1
「カリブ海の真珠」:ハバナの繁栄
キューバ共和国(以下,キューバ)の中でも,首都ハ バナは16世紀と18世紀から20世紀にかけて,中南米屈指 の繁栄を謳歌した。16世紀にスペインの「新大陸」征服 がカリブ海地域から始まったため,最初の拠点の一つと なった。その後すぐにスペインがメキシコやペルーなど の先住民王朝から金銀を発見・強奪したため,その貴金 属を本国へ持ち帰るための最終基地として,ハバナが選 ばれた。ハバナの北部には水深が深い湾(ハバナ湾)が あり,スペインへ向かうガレオン船の船団を安全に停泊 させることができたこと,北東貿易風や偏西風,メキシ コ湾流などが,スペインとハバナの間で効率的に帆船を 往来させるのにつごうがよかったためである。しかしな がら,イギリスやオランダの王室に雇われた海賊船から 貴重な積み荷を守るには不十分だということがわかり, ハバナ湾沿いには,フエルサ要塞(1555年),モロ要塞 (1589年),プンタ要塞(1590年)(写真1),カバーニャ 要塞(1763年)などが建設され,それらを中心に,ユネ スコ世界文化遺産(1982年登録)の旧市街が広がった。 ハバナ旧市街は,豪華な石づくりや木造の街なみが広 がり,カトリック聖堂(写真2)や修道院,旧総督邸を 中心とした広場がいくつも建設された。当時のスペイン がハバナを重視していたことを示す。ハバナ市は旧市街 のある湾の西側から,徐々に西へとのびていった。新市 街は独立後,アメリカ合衆国(以下,米国)の支配下で 建設された。ハバナ大学や官庁街のあるベダド地区はコ ロニアル風の大邸宅が建ち並び,さらに新しいミラマー ル地区は高級住宅街で,米国の都市郊外の高級住宅街に よく似た街なみである。つまりハバナ市はスペインと米 国という各時代の支配の下で,両国に重視され,多額の 資本を投下された,「カリブ海の真珠」なのである。
しかし,とくに1959年のキューバ革命後,旧市街では 他の地域からの国内移民が,貴重な建物を違法に改造し たので,建物の破損がめだつようになった。スペイン統 治時代の建築物は,暑さを防ぐため天井がひじょうに高 く,5m以上あることが多い。この天井の高い各階を上 下半分にくぎり,住居を2倍に増やしていくのである。 1982年にユネスコ世界文化遺産に登録されてから,ユ ネスコの資金援助を受けて旧市街の再建が始まった。革 命政府の高官であり,「ハバナ歴史家」の称号をもつエ ウセビオ・レアルが音頭をとり,旧市街をキューバ屈指 の観光名所に育て上げた。低所得の国内移民が多い旧市 街の生活水準を上げるため,歴史的建造物の再建と合わ せて,1階を観光客向けの工芸品や家具などの店にし, 協同組合に経営させて,その建物に住んでいた住民の生 活を保障すると同時に立ちのきを承知させた。筆者が 1990年代に住んでいたときは,旧市街は崩れかけた建物 が並び,往年の栄華は想像することも難しかったが,再 建が進んだ現在は,スペインやイタリアの歴史ある都市 のような美しさである(写真:タイトル左)。
2
米国の支配とキューバ:高いインフラ整備
米国の保護国となった1902年以降,米国企業が多数進 出し,キューバの近代化と経済発展を促進した。その過 程で多額のインフラ投資を行っている。とくにハバナ市 は,旧市街を除き,20世紀前半に米国が上水道を敷設し ている。飲料水(上水)へのアクセスは,キューバでは ほとんどの地域で100%か,それに近い割合を達成して いる。
植民地になった経験がある国々は,政治的には従属を 強いられ,社会的にも民族が分断されたりいびつな階層 社会が押しつけられたりする。その意味で植民地支配の
キューバ
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大国の狭間でゆれる革命の島
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知 り た い ! 世 界 の 今 ②
ハバナ旧市街(2013年1月)写真:PIXTA ハバナの米国製オールドカー(2015年9月)写真:PIXTA
日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア経済研究所 主任研究員 山岡 加奈子
負の側面は多い。他方,宗主国(あるいはキューバの場 合は米国という,準宗主国とでもいうべき存在)によっ て,インフラ建設のための資本が大量に投下され,宗主 国なみのインフラが整備されることもある。キューバは スペインおよび米国のインフラ投資のおかげで,中南米 で最初に鉄道が敷設され,電話が開通し,革命前には電 化率や自動車普及率において中南米で1,2を争う水準 に達していた。
現在,キューバ国内のすみずみを結ぶハイウェイ網は, 6∼8車線ある道幅の広い米国型であり,米国によって 整備されたものである。自動車普及率の高さは,観光客 の目を引く1940∼50年代の米国車が,今も多数走ってい ることからもうかがえる(写真:タイトル右)。革命前 のキューバでは,おそらく半数近い世帯が自家用車をも ち,中産階層以上の都市住民は車で通勤していた。ハバ ナの街は,自動車が発明される前の19世紀までに完成し た旧市街を除き,車が通行するのに便利な道路がつくら れている。
革命後60年の間に,とくにハバナは地方を重視した政 府の開発計画から除外されてきたために,幹線道路以外, あるいは指導部が通勤に使う道筋から外れた新市街の住 宅街に入ると,道路のあちこちに穴が開いている。歩道 沿いに植えられた街路樹は,亜熱帯の気候のおかげで生 長が早く,旺盛に伸びる木の根が,道の両側の歩道を持 ち上げてでこぼこにしてしまっている。それでも米国郊 外の住宅地によく似た面影は残っている。
つまり,キューバ革命は,キューバという国が貧しく
て,経済・社会的に遅れていたために起こったわけでは ない。革命前の最後の国勢調査(1952年)によれば,す でに識字率は6割に達しており,当時の中南米諸国の中 では,アルゼンチンなどと並ぶトップクラスに位置する。 年金制度や失業保険,労働災害保険などの整備も中南米 では最も早い数か国のうちの1国で,20世紀初頭から 1930年代までに整備されている。都市化も進んでおり, この1952年の国勢調査の時点で,人口の6割が都市に住 んでいた。現在の都市人口率は8割近い。
カストロたちが革命の大義を農民や労働者に説明し, 革命を進めるために労働組合の協力をあおぐことも容易 であった。識字率が高いので,農民や労働者でもカスト ロの説明が伝わりやすく,ビラをまいても内容を読むこ とができたからである。また,組合指導部からの指令が 労働者層に行きわたりやすく,革命直後の1959年に,混 乱収拾のためにカストロがゼネラル・ストライキを指令 したときには,ストライキが全土で実施された。すでに 相当に近代化が進んだ社会であったために,革命が成功 しやすい土壌が形成されていたのである。
その意味では,前近代的な農村社会から一気に社会主 義革命へ進んだロシアや中国,ベトナムとは,革命にいたっ た経緯が異なる。むしろ社会経済的には,チェコスロバキ アやハンガリーなどの東欧諸国に近い条件で社会主義経 済に移行した。ただしその移行が,東欧の場合のようにソ 連に押しつけられたものではなく,キューバの中から生ま れた運動であったところに,ソ連が解体しても倒れない キューバ革命体制の強さの一端があると考えられる。
写真2 カトリック聖堂・カテドラル
(2016年:JTBフォト)
図1 キューバ周辺とハバナ拡大図
写真1 プンタ要塞(2009年:筆者撮影)
知 り た い ! 世 界 の 今 ②
キューバ共和国
バハマ国
ハイチ共和国 ジャマイカ
アメリカ合衆国
バ ハ
マ 諸
島
ピナールデルリオ
マタンサス
マタンサス州
カルデナス バラデロ
サンタクララ シエンフエゴス
トリニダー
カマグエイ
オルギン
マンサニーヨ バヤーモ
カ
大 西 洋
リ ブ 海 ロ
フ リ
ダ 海 峡
ハバナ
グアンタナモ
サンティアゴデクーバ
0 100 200km
メ キ シ コ 湾
フロリダ半島
キューバ島 州 境
国 境
ビニャーレス渓谷
シエンフエゴス歴史地区 トリニダー
サンペドロデラロカ城 ハバナ旧市街
ホームステッド
キーウエスト
ナッソー
キングストン
ロング島 アンドロス島
ケーマン諸島 〔イギリス〕
ハバナ湾
ホームステッド
キーウエスト
ナッソー
キングストン
ロング島 アンドロス島
ケーマン諸島 〔イギリス〕
ハバナ湾
キューバ共和国
バハマ国
ハイチ共和国 ジャマイカ
アメリカ合衆国
バ ハ
マ 諸
島
ピナールデルリオ
マタンサス
マタンサス州
カルデナス バラデロ
サンタクララ シエンフエゴス
トリニダー
カマグエイ
オルギン
マンサニーヨ バヤーモ
カ
大 西 洋
リ ブ 海 ロ
フ リ
ダ 海 峡
ハバナ
グアンタナモ
サンティアゴデクーバ
0 100 200km
メ キ シ コ 湾
フロリダ半島
キューバ島 州 境
国 境
ビニャーレス渓谷
シエンフエゴス歴史地区 トリニダー
サンペドロデラロカ城 ハバナ旧市街
マスク適用
図1トレースマップ_キューバ周辺.ai
ハバナ湾
モロ要塞
カバーニャ要塞 プンタ要塞
アメイヘイラス兄弟 記念病院
フエルサ要塞 カテドラル
ホテル・イングラテラ ハバナ大学
ベダド地区 ベダド地区
ミラマール地区 ミラマール地区
旧市街 新市街
0 2 4km
マスク適用
図1トレースマップ_キューバ周辺_ハバナ拡大図.ai
ハバナ湾
モロ要塞
カバーニャ要塞 プンタ要塞
アメイヘイラス兄弟 記念病院
フエルサ要塞 カテドラル ホテル・イングラテラ ハバナ大学
ベダド地区 ベダド地区
ミラマール地区 ミラマール地区
旧市街 新市街
0 2 4km
第一が観光業である。政府統計によれば,観光客数の指 標となる「外国からの訪問者数」は2014年に300万人, 2016年に400万人を突破した。国別内訳(2016年)は1 位のカナダが120万人,国交正常化後キューバ渡航が爆 発的に増えた米国が2位となり24万人である。この中に は,親族訪問のためにキューバを訪れる海外在住キュー バ人(大多数は米国籍)は含まれていない。
カナダが多いのは,冬季の避寒のためにキューバを訪 れるケースが多いためである。カナダや米国を除くと, 観光客が多いのは欧州勢,次に多いのはメキシコやアル ゼンチンなどの中南米諸国である。近年は,中国からの 渡航者が倍々の勢いで増加している。中国人の多くは観 光客ではなく,留学生と商用目的での渡航と思われる。 中国政府はこの10年,キューバへの経済進出をあと押し している。最初はスペイン語習得をめざす若い留学生を 100人単位で送り込んでいたが,最近では民間部門の若 い企業家たちが,ビジネスチャンスを自力で探すために キューバに滞在しているケースがめだってきた。日本も 2万2千人と,1000人にも満たなかった1990年代に比べ れば大幅に増えている。国別順位では25位であり,アジ アでは中国に次いで多い。観光業は米国との国交正常化 によって大幅に成長しており,トランプ政権による渡航 規制の強化にもかかわらず,中長期的には伸びが期待で きる。
成長が見込まれる第二の産業は鉱業である。レアメタ ルとして注目されるニッケルは,世界第5位の埋蔵量を 有し,鉱業部門では第一の外貨獲得源である。キューバ はマタンサス州で原油も産出するが,重質油であり,ソ 連解体後の石油不足の中で増産に努めているものの,国 内消費の半分をようやくまかなえる水準である。残りは 2001年から経済協力協定を結んでいるベネズエラからの 優遇条件での原油輸入にたよっている。
3
キューバの第1次産業
キューバの産業として,すぐ頭に浮かぶのは砂糖産業 だろう。筆者がキューバに住んでいた1994∼96年には, ハバナ市の外に出ると,見わたす限り,人間の背たけく らいあるさとうきびがぎっしりと植わっている風景に出 会ったものだった。しかし19世紀には世界最大の生産高 を誇ったキューバの砂糖産業は,ソ連解体後の経済危機 の中でみる影もなくなった。原因はソ連時代の非効率な 生産形態のためである。砂糖の国際価格が下落し続けて いた2002年には,国内の156ある製糖工場の半数を閉鎖 することを発表し,砂糖生産も落ち込んだ。ソ連解体前 後の1990/91年期に8000万t近くあった さとうきび生産は, 2014/15年期には 2000万t足らずに 落ち込んでいる。 2014/15年度(入手可能な最新統計)の粗糖生産は200万t 足らずである。
砂糖産業の不振は資本不足のためで,革命前に米国企 業が建設した古い施設をそのまま使用していたり,ソ連 時代にソ連からの投資で建設された非効率な,石油を大 量に消費する施設を使用していたりする。キューバは自 国で農業機械や製糖工場に必要な施設を製造する能力が なく,さらに外貨不足が深刻なので,この状況を打開す るためには外資導入しかないが,現在まで砂糖産業への 外国投資は1件もない。1990年代にこの理由について問 われた砂糖省大臣は,「キューバの基幹産業である砂糖 産業は,外国投資でなくキューバ自身の努力で立て直す」 と発言したが,以来20年間,めだった成果もないままで ある。
4
発展が見込まれる経済分野
不振が続く産業が多いなかで,発展著しい産業もある。
写真3(左)
1875年に建設されたキューバ最古のホテル,ホテル・イ ングラテラである。新聞記者として米西戦争を取材した ウィンストン・チャーチル英首相が宿泊したこともある。 2016年に米国資本の経営参加が決まり,話題となった。
(2009年:筆者撮影)
写真4(右)
キューバを代表する大病院,アメイヘイラス兄弟記念病 院は,マイケル・ムーア監督の映画『シッコ』で,米国 人消防士が入院したところである。しかし普通のキュー バ人は,政府の要人のコネがあるか,大金を贈るかしな ければ,ここで治療は受けられない。
(2009年:筆者撮影)
最高の高齢化率となっている。ま た現在30歳代,40歳代のコホート が少ないのは,主として米国への 移住によるものと考えられる。 1990年代から現在まで,毎年4万 ∼6万人のキューバ人が米国へ移 住しているが,多くは20歳代の若 い世代である。1990年代からの移 民ラッシュのときに20歳代であっ た人々は現在40歳代であるため, この年代以下でキューバに残る人 口が減っているのである。彼らは 子供をつくる年代でもあり,少子 化にさらに拍車がかかっている (図2)。
キューバには1995年から二重
通貨制度があり,国営部門の労働者が受け取る賃金も, 国営部門労働者が退職したときに保障される年金も,外 貨に交換できない非兌換ペソである。しかし,実際には 多くの消費物資が外貨に交換できる兌換ペソでしか購入 できない。とくに増加する高齢者は,年金ではとても生 活できないので,米国に移住した子供からの送金に た よることができればよいが,そうでなければ国からの無 料の食事やソーシャルワーカーの介護を受けたり,高齢 者ホームに入所したりする必要がある。今後高齢化はま すます進行することが予想されるため,ひとり暮らしの 低所得高齢者の問題は切実な社会問題である。 キューバでは2016年11月に革命の指導者フィデル・カ ストロが死去し,2018年2月には任期満了となる実弟ラ ウル・カストロ国家評議会議長の4月での引退が発表さ れている。後任はおそらくナンバー2で50代のミゲル・ ディアスカネル=ベルムーデスだが,ディアスカネルは この数か月,以前より保守的な発言を続けており,国民 の多くが待ち望む経済改革がどの程度実施されるか,前 途は悲観的になってきた。2年前に非農業部門の協同組 合の新規承認が停止され,2017年9月から,自営業の新 規ライセンス発行も停止された。米国との関係改善で一 躍注目されたキューバであるが,今後の展開は不透明な ままである。
■参考文献
キューバ政府統計局 統計年鑑2015年版,2016年版
(Oficina Nacional de Estdísticas e Información, Anuario Estadístico de Cuba, edición 2015,2016)
キューバ政府はこのほかに,革命期に開発したバイオ テクノロジーや製薬産業などを振興しようとしている。 米国の経済制裁が解除されれば,これらの新産業の国際 競争力がいかほどのものかが明らかになるだろう。 キューバの主要産業は農業などの第1次産業ではなく, サービス業であり,GDPに占める第3次産業の割合は 73.8%に上る(2015年度)。経済改革は進んでいないが, 2012年から非農業部門の協同組合が認可され,写真5の ようにパンの配給所がパン屋組合に改組されるケースも ある。パンの種類が大幅に増え,にぎわうようになった。
5
社会開発と少子高齢化
キューバが世界に誇るのは,医療・教育の分野である。 医師1人に割りあてられる国民の人数は,革命直前の 1958年には1076人だった。革命後医師の多くは国外に亡 命したため,1970年の医師1人あたり国民数は1393人と なる。その後医師の新規養成が進み,2016年には医師1 人あたり国民数125人と,世界最高である。医療は教育 と同様,国民全員に無条件に保障されており,この手厚 い社会政策が,出生時平均余命79歳,乳児死亡率4.3人(乳 児1000人あたり),識字率99%,小学校の国際学力テス トで国語(スペイン語)と数学(算数)の得点が中南米 で第1位,という成果を生み出している。
同時にこの社会開発の発展によって,キューバでは先 進国なみの少子高齢化が進んでいる。革命直後の1960年 代にベビーブームが起きた後,出生率は低下の一途をた どり,現在ほとんどの若いカップルは1人しか子供をも たない。高齢化は1980年代半ばには始まり,現在65歳以 上の高齢化率は16.5%で,アルゼンチン(14.2%,2012年) やウルグアイ(13.3%,2015年)を上まわり,中南米で
写真5 ハバナのパン協同組合
(2017年:筆者撮影)
図2 キューバの人口ピラミッド(2016年)
(出所)キューバ統計局「人口年鑑」にもとづき作成。
(年齢) 85歳以上
80-84 75-79 70-74 65-69 60-64 55-59 50-54 45-49 40-44 35-39 30-34 25-29 20-24 15-19 10-14 5-9 5歳未満 (%)
2010年(9210万人)
男 女
7 6 5 4 3 2 1 0 1 2 3 4 5 6 7
0 10 20 30 40 50 60 0
10 20 30 40 50 60
2017年度1学期号 トレースグラフ 2017年度3学期号 データ入力グラフ
0 10 20 30 40 50 60 10
20 30 40 50 60 (万人) 2017年度3学期号
グループ解除グラフ
(年齢) 85歳以上
80-84 75-79 70-74 65-69 60-64 55-59 50-54 45-49 40-44 35-39 30-34 25-29 20-24 15-19 10-14 5-9 5歳未満
男 女