L X線の検出信号
前章では,試作したTES型マイクロカロリーメータをTESホルダに取り付け,冷熱 浴であるTESホルダ温度を160 mKに保持したときのバイアス電流とTESに流れる電 流の関係を測定した。この測定結果から得られた電気抵抗Rとバイアス電流Iとの関係 を用いてTESの抵抗Rが常伝導抵抗RNの30%,40%,50%になるようにバイアス電流 を設定してそれぞれの条件でL X線信号検出実験を行った。
L X線信号波形
第3章の図3.9に示すようにTES型マイクロカロリーメータチップとSQUID増幅器 チップをTESホルダに取り付け,TESホルダの温度を160 mKに保持した状態で,X線 入射窓の外側に,強度3.7 MBqの241Am線源を取り付けた。図2.7で示すTES型マイク ロカロリーメータ信号読み出し回路にバイアス電流を通電し 241Am 線源から放射され るNp L X線検出信号を観測した。図 4.1にバイアス条件R=0.3RN,0.4RN,0.5RN,にお いて検出したエネルギー17.75 keVのNp Lβ1X線の信号をそれぞれ平均して作成した信 号波形を示す。これらの信号波形の立ち上がり時間と減衰時定数を求めた。立ち上がり 時間は信号が波高値の 10%のから 90%まで立ち上がるまでにかかる時間とし,減衰時 定数は信号の減衰部分 10%から 90%の間を指数関数でフィッティングし求めた。立ち 上がり時間と減衰時定数はそれぞれR=0.3RNの時7.2 μsと237 μs, R=0.4RNの時7.2 μs と239 μs,R=0.5RNの時7.4 μsと289 μs,となった。R=0.5RNの時のみ信号の減衰が遅く なっている。これは,このバイアス条件ではαが小さくなり電熱フィードバックの効果 が弱くなっているためである。
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信号対雑音比から導出されるエネルギー分解能
図4.1で示されるような時間空間で作成したL X線検出平均信号波形のフーリエ変換 形をM(f)とし,X線検出パルスを含まない雑音の周波数空間での平均をN(f)とする。図 4.2,図 4.3にそれぞれM(f)2とN(f)2を示す。M(f)とN(f)とを用いて周波数空間で信号対 雑音比を取り,それを全周波数に渡って積分することで, 次式のように到達可能なエ ネルギー分解能を見積もることが出来る。
max
0 2
2
) d (
) 2 (
355 . 2
f FWHM
f f N
f M E E
(4-1)
ここで,Eは平均信号波形の作成に使用したX線のエネルギーである。実際のエネルギ ー分解能は冷熱浴の温度揺らぎや波高値と入射エネルギーとの非線形性などの影響に より(4-1)式の計算値より劣化する。この方法を用いて各バイアス条件で17.75 keVのX 線に対するエネルギー分解能を見積もった所,R=0.3RNでΔE=37.7 eV,R=0.4RNで40.9 eV, R=0.5RNで55.7 eVという結果が得られた。最も分解能の良いR=0.3RNではTESが不安 定になり長時間測定が実施できなかったのでバイアス条件をR=0.4RNに決定した。
図 4.1 L X線信号平均波形
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L X線スペクトル作成
立ち上がり時間と減衰時定数による信号の選別
TES 型マイクロカロリーメータのエネルギー分解能が X 線の入射位置に大きく依存 することが Oshima らによって報告されている[44]。最適フィルタでは信号波形が相似
図 4.2 平均信号波形のフーリエ変換M(f)2
図 4.3 雑音のフーリエ変換N(f)2
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形であることを仮定しているが,X線の入射位置により熱の伝搬速度が異なるため異な った信号波形が観測される。このことを考慮するために,検出された信号パルスの立ち 上がり時間分布を調べ,図 4.4に示す結果が得られた。図 4.4に示す分布から立ち上が
り時間が6.8~10 μsの検出信号を解析の対象とした。一方,検出信号の減衰時定数は温
度計感度αと相関があり,エネルギーの高い光子を吸収した場合は,R–T曲線状でTES の感度が悪くなる領域までTESの電気抵抗値 Rが増加する。そこで,減衰時定数の分 布を調べ,図 4.5に示す結果が得られた。図 4.5の分布から減衰時定数が180~320 μs の検出信号を解析の対象とした。計測実験において記録された18522個の検出信号に対 して,上記の立ち上がり時間と減衰時定数に制限をかけることで,解析対象となる検出 信号は16149個に減少した。
図 4.4 立ち上がり時間の分布
71 L X線エネルギースペクトル
検出信号の波高値からヒストグラムを作成し L X 線エネルギースペクトルに変換し た。図 4.6にエネルギー校正曲線を示す。エネルギー校正にはエネルギーと波高値の非 線形性を再現できるようにスプライン曲線を使用した。L X線エネルギースペクトルを 図 4.7に示す。このスペクトルのエネルギー分解能は17.75 keVのLβ1X線のピークで半 値幅158 eVだった。
図 4.5 減衰時定数の分布
図 4.6 エネルギー校正曲線
72 エネルギー領域別の最適フィルタ
本研究では,2.4.4 節で述べた最適フィルタ法を使用して検出信号のパルス波高分布 を計算した。2.4.6 節で述べたように,本研究の測定対象である超ウラン元素から放射 されるL X線はエネルギー範囲が広いため,全てのエネルギー領域にわたりTES型マ イクロカロリーメータの応答が一定とならない。このことは,検出信号波形がエネルギ ー領域ごとに多少異なった形状となることを意味し,全エネルギーにわたって共通の最 適フィルタを使用すると,良いエネルギー分解能が得られない。そのため,本研究では エネルギー領域ごとに平均信号波形と最適フィルタを作成し適用した。図 4.8 に式
(2-163)で表される最適フィルタテンプレートを図 4.9 に最適フィルタを使用して得ら
れたスペクトルを示す。テンプレートは最も検出事象数の多いLβ1X 線の平均信号を使 用して作成した。このスペクトルのエネルギー分解能は17.75 keVのLβ1X線のピークで 半値幅102 eVだった。
図 4.7 L X線エネルギースペクトル
73 温度揺らぎに対する補正
測定時にTES型マイクロカロリーメータの動作温度に±20 μKの揺らぎが観測された。
動作温度に揺らぎが存在すると,感度αが揺らぐために,同じエネルギーの X 線を検 出しても検出信号パルスの波高値に変動が発生する。この変動を考慮するために,検出 信号パルスのベースラインと波高値の関係を調べた。TESにはバイアス電流を通電して
図 4.8 最適フィルタテンプレート
図 4.9 最適フィルタ後のL X線エネルギースペクトル
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いるため,SQUIDアンプの出力のベースラインは,その温度のTESの抵抗値に依存し た電圧値が出力される。図 4.10 にベースラインレベルと検出信号パルス波高値との関 係を示す。図 4.10 から,検出信号パルス波高値とベースラインレベル値の間に,エネ ルギーごとに異なる傾きを持った線形な関係を仮定した。一例としてLβ1X線において 各プロットを最小二乗法でフィッティングして得られた式を示す。縦軸を y,横軸を x とすると
となった。計測で得られたパルス波高分布中の個々のピークについて,このような関係 を考慮した補正を加えた。上記のような補正を行い得られたL X線エネルギースペクト ルを図 4.11 に示す。第 1 章の半導体検出器による測定結果と比較して多くのピークを 弁別できている。このスペクトルのエネルギー分解能は17.75 keVのLβ1X線のピークで 半値幅47.6 eVだった。
00 . 5 04 . 5
y x (4-2)
図 4.10ベースラインと波高値の関係
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スペクトル解析
フォークト分布
X線の線スペクトルは,自然幅のローレンツ分布で表される固有の分布を持つ。また,
TES 型マイクロカロリーメータのノイズは素子のフォノン数の統計的な揺らぎによっ て支配されている。このため,検出器の応答がガウス分布に従うと仮定する。通常のエ ネルギー分散型スペクトル計測では検出器のエネルギー分解能が低いために,検出器の ガウス分布による広がりが支配的となり,自然幅はスペクトルの形状に影響を与えない。
しかしながら,超ウラン元素のL X線ではこの自然幅は10~30 eV程度であるため,本 研究の目的である半値幅50 eV程度の高エネルギー分解能のスペクトル計測では,X線 の自然幅の影響を無視することはできない。したがって,計測で得られたスペクトルの 形状を解析するためにはローレンツ分布とガウス分布の畳み込みで表されるフォーク ト分布を用いる必要がある。フォークト分布V(x;σ,Γ)はローレンツ分布L(x;Γ)とガウス
分布G(x;σ)を用いて次のように表される。
本研究では,(4-4)式で与えられるフォークト分布を用いてエネルギー分解能を計算し た。L X線スペクトルのフォークト分布によるフィッティングを以下に示す。Np L X線
) A G(x'; )L(x-x'; )dx' ,
V(x;
(4-3)図 4.11 241Am 線源から放射されるL X線エネルギースペクトル
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のエネルギーは[45],自然幅 Γは[46]より引用した。黒丸が測定点,赤線がフィッティ ングライン,破線は X 線のローレンツ分布を表している。フィッティングにより得ら れたエネルギー分解能を自然幅と共に表4.1にまとめる。TES型マイクロカロリーメー タを使用して,241Am線源から放射されるNp Lα1-,Lβ1-及びLγ1-X線をそれぞれ,半値 幅62.5 eV,47.6 eV及び42.5 eVのエネルギー分解能で計測することができた。Lα1X線 においてエネルギー分解能の劣化が確認された。Lα1X 線ピークは形状が非対称で高エ ネルギー側に裾が広がっている。この領域にさらにピークがあると仮定し解析を行うと,
ピークエネルギーが 13.98 keV にの時にフィッティングと実験値の差は最小となった。
この時,エネルギー分解能は半値幅49.6 eVと他のエネルギー領域と比較して妥当な値 が得られた。このピークの由来は分かっていないが,このエネルギーに一致する特性X 線は確認できないので,いずれかのγ線,L X線のエスケープピークであると考えられ る。これ以降もこのピークの存在を仮定して解析を行った。
図 4.12 LαX線領域のフィッティング結果