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Professor Emeritus, Nara Women's University

15年戦争と日本の医学医療研究会会誌 第 1巻第 1号 46-49

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たが−折角皇威を輝かしたのに、あの兵の暴力に よって一挙にそれを落としてしまった、と。とこ ろがこのあとで皆が笑った。甚だしいのはある師 団長の如きは、『当たり前ですよ』とさえ言った」

( 178ページ)と。この松井の話が事実とすれば、

なるほど日清・日露戦争当時の日本軍に、このよ うな師団長はいなかったであろうとは、私も思う。

 しかし、若槻が陸軍参謀本部が『日露戦史』の 末尾に「文明の準縄(規則)を逸せず- -人道に遵 がい正義を押え- -」と記しているのをとりあげ、

これと比べると「外国人ならずとも、昭和の日本 軍は明治のそれとはまったく 違う国 の軍隊と いう気がしてきても不思議ではあるまい」(上、

143ページ)と、『日露戦史』の記述をもって、日 露戦争時の日本軍を賞揚しているが、これではな んの論証にもなっていない。

2.4  なぜか。参謀本部が公刊した『日露戦史』に は本当のことが書かれていからである。小著『歴 史の偽造をただす』(高文研、1997 年) で紹介し たように、参謀本部は日露戦史編纂にあたり、

1906年「日露戦史編纂綱領」を作っている。それ には、

六 編纂事業を分かちて二期とし、その第一 期は史稿の編纂にして、第二期は戦史の修訂 とす。史稿は戦史の草案なり。精確に事実の 真相を叙述し戦史の体裁を具備せしめ、史稿 完成の上は第二期作業に移り、その全部にわ たり分合増刪し、且つ機密事項を削除しもっ て本然の戦史を修訂し、これを公刊するもの とす。

とある。

2.5  それでは日露戦史で「機密事項」として削除 されたのはどんなことだったのか。「日露戦史編纂 綱領」に付随する一連の規定や注意に「日露戦史 史稿審査ニ関スル注意」がある。それは近代日本 における戦争の歴史が当の陸軍でどのように叙述 されてきたか、公刊戦史はどういうことがらにつ いて真相を語っていないかを知る上で、きわめて 貴重な記録である。(「日露戦史史稿審査ニ関スル 注意」の全文は拙著『歴史の偽造をただす』に掲 載したので参照されたい。同書、90〜94ページ)。

 この注意により公刊戦史に書いてはならないと された「十五カ条」はきわめて興味深いものであ る。とりわけ、

十一、国際法違反又は外交に影響すべき恐あ る記事は記述すべからず。理由 俘虜土人の 虐待、もしくは中立侵害と誤られ得べきもの、

又は当局者の否認せる馬賊使用に関するなど

の記事のごとき、往々物議をかもしやすくひ いて累を国交に及ぼし、あるいは我が軍の価 値を減少するの恐れあるが故なり

とあるのが注目される。前掲したように若槻が、

『日露戦史』末尾に「文明の準縄(規則)を逸せず--人道に遵がい正義を押え- -」と記しているから、

明治の日本軍と昭和のそれとは質的に違っていた のだと言っても、それでは論証にはならないこと は、右のような事実から明らかである。

3.歴史のできごとに 「突然変異」 はあるのか 3.1  日清戦争の勝利から「15年戦争」の敗戦ま でわずか50年である。この短い期間に「昭和」に なって、「突然変異」で日本の歴史が変わったと見 るのか、この短い期間を一つの時期として考え、

その中で「15年戦争」を考えるのか。私は長年の 研究の結果、後者の立場で「15年戦争」の時期を 考えるべきであると思っている。

3.2 「明治の栄光」を言い、「昭和の汚辱」をそれ に対比させる「突然変異」の見方は、私の見ると ころでは、日清・日露戦争の実態を正確に理解し た上での議論ではない。とりわけ大事なことは、

「15年戦争」の時期におけるアジア・太平洋上の諸 島嶼で行なわれた日本軍の残虐、また日本軍兵士 の厖大な消耗を考えるとき、日清・日露戦争以来 の日本軍の検討を抜きにしては、十全な理解に到 達することは難しい。

 3.3  日清・日露戦争は朝鮮・中国にとってどの ような戦争だったのか。日本軍はこれらの戦争で 朝鮮や中国に対して何をしたのか。日本では前記 の「日露戦史編纂綱領」にも見られるように、日 本軍の行為が正確に公表されていない。歴史的な 事実が国民の目から隠され、事実が忘却されてい るのである。その結果、今に至るまで日本人は歴 史的な事実に基づいて日清・日露戦争を見ること に大きな弱点をもっている。歴史の忘却は政府や 軍の当事者の政治的判断を誤らせ、それは日本人 の間にも瀰漫し、しかも「15年戦争」の敗北後も、

その歴史の歪曲についての根本的な省察が行なわ れなかったために、その誤りは今日までさまざま に引きずられているのである。

3.4  日清戦争で日本軍は朝鮮で何をしたのか。

(1)日清戦争は「朝鮮の独立」のために戦った「義 戦」だと当時から日本では言われて来た。しかし、

その日清戦争での日本軍の最初の武力行使が、朝 鮮王宮(景福宮)占領であったことを知っている 日本人はごく少数である。よりにもよって国王が 住まい政治の中枢であった王宮が、宣戦布告もし

ていない日本軍によって突如占領され、国王が事 実上「擒」にされて、日本軍の従属下におかれる ということは、当時の国際法でも正当化できない と私は考えている。日本の国際法学界では日清・

日露戦争では日本はよく国際法を遵守したという のが定説のようであるが、それならこの朝鮮王宮 占領は当時の国際法で、どのように正当化できる のか、ぜひ日本の国際法学者に聞きたいとろであ る。当時の国際法でも正当化できないことを、時 の日本政府・日本軍が知っていたからこそ、朝鮮 王宮占領の最初から事実を曲げて外交ルートで公 電を発し、公刊戦史には作り話のウソを書き、ま た今もって『日本外交文書』にも全く真相を伝え る史料を掲載できないでいるのではないか。(詳細 は前掲拙著『歴史の偽造をただす』参照)。

(2)事実を曲げることによって日本政府・日本 軍・日本人がことの真相を知らず、忘却しても当 の朝鮮人は決して忘れない。この王宮占領、さら に有無を言わせない徴発に対して、日清戦争中に 農民を主体とする朝鮮官民の激しい抗日闘争が起 こる。この抗日闘争は日本軍によって徹底的に弾 圧された。しかし、この事実も『日本外交文書』に は掲載されず、ようやく最近になって歴史研究者 によって解明され始めたばかりである。日本の交 戦国でもない朝鮮で、日本の侵略に反対して蜂起 した朝鮮農民の軍事弾圧は文字通り「皆殺し作戦」

であった。日本軍の間で飛び交った当時の電報の 文言に出てくる言葉、「殺戮・殲滅・剿絶・滅燼・

殄滅」、すべて皆殺しという意味である。この日本 軍による朝鮮農民の弾圧を研究している韓国の歴 史研究者、朴孟洙(韓国霊山円仏教大学助教授。現 在、北海道大学に留学中)によれば、朝鮮八道全 部で蜂起があり、日本軍によって殺された朝鮮農 民は少なく見積もっても「五万人」以上という。

(なお、千葉大学大学院社会文化研究科、姜孝叔

「日清戦争と第二次東学農民戦争−防衛研究所図書 館史料を中心に−」はこの問題を専門的に論じて いる)。

3.5  学問の世界もこうした朝鮮農民殺戮と無縁で はなかった

 ときの日本政府はこの朝鮮農民への日本軍によ る軍事弾圧が国際的な干渉を招きかねないことを 恐れた。とりわけ北方のロシアとの国境に抗日闘 争が拡大することを嫌い、朝鮮南東の全羅道方面 に追い詰め、珍島で殲滅した。そして多数の抗日 朝鮮人を処刑、梟首(さらし首)にしたのである。

 1995年7月、北海道大学文学部の管理下にあっ た同大学古河講堂から新聞紙にくるまれダンボー

ル箱に入れられたままの頭骨六体が発見されたが、

そのその一体の頭骨表面には「韓国東学党首魁ノ 首級ナリト云フ 佐藤政次郎氏ヨリ」と直接墨書 されていた。さらに「髑髏(明治三十九年九月二 十日珍島ニ於テ)」として「明治二十七年韓国東学 党蜂起スルアリ全羅南道珍島ハ彼レカ最モ猖獗ヲ 極メタル所ナリシカ之レカ平定ニ帰スルニ際シ其 数百名ヲ殺シ死屍道ニ横ハルニ至リ首魁者ハ之ヲ 梟ニセルカ右ハ其一ナリシカ該島視察ニ際シ採集 セルモノナリ 佐藤政次郎」との記載のある書付 も添付されいた。

 北海道大学文学部では鄭重に弔い韓国に返還す るとともに詳細な調査をおこない、『古河講堂「旧 標本庫」人骨問題報告書』(古河講堂「旧標本庫」

人骨問題調査委員会、1997 年)を発表した。

 この頭骨が北海道大学の前身である札幌農学校 に持ち込まれた経緯の具体的解明はできなかった ものの、この頭骨を珍島から持ち出し札幌農学校 に持ち込んだものが、同校の出身者である可能性 がきわめて高いと、報告書は書いている。

 このほか三体の頭骨には「オスタの杜風葬オ ロッコ」の張り紙があり、こうした頭骨が植民学 と表裏一体をなす形での民族差別的な「人種論」

の研究対象とされていたことを推定させる。

 朝鮮や中国をはじめとするアジア諸国に対する 日本の侵略を続け、それに反対する抗日民族運動 を敵視してやまなかった日本の政策が学術の世界 にもこういう形で浸透していたことに注意を払う 必要がある。「731部隊」をはじめとする「15年 戦争」の時期の日本軍の非人道的行為の歴史的な 背景は、このように「栄光の時代」といわれる「明 治」の日清・日露戦争の時期と深く関わっている のではないか。

3.6  補給を欠いた日本軍の伝統

 「15年戦争」の時期、日本軍が補給を欠いたため に、現地で掠奪をはたらき、各地で抗日の動きを 触発しただけでなく、厖大な日本軍兵士が飢餓に さいなまれて落命したことは今日ではよく知られ ている。しかしこの問題も、戦線がひろがったた めに起こったこととして片づけるわけにはいかな い。

 充分な補給体制を確立せず「現地調達」という 戦いのやり方は、いわば日清戦争以来の日本軍の 伝統でもあったことに注意を喚起したい。日清戦 争の際、朝鮮に出兵して間もない混成旅団から補 給の困難を訴えてきたことに対する参謀総長名に よる大本営の訓令(明治二十七年六月二十九日付)

がある。

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