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港南高潮位 (47年度 ) AnfⅦ 叔低低潮位 ( 〝 ) ‑ 5 5m
西郷の昭和47年 度の商潮位及び低潮位について潮位頻度 を固化す る と図4の よ うにま とめ られた。
・図 4 西郷におけ る高潮位 ・低 潮位 の頻度
(1) トリ〆海岸付近の波蝕 棚 (写苦い )
トリゲ海岸付近にお ける波蝕 糊の断面 は,図 5の(1)に‑示すO
この波蝕棚 を構成す る地質 は安山岩T1‑角疎林灰岩であ り,波蝕棚上には 陳及び砂はほ とん どみ られなか へたO この波蝕 棚の特 徴を列挙する と次の ようにな るo
q)
前半分がi掛こ向 って綬 く憤斜 (約 dL')す ろが,全休 と してはほ とん ど水 平であ る。② 高 さは平均海面 よ り約1.5mであるo この花さ は平均高潮位 よ り高 く,従 って平常 は, 高潮時で も海水 をかぶるこ とはない と思われ る。
⑤ ジ。イ ソ ト(走向
N80 C E
)が数 多 くみ られる..G
) Seaward rampart
はみ られ ない。6) 面上はほぼ平滑で あるが,前半分には ポ サ トホールがみ られるO ポ・)トホールに関す る 観察は衷 1で示す。
‑ 115‑
I
蓑 1. ポ ッ トホールの観察
海蝕 演 目 短 径 長 径 深 さ ジ甘イソト 凍 そ の 他 特 徴 崖茶部よりの距離的
( C 7 * ) ( C 7 W ) ( C 7 * )
との関係8.5.‑ 9.0 45 50 55 蘇 有 ポー フ ラ生 息
15.0 85 170 70 有 無 横 長
17.0 90 500 85 I 有 有
波蝕 棚 の全長 2 5m
④ 波蝕 棚上には棟はほ とん どみ られない。 ただ し, ポ サ トホールの政には,数 多 くの水 磨 され た棟 がみ られ る。
⑦ 波蝕 棚の前 半部に "た ま きび "がみ られ るO
ポー フラが波蝕 棚中央部 .iiサ ト.+.‑ルに生息 してい るが, これは,波蝕 軸面 が最高高 潮 位 よ り高 く位駁 してい るため,常 時には汝の 影帝 を受けてい ないか らであ る。
(2) H)ゲ海岸東方の波蝕 棚 (写英 7 )
トリゲ海岸 東方の波蝕棚 (図 2参照⑤ )の断面 は図5の(2)に示す。
この波蝕 糊 を構 成 してい る地矧 ま角棟 搬灰岩であ るO 前半分 が波蝕 棚基部方 向に 緩 く便斜 し, 中央 部か らはほぼ水平 であ るが ,所 々に突 出部がみ られ,全体 として少 し逆 傾斜 してい るO 海岸 の突 出 した場所に 発達 してお り,波蝕 棚面は不 規則な突起 が数 多 くみ られる。
以下, この波蝕棚 の特 徴 を列記 してみ るO
① この 波蝕 棚 を構成す る地質は角裸溌灰岩 であ り,(1)で述べ た波蝕 棚 と同質 の もの と思わ れ る。
② 高 さは波蝕 欄愚前面が約1.5rTTで,海蝕 崖基 部方 向に進むに つれて低 くな り,中央部で は平均 海面下0.5TrLにな っているO全体 と して海に 近い部分 は高 く, 内側の部か ま低 くな ってい る。
‑ 11占‑
IJ
⑤ 波蝕湖面は不規則な突起 が数 多 くみ られ,平滑である とはい えない。
@ ジ ■イソ トが東西方向,而北方 向の2唖類 み られ る(.
⑤
rampart
はみ られ ないD④ 波蝕溝が波蝕棚の基部 と側方にみ られ, これは 断層方向 と一 致 して発達 している。
⑦ ポサ トホールはみ られか 、が,藻な どの生息するpoolは存在す る。
⑧ 波蝕湖面に砂棟はみあた らない。
⑨ ノ ッチはみ られないが,波蝕棚基部に海畠が存在す る。
⑲
波蝕棚は,海に 向 19て急崖 をな して約5,5m落 ち込んでいる。 これは断層に よる もの と 思われ る。(5) 浄土 ケ輔海岸の波蝕 棚 (写其 5 ) √
浄土 ケ滞海岸の波蝕棚の断面は 図5の(5)に示す,J
この波蝕棚 を構成す る地熱は硬岩,砂岩, シル トの 互掛 こよ りな る唯 秩岩であ るO 前述の 波蝕 棚 と異な り,頼斜 した地層 を持つ中央部の丘の東西に形状の異なる波蝕棚がみ られ るが, 地 矧 ま似かよ ‑Jたものであ り,地層が 東に怖斜(2135)しているため,波蝕に連 いが生 じ対
照的な波蝕棚が形成 されてい るO 以下両波蝕棚の特徴 を列 挙 してみ る。
L.lj q) 両波蝕棚 ともはば水平であ るが・ 東側の波蝕伽 拙 校 的平滑であるのに比 し,西側の波 蝕 棚は洗濯 板状の起伏 を室す る。
② 高 さは,西側の波蝕棚は平均海 面か ら 1.ロー 1.5mであ り,平均 点潮位 よ りも高いので, 平常は水 をかぶ るこ とはない と思われ るが, 東側の渉蝕軌ま0.5‑ 0.7mであ り, 高潮時 に は波の影帝 を受け る。
⑤ 地掛 こつ いては.東側の渡微糊は蝶層の旧理両 が施蝕欄両 と主体 とな ってい る と思われ るが,西側の波蝕 棚は磯 ,砂, シル トの 互樹が詐碑板状起伏の波蝕 棚面 となる()
④ 両波蝕 棚 とも波蝕棚面に確 はほ とん ど認め られ ない〔
⑤
Seaward rampart
はみ られないC⑥ 西側の波蝕棚は掛 こ向 って急患 (ほぼ 垂範,高さ約4,4m)をな して落ち込んでい るO なお両波蝕棚の間に存在す る小丘の鯨蝕岸で観察 され る地 質構成 を図5に示 した。
一一117‑
圃 5 地 野 椛 成
吐 二 二 二一葦 ,> :' (単位cm)
四 横 田 屑
m 瞭岩 と梶岩 の互偶
因 楓 砂 岩
t l 旺 ヨ 泥 贋 周 一 118‑
†一LC1
(4)ま と め
トリゲ海岸付近の波蝕 榊 (図2の@ )と トt)ゲ海岸東 方の波蝕 棚 (図 2の6))は地 J151構成 において塀似す るが,被 蝕 榔面 の高度,断面 形のパ ター ソお よび債斜の煩 向においては 異な るo 場所的に も近接 した 所に存在す るが,彼敵椀の形成 過掛 こは何 らかの差 興があ った もの と思われ るO また,浄土 ケ浦海岸の 波租棚 (凹 ∠の① )につ いて は,前述 の両波蝕 相 とは地 質構 成が異な るため形 状 の
典
な る地 形 をた してい るが,波蝕御所の 高度 な どにつ いて は類 似 点がある05つの波蝕 棚のiL=通点 を列挙 してみ る と,つぎ の よ うに ま とめ られ るO
① どの淑蝕 棚 も披細 物耐 ま平均砧‡脚t,lJ‑.rJ痛い。.
②
波蝕 秘が掛 こ向 っていづ tLも急鮭 をな して指 ち込んでい る。⑤ 波蝕棚面に砂棟 はほ とん どみ られ ない′̲.
④ Seaward rampart は存在 しない。
⑤ ジ可イ ソ トが数 多 くみ られ るo (.61 波蝕棚基 部に海促が存 在す る.
波蝕 棚が どの 高 さで形 成 されたか につ いては, 今 までの観察か らはWr定 しかたいO しか し, どの波蝕 樹 も平均高潮位よ り,か な り高い位軌に波蝕 仰両が存在す るこ とか ら,いづ れに し て も,波蝕糊形成後 ,軸水準の低 下 も しくは土地の隆起 があ った と考 え られ る。
(林 洋子 ・FL'Ii田管見 )
119‑
Ⅱ
布 施 村 の 人 口 動 態 一 1. は じめに近 年都 市部においては人口の過密
,
農 山村 に卦いては過疎 の現象が大 きを社 会間借 となってい る。 昭和4 0年 と4 5年の国勢調査に よる と,そ の5年間で2 7都 道府県の人 口が増 加 してか b, 甜菜,東 海, 近親, 山 陽に集 中 している.一方 ,東北, 山陰 四国,九 州 を中心 とした20県で 人 口の減少 がみ られ る。中で も島林県紘増 加率が鹿 児島腺の ‑i,7カについ て‑ 5.8年で全 国第2位の人 口淑少 を示 し てい る。市部 では‑1.2施で あるが,郡 部では‑10.7弟に もな り郡部 におけ る人 口渋少が深 刻 な間質 と凍ってい るC
との ような状況の中で, 島叔 県の しか も稚 魚 とレーう特殊 を条件 下にある布施村の場合 どの よら な問題 が生 じてい るか述べ てみ たレ一.
2.村 の現況 と人 口
騒肢[,lb後の北 東 に位匿する布施村吐.村 で産す る木材 を島 外に 自船 で漣搬す る 目的 で興った海 巡業 に よって栄 え,特 に江戸時代後半 には宵廻 り航路の商船 として括 挿 し,村民の生活 も豊か で あっ た とい う。昭和初細に は水 田約2 5
0
haを他町村に所有 し, 離島 にあ りなが ら村 民は平均1 haの水田を もっていた とLJ,う。現 在で も村 の主賓 を財源は林産物で, 1.1 0
D
haの村有林 を もち, 昭和45年度 の村の歳入の 45,5車を占めてい る。 このため村民の負担は少 75:く,一 切の寄附行為 は な く. 1人 当 りの税負 怨敵 は村民税9 5 5円, その他 rJ税を加えた総衛 でも5,i 7 8円 と非常 に安い。医 席 穀の 8割 5 分 は村 が負超 し, 7 0才以上 の老^ には 月額 1.500円, 8 0才以上 で比 2.00□円が給 付 きれる など福祉の面 にも堺 元 され,村の丑か さを表 わ してい る。
国勢調査に よる と昭和45年10月現在で村の人 口は74 1人 (男547,女5 94), 戸数 2 4占戸 である0 5年 前の4 0年 では人 口8 24人 (男5 9 8,女4 2 6),戸数2 占 2戸T.
この間 に人 口は85人の減少が み られ,増加率 は‑10,1東である。 これ は島根腺平均の‑ 5.8 串をはるかに上回 るものであるが,郡部平均値 よ りわず かで あるが 低 く, さらに同 じ曙肢郡内 の 他の市町村 と比戟す る と巌 も低 い数値になってい るO
‑120‑
世帯数 お よび人 口の推移
午 世 帯 数 稔 数 男 年間増加率 人 口密
蛮/ lk ‑ 「
S 40
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2 8224 6 824 tl 5 98 ‑ 5,2 44.24 1 79 7 1 5 9 1 ‑ 5.5 42
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742 779 ー 5 78 ‑ 2.5 Jll.8
45 7 41 S 40‑ 45のIi̲'J'加‑8.5人 ‑1CI.1〆 5, 年令
別
人 口耕成 と動態この ように減少 を続 けてい る村の人口であ るが,その内容は どの ような ものであろ うか。
昭和5 0年か ら4 5年 までの年令階 儲別人 口の肝苛 をみ ると, 15‑ 19才では5 8人 か ら 19人へ 20‑ 24才 では47人 か ら,1̲8人へ, 2 5‑ 29才 では59人 か ら5 4人へ とそれ ぞれ奴少 している。 また児童生徒数の推移は,昭,ftjSU年には児童1占5^,生徒88人計251 人 であった ものが, 4 4年 では児垂
de
人,生徒47人計115人 と半数以上 の放少 を示 してV, る。 これか らわかる ように,他の過疎地域同様ここで も若年層の苦 しい流出 と出生数q)滅少 にともな う自然増加峯の低下がめだってい る。
役場の話 しで払 ここ 1 0年FEIrけこ当初か らこの和 に残 った若者は わずか5人 しかな く, 相和 46年度 では高卒者の100〆, 中卒者 では進 学者 を除 いて10 0弟紐対 してV}るとい う。転出 先 の多 くは京阪神 方面で,輿子 では/J、敵,水道薬,女子 で絞被服菜 な どに多 く従車 している。
村 の主 要産業である終業,林英 仏 ともに経験 を要求 し,老殻の補償が浸く, さ らに林某 では
‑ク.,ウ症 などの聴業病のおそれがある ことか ら,若者 連は これ らの産
秦
に従事する ことを敬遠 し,その」二部会生活へ UL'あ こがれか ら村 を触れ てい くようである。 この よう把.人 口厳少の うち 特に社会的増奴は若年層 の流 出に ともなう汲少 であ b, これは村の将来に とって菱 うべ きことであ る。
しか し流 出が著 しい反面,‑直島 を離れた若者が再 び戻 って くるいわゆるtTターン現象 も購近 忙なって見 られるようになった。彼 らの多 くは,捷美, ペ ンキ塗装,運転な どの技術を身につり, 離島振 樹
某
に従事 してい るoそのため,戻って さても村の産米 に従事する ものは少な く,ほ と ん どが西井な どに働 きにでかけ ている.‑121‑