Kapitel4
訳)
フリードリヒ・シラー・コードはぽきっと折られ(=あっさり否定され)、学者の論争 は終わらされた。有名なドイツの作家であるフリードリヒ・シラーの亡骸として議論の的 になったワイマール王族墓地にある2つのどくろは両方偽物である。
今まで、天才詩人の近くにいようとしたとき、ワイマール古典時代のファンは、かつての チューリンゲンの首都へフリードリヒ・シラーの頭蓋骨を訪れることができた。いまや、彼 らは彼の作品を読むことで我慢しなければならない。世界的に有名な戯曲やたくさんの物 語詩、そして重大な文学理論上の論文はその一部である。
180 年前からシラーの骸骨が本物であることを巡っての不確実さは、学者を静かにして おかなかった。1805 年の彼の死後、フリードリヒ・シラーはワイマールの簡素な集合墓地 に埋葬された。その後の年月、彼の自由と人間性の理念を、支持者らはますます感動的だと 思った。彼は称賛的な国民的作家になった。ワイマールの市長、カール・レーベリヒト・シ ュヴァーベは彼の街の有名な市民に名誉ある廟堂を作ろうとした。彼は自身が墓地へ下り、 シラーのデスマスクにぴったり合うと思われる頭蓋骨を見つけた。それを偉大な作家、ヨハ ン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテはひそかに持ってこさせ、それを彼の書き物机の上 に置いた。彼はシラーと親密な友情と活発な精神的交流を大事にした。彼は頭蓋骨について 自然哲学的に考察し、その(=頭蓋骨?)のために有名な詩をささげた。1827 年、シラー の頭蓋骨はワイマール王族墓地に移送された。数年後、学者らはそれが本物であるかどうか を争い始めた。頭蓋骨への関心は大きかった。医者のフランツ・ヨゼフ・ガルの骨相学に基 づいて、人々は頭蓋骨の形から人間の性質や才能を推論できると信じていた。1911 年、テ ュービンゲン大学の解剖学者、アウグスト・フォン・フロリープは以前の集合墓地の場所 で、そのデスマスクによりよくぴったり合うと思われる、ある頭蓋骨を発見した。これもま た、ゲーテも彼の最後の平穏(安らぎ)を見出した(=永眠している?)領主の納骨堂の 中に場所を得た(=納められた)。(=これは王族墓地に場所を得て、ゲーテも自らの最後 の休息をそこに見出した。)学問上の論争はさらに進んだ。
2006 年、中部ドイツのラジオ放送局とワイマール古典財団はフリードリヒ・シラー・コ ード計画を始めた。シラーの親類の墓は開けられた(=あばかれた)。DNA分析は、いま や(どちらの)死んだ頭部もシラーに由来しないということを証明した。チューリンゲン の観光局長、ベルベル・グレーネレスはこうなった今、ワイマールの訪問者が来なくなるか もしれないとは心配していなかった。「でもゲーテさんはお気の毒ね」、と彼女は告白した。
「だって彼はもうすぐ空の棺の隣で一人で横たわっていなければいけないんですもの。」