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3sawamura 沢村信英 ケニアの初等教育分野における(マルチ・フィールドワーク)の試みーアフリカにおける複眼的な子ども研究をめざしてー

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ケニアの初等教育分野における〈マルチ・フィールドワーク〉の試み

―アフリカにおける複眼的な子ども研究をめざして―

澤村信英 * ・伊藤瑞規 ** ・倍賞佑里 ** ・吉田孝之 ** ・稲垣陽平 *

*大阪大学大学院人間科学研究科・**大阪大学人間科学部)

はじめに

子どもの教育をめぐる研究には、常に困難がつきまとう。計量的な分析であれば一 定の結論は導き出せるかもしれないが、その結果は実感と異なることも多く、満足で きるものではない。分析方法は確実であっても、もとのデータの信頼度が低ければ、 結果は不確かなものにならざるを得ない。インタビューを中心とした質的調査にして も、子どもはもちろんのこと教員などから本当の考えや気持ちを聞きとれる保証はな い。それでも、数週間以上の期間にわたりフィールドワークをすれば、短時間の学校 訪問から得られるデータに比べ、はるかに豊かな情報が得られる。

ケニアなどのサブサハラ・アフリカ(以下、アフリカ)諸国の初等教育においては、 政策でうたわれている内容と学校での実践は、異なるのが普通である。「学校」と言っ ても、その学習環境や運営の仕方には、天と地ほどの差がある。明らかな格差が存在 する対象を理解するためには、平均化や集積された数値だけでは判断が難しい。それ に、学校を取りまく社会の文脈性(コンテクスト)と学校を切り離して解釈するので は意味がない。一人の調査者だけで複雑な教育事象を解釈することは、普通に行われ る研究方法であるが、どうしても限界がある。

本稿における〈マルチ・フィールドワーク〉は、複数の調査者、複数の視点、複数 の相手、複数の調査サイトなど、個々の研究関心を尊重しつつ、複数でフィールドワー クを行うことを意味する造語である。暫定的な結果を相互で共有すれば、お互いによ り豊かな複眼的な議論が可能となる、という思いから始めたことである。教育研究の 中でも、われわれが関心を持っている発展途上国、特にアフリカ地域の学校文化に触 れるような多面的、多層的、多義的なテーマにおいては、有効なのではないかと考え ている。これに類する初期的な試みは、「ケニア教育開発合宿」として2006年に実施 し(澤村編2007)、教育分野の中での学際的な研究を試行してみた。本稿における〈マ ルチ・フィールドワーク〉は、特に学部学生や大学院修士課程のフィールド経験の少 ない学生に効果的に機能すると思っている。

本研究の全体目的は、複数でフィールドワークをすることにより調査者間でどのよ うな相互作用があるかを探索し、〈マルチ・フィールドワーク〉の可能性や課題を検 討すると共に、学術的な調査の成果としては、第2節においてそれぞれの研究内容に 沿って整理し、考察している。

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.調査の対象と方法

1.1.

調査地

ケニアにおける小学校を基点とした調査は、内海成治と澤村信英が中心となり、 2000年から始めている(代表的な研究成果としては、澤村ほか2003;澤村2004;内 海ほか2006がある)。この間、初等教育の無償化、地域社会の変貌など、学校を取り まく環境は変化し、学校のあり方も外部からの影響および内発的な発展の両面から変 容し続けてきた。

調査地は、ナロック北部県およびナイロビ市である。ナロックは伝統的にはマサイ 人が居住する地域であるが、商業的な施設のある町や集落では、キクユ人も多い。マ サイ人の中には遊牧牧畜を中心とする伝統的な生活を送っているグループもあるが、 本研究での対象は、定住し農耕を併せて行うなど、近代化をすでに受け入れている人々 である。

ナイロビはさまざまな民族の人が住む人口200万人の大都市である。いわゆるスラ ムは市内に大規模なものが数ヶ所あり、ナイロビの人口の3∼4 割の人々が集住して いると推定されている。このスラムは、必ずしも貧困層にある人々が住む地区ではな く、例えば、キベラでは、私立の小学校や中等学校などの教育施設がいたるところに あり、店ではテレビなどの家電も売られている。

1.2.

調査方法

現地調査はインタビューおよび学校での観察を中心に行った。調査対象領域の現状 が十分に把握できていないため、あまり所与の研究枠組みを持たず、フィールドから 学びながら、調査対象に応じて、その枠組みを柔軟に変えられるように工夫した。人々 の生活に寄り添った(研究者が中心となる調査ではなく)、生活感のあるフィールド ワークをめざした。

一方的なデータの搾取にならないように現地の人々との交流的な要素をできるだけ 含め、共生的なフィールドワークを心がけた。このような方法は都市部では難しい面 もあるが、ナロックでは、長期にわたる交流から相互の信頼関係が構築されており、 関係する学校の教員や生徒からは調査者の存在を歓迎してくれている。

1.3.

調査分担

全体の調整と結果の取りまとめは澤村が行い、第2節「調査結果」として、1.は 伊藤(小学校における学校文化)、2. は倍賞(困難な状況にある子どもと学校のかか わり)、3.は吉田(障がい児教育への取り組み)、4.は稲垣(多民族社会に生きる生徒 の言語観)がそれぞれ中心となり分担、執筆した。調査中の結果に対する検討を現地 で随時実施すると共に、帰国後、調査結果の発表および共有、批判的な検討を相互に 行い、より複眼的な考察となるような仕組みを作った。

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.調査結果と考察

2.1.

小学校における学校文化―受験競争が子どもに与える影響―

1)調査の背景と目的

学校文化とは、学校を運営するにあたり、学校成員によって長年にわたって形成さ れ、受け継がれてきた暗黙のルールや慣習、価値観といった独特の行動様式のことで あり(ウォーラー 1957)、成員同士の相互作用によって重層的に構成されている(久

冨 1996)。学校文化の解明は、学校現場の現実的な状態や学校に存在する問題を理解

する上で有益である(Sarason 1974)。また、学校文化は、学校改善の方向性を規定す るものであり(中留 1994)、その特性を理解することは学校改善の議論において基礎 的な情報となりうる。

アフリカにおける学校文化の側面に特化した研究は積極的には行われていない。学 校での質的研究も限られており、教室内における生徒と教師の様子を記述している程 度である。例えば、チョーク・アンド・トークで、暗記中心の一方通行的な授業が展 開され、生徒からの発言やディスカッションは不足している(Arthur 2001)、という ような内容である。

ケニアでは学力や学歴を獲得するための競争が年々激化し、初等教育修了時に受験 する国家統一試験(KCPE:Kenya Certi¿ cate of Primary Education)の成績が一生を 左右するといっても過言ではない。学校は試験で高得点を取るための予備校のように なり、校長の評価も生徒の点数によって決まる(澤村 2006)。したがって、学校文化 を考察する上で、この受験競争の子どもへの影響についての分析は、避けて通れない。

ところがこれまでのところ、澤村(2006)がケニア社会における知識偏重の学力観 が受験中心主義の学校運営や学校間の格差を生みだしていることを指摘している程度 で、受験による「競争」が教師や生徒にどれほどの影響を与えているのか明らかにさ れていない。本調査では受験競争に対して教師や生徒がどのように向き合い、どのよ うな影響を受けているのかを検討する。

2)調査結果

調査はナロック北部県ススワ地区にあるA小学校に1週間滞在して行った。A校は この地区では成績優秀校で、生徒数735人(うち女385人)、教師数18人(うち女10人) の最大規模の学校である。比較的教育熱心な親が多いが、8年生の両親の70パーセン ト近く(2007年時点)が教育を受けたことがない(澤村・伊元 2009)。また、6年生 以上の生徒は入寮が義務付けられているだけでなく、教師もほとんどが敷地内の教員 宿舎で生活をしているため、常時、教師の監督下にある。

1受験本位の学校生活

生徒は、特に6年生以上になると、KCPEの受験に備えて多くの時間を学習に費や す。この学校では、寮生は4時に起床し、5時から朝礼が始まる8時まで、朝食を挟 んで自習(8年生は教師による補習)する。8時20分から15時10分までは、正課の

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授業が行われる。放課後は主に洗濯、歯磨き、水浴びなどをして、18時からの夕食後 も21時30分まで自習時間である。就寝は22時30分と決められている。

このように平日は、約11時間もの学習時間が設けられている。土曜日は正課の授 業はないが、昼過ぎまで自習や補習がある。日曜日もKCPEの受験が迫れば、8年生 は補習に参加するため忙しい。このように、子どもたちにはほとんど自由時間がなく、 睡眠時間も十分ではない。さらに試験科目とのつながりがない活動は自然と排除され る。例えば、体育の授業はカリキュラムには組み込まれているが、実際に体育の授業 が行われることはない。部活動などの課外活動もほとんどなく、ただひたすら勉強す るだけである。

①学校での楽しみ

娯楽も徹底的に管理される。もともと娯楽が少ない状況下であるが学校外の世界か ら遮断されるため、禁欲的な受験準備中心の学校生活を送ることになる。例えば、寮 生が長期休暇以外で学校の外へ出るには担当教師と校長の許可が必要なため、基本的 に外出することはできない。学校給食は毎日ほぼ同じ単調なメニューが続く。唯一の 娯楽は、毎週土曜日に1時間だけ、テレビでドラマなどの鑑賞が許され、最大の楽し みになっている。また、月に何回か保護者と面会することも楽しみの一つである。家 族に会えない寂しさが癒されるだけでなく、菓子類や日用品を持ってきてくれるから である。

②無抵抗な存在へとなる生徒

学校では年に計6回(毎学期2回)の地区内共通の定期試験がある。試験が終了す ると2,3日で採点され、すべての生徒が成績に応じて順位づけられ、学校別のラン キング表も作成される。結果は掲示などの方法で公開され、生徒本人や学校関係者だ けでなく保護者など誰でも見ることができる。したがって、強く進学を望まない生徒 であっても受験体制に無関係ではいられず、自然と学力競争に巻き込まれることにな る。また、このような順位付けの一連の流れの中で、子どもたち自らも成績至上主義 の価値観を刷り込まれ、教師に対して、ひいては学校に対して無抵抗な存在へと作り 変えられていく。

③受験競争と友人関係

厳しい受験競争の中で生活する子どもたちにとって、友人は同志であり、精神的な 支えでもある。しかし試験による順位付けが繰り返されると、特に点数や順位に対し て過敏になり友人と自分を常に比較するようになる。これはほとんどの子どもが、同 学年の生徒の順位を把握していることからもわかる。こうした過剰反応が、成績上位 者の悪口を言うなど、時に行き過ぎた行為へと向かわせ、友人同士の信頼関係を崩壊 させることもある。

2教師の苦悩

子どもたちに厳しい受験生活を強いているのは、ほかでもない教師である。受験 中心的な生活は、保護者から求められていることであるし、試験の点数が教師の評 価に直結しており、時には校長により他の学校へ左遷されられることもある。また、

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KCPEで失敗すれば子どもたちはどうのように学歴社会で生きていくのかという不安 もある。しかし、現場に近ければ近いほど、子どもにとっての幸せや喜びは必ずしも 試験で高得点を取ることではないことも同時に感じている。教師はこうした理想と学 歴社会という現実のはざまで常に葛藤している。このことは次の2人の教師との会話 から典型的に読み取れる。

①受験競争に向き合う教師

この年配のベテラン教師は、非常に責任感が強く教育熱心である。彼女が担当する クラスは毎年KCPEで良い成績を修めると評判で、女性教師の中ではリーダー的存在 になっている。「ケニアの子どもたちは大変よ。毎日毎日勉強して。(中略)それでも、 もしもKCPEがだめだったら、あの子たちはどうなると思う。私たちも生徒たちもや るしかないのよ」。

彼女にとっては、受験中心の学校生活を前向きに捉えるしかなく、そこで最善を尽 くすことが教師としての役割であると認識している。ベテラン教師をしても受験に対 して過剰に反応しなければならない学校や現実社会の環境が厳然と存在している。多 くの生徒の行く末を見てきた経験や学校内部や社会から受けるプレッシャーが、彼女 に子どもたちについて悲壮感を持って語らせる。

②教師に向かないことを自任する教師

この30代の教師は、自身を「教師に向いていない教師」と話し、生徒に対して教 師としてよりも子どもたちの兄貴分としてふるまっている。生徒からは絶大な人気 がある。彼は毎年行われる学校対抗の文化祭(この学校は毎年好成績を修めており、 2010年は全国大会で入賞した)を担当し、準備のすべてを精力的に取り仕切っている。 彼によれば、「もちろん良い成績を取るということは重要だ。しかし、無理をして試 験の点数を上げるよりも、よき友達を作ることや学校へ来て楽しいと感じることが大 切なんじゃないか」。この発言は、兄貴分として子どもと近い距離で接する中で素朴 に感じているものであり、「学校は勉強をするだけの場所ではない」という信念を持っ ているが、ケニアの文脈ではどうしても異端的な評価を受けている。

3)考察

ケニアの学歴社会下では、学校の意味は学習すること、それも試験で高得点を取る ことに限定されてしまう傾向にある。このような中で教育を受けた子どもたちは、学 習することの楽しさを感じているのだろうか。学ぶことは禁欲的で苦痛を伴うもので あり、そこに喜びを見出すことが難しくなるかもしれない。そして徹底的に「勝つ」 ことが最大の価値であることを教え込まれる学習環境下では、「教えられること」は 学べても、「学ぶこと」を学ぶ機会は失われてしまう。しかし、教育の実施者である 教師を責めることもできない。教師にしても、学歴社会と保護者の期待との狭間で葛 藤し、良き教師として現実の社会環境に適応せざるを得ないからである。

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2.2.

困難な状況にある子どもと学校のかかわり―児童労働と伝統慣習―

1)調査の背景と目的

特別なニーズを持つ子どもに配慮した教育の実施は、初等教育の完全普及に向け、 ケニアをはじめとしたアフリカ諸国においても重要な課題になっている。広く知られ る「特別なニーズ教育に関するサラマンカ宣言および行動要綱」(1994年)には、す べての子どもを対象にし「これは障がい児や英才児、ストリートチルドレンや労働し ている子ども、人里離れた地域あるいは遊牧民の子ども、言語的、民族的あるいは文 化的マイノリティの子ども、ならびにその他の不利な状況にあるもしくは周縁化され た土地、集団の子どもを含むものである」(「行動要綱」序章第3項)と謳われている。

いわゆる心身に障害をもつ子どもだけではなく、その他の困難な環境にある子ども

(vulnerable children)も含め、特別なニーズ教育の対象としている。障がい児に関す る研究は、第2.3. 節でも取り上げるとおり、発展途上国においても一定の研究の蓄積 がある一方で、人権に反するような困難な状況にある子どもを対象とした研究は十分 であるとは言えない。本調査では、児童労働と有害な伝統慣習に焦点を当てる。

児童が働かなければならない主な原因は貧困であるが、貧困であるがゆえに働き、 働くがゆえに学校へ通えず、貧困を繰り返すことになる(Ferguson 2006)。ケニアで は急速な近代化が進行し、都市と農村の所得格差の増大、伝統的な家族制度の脆弱化 によるシングル・マザーの増加、都市への人口集中によるスラムの形成が進行し、都 市においても農村においても、コミュニティや家族による児童の保護機能が低下して きている(Suda 1997)。その結果、親の指導監督が十分行き届かず、学校に行かずに 薬物の使用、ひいては犯罪や非行に走る少年たちが増加し、大きな社会問題となって いる(Ibid.)。ケニアの5歳から14歳の年齢の児童のうち、平均6.1パーセント(53 万人)が労働に従事しているとされている(IPEC 2008)。

有害な慣習の一つとして、伝統的なマサイ人の間で今も実践されているものに女性 性器切除(FGM: Female Genital Mutilation)がある。FGMは結婚できる大人の女性 になる通過儀礼として行われている(Saitoti & Bechwith 1988)。この儀礼を通過する と、結婚可能な女性として扱われ、父親の指定する相手等との結婚により、小学校を 中途退学させられる場合がある。FGMは、子どもと女性の健康にとって有害で暴力 性を持った慣習であり、その廃絶運動がNGOを中心に行われている。

本調査の目的は、児童労働や有害な伝統慣習にかかわりを持つ子どもを事例として、 彼らの就学に対する意識に注目し、子どもから見た学校とのかかわりについて分析す ることである。このような2つの異なる困難な状況にある子どもに注目し、必要に応 じ比較しながら、子どもの視点から学校との関係性を明らかにする。

2)調査結果

対象はナイロビ南西部のキベラ・スラムに隣接するB小学校に通う労働経験のある 少年4名(8年生、17∼18歳)、およびFGMや早婚からマサイの少女を保護するナロッ ク北部県にあるC保護施設の少女6名(6∼7年生、15歳)である。彼らの典型的な 語りから、次のような事象が明らかになった。

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1少年にとっての就労経験の意味

少年J(16歳、キベラ生れ)の父親は、Jが10歳の時に亡くなっている。母親とは 面識がない。義理の母と兄弟とはキベラ内で別居している。現在は友人の少年2人と 3人暮らしである。1人は18歳でO中等学校に在籍しているが、学費が払えないの でほとんど登校していない。もう1人の19歳の少年は、時々日雇いとして工事現場 で働くが、それ以外は家にいる。

「缶や鉄、プラスチックを集める仕事をしているよ。1kg、6シルで引き取っても らう。1日20シルを稼ぐんだ。それで食事をする。仕事の後、夕食を〈ホテル〉 に食べに行くけど、10シルでチャパティ2枚とスープをたのむ。残りの10シル は朝食分にとっておく」(少年J)。(10シル=12円程度)

「働くときは、必ず二人組で出かけるよ。お互いを守り合えるからね」(少年J)。

子どもたちが働かなければならないという前提において、彼らが働きながら学ぶ理 由がいくつか見いだされる。まず、教育を受けることによって将来、より良い仕事を 得ることが期待できる。また、公立小学校では授業料は無料だが、教材や制服、学用 品を購入するため、すなわち学校に行くために働き、現金収入を得る必要がある。そ して、家族全員が働くことでようやく最低限の生活が可能となり、働くことによって 子どもは家族を助け、自分の学校での必需品を買うこともできる。これにより彼らは 自信や自立心を得られるという一面もある。国による社会保障が機能していない現実 において、教育費用を含めた生活費を労働による収入によって工面している場合、教 育と労働は必ずしも相矛盾する背反的慨念ではなく、就労が就学を促進し、場合によっ ては就労が就学を可能にすることもある。

2学校生活と少年の支援者

少年E(17歳、キベラ生れ)は、父親の死後、母と姉と一緒にキベラで暮らしてい たが、ある日、母はEをキベラに残し、別の村で生活を始めた。Eはキベラの学習セ ンターに幼少期から8歳まで通って読み書きを学んでいたが、10歳の時、初等教育が 無償化となったのを契機に、一人で学校に来て校長と面会し、翌日から登校するよう になった。キベラに住んでいる子どもの支援をしているNGOから、制服、食事の援 助を受けているが、金銭的支援はない。少年J(16歳、キベラ生れ)も学習センター へ通った経験があるが、NGOなどによる組織からの援助は受けていない。

「学校での給食に助けられているよ。お金がなくて、時々ご飯が食べられないんだ。 先生が一週間に一度食事代をくれる時もあるよ」(少年E)。

「小学校に来る前は、キベラの学習センターに2年間いたんだ。小学校へは一人 で来たんだ。NGOからサポートは受けてないよ。だから制服が無くてね。(中略)

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先生がクラスの友達に『誰か制服を2枚持っている人はいませんか』と聞いてく れた。今着ているこのシャツも先週の金曜日にクラスメートからもらったんだ」

(少年J )。

労働や路上生活の経験がある子どもたちの多くが、最初に教育の機会を得るのが学 習センターなどのNGOが支援するノンフォーマル教育である。子どもたちにとって も自由度が高いため、学習を継続するには子ども自身に強い意識が求められる。した がって、ノンフォーマル教育が、路上生活経験のある子どもにとって、何かを学ぶ機 会となりうるか否かは、子ども自身の興味や考え方、現場の教師の子ども達への対応 に左右される。また、生徒間での制服の貸し借りなどの助け合いが行われていること も興味深い。家族からの支援が希薄な分、教員や友人とのかかわりが重要になっている。 そして、保護者がいない少年にとって、学校での給食は大切な食事となることもわかる。

3保護施設の役割

少女J(7年生、15歳)は、2006年12月のクリスマス休暇中に保護施設に入所し、 翌年1月から第4学年に転入した。

「教会で行われていたFGMや早婚、強制婚に反対するセミナーに出席したの。 100人くらいの女の子たちが集まっていたわ。そこでB女子保護施設のことを知っ たのよ。教会の前には「セレモニー」って書かれていて、中で何をやっているか は内緒だった。私もお父さんには内容を言ってないわ。もし言ったら、絶対行く ことを許してくれなかっただろうし・・・」(少女J)。

文化的、伝統的な志向や信仰に飲み込まれ、外の世界から取り残されていた少女た ちが、自分の両親・家族・コミュニティを捨ててまでも就学し続ける道を選んだ動機は、 やはり教育の持つ可能性だろう。マサイのコミュニティに根強く残る習慣から、女子 児童の早婚による中途退学や、見知らぬ村の長老との強制結婚によって少女たちは就 学機会を逃すばかりか、自らが選択していない人生を歩むことになる。少女は自分の 権利を守るために家族と縁を切る覚悟で自らの意思で保護施設を訪れている。施設は 子どもの権利を擁護してくれる場所であり、安心・安全に学校に通える場所となって いる。そして、少女たちの語りから、同じ境遇の少女たちと出会い、目標を共有でき る場所となっていることもわかる。

4文化的、伝統的信仰の壁

少女M(7年生、15歳)は出身が少女Jと同じで仲が良い。ただし、保護施設に入 所した時期は2008年12月で2年遅く、翌2009年に第6学年に転入している。

「私の両親はどちらもマサイだけど、『本物』じゃないわ。マニヤッタ(マサイの 伝統的住居)に住んでいないもの。それに、彼ら(本物のマサイ)の言葉をすべ

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ては理解できない。私たちは伝統的な生活をして、マニヤッタに住んでいるマサ イが本物のマサイだと思っているわ。私たちは少し違う。今では町も開発されて いて、みんな普通の家に住んでいるし」(少女M)。

「(両親は)FGMを終えると、結婚できるようになると今でも信じているわ。も しFGMの儀式を終える前に妊娠したら、子どもは汚れた血を持つことになるっ て言い伝えられているし。私もあそこ(村)にいたら、今頃は結婚して子どもも いると思うわ。村の友達がそうだから」(少女M)。

「私たちは教育を受けて、私たちの身に何が起こっていたのか、どんな状況にい たか知ることができた。私たちは教育のおかげで(人生の選択に)成功している のよ」(少女J)。

自分と「本物」のマサイとを明確に区別するはっきりとした言い方は、同じ民族内 であったとしても、自分の立ち位置を見出したかのようであった。少女たちは自分た ちのことを冗談で「セミモダン・マサイ」と言って笑っていた。教育を受けることで 自分の文化を客観視することができるようになり、両親とは違う価値観を持つように なっている。学校教育は子どもが他民族との協調など、社会性を習得することを可能 にしている。何よりも、学校に通うことで、女子生徒たちが結婚する前に人間的に成 熟し、自ら判断できようになるまでの必要な時間を確保できる。

3)考察

学校に通うことの価値は子どもたち一人ひとりを取り巻く環境によって異なるが、 子どもは学校に通うことで自らの状況を改善できると期待している。子どもと学校と のかかわりは、単に教え・学ぶだけではなく、学校に通うことそのものに学習以外の 多様な価値と意味がある。子どもは、教育という平等な機会を得ることで、必ずしも 自らの責任ではない、路上生活や保護施設に入る理由となった家庭背景、路上での経 験や習慣を否定される。そして、機会を得たことと引き替えに、教育における評価を 自己責任として引き受けることを求められる。すべての子どもにとって優しい「排除」 のない教育がどのようなものとして構想できるのかは、多くの議論と知恵を必要とす るが、教育システムが決めた価値に合わせて子どもを選別すべきではない。教育とい う国家システムの中で、子どもが抱える困難がどのようなものであるか、就労しなけ ればならない子どもや周囲の環境により就学を左右されてしまう子どもの視点から、 学校のあり方を見つめ直す作業が今後とも必要になる。

2.3.

障がい児教育への取り組み―インクルーシブ教育の可能性―

1)調査の背景と目的

ケニアにおける障がい児を中心とする特別なニーズを持つ子どもの就学者数(2008 年)は、初等教育段階で208,281人(男98,388人、女109,893人)、中等教育段階で

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13,714人(男7,148人、女6,536人)である(Ministry of Education 2009, p.13)。全 体の就学者数に占める割合は、初等教育が2.4%、中等教育が1.0%である(同書関連デー タより算出)。初等教育の場合、障がい児の82%は普通学校に併設される特殊ユニッ トや通常学級に統合されている(同)。初等教育修了時に行われるKCPE受験者に占 める障がい児の割合はわずか0.18%(727,054人中1,338人、2009年)であり(KNEC 2010)、このことは多くの障害を持つ子どもは学校教育を完了することなく中途退学 していることをうかがわせる。

インクルーシブ教育の考え方は、「特別なニーズ教育に関する世界会議」(1994年ス ペイン・サラマンカ開催)において明確に提唱されている。先進国、途上国を問わず、 国際的な共通認識となっており、ケニアの政策文書中にも用語としては頻出している。 しかし、実際の小学校では、インクルーシブ教育という概念を知らない教員も少なく ない。一方で、そのような知識の有無とは別に、限られた支援や物資の中で統合学級

(障がい児が普通学級で学ぶ形態)の運営に向けた試行錯誤が行われている。ところが、 このような障がい児教育に対する学校現場の取り組みに関する研究は、ほとんど行わ れていない。

本調査の目的は、障がい児教育の現状と課題を分析し、効果的な統合学級の運営を するためにインクルーシブ教育の考え方はどのような役割を果たすのかを検証するこ とである。特に、初等教育の統合学級運営における教員の工夫や取り組みに焦点を当 てる。

2)調査結果

ナロック北部県にある3小学校(A, C, D校)を訪問し、教員3名と障害を持った 生徒2名にインタビューすると共に、授業や学校での生活を観察した。

C校には458人の生徒が在籍しており、うち5人が障害(身体3人、精神2人)を 有している。同校には特殊教育の訓練を受けた教員はおらず、特別なニーズを持つ生 徒の多くは、近隣地域で特殊ユニットを持つD校に入学する。このD校は地域で有 数の歴史があり、1939年に設立され、視覚障がい児向けのリソースセンターを併設し ている。生徒は点字で書かれた教科書や文字が大きく表示される拡大器を使って学習 している。同校では視覚障害を持つ生徒が134人おり、視覚障害に対する教育を専門 とする教員が4人在籍している。次に、A校は1978年に設立されたこの地区で一番 古い寮制の学校である。全校の生徒数は771人であるが教員は障害を持つ生徒の数は 正確には把握していない。

生徒と教員に対するインタビュー内容を整理すると、次のとおりである。

C校の生徒Y(女、10歳)

知的障害を持っているため学校では勉強ができず、皆と同じスピードで授業につい ていけないことが悩みである。授業中に問題が理解できなくて困っているときは、教 員が隣に座って計算の手伝いをしたり、問題を解くヒントをくれたりする。家にいる のが退屈なので学校に来ることは好きであるという。

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−  − C校の生徒H(13歳)

肢体不自由のため、右手がうまく動かせない。授業料が(無償化により)安くなっ たため入学してきた。勉強は得意で上位の成績を修めている。体育の授業では他の生 徒と同じように早く走ることはできないが、自分が走っている時はクラスメイトや先 生がエールを送ってくれるという。皆と一緒に遊んだり勉強ができるので、学校に来 ることは楽しい。

C校の教員M(生徒Yの担任)

特殊教育の訓練を受けていないが、必要に応じて障害を持った生徒を励ましたり、 授業の一部を工夫することで、生徒が統合クラスで支障なく学習ができるような配慮 を行っている。普通学校に入学してくる障がい児は、他の生徒と同じであることに安 心感や心地よさを感じており、できるだけ同じことをできるように支援を行っている。 しかし、重度の障害を持っている子どもに関しては、特殊ユニットもしくは特殊学校 に通ってもらうことを薦めている。統合学級の運営については、教員同士ではある程 度の話し合いはするが、それに対する対処法や経験から得た知識などを教員間で共有 する制度はない。

D校の教員J(リソースセンター主任)

障がい児向けの施設の運営や管理を行っており、そうした経験から障がい児教育へ の理解は深い。障害を持つ生徒を普通学級へ統合することは行われているものの、各 学校への補助具や資金は不十分であり、障がい児の中にはほとんど特別な支援を受け ないまま普通学級へ統合されている場合も少なくない。統合学級で学習することの利 点は、特殊学校とは違った集団での生活を通したライフスキル(協調性や適応性)を 身につけさせることができることである。そのために、障がい児の隣に座った生徒が 授業中にノートを書く手伝いをするなどの「バディ制度」を導入している。こうした 制度を導入することで障がい児の普通学級への統合を促進し、他の生徒も助け合いや 思いやりの気持ちを学ぶこともできるという。

A校の教員P(副校長)

聴覚障がい児への特殊教育の研修を2008年に修了している。受講したきっかけは、 聴覚障害を持った弟が特殊学校の教員をしていることと、研修を修了することが昇進 の要件にもなっていたからである。統合学級の運営に関して重視していることは、障 がい児のライフスキル(授業中に習う勉強をはじめ、自分のことを自分1人できるよ うになるための力)を支援することである。よって、クラス全体で障がい児を助けら れるように教員や他の生徒が読み書きや計算の手伝いをする。障がい児教育に対する 問題意識としては、中等・高等教育機関において障害を持った生徒の受け入れが少な いため、初等教育を修了した後、教育を受ける機会がほとんどなくなってしまうこと だ。また、評価の方法については、全く同じテストの点数で評価するため、個々の抱 える障害に対する配慮はあまり行われていないことを問題点として指摘している。そ

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のため、勉強についていけず退学や留年する生徒も多いという。

3)考察

障害を持つ生徒、学級運営を任される教員、政府、それぞれの視点およびそれらの 関わりから、障がい児教育への取り組みやその可能性を整理する。

1障害のある生徒にとっての就学することの意味

重度の障害を持った生徒に関しては特殊学校での分離教育が主流であるが、統合学 級は「皆と同じように勉強したい」という思いを実現するという障がい児のニーズだ けを満たすものではなく、周りの生徒たちが助け合いという実体験の中で他者への配 慮や思いやりを学ぶ上でも有効である。周囲の励ましの中で彼らは優しさに触れ、学 校に来ることの楽しさを見出し、相互の学び合いの中で成長していくことができるの も統合学級の果たす大きな役割の一つである。

2統合学級運営に向けた現場での実践

障がい児教育、統合学級のインクルーシブ教育を実践するためのマニュアルや方法 論は確立されておらず、教員も問題が起こるたびにその都度対応しているというのが 現状である。そうした中でも統合学級においてさまざまな取り組みが行われている。 しかし、統合学級の運営に関して成果をまとめたり、知識の蓄積を学校全体で共有し ているわけではないため、問題への対処の方法は教員任せになっている。政府の報告 書等において学校現場における具体的な取り組みの紹介があるわけでもなく、実践経 験を共有するような仕組みは整っていない。

3効果的な統合学級運営に向けた展望

多くの学校では専門的な訓練を受けたことのない教員が統合学級の運営を任されて いる。こうした背景には専門性の高い特殊学校の運営には多くの経費が必要になり、 障がい児をインクルーシブ教育の名のもとに普通学級へ統合し、教員たちに適当に指 導を任せればよいという考え方が根底にある。政策文書において多用されているイン クルーシブ教育という言葉を知らない教員がほとんどであり、政策が学校現場でうま く機能するための方策を検討することも重要になる。

ケニアの統合学級で重視されていることは、他の生徒と一緒に何かをするという経 験から障がい児が協調性や適応性を身につけられる点、および障がい児の手助けをし、 共に生活することで生徒たちの差別意識を減らし、多様性を受け入れる価値観を育め るという考え方である。多くの教員がインクルーシブ教育の理念についての理解を持 たない現実からすると、これはサラマンカ宣言の影響というよりも教員として自然な 考え方なのだろう。一方で、統合学級の運営は各学校や教員たちの裁量に大きく委ね られており、学級担任の自発的な努力や工夫によって行われているため、個々の問題 にいかに対応するかという事例の蓄積が少ない。また、こうした教員たちの努力を支

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援する体制を強化していくためには、他の学校やコミュニティ、NGOなどと知識や 経験を広く共有し、実践につなげていくことも必要であろう。

2.4.

多民族社会に生きる生徒の言語観―その背景と理由―

1)調査の背景と目的

ケニアには74の言語があり、そのうち69がケニア土着の言語とされている

(Ethnologue 2010)。首都ナイロビは人口の流動性が高く、典型的な多言語社会である。 人々はそれぞれの民族語をもち、そして地域共通語であるスワヒリ語を話し、初等教 育を受けた者は英語の運用能力を身につけている。ケニアの教育政策としては、初等 教育の初期段階(1∼3年)の教授言語は母語であり、その後は英語としている。ただし、 低学年であっても、スワヒリ語を除き、教科書は英語で書かれている。

アフリカの初等教育における言語活動に関する先行研究は、大きくわけて二つの 議論に集約される。一つは、母語を教授言語として推進するものである(例えば、 UNESCO 1953; Alidou, 2006; Brock-Utne, 2010)。ケニアにおける教授言語の研究に おいても、Bunyi (1999) やTrudell (2007) が民族語の教育における地位向上の必要性 を主張している。その一方で、Watson (2007) や米田(2009)は母語による教育よりも、 より広範囲で話されている言語による教育の必要性を強調している。母語教育の議論 の前提には、母語が生徒自身の日常言語であり、その言語を使用して生活することが ある。しかし、多くのアフリカ諸国では、生活上必要になる言語は、地域共通語であ ることが多い。

学校における言語教育のあり方の議論は、教授言語や科目としての言語を何にする かということであり、授業時間における言語活動に焦点が当てられてきた。しかし、 学校における言語活動は授業外にも行われており、それは生徒と教員の間というより も、生徒間での会話である。このような言語活動にこそ、生徒自身の言語に対する意 味づけが明確に表れている。

本調査の目的は、生徒自身の言語への意味づけを考察するともに、生徒間のコミュ ニケーションがどのような言語を用いて行われているのかを明らかにすることであ る。特にナイロビのような多言語社会の中の学校で、教授言語などを含む使用言語の ルールが設定されているのか、生徒間のコミュニケーションはどのような言語で行わ れているのか、その現状と背景、理由について明らかにする。

2)調査結果

ナイロビ市南西部に位置するキベラ・スラムに隣接するB校の7年生、6名をイン タビュー調査の対象者とした。これは高学年のほうが、生徒自身が意識的に行う言語 選択の理由を明確に持っていると考えたからである。あらかじめ、クラスの約半数の 生徒にそれぞれの民族性を確認し、生徒や両親の民族性が偏らないよう対象者を選ん だ。なお、同校の生徒数は700人に近く、KCPEの成績はナイロビ市内公立校112校 のうち61位であり、中位の学校になる(Education Department 2010)。

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1学校での言語選択の実態

クラスの生徒34人のうち、16人(男9人、女7人)に民族性を確認したところ、 ルオが8人、ヌビアン、ルヤが各2人、カンバ、キクユ、キシが各1人であり、生徒 の民族性は多様である。このように、多民族で構成されているクラスでは、生徒間で 共通する民族語は存在しない。農村部など、一定の民族が多く居住する地域の学校で は低学年の教授言語は政策どおり母語であることが一般的であるが、ナイロビなどの 多様な民族が生活する地域においては、スワヒリ語が「母語」の役割を担っている。 このように生徒の間で共通の母語は存在しないため、低学年(1∼3年)の教授言語 はスワヒリ語であり、4年以降は政策どおり英語が教授言語になる。また、国語であ るスワヒリ語を積極的に話すことを推奨し、金曜日は「スワヒリデイ」としている。

2学校における二つの言語空間

教員の存在の有無により、生徒が使用する言語には違いがある。授業時間など、教 員のいる空間では、生徒たちは英語を話すようにしている。生徒は「学校のルールだ から」や「英語が好きだから」という理由から、英語を使用する。英語使用の理由は、 使用言語のルールに従うという面はあるが、監督者としての教員の存在が、生徒の英 語使用の背景にある。一方で、休み時間など、教員がいない場所では、生徒間でスワ ヒリ語を使用する。ある生徒は「友達の何人かは英語をうまく話せないから、スワヒ リ語で話す」と理由づけしている。また、英語でうまく表現できない内容になると、 スワヒリ語を話すようになることもある。

3)考察

生徒は母語である民族語、地域共通語であるスワヒリ語、そして学校で学ぶ英語を 使うことができる。「母語は聞き取ることはできるが、ほとんど話せない」という生 徒も多く、母語である民族語が生徒にとっての生活言語ではない。生徒が母語を使用 する場面は、親や親戚との会話ぐらいであるという。つまり、「母語は家庭で親の話 す言語」という意味づけを行っている。ナイロビのような多民族社会では、共通の民 族語は存在せず、地域共通語であるスワヒリ語が生徒たちの日常言語となり、スワヒ リ語なしでは学校での生徒間のコミュニケーションだけでなく、地域社会での生活を 行うこともできない。英語が不得意な生徒は、学校での学習を続けていくことが困難 にもなる。

KCPE受験、中等学校への進学、高等教育など、英語の運用能力の向上なくして、 ケニアの近代部門で就労することはできない。英語一辺倒ではなく、生徒の言語活動 の実態を考慮した言語教育のあり方を模索すべきであるという議論もあるが、現在の グローバル世界においては英語によるコミュニケーション能力は非常に重要な要素で あり、母語教育の議論の延長線上ではない、子どもの自己実現や実生活での必要度な どの視点から、英語やスワヒリ語の利点を捉え直すことが重要だろう。

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3

.〈マルチ・フィールドワーク〉の可能性と展望

第2節で提示したそれぞれの調査結果は、あらかじめ役割分担をして調査したもの ではなく、各調査者の独自の関心に基づいている。それぞれ独立性の高い研究である が、フィールドをケニアの小学校、特に生徒を主な対象にしていることからすれば、 十分な類似性と共通性のある研究である。そして、調査者間で研究関心や分析視角が 違うからこその学びがあった。ある面では、同一の学校を対象とし、役割分担をして チームで研究することは理想的であるが、各調査者の関心に基づく主体的な研究を行 うことが難しくなり、学生の個人研究には向きにくい。現実的な利点としては、初め てフィールドワークを行う学生にとっては、複数で学校を訪問する方が、受け入れる 学校にとっても安心感が増す。

複数の調査者が複数の調査地でそれぞれの興味関心に沿って調査を行うと、自分以 外の調査者の調査方法や物事の見方、考察の方法を知ることができ視野が広がる。い わゆる研究に必要となる複眼的思考が他の調査者の協力を得ながら可能になるわけで ある。特にこのことは、アフリカのような多様な社会が併存する地域において、さま ざまな考えをもちながら困難な状況で生活する子どもを対象とする探索的な研究に有 効である。関係の薄い事象だと思っていたことが、実は繋がっていたなどの驚きが多 く、そこからはより深い考察に結びつく知的な刺激が得られる。また、他の調査者の 異なった視点から意見を聞くことができるので、偏った視点からではなく、客観的に 自分の研究を見つめ直すことができる。

このような長所がある一方で、複数の調査者と共に行動すると、自分の調査にだけ 時間を割くことが難しい場面も出てくるなど、柔軟性に欠ける点がある。同じ学校で 調査するような場合、インタビュー相手が重複したり、同じ内容の質問を別々にした り、調査者および学校の双方に負担をかけることもある。もちろん、慣れた調査者で あれば、一人で行動する方が効率よくデータを収集できるのも事実である。

そもそも、フィールドを持たない学生が当初から単独で学校の協力を得て自分の調 査を行うことは容易でない。それからすると複数によるフィールドワークにも最低一 人のフィールドに慣れた調査者が必ず必要になる。そうでなければ、多忙な現地の教 員が外部の調査者に協力してくれることはない。それからすると〈マルチ・フィール ドワーク〉には現地の人々との人的ネットワークがそれまでに構築されていることが 前提になる。

謝辞

本研究にかかるケニアへの現地調査には、科学研究費補助金(基盤研究A、平成22

∼25年度、研究代表者:澤村信英)「東・南部アフリカ諸国におけるコミュニティの 変容と学校教育の役割に関する比較研究」の一部を活用した。

参考文献

ウォーラー、ウィラード(1957)『学校集団―その構造と指導の生態―』石山脩平・橋爪貞雄訳、

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明治図書.(原著:Waller, W. (1932) The Sociology of Teaching, John Wiley and Sons.) 内海成治・澤村信英・高橋真央・浅野円香(2006)「ケニアの『小さい学校』の意味―マサ

イランドにおける不完全学校の就学実態―」『国際教育協力論集』9巻2号、27-36頁. 澤村信英(2004)「ケニアにおける初等教育完全普及への取り組み―無償化政策の現状と問

題点―」『比較教育学研究』30号、129-147頁.

澤村信英(2006)「受験中心主義の学校教育―ケニアの初等教育の実態―」『国際教育協力論集』 9巻2号、97-111頁.

澤村信英編(2007)『ケニア教育開発合宿―共生的フィールドワークを求めて―』広島大学 教育開発国際協力研究センター.

澤村信英・伊元智恵子(2009)「ケニア農村部における小学校就学の実態と意味−生徒、教師、 保護者へのインタビューを通して−」『国際教育協力論集』12巻2号、119-128頁. 澤村信英・山本伸二・高橋真央・内海成治(2003)「ケニア初等学校生徒の進級構造―留年

と中途退学の実態―」『国際開発研究』12巻 2号、97-110頁.

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久冨善之(1996)「学校文化の構造と特質―「文化的な場」としての学校を考える―」尾輝之・ 久冨善之編『講座学校第6巻 学校文化という磁場』柏書房、7-41頁.

米田信子(2009)「言語を「選択する」ということ−アフリカにおける母語教育 と言語権に ついて考える−」『アフリカ文学研究会会報』39号、16-20頁.

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参照

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