手話と日本語のバイリンガル家庭
―聞こえない親と聞こえる子どもの事例から―
この発表では、ろうの両親と3人の聞こえる子ども(コーダ)がいる家庭を対象に 、 2009年 4 月~2010 年 5 月にかけて、参与観察や両親へのインタビュー、会話撮影の方法 で撮ったデータから、2歳11カ月の次女がろうの母親に手話で話しかけた際の「子どもの 手話」について報告した。次女は保育園に通っているために、1日の中で手話よりも日本語 にふれる時間が長いが、手話の読み取りの力はあり、手話を表出する力も、少しずつ出てき ているところである。
事例では、次女は、「牛乳」という手話を表そうとしたが、手の位置と動きは大人の手話と 同じものの、手の形が曖昧だったために、母親は、「お金?」「トイレ?」「お姉ちゃん?(お 姉ちゃんを表すサインネーム)」「牛乳?」とその表現から推察される手話を提示し、それに 対して次女は「違う」という手話と「ううん」の頷き、「うん」と頷く形で、自分の要望を伝え ていた。親は、子どもが間違った手話を表した時には、自らは正しい手話表現を意識して提 示することを心がけていた。それは、家庭の外で手話に接する機会の乏しいコーダが、手話 とホームサイン(その家族の中でしか伝わらないコミュニケーション方法)を混ぜて覚え てしまわないようにするための、親側の配慮だった。
手話言語学の文献によれば、手話言語と音声言語の組み合わせのバイリンガリズムの特 徴は、二つの言語を同時に産出することができるという点にあるという。手話言語は手や表 情などを使って視覚的に認識され、音声言語は声を使って聴覚的に認識されるため、二つの 言語のモダリティ(様式)が違い、二つの言語を同時に出すことが可能なのである。手話言 語のバイリンガリズムの研究では、これを「バイモダル・バイリンガリズム( Bimodal Bilingualism)」と呼び、音声言語のみのバイリンガリズム(ユニモダル・バイリンガリズ ム Unimodal Bilingualism)と区別している。
バイモダル・バイリンガル同士の会話では、話し手は、コード・スィッチと、コード・ブ レンドという選択肢を持つ。コード・スィッチ(code switch)とは、音声言語で話してい たのをやめて手話のみの発話になるような、一つの言語からもう一つの言語への切り替え を意味する。一方、コード・ブレンド(code blend)では、手話言語と音声言語を同時に発 する 。 Emmorey ら( 2008 ) の報 告で は、 バイ モダ ル・バ イリ ンガ ルの 言語 混交
(language mixing)の特徴として、コード・スィッチングよりコード・ブレンディング を好む傾向が明確に見られることを挙げている。
こうしたバイモダル・バイリンガルとされているのは、手話を使うろう者の家庭で育っ た聞こえる子どもたちである。「コーダ(CODA:Children of Deaf Adults)」と呼ばれる こうした子どもたちは、ろう者の家庭で育った子ども時代の経験とバイモダル・バイリン ガリズムに特徴づけられる文化アイデンティティを持つ。本発表が取り上げた子どもたち も、まさにそうしたバイモダル・バイリンガルであり、声だけの発話、手話のみの発話、声と
手話が同時に発せられる発話など、さまざまな形が見られる。
今後の研究では、コード・ブレンドとコード・スウィッチの使い分けに注目し、聞こえな い親と聞こえる子どもの会話の分析を行いたい。