ボドゥエン・デ・クルテネとポテフ ニャ
1. ボドゥエン・デ・クルテネ
~198 特に日本ではソシュールほどには知られていませんが,ヨーロッ パにおいて有名な言語学者に,ボドゥエン・デ・クルテネ JanBaudouin de Courtenay (1845‑1929)がいました.彼はポーランド人で1863年の反乱のあ と,ポーランド人は大学に進学できなかったので,ワルシャワの「大学校」
Szkola Glowna 1歴史・哲学部に入ることになりました .1870年に一家はラ イフ。ツィヒに移り住みましたが,ヤンは1867/68年度に給費留学生として,
チェコのプラハ, ドイツのイェナ及び、ベルリンに学び,やがてベオグラード,
クラカウ,コレージュ・ド・フランス Coll句ede Franceなどからの招きを 断って,ベテルブルグ大学の助教授になりました.
~199 彼の考えによれば,第ーにあらゆる言語的事実は,孤立した状態で
考察してはならないのであって,それが存在している固有の環境,空間及び 時間の中で考察しなければならない,というものでした.また第二に研究の 方法としては,ある言語を研究する際にはそれを直接に観察して得られる知 識に依拠しなければならないと,彼は主張しました.この第一の考え方から,
言語が社会的な存在であるという彼の考え,また第二の考え方から文宇と音 声並びに語の形態的側面と音声的側面とを厳格に区別せねばならないこと,
が導かれます.
~200 ここで「文字」というのは今のことばで言えば「音韻Jまたは「音 素Jphonemeということになり,また語の「形態論的側面」と「音声的側面」
というのは,
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形態素Jmorphemeと「形態Jmorphということになります.音韻と形態素はソシュールのいうラングに属するものですし,また音声phone
1当時ポーランドを支配していたロシア帝国は,ワルシャワに大学の設置を認めなかったので,
実質的に大学に当り,しかもポーランド語で教育する施設を「大学校」と称しました.
と音声的側面というのはパロールに属するものです.ボドゥエンはソシュー ルより早く「音韻Jという言葉を使ったとされていますが,今述べたことか ら,ボドゥエンはソシュールが述べた「ラング」に属するものと「パロールJ に属するものを厳密に区別する必要があることを,主張していたことが分り ます.
~201 更にまたこの区別が第二の主張,すなわち言語を研究する際に直接
に観察して得られる知識に基づかなければならないという主張は,明らかに パロールを優先させるべきであると彼が考えていたことを示すものだといっ てもよいと思います.これはすでにソシュール及びその直接の弟子たちの項 で見ましたように,ソシュールの『一般言語学講義』に見られる問題点をす でに先取りしたものだということができます.
~202 また彼はある時点に起るプロセスと長い間に言語に起るプロセスと を厳格に区別しなければならないともいっています.これはソシュールのい う「共時」と「通時」がボドゥエンにおいてもすでに区別されていたことを 示していますが,ここで注目すべきことは彼が「プロセス」と表現している ことです.これは彼が通時的変化が生じるのは偏にパロールにおいてである と考えていることを示すものだと思われるからです.さらにこの考えを推し 進めれば,パロールにも,通時的なものと共時的なものとを区別することが できるかもしれません.共時面において生じる無数のパロールのゆれのある ものが,通時面におけるゆれとして継承され,やがてラングにおける通時的 な変化へ導くと考えることもできるからです.このような考えは,ボドゥエ ンのこの理論の直接の継承であるかどうかは分りませんが,後にプラーグ学 派において理論化されることになりました.
~203 彼は, 1874年に南ロシアのカザン大学にはじめ助教授として着任し,
後に教授としてさまさ*まな講義を行いました.彼のもとで学んだ弟子たちの中 には,クルシェフスキー Milol吋Kruszewski(1851‑1887)の他に,例えばロ シア最初の実験音声学者の一人である,ボゴロヂツキー (Vasil討Alekseevich Bogoroditskij Bac:l1耳目話AJIeKCeeB:l1可Boropo広:l1IJ;K:l1H1857‑1941),大著『ロ
シア言語学史』を著したブーリッチ(SergejKonstantinovich Bulich Cepre益
KOHCTaHTHHoBI四 By耳 目 可 1859‑1921),ラドロフ (VasilijVasil'evich Radlov BaCH江日首 BaCHJIbeBHQPa且JIOB1837‑1918)などがいました.古代チュルク 語の碑文の文字は1893年トムセンによって解読されましたが,ラドロフはこ の文字で書かれたオルホンの碑文の翻訳を初めて試み,翌1894年にこれを出 版しました.
2. ポテブニャ
~204 ボドゥエンがこのように考えるようになったのは彼が言葉を心理的 な存在であると考え,また「自我」を心理的・社会的なものと捉えていたからだ と思われます.そしてこれはまたフンボルトに深い影響を受け,名著『ロシア 文法覚書より~ 1[33αnuco'K: no pyCC'K:OU zpa.M.Mamu'K:e全4巻(1,II ‑ 1874, II ‑ 1899, 1V ‑ 1941)を著した大学者ボテブニャ (AleksandrAfanasievich Potebnja AJIeKCaH瓦pAφaHaCbeBH可 IIOTe6H.H1835‑1891)の影響を受けた からだと考えられます.w言語学説史』を書いたコンドラーショフは,ポテブ ニャについて,
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ロシアの文法学においてポテブニャほど文法的な諸問題と言 語形式の諸問題,及び思惟と認識の形式をこれほど緊密にかつ深く結びつけ たものはいなしり [46,
p.89]といっています.~205 ポテブニャは,次のようにいいます.
語が人間と自然の関係を含む一貫した諸体系の形成に参与していることを示 すのが,言語史の基本的課題である.もし言語が既存の思想、を表す手段ではな く,思想を形成するものであり 言語はすでにできあがった世界観を反映するも のではなく,世界観を作り上げる働きであるという基本的な命題を受け入れるな らば,我々はこの参与の意義を正しく理解することができよう.自己の精神的な 運動を捉え,自己の外的な諸知覚を意味づけるためには,人はそれらの一つ一つ を語として客体化し,それを他の語と関係づけなければならない.自己の(内的 な ‑I.Y.)世界と外的な世界とを理解するためには,我々にこの世界がどう見 えるか,その個々の性質が,どのような比較によって理性にとって感覚できるよ うになったかというのは,全くどうでも良いことである.要するに,思想にとっ てはどうでも良いことでないのは,語の内的形式のもともとの性質と忘却の程度
である [48,p.141].
~206 ここでポテブニャは言語というものがすでにできあがったものを表 現するだけのものではなくて思惟そのもの,認識そのものを作り上げる活動 であると考えていました.言い換えれば,フンボルトのいうように言語はエ ルゴンではなくエネルゲイアだというのです.だからこそ言語というものは 常に変化し続けるものでなければならないということになります.そしてそ のようなエネルゲイアであるということは思惟を表しうるものでなければな りません.それは文でなければならないでしょう.ポテブニャはこのように して個々の意味単位ではなくして文が最も重要なものだと考えます.
~207 それでは上に引用した文章の中で述べられている「内的形式」とは
どういうものだ、ったのでしょうか.この「内的形式Jinnere Sprachformとい うのは,もともとフンボルトが言いだしたもので,その真意については色々 な解釈や批判があります.しかしポテフ、ニャが考えていたのは,形のない客 観世界の事象に語や文という形を与えることによってはじめてそれを人間が 客観化し,認識できるということだと思われます["言語は...思惟の形式 であるがそれは言語以外に見いだせないような形式である」と彼はいいます.
~208 彼は更に「言語の内容は言語外的な意義のシンボルから成るに過ぎ ず,言語外的な意義に対して形式なのである」とも,また「言語の形式性は,
言語の個別的な内容が思惟においてそれが表わされると同時に,それにした がって配置されるところの一般的な分類が言語の中に存在しているというこ
とである」ともいっています.
例えば言語の中に予め名詞,形容調というような分類があって,現実世界 に例えば赤い色をしたものが見え,それが「花Jという名詞に分類できるも のに伴われていると判断したときに, ["赤い花」という認識が,そのことばと 同時に意識に表れるというような働きがある,というようなばあいを指して いるということができるでしょう.もしその「赤い色Jが特殊な赤さである と意識されたときには,それは名詞という分類にしたがって,たとえば「朱」
と表現され,独立の存在として認識されることになるかもしれません.そう とすれば,言語は現実世界の事象が存在するための,いわば枠だとも言えま しょう.
~209 したがってポテブ、ニャにとって「ことば(i.e.パロール)や言語 (i.e. ラング)が,意味以外のものによって,すなわち他の語や他の形式以外のも のによって,その存在や機能が認められるような形式は,存在しない」とい うことになります.すなわちパロールであれラングであれ,そこに現れる言 語の形式は全体として他の形式の存在を予定していること,すなわち全ての 形式は体系をなしていることを,彼は主張していると考えられるのです.こ れもまたソシュールの理論に見られる体系という考えに彼がすでに到達して いたことを示すものだと考えられます.しかもポテブニャの考える体系はソ シュールの『一般言語学講義』に見られるように,ラングに限られたもので はないという点で,注目すべき考えだということができましょう.
~210 上で述べたように,言語がエルゴンではなくエネルゲイア,すなわ ち働きであるとすれば,それは毎回一回限りの事件でなければなりません.フ ンボルトはこのことを「言語は生成に即して定義されなければならない」と しました.それは必然的にパロールの中の事件でなければなりませんし,し たがって常に新しい言語の歴史を作ることでもあります.
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言語の現実的な生 は...ことば(i.e.パロール)の中で営まれる...ことばの中で語はその 度毎に思惟の一つの行為に対応するのであって,いくつもの行為に対応する のではない.すなわち発音され,あるいは理解されるたびに一つの意義しか 持たないのである」と彼はいいます.~211 このように,ポテブニャは強くかっ深くフンボルトの影響を受けた 学者だということができますが,決してフンボルトの学説を鵜呑みにしてい るのではなく,それを深い学識に基づいて解釈し,自分の説を展開した学者だ ということができます.しかし彼の著作は古今東西の言語資料を駆使し,大 変難解なものであることと,ロシア語で書かれたという条件もあって,スラ ヴ言語学以外の人にはほとんど知られていないのが実状です.しかしその希