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史 料

薬史学雑誌 48(2),166-168(2013)

4. 『宣和書譜』(徽宗朝 12 世紀)巻八 行書二

(浙江大学図書館蔵 internet archive 公開図書)7)所 蔵書として「借乳缽帖」

5. 『容齋四筆 雷公炮炙論』洪邁(宋 12 世紀)

(浙江大学図書館蔵 internet archive 公開図書)8)「症 塊者,以硵砂,硝石二味,於乳缽中研作粉」

6. 『乳餅詩』宋朱熹

(漢語大詞典「乳鉢」用例)3)「清朝薦疎盤,乳缽有 真味」(筆者 : 未調査)

7. 『西遊記』(明 16 世紀) 六十九回

(桂冠圖書股份有限公司版(台北)1988)9)「即將 八百八味每味三斤及藥碾,藥磨,藥羅,藥乳並乳缽,

乳槌之類都送至館中,一一交付收訖」

8. 『紅楼夢』(清 18 世紀)二十八回

(人民文学出版社(北京),1987)10)「我沒法儿,把 兩枝珠花儿現拆了給他.還要了一塊三尺上用大紅紗 去,乳缽乳了隔面子呢」

9. 『紅楼夢』(清 18 世紀)四十二回

(人民文学出版社(北京),1987)11)

「大小乳缽四個」

注:人民文学出版社版『紅楼夢』解説;乳鉢:「把 薬研細叫乳」

調査結果の概略を表 1 に示す.

 多くが「乳鉢で細かく砕く」という使用法を記載してい る.いずれも液体にするというニュアンスではない.ただ し『本草綱目』中「陸薫香」では修治の方法として「乳鉢

を温めると細かく出来る」と解釈できる表現があり,これ はエマルジョンかゲル(いわば乳状,液状)のようなニュ アンスにもとれる.しかし「乳」の語が「乳香」の省略形 であれば,単に細かくするという意味になる.ここではこ の省略形であると考える.

考   察

 今回の調査では,もっとも古い資料として 5 世紀の中国 医学書である『雷公炮炙論』に「乳鉢」の語を見ることが できた.他に複数の医学書,文芸関係書にこの語が見られ た.

 今回調査した資料からは「乳鉢」の具体的な色や形状は 不明であった.しかし『雷公炮炙論』,『本草綱目』にはそ の使用方法,使用目的が記載されている.そしてその多く が「細かい粉にする」ことを目的とした「臼」としての使 用方法である.

 これは西欧において使用されていた mortier, mortar が わが国に紹介された際の使用例,すなわち江戸ハルマ

(1796:寛政 8: 年)12),舎密開宗(1837:天保 8: 年)13)の内 容に一致する.1874(明治 7)年に,mortier, mortar の語 に「乳鉢」の語をあてた保田東潜は漢学者であった14).彼 は『小學化学書』翻訳の過程において,この語に新しい訳 語を創出せず,中国古典籍の中にある「乳鉢」の語を用い た.その理由として,欧州のそれが中国古典籍の中にある この語と同じ使用方法の器具であることを知ったためであ ると考えられる.

表 1 「乳鉢(乳缽)」の語が見られた中国古典籍

書名 成立年代 著者 「乳鉢(乳缽)」の語が登場する文章

『雷公炮炙論』序

劉宋(5 世紀) 雷敩

症塊者,以硵砂,硝石二味,於乳缽中研作粉

『雷公炮炙論』「芒硝」 方入乳缽,研如粉任用

『雷公炮炙論』「曾青」 入乳缽中研如粉用

『雷公炮炙論』「磁石」 入乳缽中研細如塵

『宣和書譜』 巻八 行書二 徽宗の宣和年間

(1119-1125) 不詳 有處世南行書 借乳缽一帖目

『乳餅詩』 宋(12 世紀) 朱熹(1130~1200) 清朝薦疎盤,乳缽有真味.

『容齋四筆.雷公炮炙論』 宋(12 世紀) 洪邁(1123~1202) 症塊者,以硵砂,硝石二味,於乳缽中研作粉(上記『雷公炮炙論』

序と同じ)

『本草綱目』薫陸香 1596 刊行 李時珍(1518~1593)以乳缽坐熱水中,在壁内奉乳缽

『本草綱目』桃 瘧疾寒熱︰桃仁一百枚去皮尖乳缽内成膏,不得犯生水,入黄丹三銭,

丸梧子大

『西遊記』第六九回 明(16 世紀) 不詳(呉承恩?) 醫官聽命,即將八百味,每味三斤……並乳缽,乳槌之類都送至館中

『紅樓夢』第二八回

清(18 世紀中庸)曹雪芹(異説あり)

我沒法兒,把兩枝珠花兒現拆了給他,還要了一塊三尺上用大紅紗去,

乳缽乳了隔面子呢

注:『紅楼夢』の人民文学出版社版の解説には「把薬研細叫乳」とある.

『紅樓夢』第四二回 再要頂細絹籮四個,粗絹籮四個,擔筆四支,大小乳缽四個,大粗碗

二十個

 以上のことから,「乳鉢」の語の語源について仮説を述 べる.

 「鉢」という語から,これはつき臼であり,半球状のくぼ みを持つ形状であると推察される.この器具の名称は固い 固形物を柔らかくする(粉末化する)ことに由来すると仮 定した場合,「乳」は液状(エマルジョンを含む)のもの(乳 汁等)ではありえない.「粉にする」(雷公炮炙論),「乳の ように細かくする」(紅楼夢解説)の用例から,「乳」の意 味を『漢語大詞典』における「乳」の意味のひとつの「柔嫩」

(やわらかい,みずみずしい)としてみる.固形物をやわら かくする(細かくする)道具に「乳」の文字があてられて いるのは,単に「柔らかくする・鉢」という意味の「乳・鉢」

というだけではない.現に「柔鉢」ではない.「乳房」とい う柔らかい半球状の物こそが,その形状,使用目的に適合 する代表例であることから命名されたと考えられる.これ は儒教に代表される男性中心の古代中国社会にあって,あ る種のユーモアを持った命名,あるいは房中術に代表され る長寿目的の意味をもたせたものであったとも考えられる.

特定の命名者が存在するか否かは不明である.

さ い ご に

 今回は,中国の古典籍のなかに登場する「乳鉢」の語を 検索し,その結果を報告した.またその結果から「乳鉢」の 語の語源について仮説を述べた.今回調査対象とした文献 以外にも乳鉢の語が登場する可能性は大きい.これは中国の 薬史学研究者との連携によって解決が可能な問題であると 考えられる.今後の国際的な学術研究交流が必要である.

引用文献

1)五位野政彦 : 『小學化学書』(明治 7 年)に見られる「乳鉢」

の語とその背景,薬史学雑誌,47, 90-93(2012).

2)大漢和辞典,大修館書店,東京(1968).

3)漢語大詞典,漢語大詞典出版社,上海(1993).

4)欽定四庫全書 子部 本草綱目,巻三十四,50 丁裏.

5)欽定四庫全書 子部 本草綱目,巻三十四,52 丁表.

6)欽定四庫全書 子部 本草綱目,巻二十九,21 丁表.

7)欽定四庫全書 子部 宣和書譜,巻八,7 丁表.

8)欽定四庫全書 子部 雷公炮炙論,巻三,10 丁裏.

9)西遊記 下,桂冠圖書股份有限公司版,台北,pp. 860(1988).

10)紅楼夢 上 : 人民文学出版社版,北京,p. 390(1987).

11)紅楼夢 中 : 人民文学出版社版,北京,p. 588(1987).

12)稲村三伯訳編大槻玄沢序,江戸ハルマ,第七冊(1796).

13)宇田川榕庵,舎密開宗,巻八,第二十図(1837).

14)三田商業研究会,慶応義塾出身名流列傳,實業之世界社,東京,

p. 833(1909).

Summary

 The word “nyu-bachi” (mortar) is seen in “Shogaku-Kagaku-sho,” a book of chemistry in 1874 but its etymon is unknown. The word “ru-bo” (nyu-bachi in Japanese) is seen in several ancient books in medicine, art and literature, from the 5th to 18th century. In these books, the usage of ru-bo is written as “crush the solids.” In 1874, the translator Tosen Hoda did not make a new Japanese word for mortar but used the ancient Chinese word “ru-bo (nyu-bachi).” This was because he found that the usage of European mortar is the same as that of the ancient Chinese ru-bo.

 The word “nyu” has several meanings. The etymon of the word “nyu-bachi” comes from the female breast

“nyu,” not liquid “nyu.” The reasons are as follows : 1) the usage of ru-bo (nyu-bachi) is for solids, not liquids, and 2) the word “bo (bachi)” means hemisphere bowl. It may stand for a kind of humor in ancient Chinese male society.

史 料

薬史学雑誌 48(2),169-174(2013)