くまがや自治連だより
くまがや自治連だより
第
13
号
平成25年3月発行
平成25年3月発行
東
日
本
大
震
災
か
ら
3
年
目
に
思
う
こ
と
熊
谷
市
自
治
会
連
合
会
副
会
長
小
林
隆
写真提供めぬまグライダークラブ写真提供めぬまグライダークラブ
太
平
洋
沿
岸
地
域
に
甚
大
な
被
害
を
も
た
ら
し
た
東
日
本
大
震
災
か
ら
3
年
目
を
迎
え
ま
す
。
私
達
自
治
会
長
は
、
昨
年
11
月
の
県
外
研
修
に
お
い
て
、
被
災
地
の
現
状
を
見
聞
き
し
、
テ
レ
ビ
等
で
も
放
映
さ
れ
て
お
り
ま
す
が
、
現
地
は
復
興
、
復
旧
に
向
か
っ
て
い
る
と
は
い
え
、
相
変
わ
ら
ず
悲
惨
な
状
況
で
あ
る
こ
と
を
肌
で
感
じ
て
ま
い
り
ま
し
た
。
改
め
て
、
熊
谷
市
の
防
災
に
つ
い
て
考
え
て
み
ま
す
と
、
本
市
は
、
津
波
の
心
配
は
あ
り
ま
せ
ん
が
、
活
断
層
が
市
内
を
走
っ
て
お
り
、
私
達
住
民
は
、
見
え
な
い
不
安
を
抱
え
て
お
り
ま
す
。
ひ
と
た
び
巨
大
地
震
が
発
生
す
れ
ば
、
近
隣
の
方
々
の
連
携
、
避
難
場
所
へ
の
誘
導
、
衣
食
住
の
問
題
等
、
自
治
会
の
リ
ー
ダ
ー
と
し
て
、
や
る
べ
き
事
は
山
積
み
で
す
。
私
の
地
元
自
治
会
で
は
、
民
生
委
員
等
と
協
力
し
、
体
の
不
自
由
な
方
、独
り
暮
ら
し
の
お
年
寄
り
等
を
把
握
し
、
地
域
住
民
の
実
態
の
確
認
に
努
め
て
い
ま
す
。
ま
た
、
学
童
登
下
校
時
に
震
災
が
発
生
し
た
場
合
は
、
近
隣
の
方
々
に
誘
導
を
お
願
い
し
て
お
り
ま
す
。
災
害
時
に
は
、
絆
の
精
神
の
も
と
、
皆
が
心
ひ
と
つ
に
な
り
、
協
力
し
あ
う
事
が
大
切
で
す
。
熊
谷
市
自
治
会
連
合
会
で
は
、
各
自
治
会
が
日
頃
か
ら
防
災
訓
練
に
積
極
的
に
取
り
組
み
、
災
害
時
に
は
迅
速
か
つ
適
切
に
活
動
で
き
る
こ
と
を
期
待
し
ま
す
⑵
銀
座
自
治
会
連
合
会
は
、
国
道
17
号
を
挟
ん
で
、
熊
谷
駅
北
口
方
面
の
東
側
を
エ
リ
ア
と
し
て
い
ま
す
。
会
員
世
帯
数
は
、 2 , 1 8 6
世
帯
で
す
。
自
治
会
活
動
は
、
〝
楽
し
く
〟
を
基
本
に
、
安
全
で
住
み
良
い
ま
ち
づ
く
り
を
目
指
し
て
活
動
し
て
い
ま
す
。
そ
の
中
で
今
回
は
、
﹁
熊
谷
う
ち
わ
祭
﹂
を
紹
介
さ
せ
て
い
た
だ
き
ま
す
。
銀
座
区
の
総
代
は
銀
座
自
治
会
連
合
会
内
の
自
治
会
長
8
名
、
総
代
長
は
持
ち
回
り
で
、
総
代
の
中
か
ら
1
名
を
選
出
し
ま
す
。
係
員
と
し
て
、
各
自
治
会
か
ら
10
名
位
の
方
に
、
お
手
伝
い
を
お
願
い
し
て
い
ま
す
。
う
ち
わ
祭
は
7
月
20
日
・
21
日
・
22
日
の
3
日
間
で
す
が
、
そ
の
た
め
の
準
備
は
、
5
月
頃
か
ら
始
ま
り
、
会
議
を
10
回
位
行
い
ま
す
。
役
員
の
皆
さ
ん
は
、
忙
し
い
中
、
盛
大
で
楽
し
く
、
無
事
故
の
祭
り
を
銀
座
区
の
子
供
達
に
プ
レ
ゼ
ン
ト
し
て
お
り
ま
す
。
そ
れ
で
は
、
う
ち
わ
祭
の
由
来
を
紹
介
し
ま
す
。
う
ち
わ
祭
は
、
当
地
に
鎮
座
い
た
し
ま
す
﹁
八
坂
神
社
の
御
祭
礼
﹂
で
す
。
八
坂
神
社
は
、
文
禄
年
間
︵ 1 5 9 2 ∼ 1 5 9 6 ︶
に
、
京
都
の
八
坂
神
社
か
ら
勧
請
し
、
現
在
、
鎌
倉
町
の
地
に
あ
る
愛
宕
神
社
に
合
祀
さ
れ
た
も
の
で
、
京
都
八
坂
神
社
の
末
社
に
当
た
り
ま
す
。
熊
谷
の
夏
祭
り
の
記
録
を
み
ま
す
と
、
寛
延
3
年︵
1 7 5 0 ︶ 4
月
に
、
町
民
た
ち
が
、
そ
れ
ま
で
寺
社
ご
と
に
行
っ
て
い
た
夏
祭
り
を
全
町
合
同
で
行
う
こ
と
を
宿
場
役
人
に
願
い
出
て
許
可
さ
れ
た
こ
と
か
ら
、
町
を
挙
げ
て
の
夏
祭
り
が
始
ま
り
ま
し
た
。
こ
の
時
代
か
ら
、
熊
谷
の
夏
祭
り
の
形
態
が
作
ら
れ
た
と
言
え
ま
す
。
各
町
か
ら
総
代
及
び
祭
事
係
、
年
番
町
か
ら
大
総
代
が
選
ば
れ
、
祭
り
の
一
切
の
責
任
を
負
い
ま
し
た
。
こ
れ
は
寺
社
で
行
っ
て
い
た
名
残
を
伝
え
て
い
る
も
の
で
、
そ
の
頃
の
祭
事
係
は
一
躍
、
役
人
と
同
じ
権
力
を
持
ち
、﹁
御
用
番
﹂
と
も
言
い
、
な
か
な
か
の
名
誉
職
で
、
旧
家
で
な
い
と
祭
事
係
に
は
な
れ
な
か
っ
た
そ
う
で
す
。
祭
典
中
は
、
参
勤
交
代
の
大
小
名
も
し
ば
し
ば
通
行
止
め
に
遭
い
、
仕
方
な
く
熊
谷
堤
を
往
来
し
な
く
て
は
な
ら
ず
、﹁
八
坂
神
社
の
お
祭
り
に
は
、
大
小
名
も
一
歩
遠
ざ
か
っ
て
通
っ
た
。﹂
と
、
当
時
の
町
民
は
得
意
げ
に
語
っ
た
と
言
わ
れ
て
い
ま
す
。
当
初
の
祭
り
の
形
態
は
神
輿
祭
り
で
し
た
が
、
そ
の
神
輿
が
焼
失
し
た
た
め
、
祭
り
は
一
旦
衰
退
し
ま
し
た
。
し
か
し
、
天
保
元
年
︵ 1 8 3 0 ︶
に
、
神
輿
が
新
調
さ
れ
る
と
、
再
び
活
気
を
取
り
戻
し
ま
し
た
。
こ
の
頃
、
祭
り
の
期
間
中
に
、
厄
除
け
に
は
赤
の
色
が
い
い
と
言
う
理
由
で
、
各
戸
で
赤
飯
を
炊
い
て
疫
病
除
け
を
祈
願
し
ま
し
た
。
商
店
で
は
祭
り
の
期
間
中
、
買
物
客
に
赤
飯
を
振
る
舞
っ
た
こ
と
か
ら
、﹁
熊
谷
の
赤
飯
振
る
舞
い
﹂
は
祭
り
の
名
物
に
な
り
ま
し
た
。
う
ち
わ
祭
の
起
こ
り
は
、
こ
の
手
間
の
か
か
る
赤
飯
の
代
わ
り
に
、
料
亭
﹁
泉
州
﹂
の
主
人
が
日
本
橋
の
老
舗
﹁
伊
場
仙
﹂
製
の
渋
う
ち
わ
を
客
に
配
っ
た
と
こ
ろ
評
判
に
な
り
、
そ
の
後
、
各
商
店
で
も
赤
飯
の
代
わ
り
に
渋
う
ち
わ
を
出
し
た
た
め
、
誰
言
う
と
な
く
﹁
買
物
は
熊
谷
の
う
ち
わ
祭
の
日
﹂
と
言
わ
れ
る
よ
う
に
な
り
ま
し
た
。
事
実
、
3
銭
の
買
物
に
5
銭
の
う
ち
わ
を
配
っ
た
こ
と
か
ら
、
そ
の
評
判
は
大
変
な
も
の
で
し
た
。
会
長
出
井
哲
司
◇
銀
座
自
治
会
連
合
会
◇
こ
う
し
た
疫
病
退
散
祈
願
に
始
ま
っ
た
こ
の
祭
り
も
、
い
つ
し
か
五
穀
豊
穣
、
商
売
繁
盛
を
祈
願
す
る
祭
り
と
な
り
ま
し
た
。
今
年
も
、
暑
い
熱
い
熊
谷
で
、
う
ち
わ
祭
が
行
わ
れ
ま
す
。
銀
座
区
で
は
、
自
治
会
役
員
一
丸
と
な
っ
て
、
楽
し
く
、
無
事
に
終
わ
る
こ
と
が
出
来
ま
す
よ
う
努
め
て
ま
い
り
ま
す
⑶
永
東
自
治
会
長
掛
川
知
一
◇
阿
弥
陀
寺
の
紹
介
◇
妻
沼
地
区
太
田
自
治
会
連
合
会
は
、
熊
谷
市
の
北
西
部
に
位
置
し
、
15
の
単
位
自
治
会
で
構
成
さ
れ
て
い
ま
す
。
加
入
世
帯
数
は
1
,
1
1
0
世
帯
、
班
数
は
1
0
5
班
︵
平
成
24
年
4
月
1
日
現
在
︶
で
す
。
こ
の
太
田
地
区
に
は
、
今
や
あ
じ
さ
い
寺
と
し
て
知
ら
れ
て
い
る
能
護
寺
が
あ
り
ま
す
。
ま
た
、
そ
こ
か
ら
3
0
0
メ
ー
ト
ル
南
に
行
き
ま
す
と
、
私
の
住
ん
で
い
る
永
東
地
区
が
あ
り
ま
す
。
そ
し
て
、
永
東
地
区
に
も
高
野
山
真
言
宗
の
阿
弥
陀
寺
と
い
う
地
域
の
信
仰
を
集
め
る
お
寺
が
あ
り
ま
す
。
今
回
は
、
こ
の
阿
弥
陀
寺
を
紹
介
し
た
い
と
思
い
ま
す
。
さ
て
、
こ
の
阿
弥
陀
寺
の
開
山
は
不
明
で
あ
り
ま
す
が
、
歴
史
資
料
で
あ
る
埼
玉
館
城
跡
誌
に
よ
り
ま
す
と
平
安
時
代
末
期
、
高
城
城
︵
現
在
の
阿
弥
陀
寺
の
北
東
に
在
っ
た
館
、
ま
た
、
斉
藤
別
当
実
盛
が
陣
屋
を
設
け
た
の
に
は
じ
ま
る
と
の
伝
承
も
あ
り
、
鎌
倉
期
に
は
猪
俣
党
太
田
氏
が
住
ん
だ
と
さ
れ
ま
す
。
中
世
に
は
河
勾
政
成
の
6
男
宗
成
が
大
里
︵
幡
羅
︶
郡
太
田
村
に
住
し
た
事
よ
り
太
田
六
郎
を
名
乗
り
ま
し
た
。︶
と
い
う
館
の
南
西
に
建
っ
て
い
た
こ
と
が
わ
か
っ
て
お
り
、
そ
の
資
料
か
ら
推
察
す
れ
ば
、
阿
弥
陀
寺
が
8
0
0
年
に
亘
り
こ
の
土
地
に
あ
っ
た
と
思
わ
れ
ま
す
。
ま
た
、
お
寺
を
知
る
資
料
に
よ
り
ま
す
と
、
慶
安
2
年
︵
1
6
4
9
︶
に
寺
領
20
石
9
斗
の
御
朱
印
を
賜
っ
て
い
ま
す
。
こ
れ
は
聖
天
山
50
石
、
能
護
寺
30
石
に
次
ぐ
も
の
で
あ
っ
た
と
記
さ
れ
て
お
り
、
こ
の
お
寺
が
昔
よ
り
こ
の
地
域
の
由
緒
あ
る
お
寺
で
あ
っ
た
と
い
う
事
が
わ
か
り
ま
す
。
更
に
時
代
を
経
て
、
昭
和
初
期
に
は
現
在
の
熊
谷
市
立
太
田
小
学
校
の
前
身
と
し
て
、
本
堂
を
学
校
の
教
室
と
し
て
活
用
し
て
い
た
時
期
も
あ
り
ま
し
た
。
ま
た
、
当
時
の
お
寺
に
は
毎
日
の
よ
う
に
近
所
の
子
供
達
が
た
く
さ
ん
集
ま
り
、
木
登
り
、
か
く
れ
ん
ぼ
、
野
球
と
、
境
内
が
遊
び
場
と
な
り
大
変
賑
わ
っ
て
い
ま
し
た
。
し
か
し
、
長
年
地
域
の
よ
り
所
と
さ
れ
て
き
た
本
堂
も
明
治
、
大
正
、
昭
和
と
幾
度
と
な
く
修
復
を
し
て
き
た
建
物
で
あ
っ
た
た
め
、
老
朽
化
が
進
み
、
工
事
の
手
を
尽
く
さ
な
け
れ
ば
な
ら
な
い
状
況
に
な
っ
て
き
ま
し
た
。
そ
こ
で
、
平
成
21
年
よ
り
本
堂
復
興
計
画
を
立
ち
上
げ
、
前
本
堂
を
解
体
し
、
新
た
に
本
堂
を
建
立
す
る
に
至
っ
た
と
こ
ろ
で
あ
り
ま
す
。
平
成
24
年
、
檀
家
一
同
の
御
協
力
に
よ
り
、
立
派
な
本
堂
が
完
成
し
、
現
在
は
今
ま
で
以
上
に
檀
家
の
皆
さ
ん
、
並
び
に
地
域
の
人
た
ち
の
関
心
と
信
仰
を
集
め
る
よ
う
に
な
っ
て
い
ま
す
。
能 護 寺
旧阿弥陀寺本堂 新しくなった阿弥陀寺本堂
た
か
ぎ
じ
ょ
う
ま
た
と
う
お
お た
う
じ
い
の
か
こ
う
ま
さ
し
げ
む
ね
し
11月26日㈪、熊谷市緑化センター2階研修室において、熊谷市自 治会連合会会長、副会長及び総務部会員出席のもと、市長陳情・懇 談会を開催しました。
市長陳情では、小林芳雄連合会会長があいさつを述べた後、総務部 会の小柴清部会長が陳情書を読み上げ、富岡清市長に手渡しました。 陳情書の内容は以下のとおりです。
1 広報紙等配布委託料の増額 1世帯あたり800円 → 850円 2 熊谷市自治会連合会交付金(650万円)の現状維持
陳情後、和やかな雰囲気で市長と懇談し、今後の自治会活動 について理解と協力を求めました。
⑷
◇﹁
防
犯
パ
ト
ロ
ー
ル
﹂の
取
り
組
み
◇
榎
町
自
治
会
長
平
山
敏
夫
榎
町
は
北
に
宮
本
町
、
南
に
荒
川
桜
土
手
、
そ
し
て
東
に
国
道
4
0
7
号
線
を
挟
ん
で
河
原
町
、
西
は
見
晴
町
に
接
し
て
い
て
、
町
内
の
ほ
と
ん
ど
は
閑
静
な
住
宅
街
で
す
。
桜
で
名
高
い
荒
川
土
手
に
近
く
、
J
R
熊
谷
駅
ま
で
徒
歩
で
約
15
分
、
秩
父
線
上
熊
谷
駅
ま
で
5
、
6
分
、
ま
た
歩
い
て
行
け
る
範
囲
に
デ
パ
ー
ト
や
ス
ー
パ
ー
、
コ
ン
ビ
ニ
な
ど
も
あ
り
、
市
内
で
も
有
数
の
住
・
食
・
自
然
の
環
境
に
恵
ま
れ
て
い
る
地
域
と
言
え
る
と
思
い
ま
す
。
榎
町
自
治
会
で
は
、
平
成
20
年
11
月
に
前
自
治
会
長
の
玉
木
健
一
氏
を
中
心
と
し
て
、
自
治
会
役
員
に
よ
る
町
内
防
犯
パ
ト
ロ
ー
ル
が
結
成
さ
れ
ま
し
た
。
活
動
を
始
め
て
現
在
5
年
目
に
入
っ
て
い
ま
す
が
、
年
間
を
通
し
て
火
・
木
曜
日
の
週
2
回
︵
雨
天
時
と
祝
日
を
除
く
︶、
午
後
7
時
に
熊
谷
南
小
学
校
の
正
門
前
に
集
ま
り
、
当
日
参
加
で
き
る
自
治
会
役
員
に
よ
っ
て
パ
ト
ロ
ー
ル
し
て
い
ま
す
。
緑
色
の
防
犯
パ
ト
ロ
ー
ル
用
ベ
ス
ト
を
着
用
し
、
赤
色
誘
導
棒
を
持
ち
、
オ
レ
ン
ジ
色
の
帽
子
を
被
り
、
役
員
の
1
人
が
拍
子
木
を
打
ち
な
が
ら
、
町
内
を
パ
ト
ロ
ー
ル
し
て
い
ま
す
。
町
内
の
道
路
が
碁
盤
目
状
を
し
て
い
る
た
め
、
比
較
的
パ
ト
ロ
ー
ル
し
や
す
く
、
ほ
と
ん
ど
の
場
所
を
パ
ト
ロ
ー
ル
す
る
こ
と
が
で
き
ま
す
。
町
内
を
一
巡
す
る
の
に
約
40
分
程
度
か
か
り
ま
す
が
、
パ
ト
ロ
ー
ル
中
、
不
審
者
や
不
審
物
、
そ
し
て
防
犯
灯
の
点
灯
具
合
を
点
検
し
な
が
ら
行
っ
て
い
ま
す
。
住
宅
地
で
夜
間
と
い
う
こ
と
も
あ
り
、
人
通
り
も
少
な
い
で
す
が
、
通
行
人
の
方
や
玄
関
先
か
ら
わ
ざ
わ
ざ
出
て
き
て
、﹁
こ
ん
ば
ん
は
﹂、
﹁
ご
苦
労
様
で
す
﹂
と
声
を
掛
け
ら
れ
る
こ
と
も
し
ば
し
ば
あ
り
、
そ
の
こ
と
が
ま
た
私
た
ち
役
員
の
励
み
に
も
な
っ
て
い
ま
す
。
4
月
か
ら
は
、
榎
町
婦
人
会
の
方
々
に
も
防
犯
パ
ト
ロ
ー
ル
活
動
に
加
わ
っ
て
い
た
だ
き
、
町
内
の
安
心
・
安
全
の
た
め
に
、
防
犯
パ
ト
ロ
ー
ル
を
継
続
し
て
い
き
た
い
と
思
っ
て
い
ま
す
。
防犯パトロール中 土手から見た榎町 左にエノキ、右にサクラ
11月12日、199名の自治会長の参加による県外研修を開催しました。 本年度は、「東日本大震災被災地の現状(被災・復興状況)」をテ ーマに、宮城県気仙沼市においての研修でした。
地域のつながりの重要性や被災地支援の必要性等を市民の視点 から考えるため、古谷館八幡神社の熊谷正之氏及び面瀬中学校住 宅自治会長の尾形修也氏による講演を聞きました。
◆古谷館八幡神社の熊谷正之氏による講演
気仙沼市の沿岸部は東日本大震災の大津波により大きな被害を受けた。 古谷館八幡神社は気仙沼市街から南に位置し、標高23∼24m程の高台にあ る。津波は境内下の500軒程の家々を飲み込み、木造家屋は音を立ててつぶ れ流されてしまった。津波で流れ着いて助かった人もいたが、瓦礫にもま れ押し流されてきたため、骨を折るなどケガを負っている人も多数いた。 境内には200名近くの人が避難してきた。急遽、古谷館八幡神社は避難所 となったが、お祭りなどで力を発揮する地域の青年団の人達がテントの設 営や仮設トイレの設置等、素早い対応をしてくれた。食べ物は、翌々日の お祭りのために準備をしていた食料があり、それをいただいてしのいだ。広間を解放し、座布団を敷布団代 わりにし、引き出物の毛布を使って不安な夜を切り抜けた。
夜、内湾の重油や軽油のタンクについた火が瓦礫に燃え移って海を漂っているのが見えた。また、古谷館 八幡神社の背後ではパニックになった人が瓦礫の山に火を付けてしまったが、東京消防庁から駆け付けた消 防隊が火を消してくれた。
震災翌日、地元の自治会長に避難所の責任者をお願いし、避難所のみんなで役割を分担した。その後、行 方不明者を探す人への対応や常備薬のなくなった避難者のための医師団派遣要請等、またたく間に1週間以 上が経過した。まもなく、トイレや水の供給に支障が出始めた。また、裏方で頑張り過ぎた自治会長の奥さ んが体調を崩してしまった。このため、公設の大きな避難所に移る必要があると感じ、3月20日に避難所 の解散式を行った。災害時には自治会長だけではなく補佐役の何人かで責任を分担し合っていくことが大切 である。
震災を振り返り大切と感じたことは、地域の行事を積み重ねることである。みんなが顔を合わせる機会を 持つと、自然と緊急時にも機能する人間関係が作られていくと確信した。
◆面瀬中学校住宅自治会長の尾形修也氏による講演
尾崎地区は東日本大震災前まで90世帯、304名の地域であったが津波に より家は1軒も残らなかった。
地震がおさまってすぐ家族を安全な場所に逃がし、消防団の活動へと向 かった。消防団は水門を閉めなければならず、閉鎖の後、地域を周り高台 への避難を呼びかけた。逃げ遅れたおばあさんをバイクに乗せ避難所へ向 かっている途中、川を逆流する津波を目撃した。津波はバイクの後ろまで 迫ってきたが、間一髪のところで逃れることができた。
一方で海から標高10mの高さにある尾崎神社には33名が避難し全員無事 であった。海水が足元まで達したが、お宮の屋根や杉の木によじ登りしのいだとのことであった。
「大丈夫」、「ここまで津波が来たことがない」と油断した人や、物を 取りに戻った人など、初動に甘さがあった人は津波の犠牲となった。危 機感を感じたら人一倍臆病になり、一度逃げたらむやみに戻ってはなら ないと強く感じた。また、災害時に人を助けるというのは大変難しいこ となので、何よりも優先して自分の身は自分で助けるという自覚を染み 込ませておいてほしい。
我々の教訓をぜひ災害に強い地域づくりや防災体制の整備に役立てて ほしい。
⑸
平成24年度県外研修
こ や だて はち まん じんじゃ くま がいまさ ゆき おも せ
お がたしゅうや
⑹
編
集
後
記
編
集
後
記
平
成
25
年
3
月
発
行
く
ま
が
や
自
治
連
だ
よ
り
ひ
ろ
ば
第
13 号
発
行
熊
谷
市
自
治
会
連
合
会
訃
報
謹
ん
で
お
悔
や
み
申
し
上
げ
ま
す
と
共
に
ご
冥
福
を
お
祈
り
申
し
上
げ
ま
す
。
◆
山
本
金
一
さ
ん
妻
沼
本
町
・
森
下
自
治
会
長
平
成
24
年
12
月
17
日
逝
去
◆
佐
藤
恒
夫
さ
ん
上
石
第
1
自
治
会
長
・
上
石
自
治
会
連
合
会
長
熊
谷
市
自
治
会
連
合
会
副
会
長
平
成
25
年
1
月
30
日
逝
去
大会の様子
始 球 式
第
3
回 親睦グラウンド・ゴルフ大会
第
3
回 親睦グラウンド・ゴルフ大会
大会の結果
優 勝 箱田Aチーム
準優勝 成田西部自治会連合会Aチーム 第3位 箱田宮本自治会チーム
◤
お詫びと訂正
◢
﹁
ひ
ろ
ば
﹂
発
行
に
あ
た
り
ま
し
て
、
御
寄
稿
い
た
だ
き
ま
し
た
皆
様
方
に
は
、
示
唆
に
富
ん
だ
記
事
を
い
た
だ
き
心
よ
り
感
謝
申
し
上
げ
ま
す
。
熊
谷
市
自
治
会
連
合
会
で
は
自
治
会
活
動
の
活
性
化
を
図
り
、
多
く
の
皆
様
と
交
流
・
親
睦
を
深
め
る
た
め
様
々
な
事
業
を
展
開
し
て
い
ま
す
が
、
今
年
度
の
県
外
研
修
は
、﹁
東
日
本
大
震
災
被
災
地
の
現
状
﹂
を
テ
ー
マ
に
気
仙
沼
市
の
復
興
の
状
況
を
視
察
さ
せ
て
い
た
だ
き
ま
し
た
。
被
災
地
の
現
状
を
現
地
の
自
治
会
長
さ
ん
、
神
社
の
宮
司
さ
ん
に
講
演
し
て
い
た
だ
き
ま
し
た
。
津
波
に
襲
わ
れ
一
瞬
に
し
て
、
永
い
月
日
を
か
け
て
営
々
と
積
み
上
げ
て
き
た
す
べ
て
を
失
い
、
愛
す
る
家
族
を
目
の
前
で
津
波
に
さ
ら
わ
れ
た
人
々
の
絶
望
を
思
い
や
る
と
痛
ま
し
さ
に
心
も
凍
り
ま
す
。
大
変
有
意
義
な
研
修
で
、
我
々
の
地
域
の
防
災
力
を
強
化
し
な
け
れ
ば
と
痛
感
い
た
し
ま
し
た
。
今
号
の
御
寄
稿
の
お
礼
を
申
し
上
げ
、
各
自
治
会
の
今
後
ま
す
ま
す
の
ご
発
展
を
お
祈
り
い
た
し
ま
す
。
熊
谷
市
自
治
会
連
合
会
副
会
長
嶋
田
忠
男
11月7日㈬、熊谷スポーツ文化公園内「彩の 国くまがやドーム」において、熊谷市自治会連 合会第3回親睦グラウンド・ゴルフ大会を開催 し、常日頃各自治会で活動している自治会役員 が、グラウンド・ゴルフを通じ、健康増進を図 るとともに、交流・親睦を深めました。 当日は、57チーム、278名の選手が参加、熊 谷市グラウンド・ゴルフ協会の協力をいただき、 フェアプレーで和気あいあいと楽しみながらコ ースを回りました。
やま しろ
やま しろのかみ
「ひろば」第12号6ページ本文中に誤りがあ りましたので、お詫びして訂正いたします。
『次に「御伝記」は大永3年(1523)島田山城
守が乱世のため当社は零落したが、暦応元年足
利尊氏が再興したと書き継ぎ、更に永禄4年
(1561)島田源次郎が当社の「伝記」を書き継ぎ、 その後も神仏習合の時代から分離に至るまで、
当社別当三学院海栄と慶雅が書き継いでいる。』
『次に大永3年(1523)乱世のため当社は零落し
たが、以前には、足利尊氏が暦応元年に再興し たと島田山城守が「御伝記」で書き記している。
更に永禄4年(1561)島田源次郎が当社の「伝記」 を書き継ぎ、その後も神仏習合の時代から分離 に至るまで、当社を別当三学院海栄と慶雅が書 き継いでいる。』
【訂正前】
【訂正後】
べっ とう さん がく いんかい えい よし まさ