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ドキュメント内 離島 と山間- き地の地理 (ページ 144-151)

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0 9 確 論

、 4号 題

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函恒

匝錯蛍腔潜轄最輔券樫 9

(5) そ の 他 e)計 画 昭和44年

魚 礁 設 置

1.5CN角の コンク リ ‑トブロックに より,人 =的 な瀬がつ くられ た。 (図‑ 8参照 ) 事業祭 18 0万円, 水蘇 5 0cmの地点に 3 0 0佃が投入 され,鯛 ・hさ きの漁獲 が 目的

とされ たQ昭和44, 45. 4 6年 と行なわれ、鯛 ・レゝさ きに5 0万円/ 1年 の増収 を 待 てい るO

昭和4 6年 魚 1歳 設 置

献づ く りの ための

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墾)̲ブ ロックが投入 されるU サ ザ 。アワ ビ。ワカ メの楯鞄 が 目的O 藻 場 設 夜

着 の りの藻場設慨 のため岩 礁爆 破,水面下1.5

7 1 1 に

,の り魚協が造成され るG

昭和47年以降 乾線場設 駐計画

種漁 センター (昭和58年以降 の計 画 )

稚 魚,稚魚の養成 のため。 叉.観光用のためで もあるo はた て月の亜殖 (検討段階 )

薩 づ く りによる治轄油菜の構造 改普

コンク リー ト漁礁 図‑ 8

5. 総 括

布施村には,純漁業 を営 なんでいるものはほとん どをい。 この村の人口は74 0人余 り, 戸数 248戸余

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てあるが,そ のほ とん どが漁鞍 を行 な う亡.同様 に,虚業 をや り林業をやるの であるO 布施村では, Al】兼業であ り時期的に林業 をかえるq 海の噸 葱時,山 で しいたけ をや t), 山の暇 な暗海で ワカメをや り,漁 を行な うとい う形である。そ して,漁場物はほ とん どが 自己消軌 島 内消

に限 られている。,

に好漁場 をもちなが ら,それほ ど漁港 が盛んで をい埋由は

,

脚英の大ZfiJ,化 U概械 化 とい う 避け られたい時代の流れで あるo大規模船団が闇忙近梅で盛ん

漁兆 し,隠岐 桁岸に近 よる前

熟粧 して し・ih,それを本土の境松 ・浜m ・香住な どの触 地 に遇 そejために, 小知校に沿 桂漁業 を行 な・っていて払 それに対処でき‑/Jレ、こと√,i;7、:,た とえ

業 で成功 した とLて も,大 きく在ればなるほ ど.少 くとも島後の爾鰍,あ ・/i,し、は2=十 の

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根拠地 を移さざるをえをい と と。これ らがそ の主 な壬舶 jであろ。

布施村 での漁鼻腔,主 (I,:自家消せ̲!〜のための もり てある。本土へ の移 け他 目的 とした商品 として の軌杜 で比な く,その 日む食卓に供す るととか にをrE‑描.1であって,一部の専門業qI)人を除いて, 余剰物 を移出するとい う形で行 なわれている

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.ナた て(,L:も襲 われている tうに, 生活 の

中で漁業の占める割合は,大 きい ものがを‑7JQ希と近心 馳械化 としノ1う避け られ なしへ時代 の流れに よ り

,

執業比衰退¢}一途をたどってレゝると思ニトれたが, L、堺 に

,件

藩 の中には・大 きを位際 を占め ていろことが認め られた。、

しか も,闘うf‑とい う時代 の産菜 とともE,I, 海の果 す投割 も大 きく違っ てきているか

,

梅のあれ る ことを防 ぎなが ら,その梅を生 か した観光産業 とLもに,新 しい方向へ 採る漁業 か ら作る

共への方向へ転換 させ ようとしてい ることが うかかわれ た

(大 辻 Ji・ 呼 子 杭 田 琴 )

Ⅵ 社 会 構 造

t. 地域的 ま とま りの機能 とその実 態

布施村は総両税 1a.占dkiで, 布施

激 (うず き ̲),薮美 (hいび )の5部落か ら成ってい る。かつては,卯散村,布施杜 飯美村 の 5村 に分かれ ていた ものが,明治57年に5村が合併

し,現在の布施村 と成った訳 である。

‑ しか し, 布施村の人 々が地域 的ま と

‑ , !

りをもっのは,やは り部落単位であるOそ して村全体的 なまとま りとい う形は うすい. しか いたが ら, これは地理的にみ て当然 の ことと思われる.村役

「 嶺 のある布施地区が村の経線 行政の中心 である.那,5部落は.それぞれの氏神様 を中J

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に氏 I‑〜. 子集団 としてQjまと

りを作っているrJである。

5部落 には,それぞ れの地区の遺草 で選ばれ た区長が居

,部落の経済,行政,祭など全 ての 面にかいて, その釆配稗 を持 っている。 この区長は.昔 からの土地の有力者が選ば れることが多 いO‑見封建的に聞え るが,決 してそ うとばか 如ま言えないのである(tすべてにかいて,区長が 博 隈 をもってい ることqj:確か であるけれ ども,実際は区長が従来e̲)仕 きた

に従い,一切の雑‑fji

を引 き受 けていると考 えれば よho

との区長の仕串 で澱 も重大 な もの比,地 区の弼f2経滞()中心 である共同販売所の樫常で あ り, もう1つ(rl神社 に関 する仕車 であ る。

とVL)共同版元所は,地区 o,i)経帝生活安定 を目的 として創始 されたJ.村 か らの振興兜用を もと

して作 られたrJだが, この共同販売所は利益 とい うものはほ とん どとらをho職員 の給料 をやっ ー と浮かせ るのが柵 一杯である

江 とし /tAj'施地区 には共同版竜 所は ない と配 したが,何故共同版 売所が立 たなかったか とい うと,布施は以 前より村の中心地 であ り,個人経 営の店 がすでに 17軒 もあったか らであるO こ の商店の生活 を守るためにも. また大 き く貰えば祁施部落の地域的‑1と

りを保つために も, 布 施地区 に共同販売所rL)設倍 は不可能 だったのであ る。共同版売所は もと よ り,利益 を得る ことが 目的 では‑/=かったUjで,安価故に,布施地区の人 も換金が あれば共同販 売所 で購入 する よう心が けてい るようである。

次に神社 であるが・前述の よ うに これ を中心 と した各部常のま とまりとい うもの払 非 常に強 固 を ものである。そナは主,決 して排他的 であるとい うのではJ,:く,同 じ神社の氏子で あるとh う 意識か昔か ら人 々を支配 して

b,現在 もあるので比たいだろ うか。

には白腹神払 布施には春 日神社,飯

tJCは白整押社があ り,年に 1回の祭 に比 和 をあ げて行 なわれる。 との祭 りの岱 用払 寄付金 と村 か らの振興世用 として各地域に配 られ る金をあ てるO振興敢用払 共同版売所の経営 とこの祭 との

野に抱 とん ど資 せれるが,共同販売所 と祭 に伴われる金額は性は 同街 であるとい うoそれで もなお不 足金がてる場合には,卯数では区有林 の一部を売 り金にかえてい る。 との ととからみても, いかに人 々の心深 くに神社 の存在が刻みつ け られてい るかが うかがえる.

‑ 152‑‑

・修

, 4 如 =

モ用等tt寄付金 に よって まか なわれているか, そ tlで も神社 の経常菅坪 仕困難 な状 態 にな りつつ ある とV,lう。

各 々の神社の神官 である加 とれ は,村 内唯I Cj神 官が. 5地域 をまたにかけ て兼任 してい る 状態 である(、結果 として, 布施村 は1つ の地域 的や とま りを強め て良いわけ なU)であるか,住民 の意識 は神官では 貴 く,神 社 にあるか ら,結鳳

社 ごとの氏子集 団的 ま と

りを越える ことは で きない ようである。

氏子集 EBのそのひとつ下のま とせ りとして 「お 弘幸ん 」と呼ばれ ろ ものが めるo 所謂,謝絶の ことであ る水 これは布地に5組,版美に 2組 、DT激 に1伍 あ るu これの分けI方 は地域的 に都合 よ

く分

け てある 上うである

例えは上 (か み Jと

〔Lも )東 と西 としへう井

t,tでむ ら。

との 「お 就さん

は祭 の 日には桁 組 と と

! , , C袋

せ り, 1

中療宴 を開いて祝 うのであ /:I,o家は, 当番 が 内分の家 を挟供 する仕組に‑/Lっている、) こむ時 虻,年に 1回プチ'とい う人 々の恵 枇 l',酒 宴 を支配 し大変盛大 に行 なわれ るとい う,,

・iた

,

「か課さん 」の中で貯 金を し,い ざ と

レ、

う時

車僻 してい るO た とえ E,1, 本土

働 き

出ている息子 が病気だが,行 く的用が ない とい う上E1‑,5時 , 「1:誠さん 」内で貯金 され てレゝる金 をおろ Lて併用する ことがで きるo相互扶助絶間 として托家族 に次す く′J\さ

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妹Eflであるが,人 々は兼組的括合 を非常 に大切 に してい る。 これは,生TTfを守 る もの とい う意識 があ るか らてあろ う。又,結婚,葬式 あるいは入学,卒3‑の祝 いな どii,茄 組 内部 で ももちろん 祝われ るが,部 落 単位 に及ぶ傾向が強い□特に葬式 'I)似 合拭,

/ 佃他

村全 体 :て崩 が広 かってゆ く(

卯厳 の場合,区有財産 と して、区有林五・もってL・lる75:, これ仇 明治58年 の七 件の 際にそれ ぞれ一定 金敬 を出 しあった残 りの ものであろ、〕 この匡看林 の管矧

′ 亡

は卯

敷全

休 であたってい るが, 枯れない春慶に維持 するのかやっ とである とい う。 この区有

七 地 区全体で行 な う行事の較金

にあて られ るO

卯敏 の禎 合, も う1つ区有財産 として, かけ触 ;儒者 されてい る机 とれ

何時 の境か らか さだ かではをいが,祭の暗 にのみかけ られ る。御本棒線の rlF,i:役 割 を束 している0

億近になって,婦人 会 青年会 も地域 的 .まとま りの‑端 として発足 した‑ 2つ と も利VJの奉仕, ある い比,行書如rcあたっては労働 力を提供 し汝が ら,そ の細 を深 め あってい る.若 者の 日は どう うして も本土 の方へ向いてい くが,将来の生 活の安定等 を考 え島内に残 ろ うと決意す る者 もある.

宵年会は, ごく般近忙成ったばか

b

T, 布施村 の再興に意気 を燃 や している。

2.経済的ま とま り

布施

にかける経済 的ま とま りを典薬地故 と徴集地域に分けてみ ようとしたが,実際 に聞 き取

‑ 15

5 ・ ‑

り調査 をやってみて,布施村 におい てほそれは不可能 である ことが解 ったo布施村に かV?てbi, 熟粘期には ほとん ど全戸の人が漁

に従車 し,そ うでない時 には,林業 や虚業 に従壌 Lているo こうい う状態 の布施村 に‥t,小 て,村民の伴 済的海食状態 を2つ の面か ら見る ことができると思 うOそ の1つは名子制度 と呼 ばれて きた鮮制的家族馴鹿 あるいはそれに類似する ものoそ して もう1つQも 村落共同体的夜箆組 とVlう関係 である.

民主主轟が全 島に入 り込み,前者 は現在ほ とん ど見 られないが,村民の奥深 くに秘 め られた封 建意鰍 i:否定 で きないと考える.後者 Ir

t

,前者 とは対立する関係

あるものではあるが,松島

ふいて人 kが生活 してゆ くための知唐 として生 まれて きた当然 の結 合であると思え る。

近世にかいて払 神海村 に限 らず隠放免全体的 に名子制度が乾透 し, 日常生清において も,経 済酎 帥 二おいて も人 々を支配 し,拘束 していた ようである‑ Lか し夜か ら,利内にかいてCJ聞 き 取 り調査 では, との名子制鮭 自体について弼 くことは出来 なかっ た.それ比 布施村内 に名子制 舷 が存在 し怒かったのではな く,硯在,名子制度, あるhktそれに類する音素 を口にする ことが, 人 々の タブーになっているか らだ と患 うo Lか しなか ら,名子肌度に通ず る陶係 は認めることが 出来 たGそれは

,

「親 方一子方 」と呼ばれる牌係であるO (また拭

,

仮名 (かな )恵 一仮名子 」

「金輿 (かわ )親 一部 子 (ふで と)」の楓係 と呼ばれているし )

とわは,子方にT‑LL・る ものが親

に対 して労助力を捷俳するかわ りに,生活の面倒 をみ てもらう よう誕LnilJ的家族馳係 を結ぶ ものである(、未婚の男 あるいは女 が村 内の有力者 に 自分 q̲)親誘l'に成っ て もらうのであるが, 布施村 i/Cかいては,男が との隣係 を結ぶ ととを「親方 一一子方の偶保 を紡

ぷ」

といい,女 の場合は

,

「金奨親 一銀子の関係 を蘇 ぷ 」とV,ってい た. 明治時代 に卦いては, この 関係 を結ぶことが金 ム舶勺に流行 し,島の有力者は多数 の子方 あるいは教子を もつ ことになった のである.子方は,親方に生 活全般にお・ける面 倒をみて もらい, あるいは経 済的援助 を して もら

うかわ

に,解報酬で労働力を提供 しなければ在 らないO‑ 見,単なる禰互扶助的形態 をとって い るけれ ども,子方は親方rLr終身従 うところか ら考 えて も,親方 の負担

りも子方の負担, ある レ1は拘束の方が多かった,こうであるぐ

現在は,親方 一子方の関係 を結んでいる例が1線 Lか残 ってい75:ho この親方一子方拙 どうい うつ き合い方 を しているか とい うと, もちつ きの援助等が親方の役 目となってお り,子 方は親方 の手伝いをす ることにをっている.表面的には以前 とあ

せb

変 っていないけれ ども,現在の方が, 相互扶助的契約 とい う感 じが弾 くなって きているo所言臥 手間がえ的をもの と成って きているの

である。 これは終戦後 の世 の中の動 きと考えあわせ てみて,たとえ離 島 と言 え ども当然の変化 で あろ うと思える。

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