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学術雑誌掲載論文等

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Academic year: 2018

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T itle

<レファレンス事例集>事例No.108: 20世紀初頭にオース

トラリアから日本に帰国した医師のその後の足跡が知り

たい

A uthor(s )

宮田, 怜

C itation

医学図書館 (2017), 64(4): 245-246

Is s ue D ate

2017-12

UR L

http://hdl.handle.net/2433/229130

R ig ht

©

2017 日本医学図書館協会;

許諾条件により本文は2018-03-21に公開.; 許諾条件により非表示の部分があります.

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(2)

Diction ary

医学図書館 2017;64(4):245-248. 事例NO.108

20世紀初頭にオーストラリアから日本に帰国し

た医師のその後の足跡が知りたい

・質問

海外の共同研究者の依頼により,20 世紀初頭に西 オーストラリア州ブルームの日本人病院で活躍したDr. Tadashi Suzukiについて調査している。現地に新聞記事 を元にした先行研究があり,Suzuki医師は1912年に赴 任,1914 年に日本へ帰国,帰国後は京都帝国大学医学 部教授になったことが分かっている。京都大学(以下, 本学)に Suzuki 医師に関する情報(略歴,漢字表記, 写真,生年月日,著作等)が残っていないかどうか調査 してほしい。

[学外者,Email受付,2016年5月]

・調査の経緯

最初に PubMed を「Broome Japanese」でハンドサー

チするなどして先行研究1)を特定した。先行研究はオー

プンアクセス誌掲載のため,その場でフルテキストを確 認でき質問者の事前情報の裏付けがとれた。

次に,事務資料「芝蘭会会員名簿」(芝蘭会は1906年 に発足した本学の医学部卒業生を主たる会員とする法 人)から,1908 年の卒業者に「鈴木正」の名前を確認 した。同姓同名の可能性は残るものの年代も一致するこ とから Suzuki 医師の漢字表記は「鈴木正」であると推 測の上,さらに調査を進めた。

続いて1997年刊行の『京都大学百年史』2)を調査した。

8 巻組で合計数千ページ規模という大部の資料である が,全文が章ごとに本学の機関リポジトリ「KURENAI」 で公開されているため,医学部関連の章のPDFファイ ル内を全文検索するなどの方法で効率よく調査すること ができた。調査の結果,「部局史編1」の第7章に鈴木正 教授が1925年12月小児科教授に就任,1931年3月病気 休職という記述を発見した。

ここまでの調査により,本学に教授として在籍時の 情報は把握できたものの,その他の情報は依然として 不明なままであった。そこで見方を変えて,前記の先

行研究1)162 ページに鈴木医師が医学雑誌を創刊した

( founding a medical journal, the Oriental Journal of Diseases of Children )という言及があった点に注目し

レファレンス事例集

この雑誌を調査することにした。

本学蔵書検索システムにて,タイトル欄に「oriental journal diseases」,言語コードに「日本語」を指定して 検索したところ,本学医学部の小児科学教室が編者であ る『乳児學雜誌』(欧文タイトル The Oriental Journal of Diseases of Infants )がヒットした。所蔵資料であっ たため,鈴木教授在籍時期前後の巻を一通り確認したと ころ,1933年発行の第13巻の編集雑記の中に,療養中 の鈴木教授が4月1日にご逝去されたとの記述を発見し

た。また,巻末に英文2頁の鈴木教授への追悼文3)の掲

載を確認した。ここまで得られた情報の他に,生年月日 (1883年4月22日)やブルームから帰国後本学教授就任 までの来歴(帰国直後に本学の講師に任命,1918年に学 位を取得,その後1919年から1925年まで満州に渡り大 連病院に勤務)も明らかになった。追悼文の前の紙葉に は研究室で撮影された白黒の写真が掲載されていた。

著作については,本学医学部小児科教室発行の『京都

帝国大学医学部小児科教室原著論文抄録集』4)や『乳児學

雜誌』から多数の鈴木教授による原著論文を確認した。

・回答

上記の内容を『乳児學雜誌』の記述を中心に生年から 没年までの来歴を整理してメールで回答した。回答まで に要した日数は2日であった。

・補足

古い年代の教員や講座に関する質問はしばしば寄せら れるが,資料の欠落等により詳細に回答できないことが 多い。しかし,このケースについては先行研究や所属講 座の刊行物に直接的な記述が残っていたなどの幸運に恵 まれ充実した回答を返すことができた。

まもなく1970年代に相次いで創設された地方大学の 医学部が50周年を迎えることもあり,これまで記念誌 編纂等の機会がなかった図書館であっても,機関や教員 の由来に関する相談を寄せられる可能性がある。

(3)

Diction ary

レファレンス事例集

246 医学図書館 2017;Vol.64 No.4

事例NO.109

機関リポジトリで公開できる学位論文は,出版

社版か著者版か:Elsevier社の場合

・質問

現在学位申請の手続きを行っており,学位申請論文は Elsevier社のジャーナル Osteoarthritis and Cartilage 1)

で受理済の原著論文である。Webサイトを調査したとこ ろ機関リポジトリに公開できるのは著者版しか認められ ていないようであった。しかし,ジャーナルの担当者か らはEmailで出版社版を機関リポジトリへ掲載してよいと いう内容の連絡があった。どちらの版を掲載できるのか。 [大学院生,口頭,2016年9月]

・調査の経緯

質問を受けた段階では掲載された雑誌の出版社名が 明確ではなかった。まず裏付けを取るため,質問者が 調 査 し た Web サ イト「SHERPA/RoMEO」2)を カウン

ター端末で確認した。結果,質問者が調査したとおり, Osteoarthritis and Cartilage は出版社版のアーカイブ は不可 author cannot archive publisher s version/PDF" という記載があった。ここでSHERPA/RoMEOのその他 のジャーナル情報を確認したところ,出版社がElsevier 社であることがわかった。

Elsevier社は,例外的に学位論文については出版社版 での機関リポジトリのアーカイブを認めていることに対 応者が思い至り,その旨を説明した京都大学図書館機 構 Web サイトの文書を案内した(Elsevier 社が 2015 年 れた場合にどのような調査手段があり得るか一度整理し ておくことは有益だと思われる。

・情報源

1 )Stride P, Louws A. The Japanese Hospital in Broome, 1910-1926. A harmony of contrasts. [internet]. J R Coll Physicians Edinb. 2015;45(2):156-64. https://doi.org/ 10.4997/JRCPE.2015.215 [accessed 2017-08-31] 2 )京都大学百年史編集委員会. 京都大学百年史. 京都:京

都大学後援会;1997-2001. [internet]. https://hdl.handle. net/2433/152877 [accessed 2017-08-31]

3 )Memoir of Tadashi Suzuki, M.D.. 乳児學雜誌. 1933; 13:(頁付けなし[巻末p.36とp.37の間の2枚の紙葉]). 4 )平井毓太郎(ほか). 京都帝国大学医学部小児科教室

原著論文抄録集:平井教授退職記念編輯. 京都:京都 帝国大学医学部小児科教室;1925.

(京都大学医学図書館 宮田  怜 medlib@mail2.adm.kyoto-u.ac.jp)

4月に英文で発表した機関リポジトリ掲載に関するポリ

シー3)に基づく学内者限定資料)。

また「SHERPA/RoMEO」ではエンバーゴについて幅 のある記載であったため,Elsevier社Webサイトで特定タ

イトルのエンバーゴを検索できるページ4)で調査したとこ

ろ,質問者の学位論文が受理された Osteoarthritis and Cartilage のエンバーゴは12 ヶ月ということであった。

・回答

上記の調査結果をもとに,出版社版がアーカイブ可能 であること,公表可能日は受理日から1年後であることを 回答した。なお学位規定により公表する版は学位審査対 象となった版と同一でなければならない点(学位審査に著 者版を提出した場合は,出版社版がアーカイブ可能であっ ても著者版をアーカイブしなければならない)も申し添え たが,この点について質問者は了解済みのようであった。

・補足

2013 年 4 月の学位規則改正により博士学位論文のイ ンターネット公表が義務化され,多くの大学では機関リ ポジトリにアーカイブすることでインターネット公表が 実施されている。

参照

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