1. フランツ・ポップ
~60 シュレーゲルがパリでサンスクリットを学んだことは既に述べまし たが,このときに彼の補佐役を務めた若いドイツ人がいました.これは後に ベルりン大学の教授になった,フランツ・ボッフ(FranzBopp 1791・1867)で した.彼は1816年にフランクフルト・アム・マインで『ギリシア語,ラテン 語,ベルシア語,ゲルマン語の変化と比較した,サンスクリットの動調変化
について~ (Uber d邸 Conjugationss戸temder Sanskritsprache im Verglei‑ chung mi古jenemder griechischen
,
lateinischen,
persischen und germani‑ schen Sprache,
nebst Episoden des Ramajan und Mahabharat in genauen metrischen Ubersetzungen aus dem Origina1texte und einigen Abschnitten aus den Veda也)という著書を公けにしました.これは動詞の語尾変化を取り 扱って,表題にある色々な言語の変化が起源を同じくしていると主張したも のでした.~61 この表題から判りますように,ボップにとってはサンスクリットが 研究の中心でした.すなわち,全てはサンスクリットとの比較において論じ られたのです.それはサンスクリットが最も古い言語であり,それだけ源に 近いと考えられていたからです.この禁明期の比較言語学者は,言語の歴史 を古い方へと遡っていくと,起源にたどり着くと素朴に考えていた節があり ます.確かに起源に到達するためにはなるべく古い形を知る必要があります が,そのためには個々の言語の音声の辿ってきた変化の歴史を知ることが必 要です.
しかしそれだけでは起源に到達することはできません.なぜならある程度 古い時代に遡ると,文献がなくなってしまうからです.この問題が解決でき なければ,比較言語学は学問にはならず,単なる推測の域を出ることができ
なくなります.
~62 碩学といわれるアントワヌ・メイエ(AntoineMeillet 1866‑1936)は ポップについて,次のようにいっています.
彼は殆ど専ら形態論に専念しておりーそれは実際言語の最も安定した要素で はあったが 形態論の中では変化語尾の研究に専念していた.しかし彼は音声 の発達とそれを支配する法則の研究を無視した.彼は形式の使用法についても文 の構造についても研究しなかった.
ボップの後に残されたのは,一つ一つの言語の発達を綿密に調べ,歴史音声 学,語形と文の使用に関する理論を作り,厳密な法則を立てることであり,また 特に彼が追い求めたところの,古代から引き継がれた(言語の)起源に関して彼 自身が提唱したもの以上の推断を,取り除くことであった[17,pp.459司460P.
この最後の部分は,科学的な手続きを経ずに,いわば推量によって言語の 起源を論じることを戒めたものでした.
2. ラスムス・ラスク
~63 一方これより 2年前に,デンマーク人のラスムス・ラスク (Rasmus Kristian Rask 1787・1832)がデンマークの学術協会 VidenskabernesSelskab の懸賞論文に応募して受賞した,比較言語学についての論文がありました.
『古ノルド語ないしはイスランド語の起源についての研究~ (Undersogelse om det gamle nordiske eller islandske Sprogs Oprindelse)がこれです.
彼は単語の一致というものは,たとえば外来語のように,後になって別の 言語から借用されることがしばしば見られるので,これが一致したからといっ て必ずしもそれらの言語が同じ起源を持つとは限らないこと,および文法上 の一致のばあいにはそういう借用の可能性が極めて少ないので,信頼性が高
1 Il s'est attache presque excJusivement a la morphologie ‑ qui est en effet l'element le plus stable de la langue ‑ et, dans la morphologie,邑l'analysede la flexion; mais il a negJig品l'etudede l'evolution phonetique et des r色glesqui y president; il n'a examine ni l'emploi des formes, ni la structure de la phrase. AprもsBopp, il restait a suivre de pres le developpement de chaque langue, a constituer la phonetique historique, la th品oriede l'emploi d巴sformes et de la phrase, a poser des r色glesrigoureuses, et surtout ι品Jiminer les speculations sur les origines, OU Bopp poursuit des idees anciennes plus qu'il n'est un initiateur.
いことを主張しました [67
,
pp.85‑86]・~64 更に彼は従来の学者が音韻の側面に余り注意を払っていないことに 対して,音韻変化の法則が多くの基本的な語に対応として見られるときには,
それらの言語が同じ起源を持つ可能性が高くなるともいっています.
この主張の正しさは今でも変つてはいません.これはボップの論文とは全 く独立に書かれたものでしたが,公刊されたのはポップより2年後れた1818 年でした.
先程述べたメイエは,ラスクについて次のように評しています.
ラスクはポップに較べてサンスクリットを導入しないという重大な欠陥を持つ てはいたが,彼は比較する言語の起源的な同一性を示したものの,初原的な形を 求めるというむなしい試みを行おうとはしなかった.彼は「イスランド語の全て の語尾がギリシア語とラテン語のうちに多少とも明瞭に認められる」ことを証明 することで満足した.この点で彼の書物は,ボッフのものよりもより厳密で現代 的である (op.cit・,p.460)2 .
3. ヤコブ・グリム
~65 ラスクは,音韻変化の規則性について,注目しなければならないと 主張しましたが,この考えを引き継いだのが,ヤコブ・グリム (JakobGrimm 1785‑1863)でした.ヤコブ・グリムには一つ違いの弟ヴィルヘルム(Wilhelm Grimm 1786‑1859)がいました.早くに父を亡くした兄弟は,法律で身を立て ようと考えて,マールブルグ大学で法律を学びました.兄弟は,当時有名な法 学者だ、ったドイツのサヴ、ィ一二教授(FriedrichKarl von Savigny 1779‑1861) の学説に深く影響を受けました.
~66 教授は18世紀の啓蒙時代が歴史的な観点を見失って法を単なる規則 2Rask a vis‑a‑vis de Bopp la grave inferiorite de ne pas faire intervenir le sanskritj mais i
l demontre l'identite originelle des langues qu'il rapproche, sans se laisser aller邑devaines tentatives d 'explication des formes primitivesj il est satisfait quand il a pu constater que
剖 haqueterminaison de la langue islandaise se retrouve plus ou moins clairement en grec et en latin>>, et,色cepoint de vue, son livre est plus rigoureux, plus moderne que ceux de Bopp.
と考えてきたとしてこれに反対し,法というものは優れた個人が考え出した ものではなく,民族の精神に深く根ざしたもので,民族と分ちがたく結びつ いたものであるとして,歴史法学を打ち樹てました.法律というものは,従っ て歴史的な観点から研究しなければならないというのでした.
グリム兄弟が,主としてドイツの民謡,伝説,物語などを蒐集したのは,こ のような民族精神と歴史という二つの観点が結びついたのだと考えれば,良 く理解できます.世界的に有名になった「グリム童話」はこの二人の業績で す.後に二人は共にゲ、ッテインゲン大学の教授になりました.
一方,兄のヤコブ・グりムは,民衆の中に宿る民族精神の探求という立場か ら言語の研究を行いました.1819 年に第 l 版が出た『ドイツ文法~ Deutsche Grammatikという大著がその成果でした.
~67 高津春繁はこれについて次のようにいっています.
かれはいわゆる文語としての言語に対して,方言の重要性を認め,ホメーロ スの叙事詩の誕生,中世パラッドの生成に働いたのと同じ力が言語の生成にもあ ずかつて力ありとし,方言中に保存されている要素の研究に努力した.かれはそ の文法の序文において,文法家の課題は「言語の休むことなき時間的空間的に変 化する要素を確認することJにありとし
r
一般的なる論理的概念に対して文法 家は敵である.それは外面的な厳密さと緊密さとを持っているが事実の観察を阻 害するJ.かくしてかれは古典的文法の最大の謬見たる規範文法の観念を破り,純粋に言語事実そのものの記述を求めると同時に,言語の変化という事実に目を むけて,個々に文法は言語のある層の記述であるか,あるいはその変遷の状態の 記述である他はないという,史的な観点を確立したのである[59,p.33]・
~68 要するに高津がここで言いたいのは,言語の研究は,どの使い方が 正しいというように使い方を指図する「論理的」な「規範文法」を作ることで はなく,実際に色々な人々が,色々なところで使われている言葉を調べ,その 歴史的な変化をはっきりと記述する事であるということです.そうすればそ の中で言語の変化の法則が見つけられるだろうと,グリムは考えました.そ して実際,彼はゲルマン語の音韻が変化する一つの法則を見つけだしました.
これは今でも「グリムの法則」と呼ばれているものです.
先に比較言語学のところで,比較を行おうとすれば,まずその前に,言語
の歴史を知らなければならないと言いましたが,グリムのこの態度はまさに その方向へ進む一歩だ、ったということができます.
4.
7
ウグス卜・シュライハー~69 19世紀の中頃, 1859年にチヤールス・ダーウィン (CharlesRobert Darwin 1809‑1882)の『種の起源』が発表されました.
またこのころには自然科学,特に生物学が,著しい発展を見せるようになっ てきました.人々は哲学的な思索よりも,具体的な事実に興味を示すように なりました.
ダーウィンの『種の起源』は,それまでの世界観を変える大事件でした.神 が自分の御姿に似せて作られたはずの人間が,こともあろうに猿から進化し たという考えは,地動説と同じくらいに衝撃的であったと思われます.ダー ウィンの思想が,当時のあらゆる学聞に対して深刻な影響を与えたことは,た やすく想像できます.
その結果,時代の精神は「歴史主義」に傾いていったと考えられるのです.
~70 ["時代の精神」というのがどうして起ってくるのかと考えてみます と,それは研究する人々が自分と同時代のあらゆることがらに,絶えず身を 曝しているからだと思われます.
人は霞の中で対象を眺め,研究するわけではありません.生活や経験,よ そから得た知識をもとに対象を研究し,ものを考えるのです.ですからその 考えには絶えずその時代のあらゆることがらが反映しているのです.だから こそ,よく似た考え方が独立して同じ頃に現れるということも,しばしば見 られるのです.
こういうことがあちこちで起ってくると,それが一つの大きな「時代の精 神」となって,更に人々の心に作用するようになるのだと思います.19世紀 の歴史主義という「時代の精神」もそういうものだったと思われます.
~71 もちろんそこにはある種の偶然もありましょう.たとえばこのころ に自然科学が発展し,生物学の研究が発展してきたこと,言語の比較という