(1)ひととなり
~121 19世紀には,言語の学をそれまでの哲学的な思索の対象から独立 した学にした比較言語学と並んで,現代に至る言語研究に巨大ともいえる影 響を与えた人物が現れました.ヴィルヘルム・フォン・フンボルト Wilhelm von Humboldt (1767‑1835)がその人です.彼はプロシアの政治家で,さま
ざまな大臣の職に就き,特に外交の面では,ナポレオンが敗北した後のヨー ロッパの運命を定めた有名なウィーン会議(1814‑1815)で,オーストリアの 全権大使メッテルニヒ KlemensMetternich‑Winneburg (1773‑1859)と渡り 合いました.メッテルニヒはプロシアとロシアに対抗する秘密条約をイギリ ス及びフランスと結んだ外交官です.
一方で彼は哲学,美学,文学,法律学などに関する著述を行う優れた文人 でもありました. ドイツのフンボルト大学の創設 (1809)もまた,彼の手にな るものでした.
~122 彼の弟のアレキサンダーAlexandervon Humboldt (1769‑1859)は 有名な探検家・地理学者で,ヨーロッパの国々はもとより,中央アメリカ,南 アメリカ,ウラル地方,シベリアなどの探検を行いました.彼の発見したも のの中で,彼の名が付けられたものに,フンボルトペンギン,今はベルー海 流と呼ばれている,フンボルト海流などがあります.
この弟のもたらした言語資料も大きいと考えられますが,ヴィルヘルムは 印欧語族に属する諸言語だけでなく,西はバスク語からインドの諸言語,マ ライ・ポリネシア語族に属する諸言語,アメりカの先住民の諸言語などに関 して該博な知識を持っていたといわれます.
~123 日本語についての著作は,イエスズ会会員のロドリゲシュ Joao Rodrigues (1561 頃ー 1634) の『日本文典~ (1604長崎, 1620 Macω)が最初
のものといわれています.また1738年にはメキシコで出版されたオヤングー レンという神父 P.
O y a n g u r e n d e S a n t a I n e s
,M o l c h o r
(1688・1747)1の『日 本の言語についての書~ (Arted e l a l e n g u a J a p o n a
, dividoe n q u a t r o
libros segune l a r t e d e
Nebrixa)があるとのことですが, 日本には余り知られてい ませんでした.フンボルトが弟のアレキサンダーからもらったのはこのオヤ ングーレンのものだ、ったといわれますが,実際にフンボルトが拠り所にした のは,そのフランス語訳だ、ったといわれています[ 1 9 ] .
フンボルトはこれに 拠って日本語についての論文も書いています (cf.[70, pp.601・665]).(2)フンボルトの言語研究
~124 ロシアのニコライ・アンドレーヴィチ・コンドラーショフ
H l l K O J I a
話 AH且peeBll可 KOH瓦paIIIOB は著書『言語学説史~ [46]において,フンボルト の言語研究について次のように述べています.フンボルトはさまざまな側面において教養のある人であり,トムセンの言葉に よれば「ドイツの最も偉大な人々の一人」であった.彼は言語学者であり,文学 者であり,哲学者であって,政治家であって,外交官であった.フンボルトの言 語学の知識は異常なほどに広範なものであった.彼は印欧諸言語の知識だけでな く,バスク語からマライ・ポリネシア諸語及びアメリカのインディアン(ママ)の 諸言語に及ぶ,世界のその他の諸言語の知識において際だつていた. .
彼はその諸労作によって理論的一般言語学の基礎を築いた. (観念論的な立場 からではあったが)言語学上極めて重要な一連の諸問題を提起し,解決し,言語 学のその後の発展に極めて深い影響を与えた[46,p.43].
(3)言語と社会
~125 こういう広い知識の上にフンボルトは言語についての論文を書きま した.言語についての論文は,それ以外の分野における論文よりも数におい て少なかったといわれますが,彼の名を高からしめたのは,まさにこの分野 の著作でした.特に晩年になって彼が執筆をはじめたものに『ジャワ島におけ るカヴィ語についてJIUber die Kawi‑Sprache
a u f d e r
InselJawa
があります が,これは結局未完に終りました.彼の死後,弟のアレキサンダーは兄の弟l生没年は国立国会図書館の記述に従った.例えば[70];を始めとして生年を 1668年とする ものも多い.
子であったヨハン・ブッシュマンに兄の遺稿の整理を依頼し,序説と思われる ものを付け加えて
1 8 3 6 ‑ 1 8 4 0
年に出版しました.この序説はアレキサンダー とブッシュマンが文中から言葉を選んで,仮に「人間の言語構造の種々性と その人間の精神的発達に及ぼす影響についてJUber die Verschiedenheit des menschlichen Sprachbaues und ihren Einflus auf die geistige Entwickelung des Menschengeschlechtsという表題を付したものです.この序文「人性言語の構造の種々性と人間の精神的発達におけるその影響 についてJは本文よりも有名になり,やがて独立して何度も刊行されるよう になりました.
~126 フンボルトの思想にはカント並びにヘーゲルの影響があるとしばし ば指摘され,難解な部分も多く含まれていますが,彼が何よりも優れている 点は,数多くのさまざまな構造を持った言語についての知識に立っていたた めに,ヨーロッパの諸言語に見られる諸現象を普遍的なものと見る先入観か ら相対的に独立した立場をとることができたというところにあると思われま す.["相対的にJといいましたのは,やはりフンボルトといえども,完全に先 入観から自由であったわけではありませんでした.たとえば彼は言語を孤立 語,腰着語,屈折語に分類し,ヨーロッパの多くの言語が属している屈折語 が最も完成したものであると考え,腰着語は屈折語になろうとして未だ成り きれないものであると考えていました.
この孤立語,腰着語,屈折語という分類は,
1 9 7 0
年代以降内容的類型学が 姿を現すまで,言語の類型としてしばしば用いられていた概念です.~127 しかし一方フンボルトは,言語というものがどのようなものである
かを,構造の違う,具体的なさまざまな言語の研究を通じて追求しようとし ました.言語の普遍的な本質と,現実の言語の多様性,並びに人間の精神活 動との関係を追求したといってもいいと思います.
そしてフンボルトは,人聞がその根底において生まれつき共通に持ってい る言語能力というようなものを想定し,これを「一つの言語Jeine Spracheと 名付けました.フンボルトに代表される言語研究の流れは,言語の研究の全 体に深い影響を与えました.これは比較言語学的な研究と並んで,
2 0
世紀の言語学を準備するものでした.
また言語というものを彼はその言語を話す民族の精神と堅く結びついたも のと考えていました.これは一歩間違うと国粋主義的なものになりかねない 危険性を持っていますが,その反面これは言語が人間の社会と結びついては じめて存在できるものだということを 述べているということができます.
~128 この点に関してフンボルトは次のようにいっています.
さて,言語というものは,〉;シ商ハ誌という深みの奥底から湧き出てくるもので あるが故に,その言語が個々の民族の固有の作品であり,創造物であるなどと見 倣すことは到底許されないところである.つまり,言語に首プ吉宮詰カ甚が備 わっていることは我々にとって歴然たる事実なのであって,ただ,そういう自己 活動性の本質が何であるかということが,説明し難いというだけのことである.
そこで,言語というものを,こういった側面から考察してみると,言語は,人間 の活動性の所産ではなくて,精神がやむにやまれずに自己を説
h
き吾是:bO)といナ チ オ ー ネ シ
うことになる.又,言語は,民族・国民の作ったものではなく,民族・国民の内 的な道謡に基づいて彼らに恵まれた天与の贈り物なのである.どの民族,どの 国民をとってみても,どのようにして自らがその言語を形成したのか,少しも知 らずに,言語を用いている.そういう事情があるにも拘わらず個々の言語は,民 族・種族の興隆と期を同じうして,そういう民族・種族において展開してきたこ とは間違いないし,それぞれの民族・種族の精神的独白性一こういう特性は同 時に,民族にとって多くの制限を課していることにもなるーの中から,個々の
干A• ~/可ウ号ーへ
言語が織り出されてきたことも,また事実である.そこで言語そのものは,自己 活動を行いながら己の内からのみ生起してくるものであって,神のように自由で あるが,しかし桜議詣は拘束を免れてはおらず,その帰属する諸民族に依 俺2しているといってよい.cf. [70, pp.23‑24].
更に彼はこうも言います.
言語の創造は人類の内的な必要によって条件付けられている.言語は人々のコ ミュニケーションという外的な手段であるだけではなく,人間の本性そのものの 中に根を持ち,人間の精神的な諸力を発展させ,世界観を作り上げるのに無くて はならないものである.人聞がこのことを達成できるのは,個人的な思惟を社会
2いい rたよる,よりかかるJ.
的な思惟と一致させたときだけなのである.
~129 言語が完全に無意識に生れ,発展するものであり,人為的に言語に 干渉することはできないのだということ,また言語というものは人間の精神 を作り,発達させるのであるが,それは社会とのつながりの中ではじめて可 能になるという,このフンボルトの考えは,やがて20世紀構造主義の祖とな るソシュールやその他の人々に受け継がれ,発展させられていきます.
(4)ヱルゴンとエネルゲイア
~130 フンボルトは言語というものが人聞の精神活動と不離一体のものと 考えていましたから,言語は「もの」ではなくて「働き」だと考えていまし た.彼はいいます.
言語というものは,その実際の本質に則して捉えてみると,実は,終始中断 することなく,あらゆる瞬間ごとに移ろい続けてゆくものである.文字に書き写 して移ろう言語を留めようとすることさえも,結局は,言語をミイラのような形 で保存するだけの不完全なやり方に他ならず,書かれたものをもう一度,生々と 口に出して我々の身近なものとすることが,どうしても必要となってくることに なる.言語そのものは,できあがった存笛(エルゴン)ではなくて,言テ誠二カ甚
(エネルゲイア)である.
それ故,言語の本当の定義は,坊主
] i
伐定義しかあり得ないことになる すなわち,言語とは,分節音声を思考の表現たり得るものとするための,永劫に 反復される精神の働きなのである.ところが,乙の定義をそのまま直接に受け取って厳密に考えると,これは言
シュプレッヘン
語とはいうものの,人が語るとき,その場限りで一回ごとに行われる発 語の 定義であるということになる.しかしこの定義を本来の本質的な意味において考
シュプレッヘン
えれば,このように,その都度語ることをいわば全体性としてまとめたものだけ
シュプラーへ
が,言 語であるということにもなり得る [70,p.73].
~131 言語は「もの」工ルゴンe:pyovではなくて「働きJエネルゲイア Ev:epye;[aである,というのはフンボルトの有名なことばです.しかし「それ 故,言語の本当の定義は,生成に即した定義しかあり得ないJというのはど
ういうことでしょうか.