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ドキュメント内 センターレポート 第14号 (ページ 65-68)

それからこれ

(OHP7 )

が,先ほどちょっと紹介した

WIDE

という慶応大学の村井先生が 中心になっておられる産学協同プロジェクトです.これは札幌・仙台・慶応の藤沢・京都・

大阪・奈良・広島・福岡といった所にネットワークがつながっていまして,これに九州地 区のネットワークがつながるわけですから長崎が分断されているというわけではなく,基 幹がつながっているというわけです.

世界につながるネットワーク

次は日本から外に出た時に,どうつながっているかというお話です.

直接私共からコネクトできる国

B i t n e t

でないとつながらない国,

E m a i l

しかつながら ない固とありますが,中国がその

E m a i l

しかつながらない国になっています.世界の主要 な固にはつながっているという事です.アフリカではエジプトと南アフリカと,チェニジ アといった所しかないというような事がご覧頂けるかと思います

(OHP8 ) .  

次にコンピューターがネットワークに世界でどれ位つながっているかという話です.

この下側が,つながっているコンピューターの数が

1 9 9 3

年の末で大体

2 2 0

万台まで達し ているという事を示しています.ですからそれに人の数が

l

台に

1 0

人位と考えると,

2 0 0 0  

万人位の人が直接コンピューターでつながっているという事になります.ネットワークの利 用が,つながっているコンピュータ}の数と比例して,どんどん増えているという例です.

それからこれは,九州大学から

MIT

まで電子メールを

3

つ送りまして,それがどの位の 時間で届くものかを

3

回計測した時のものです.

1

回目は

358ms

2

回目は

760ms

3

回目 が

4 4 0 m s . 760ms

というのはちょっと時間がかかっていますが,いずれにせよ

1

秒以内で

MIT

まで届いているという事であります.

その時の経路ですが,福岡から直接行けませんので東京にまず中継され,そこから西海

6 2  

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一 一

岸に行って,西海岸から大陸を横断して東海岸に行きます.またこの西海岸からアラスカ だとか,ハワイ大学に行き,あるいはメルボルンに行くとか,ニュージーランドに行くと か,そんな風になっているわけです.それから西海岸から東海岸に行って,そこからイギ

リスやヨーロッパに行っているという事で,要するに日本から見れば西回りが欠落してい るという事がおわかり頂けるかと思います.

4  コンビューターネットワークの支援・環境整備

さて最後に,コンピューターネットワークの支援・環境整備のお話です.九州大学でネッ トワークを作った時の状況をお話するつもりだったのですが,時間がないので簡単にご紹 介して次に移りたいと思います.

4 . 1  

これからの課題

先程お見せした第四層の絵なのですけれども,要するに第一層というのは,単なるハー ドウェア・コンピューターであって,第二層というのが今,長崎大学あるいは九州大学に できたネットワークで,何が出来るかというだけであります.第三層というのはそれをど う使うかということだったわけですが,一方この右側を見て頂きますと,それをきちんと 運営するためには様々な問題を解決しなければいけないという事です.

その中で特に利用性,操作性,教育,訓練,普及活動とありますが,特に人材が重要課 題だと思います.共同利用施設というものをどういう形で皆でサポートするか.制度面と いうのはセキュリテイなどが含まれると思います.制度面から言えば,それを使うための 制度が今まで何もなかったわけですから,制度を相当考えなければならないという事です.

63 

4 . 2  

九州大学におけるネットワーク構築にあたっての歴史と運営

そういう事も含めて九州大学でネットワーク構築にあたって色々と考えたことを,ここ で紹介しょうかと思ったのですが余り時間もありませんので,簡単にヒストリーだけ述べ てみようと思います.

昭和

57

年に筑紫地区というキャンパスが九州大学に出来ましたので,箱崎地区と筑紫地 区の聞で,例えばテレピ講義とか,テレビ会議とかが出来るシステムを作ろうじゃないか

という事で発足したのがそもそもの始まりです.

しかし昭和

62

年でしたか,東北大学と京都大学にネットワーク設置予算が付きまして,

それに合わせて九州大学でも全学的ネットワークの設置準備委員会を総長を委員長として 作りました.

概算要求をつづけておりましたが,

1 9 9 1

年(平成

3

年)には

1 9 9 2

年(平成

4

年)度の予 算は確実だと

6

月頃感じていたわけですが,キャンパス移転計画というのが発表されまし た.キャンパスを移転するような所にはぞんな予算は付けることは出来ないという事で,平 成

3

年の夏にはせっかく盛り上がっていたものが駄目になり,私共もがっかりしたわけで す.九州大学全体も,大学が移転するという中で,何か新しい物を作るという概算要求す るのはもっての他だというようなムードが覆い尽くしていたわけです.しかし私共として は,ネットワークが無くては,これから 10年先, 20年先という事ではなくて, 3年先, 5  年先の研究,教育面での立ち遅れは著しいものがありますから,とにかく縮小してでもい いから立て直しを図ろうという事で色々苦労いたしました.

実際にこれは文部省の国際学術国際局の学術情報課 これは図書館と同じ所管の課です けれども,そこの課長さんがわざわざ九州大学にみえて,九州大学の施設部長や主計課長 や私共と一緒に議論しました.九州大学のネットワークはいうなれば地域的な中心でもあ る.大型計算機センターという施設がありますので,全国的な視野に立った時にネットワー クが無いのは非常に困るということで,一方移転という問題もあって,文部省とも協議を して,何とか九州大学にネットワークをということで,次の年に規模をうんと縮小して復 活しました.

こういうことで,平成

5

年度の予算では,九州大学だけにとにかく予算がついたわけで す.ところがその後は神風というか,追い風というかあっという聞にほとんどの国立大学 にネットワーク予算がつく事になって,まあ随分苦労したものだなあというのが私の実感 です.

これがネットワークを作る話ですが,それはものの話でありまして,次に人とお金に関係 する話です.実は九州大学の大型計算機センターは全国共同利用施設でして,九州大学だ けをサービスエリアにしているわけではなくて,全国をサービスエリアにしています.一 方構内ネットワークというのは,九州大学内だけをサービスエリアにしていますから,大 型計算機センタ}がもっぱら学内のネットワークの面倒見るということは主旨に反するの ではないかというのが私の考えです.全国共同利用の他の大学の方に迷惑をかけないとい う事をきちんと表明する事が大事ではないかと思いまして,総合情報伝達システムという 機構を作って頂いて,その上で一番上の責任者に総長になって頂きました.

(OHP 9 )

そし てネットワーク運用センターというのを作り,大型計算機センターはその後押しをして,よ

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運営組織図

( OHP 9 ) 

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