
「なぜAしたのか(=意味の問い)」→Aをどう再記述すればよいのか、という問い
では、行為と単なる自然現象の違いはどこにあるのか?
手を 挙げる
挨拶をする
タクシーを 停める
人を殴る ストレッチを
する
1
6
哲学Ⅱ(火1:野矢茂樹教官)09年度冬学期講義録
16 Written by HAYASHI Toshiki (L12‐13)
→答え:理由の「なぜ?」を問えるもの=行為
ど う し て 台 風 (単 な る 自 然 現 象 )に 理 由 を 問 わ な い の か ? → そ れ が 普 通 だ か ら 、 と し か 言
いようがない
→問題になるのは、対象の性質ではなく、我々がその対象をどう捉えるか、ということである
※意図と意志
意志的行為≠意図的行為
Written by HAYASHI Toshiki (L12‐13)
17行為の自由(ex.手を挙げる自由) 決定論
※決定論 「世の中の動きは全て決められている」という考え
ex.右手を上げる←「それはあらかじめ決まっていたのだ」
「あらかじめ決まっていた」のならば、それは自由とは言えないのではないか?
決定論への反論:「手を挙げないでもいられた」(反実仮想)
⇔反実仮想ゆえに証明はできない
※古典物理(ニュートン力学、相対性理論)→決定論
量子論→非決定論的
①事象のあり方が確率で与えられる→自由を擁護するか?
(反論1)マクロな事象(ex.大砲の落下地点)は決定論的とも言われる
(反論2)確率もまた自由を衝突する
→確率によって全ての行動が決定されるとすれば、そこに自由の余地はない
②(量子論においても)確率の与えられ方は決定されている
◆両立論 自由と決定論は両立する
この場合における「自由」の意味→強制によるものではない
ex.
Nが時刻toに強制されることなく(=自由に)右手を上げたことは、あらかじめ決まって
いた
「右手を挙げないでもいられた」とは、「挙げずにいようと思っていたら挙げなかっただろ
う」ということ
→「手を挙げずにいよう」と思うことはできたのか?
両立論:「手を挙げよう」と思うことは決定されていた
自由と決定の
両立論
自由と決定の
非両立論
自由を
認める
自由を
認めない
1
8
哲学Ⅱ(火1:野矢茂樹教官)09年度冬学期講義録
18 Written by HAYASHI Toshiki (L12‐13)
自然科学(古典物理)は決定論的なのか?あるいはどのような意味で決定論的なのか?
[決定論の意味] 厳密な因果法則
Aというタイプの出来事yが生じると、yが原因となって常にBというタイプの出来事xが生
じる
⇔大まかな因果法則
Aというタイプの出来事yが生じると、yが原因となって多くの場合Bというタイプの出来事x
が生じる(ex. 傷んだリンゴを食べたら腹を壊した)
決定論:どんな出来事 xに対しても、原因y が存在し、「y ならば x」を成り立たせるような厳
密な因果法則が成り立っている
◆科学は厳密な因果法則を提示(しようと)しているのか?
→NOと答えたい
ex1. フックの法則:x=kF (弾性体の伸びxは力Fに比例する)
ただしこれは「完全に均質な弾性体」において成り立つとされる
....
ex2. ボイル=シャルルの法則(状態方程式):PV=nRT
これも同様に、理想気体においてのみ成り立つとされる
この他にも万有引力の法則、運動方程式など...
→これらの法則は現実には成り立つものがない
↓
これらの法則は世界のあり方(秩序)を描写したものではない
では、基本法則は何をしているのか?
→探求の指針を与える
いまNは
右手を挙げる
原因y
Written by HAYASHI Toshiki (L12‐13)
19◆探求の指針としての法則(I.ラカトシュ:リサーチプログラム論)
ex.地震観測所
運動方程式、フックの法則(基本法則)→P波とS波の速度の公式
複 数 の 観 測 所 の デ ー タ を 参 照 し た と こ ろ 、 仮 に 一 点 で 交 わ ら な か っ た と す る ( ヒ ュ ー マ ン エ ラ
ーではない)→「ニュートン力学が間違っている」と言い得るのか?
⇔地震観測所ではニュートン力学を反証することはできない
→そこで、「地球の内部構造や地殻の構造にまだ知らないことがある」と考え、基本法則を維
持するように世界のあり方(地球の内部構造)についての知識を訂正する 一般に科学は右図のような構造を持つ
不 都 合 な 事 態 が 生 じ た 場 合 、基本法則を 守 る よ
う に保護帯(=補助前提)は 修 正 さ れ 、 基 本 法
則は探求の指針として働く
ex.海王星の発見
天 王 星 の 軌 道 に ズ レ が 生 じ る → 基 本 法 則 を 守 っ て 保 護 帯 を 修 正 し 、 未 知 の 惑 星
(海王星)の存在を発見した
◆探求の指針
この基本法則を維持するように世界のあり方を調べよ(探求の枠組み、認識の枠組み)
変則事例が見つかる 新たな発見
探求の枠組みとして働く
か くして 「厳 密 な 因 果 法 則 」と一 見 思 わ れ る も の は 、探 求 の 枠 組 み (指 針 )で あ り、世 界 の あ り
方を描写したものではない
→ 自 然 科 学 は 世 界 が 厳 密 な 因 果 法 則 に 従 っ た あ り 方 を し て い る こ と を 示 し て は い な い し 、 示
そうともしていない
ex.再掲:地震研究
基本法則
補助前提
保護帯
基本法則
基本法則
リサーチプログラム
運動方程式
フックの法則
地球の
内部構造
震源までの
2
0
哲学Ⅱ(火1:野矢茂樹教官)09年度冬学期講義録
20 Written by HAYASHI Toshiki (L12‐13)
※世 界 は 基 本 法 則 が 表 す 秩 序 をその ま ま 持 ってい る訳 では なく、常 に 世 界 は基本法則をは
み出している(ズレている)
→以上が正しければ、自由の可能性 ...
は確保される
人間の行為は基本法則とのズレを生じさせるように見える
(⇔決定論が正しいとすると、その見かけはまやかしである)
自由であるという確信⇔法則に反することを為し得るという確信※
※決定論者はこれを錯覚だという
Written by HAYASHI Toshiki (L12‐13)
21 2 0 0 8 年 度 冬 学 期 哲 学 2 ( 野 矢 ) 試 験90分 参照不可 答案用紙:両面1枚
問 次の(1)∼(5)から、2問を選んで解答せよ。 解答にあたっては、1 問 に つ き 解 答 用 紙
の 片 面 を 使 用 し 、最初に解答する小問番号を明記すること。(各問の解答は片面におさまる
ように作成すること。)
(1)「他人の意識(他我問題)」という論題でどのような哲学問題が立てられるかを説明し、そ
の問題について論じよ。
(2)「記 憶 と過 去 (記 憶 の 懐 疑 論 )」という論 題 でどの ような哲 学 問 題 が 立 てられ るか を説 明 し、
その問題について論じよ。
(3)「規範の作成(規範の意味と根拠)」という論題でどのような哲学問題が立てられるかを説
明し、その問題について論じよ。
(4)「意味の在りか(伝統的な言語観とそれに対する批判)」という論題でどのような哲学問題
が立てられるかを説明し、その問題について論じよ。
(5)「行為と意志(行為と非行為の違い)」という論題でどのような哲学問題が立てられるかを
説明し、その問題について論じよ。
※評価は、その哲学問題がどのくらい的確に、かつ深く捉えられているかという点において
なされる。また、評価は「相対評価」であるから、その哲学問題の理解を示すために書けるだ
けのことは書くこと。もし全員が授業で教師が述べた程度のことは解答したならば、それ以上
のプラスαを書いた者が評価Aとなる。なんだかいやな話だが、しょうがない。お許しあれ。
時 間 に 余 裕 が あ れ ば 、解 答 とは 別 で あ る ことを 明 記 した 上 で 、講 義 に つ い て 、講 義 で 論 じら
れた問題について、哲学について、自由に考えや感じたことを書いてみてほしい。点数とはま
ったく関 係 ないが 、読 ませ ていただく。(か りにの の しり言 葉 が 書 か れ てあっても減 点 は しない。
2
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哲学Ⅱ(火1:野矢茂樹教官)09年度冬学期講義録
22 Written by HAYASHI Toshiki (L12‐13)
2 0 0 6 年 度 冬 学 期 哲 学 2 ( 野 矢 ) 試 験
90分 参照不可 答案用紙:両面1枚
問 次の(1)∼(5)から、2問を選んで解答せよ。解答の前には小問番号を明記すること。
(1)「他人の意識(他我問題)」という論題でどのような哲学問題が立てられるかを述べよ。
(2)「記憶と過去」という論題でどのような哲学問題が立てられるかを述べよ。
(3)「経験と知識」という論題でどのような哲学問題が立てられるかを述べよ。
(4)「規範の生成」という論題でどのような哲学問題が立てられるかを述べよ。
(5)「行為と意志」という論題でどのような哲学問題が立てられるかを述べよ。
※ 評 価 は 、そ の 哲 学 問 題 が ど の くら い 的 確 に 、か つ 深 く捉 え ら れ て い る か と い う点 に お い て
な さ れ る 。ま た 、評 価 は 「相 対 評 価 」で あ る か ら 、そ の 哲 学 問 題 の 理 解 を 示 す た め に 書 け る だ
け の ことは 書 くこと。もし全 員 が 授 業 で 教 師 が 述 べ た 程 度 の ことは 解 答 した な らば 、そ れ 以 上