I. ジュネーヴ学派 (1)バイイ
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172 ソシュールは1881年から 10年間,パりの「高等教育学院JEcole pratique des hautes etudesでコート語,古高地ドイツ語,ラテン語,リトア ニア語などを教えました.このとき彼はアントワヌ・メイエ AntoineMeillet (1866‑1936).シュトライトベルグ WilhelmStreitberg (1864‑1925),ガスト ン・パリスGastonParis (1839‑1903).ミシェル・ブレアルMichelJules Alfred Breal (1832‑1915).ダルメステテJeanDarmesteter (1849‑1894).ボドゥエン・デ・クルテネJanBaudouin de Courtenay (1845‑1929)などと親しく交 わり,彼の講義を聞いた人々の中には,グラモンMauriceGrammont (1866‑ 1946).パッシィ Paul‑EdouardPassy (1859‑1940).メイエの外,アルベー ル・セシエAlbertSechehaye (1870‑1946).シャルル・パイイ CharlesBally (1865・1947)など,後に有名な言語学者となる人々がいました[21
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p.l司 .
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173 前にも言いましたように (cf.八章).1913年にソシュールは56才 で亡くなりましたが.1907年から 1911年までに3回,ジュネーヴ大学で一 般言語学の講義を行いました.彼自身はこれをまとめて出版することはあり ませんでしたが,この3回の講義に出席した人々のノートを集め,それを取 捨選択してまとまりのある『一般言語学講義』という書物に纏めあげたのが,パイイとセシエでした.講義に出席した人々は延べ29人だ、ったと伝えられま すが,そのうち何らかのノートを残したのは11人だ、ったといわれます.
ただしここで言っておかなければならないのは,ソシュールの遺稿の取捨 選択を行ったのは,あくまでパイイとセシエという,二人の弟子でありまし たから,その選択の仕方も,まとめ方も,二人が理解した限りの,師の思想 でした.ですから時聞が経ち,言語学の研究が更に深まるにつれて,いろい ろな疑問が生れてきました.二人の解釈とソシュールの考えていたこととは,
違っていて,ソシュールは本当はもっと別のことを言おうとしていたのでは
ないかという問題です.これはやがてソシュールの学説の解釈の問題に発展 していきます.しかしこの問題については これ以上ここで述べることはし ません.
~174 ソシュールは,通時と共時の区別,ラングとパロールの区別など,
言語学の根本に関わる重要な概念を打ち立てましたが,彼自身は言語学の対 象となるのは体系を作っているラングであって,しかも歴史的な観方ではな く,言語が実際に働いている共時について研究することが大切であると説き ました.
少しおさらいをしておきますと,ラングというのは,簡単に言えば,ある言 語を話す集団に属する個々の人の頭の中にある,理念的なものを指し,パロー ルというのはそれを具体的な場面で人が使う具体的なものを指しています.
~175 たとえば「パパJという言葉が子どもの頭の中にあって,目の前に 父親がいる,というような場面を想像してみましょう.子どもが父親の注意 を惹こうとして「パパ」という音を立てるとします.このときそれは [papa] かもしれず, [phapa]かもしれず,あるいは [phapha]かもしれません.
娘さんならば男の子よりも高い音で発音するでしょう.また「パパjといっ たのに振り向いてくれない父親に [pa'pa:]というかもしれません.こういう 風に具体的に言葉を使うパロールは,人により,場面により,さまざまな形
を取ります.
こういうように,状況によって千差万別なパロールは,言語の対象として はあまりに「不安定」なものだと,ソシュールは考えたのかもしれません.彼 は『一般言語学講義』のなかで,パロールについては「パロールの言語学も 考えられる」としか述べてはいないのです1
~176 ソシュールを心から尊敬し,ソシュールの第一の弟子だ、とd思ってい たパイイは,恐らく師が展開しなかったパロールの学を研究したいと思った
1小林英夫は、ノシュールのラングを「言語J,パロールを「言Jと訳しています.ソシュール は『一般言語学講義』のなかで,rパロールの言語学」について,次のように述べています.rし だいによっては,これら二つの学科のそれぞれに,言語学の名前を据えおき,言の言語学といっ ていえないこともない.しかしこれと,言語をその独自の対象とする,ほんらいの言語学とを,
混同しではならないであろう J[65, p.34]
のではないでしょうか.だから彼は「文体論」の研究をしようと考えたのだ と思います.
「文は人なり」とはよく言われることですが,例えば日本語という「ラン グ」を使っていても,それによってできる文章は人によって異なります.夏目 激石には撤石らしい文章,森鴎外には鴎外らしい文章があり,読むとだいた い書いた作家がだれか見当がつきます.これは丁度「パパ」というラングが 人やばあいによって異なった風に実現されるのとよく似ています.したがっ て文体にはそれを書いた人の刻印が印されているといってよいでしょう.ま た同じ人の書く文章でも,手紙の文章,論文の文章,お話の文章など,ばあ いによって異なっています.そう考えてみれば,文体というのはパロールに 属するものだと言えましょう.
~177 パイイはソシュールの『一般言語学講義』を出版する
1 9 1 6
年に先 立つ 1909 年に『フランス語文体論概説~ (Tra i t e d e s t y l i s t i q u e f r a n c a i s e [ 1 ] )
という著書を著していました.しかしソシュールが一般言語学の講義をおこ なったのは1 9 0 7
年.1 9 0 7
・1 9 0 8
年.1 9 1 0 ‑ 1 9 1 1
年の3
回だけであり,パイイは 前にもいいましたように,同じくソシュールの弟子だ、ったアルベール・セシエ とソシュールの講義を聞いた人々のノートを集めて,それから『一般言語学講 義』という形にまとめて出版したのですから,バイイはすでにソシュールの講 義の内容を,かなり知っていたと思われます.パイイがどれだけソシュールに 傾倒していたかは,彼の書いたものを見れば一目瞭然です.r F .
ド・ソシュー ルと言語学研究の現状J[ 2 ] . r
ラングとパロールJ[ 3 ] . r
通時と共時J[ 5 ] . r
記号とは何かJ
[ 6 ] . r
記号の恋意性.価値と意義J[ 7 ] .
などの論文は,ソシユ←ルの『一般言語学講義』の中のトピックについてのものなのです.
~178 パイイの学説の集大成として有名なのは『一般言語学とフランス言 語学~
( L i n g u s i t i q u e g e n e r
a1e
etl i n g u i s t i q u e
企a n c a i s e )[ 4 ]
という書物です.この中でパイイはソシュールの学説を承けて,共時的体系の観点から言語を 研究する必要性を強調しています.
体系においては全てのものが相互に結びついている.言語体系についても,こ のことは,他の体系のばあいと同じように,正しい.ソシュールが明らかにした
この原理は我々に対しでもその意義を失ってはいない.
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この著書のただ一つの 目的は.このことを確認することであるJ~179 しかし,言語体系は,一見したように調和のとれた体系ではあり
ません.この点についてアルパートフ B刀a,n;H M H p M H x a品JIOBHq AJIIIaTOB
(1945‑)は,その著『言語学史~ [32, p.158]の中で,次のように述べています.
しかし言語を「対称性を持ち,調和のとれた構造物」であると考えるのは,正 しくない.ほとんど全ての言語は「いくつかの,部分的には互いに矛盾する傾向 によって引き裂かれている」のである.パイイは,著書の中でこれらの傾向を,
フランス語,および一部はドイツ語について,明らかにしようと努力した.その 上に「記号の形式とその意義,能記と所記のあいだ、の絶えざFる矛盾」が存在して いた.
このような言語の調和の欠如を,パイイはソシュールの『講義』の考えにし たがって説明している r言語というものは絶えず変化しているが,それは変化 しないことによってのみ機能することができる.言語の存在のどの瞬間をとって みても,それは一時的な平衡の産物である.したがってこの平衡は,相反し,対 抗するこつの力の平衡である.すなわち,一方では,言語の正常な使用とは相容 れない変化を抑制する,伝統の力であり,また他方ではこの言語を一定の方向に 衝き動かす,積極的な力である.•••.• 伝統の力はそれ自体言語体系に比例し ているJ特に.
r
伝統を厳格に護るフランス語は,思惟や生活の絶えず変化する 要求に応えるために,知らず知らず発展を余儀なくされているが,その発展の,ほとんど全ての時代の遺産を注意深く保存している.J
~180 ここでパイイが「言語というものは絶えず変化しているが,それは 変化しないことによってのみ機能することができる」といっているのは,後 に「言語学的二律背反J
a n t i n o m i e l i n g u i s t i q u e
と呼ばれて有名になった箇所 です.もしそうであるならば,絶えず変化している言語が,どうして同時に 機能することができるのかという問題が生れて来るからです.この矛盾の最 終的な理論的解決は,後のフラーグ学派の理論によってなされることになっ たと,私は考えていますが,ともかくもこういう矛盾が共時の優先という問 題に内包されているということを指摘した点は,パイイの功績だったと思われます.
~181 事実,パイイもこの矛盾が共時と通時を峻別するところに起因して
いるということには気がついていたと思われます.なぜならばパイイは次の ようにいっているからです.
それにも拘わらず,絶えず、言語を使用することが示しているのは,我々の思想 が言語財の要素を事実上絶えず同化し,連合させ,比較し,対立させるというこ とであり,これらの要素が互いにどれほど、異なっていたとしても,それらは記憶 の中で単に対比されているだけではなく,互いに引き合い,退け合って,決して 孤立しているわけではないということである.作用と反作用とのこのような絶え ざる連鎖が,最終的に常に一時的であり,常に可逆的ではあるが,現実的なある 種の統一を作り出すのである.
この考えに従うと,通時と共時は区別することができなくなり,またラン グとパロールの区別も危うくなります.なぜなら,言語財すなわちソシュー ルの意味でのラングを互いに同化させたり連合させたりするのはパロールの 営みでなければならないからです.
(2)セシエ
~182 アルベール・セシエは,パイイと共にソシュールの『一般言語学講
義』を編纂した人ですが,パイイほどには知られていません.しかし彼が書 いた「ソシュールの三つの言語学J(Les trois linguistiques saussuriennes)は 大きな反響を呼びました.師のソシュールを真っ向から批判したと見なされ たからです.しかし彼はソシュールの学説を否定しようとしていたわけでは なく,ソシュールの学説が未だ、細部に亘っては未完成だと考えていたと思わ れます.
彼はラングとパロールというソシュールの区別に対して「組織されたパロー ルjというものを立て,共時言語学と通時言語学の聞に,組織されたパロー ルの言語学をおくことを考えました.その根拠は,先にパイイの「言語学的 二律背反」について述べましたが,この根拠を理論的に克服しようと考えた からだと思われます.
~183 彼はこれについて次のように述べています.
人が何かを伝達しようとして話すとき,あるいは言われたことを理解しよう