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S414245JI445(年)なお,発注者は全国におよんでいる。これは価格が安いためだとV.うことである。
4.#・本渋掛こついて (1)沿革 創業・は岸本岩助により明治元年である。昭和18年国策により企業合同して中臣l造船株式会社を設立し,計L=B造船によt)木造船200′‑2与Otを多く臼造O碍和25*,中田造船株式会社を解散し,爾後個人経営で船の起遊癌誕及び朗造船の修理をし.順次離日こ切替えをおし進めたoLl,日和155年,幻造船超進に主力を集中。現在,大晦上捗で一番大きい造船所となっている。(資料:岸本造船株式会社経歴沓)
(2
)経営●
資本金15.000.8
00円・工
場野rl工場(木江) ‑98‑宇 浜 工 壌 (木江 ) 藤 江 工 場 (福山市 )
・ 取引金融機Bu 広t,1銀行. 広応相互銀行 中小企業金融公序 商工 中央金庫
日本不動産鋲行
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設 備<船 台> i.i賀 工 以 2 C
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〟 ソ
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字 浜 工 槌 4
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藤 江 工 場 4ラ9
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13 t走行 .)71ク L,‑ ソ 40t //12 t 〝
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<門型 ク レー ン> 5t走行
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幻) 1
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( 〝 ) (宇 浜 ) (藤 江 )
1 韮 (妄f hlT)
1
台
(字 浜 )20t 1 台 (如 月 )
<受電殻倫> 1.5 日
DKw
[ そ の他 ,施軌 ポ ール乱 工 作以軌 油圧 プ レス ・べ ./ダーな どが盤 っ てい るU
・ 従 業 fl(下請 を含む )
・
17 賀 工 秘 4 5(.I‑ 5Or,人 宇 浜 工 場 占0人
藤 江 工 場 50‑ 4 0人 〔fF料 :経歴番 〕
技術
2 0^,車軸 5 0^.その他は労朝右 で′ この労拐着 を間接 と直接 とに分 けるこ とができる。間接は避軌 貢'l役 ,倉見 ガス担 当.直接は良進 であるo また,鋭敏 こも女の人が 田き,ガス.電気 を担 当 し,溶 軌 切断 を しているO
.
保 険 泣造保険 を住友な どに かけ ている.(5)船 の 壇 頼 , 特 色 訴 造 船
絵 tこ丈J
。力肌"川上 IiI■Hu
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/′,''/ 舶 納′
建造髄格 (百万 円 )S
さ占 57 58 59 4D 41 L12 45 44円
‑ 100‑
24DD
2100
1800
1508
1200
900
400
500
0
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別造船数 (竣工 が昭 和40年 1月‑樹
林 4 6年5月まで )(四捨五入値 )1
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年間50隻ほどを,,
'三適し,旗物船,砂利ij指解が圧到的に多い.また,年々大割ヒしてきていることがいえる。1950tを建造したのは府和̀日年にTEってからである.4級(499tなど)と9tAJ(999tTIビ)の比は7:5とな‑,ている。将来も,もっともっと大型の船を建造してゆきたいそうだ。 さて,細心
であるが.これは歳トン殻,8!みト'/I,トン当りなどで評価が違うそうだ。
原価計/il:ができTn,ということで詳しく教えてくれ′'1かったが,だいたいi竺物の4級で1億4千万9級で1臆9千万.‑2億5千万である。(4)追跡こあた>ての他工場との取り引きBIJ保 鉄鍋尾道,今治の商社いかり呉.船田エソジソ阪神.新潟 船主の婆塁に応じて決めるoスクリュー柄1 ‑101‑
レー ダー 東京
II (5)船 の 男 手
発注#.船主に特定の分布は ないO (ム)工 場 内 部
[ 従業員は壬 に柵 乳 明石方 面 か らバスで出動 している。 また,島外迫動者が木工 だけで 24‑ 25人,大三島 な どか らやってきているO
組合はな く,若 い人が少 なV、O平均年令 は木工 だけで約4 0才,下請 を含 む と5占才‑
5 7才である。壬耳金は痔問 当 ))約4 09円,特殊 な仕事 であれば占 0 0円であるO また.衣 性の方が男性に比べ て筋金は低 いO
(7) 下 請
‑Fu'Hl,I5n社 ほ どあ り,特 殊な過程専門の下乱 雑役 的下桁があるOその内容は マ‑キ ン ガ ス切断 電乳 迦払
,
塗装, とりつ け,溶軌 ダク トな どである.設計,
触臥 監督以外 は下市 がヤ f),犠装は木工 がする ときがある。 このよ うな下請は専属にな っている もの もあ る..ラ 5, 問 題 と 展 望
造船界でも鼠が強 くな 7).小型船の新造規制など運輸省 のセ ーブが放 しくなった。大崎上島 は 小型船 の造船数が多いだけに深刻な問題 だ と思 うo しか し,地元 では, まだ
,
荊造船 の許可の手持 ちがあると楽観的意見 もあったO この難所 を越 えるためには中小企業 同志合併 してい った方が よいのではなかろ うかO しか し,岸本遊齢 での話に よれば企業合同は むず か しい とい うO岸本造 船 な どの ように比軟的大 きレ、ところでは大型船への転換 をはかってい るようだが, とのままでは 多 くの企栄 が危鰍 こさらされるのではないだろ うか。なお,草木地 区に各造船所 か ら資 金 を出 し あって合同の造船所 をつ.くる計画 があるが賛否両論 である。 .
(難 波 英 子 .■万 代 文 子 )
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‑ 102‑
四 昭 和 47 年 度 巡 検 レポ ー ト
(島根県隠岐島 )
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写3‑ I
回 東海岸 の波蝕地形
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写3‑3
巨資瀬資 の地 上に 放牧 され た和牛
写3‑6
仰 敷海津 の賂
小足
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F I
醸 岐 布 施 村 浄 土 ケ 浦 付 近 の 海 津 地 形隠岐の主 免,島後 の北 東に位叔す る布施村 には8‑.々の特散ある海岸 地形 が み られ るが,その う ち,布施部落北東の浄土 ケ柵は,地質や 断層に支 配 され た海蝕洞や 波蝕 棚な どがみ られ,特に且 光 明娠 な崖海 岸であ るt,
我 々はまず ,浄土 ケ浦付近の地 形地 質の概略 を観 察 し,つ ぎに 波蝕棚の形状につ いて 観 察 と断 面形 の
御
免 をお こな .'たO 波蝕 棚の 面上に 存在す るポ ・J トホールについ ては,位軌 大 き さ,形 嵐 堆御物,棲息 生物 な どを観 察 して.考 察 を加 えたO図 1. 隠 岐 島
前 島
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ノノ 浄 土 ケ
柵海岸
1. 砥岐布 施村 浄土 ケ浦付 近の海岸地形の粧要
図2に示 され るよ うに ,浄土 ケ滞付近 の海岸線 は 出入が 多く,複雑 で あるが, こ この崖海 岸 には数 多 くの波蝕棚や添蝕洞 が 発達 し,入江の兵は小さな棟浜 とな ってい る.
浄土 ケ浦か ら トリゲ海尉 こかけては5カ所 に波蝕 堺がみ られ るが (図2の① ② ③ G)⑤ ), 比較 的大 きな波蝕軌 ま① ④ ⑤ であるO これ らについ ては 沸景調査 を したの で,詳 しいこ とは
あとで述べ る
こ
とにす る。‑ 187‑
写井 4 中位 ユース ・ホステル入 口的近の断片的な段丘の 規丘畦tI敬
写T5*土 ケ・J・A 卓 の・Z
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(■2‑ll) (北上 リSZt:)写t6 トリゲ海浄M近の洩地相 (固2r J,)
Tれ7 トリゲ井や書方の洩姓増 (田2‑1か)
‑ 1t)p‑
図2. 浄土 ケ滞付近の地形 ・地袋 囲
′ー\ (一 一、、
㌔I ̲‑L 柏 崎
≠ 隠岐島 ユー「ス .ホステル
. ∴∴∴
こ)
波 蝕 棚LLL==空5 斬 倍
0,0?. 襟 浜
△AAAAA 鮒 的
軸
物‑ J、 \ ‑ 一
都恋 瞭し
‑ 1 \〉、」二 二 二一 流 紋 岩
≡
≡ 硬岩泥貿岩 互層I / // / /
安山岩質角棚 灰岩 (蕪塊岩 )川 削
安 山 岩斬居は い)ゲ海岸で多く観察されるが, この うち主 な断層を図2のG)⑦ ⑧ ⑦ に示 した。
断層の方向はほ とん どがほぼ
EW
方向で, 1カ所だけがNS
方向であ る。写其 1, 2は北につ き出た安山岩褒 角裸,漂灰岩よ りなる半島を西側か らみた ものであるが ,②‑⑥ の斬新 こ沿 つ ては海蝕洞 門がつ くられている (写真2)o また,⑧ と⑨ の斬新 こ沿 19て形成 された海蝕同は.それぞれの臭で連続 して一連の洞門 とな っている。
海岸線が入 りこんだ所には,比較 的小さな円棟でで きた錬浜が発達 しているo また,岬の前
‑ll0
両には長島,ローソク島,カシカマ鳥など大小のnTや岩礁が多く散在しているo このように,浄土ケ浦付近の地形は入りくんで複雑であるが,このような地形が形成された原因には地質の相違,地質桝進などを重視しかナればならないだろうQ 最後の基盤となっている岩石は,北東山地にみられる花尚岩類(花尚片麻岩,花樹岩質砂岩)で,この上部には新帝5紀の地層と各種の火山岩(初期には流紋岩や安山岩質凝色凝灰岩,後期には粗面岩や7ルカリ石英粗面岩)とが交互に堆恐しているといわれている。 布施村浄土ケ浦付近の地袋を調べてみると(図2参照),先浄土から柏崎,浄土ケ浦にかけては流紋岩で,浄土ケ浦以東の波蝕棚は壬として安山岩貿角棟凝灰岩で構成されているC.①の波蝕棚は棟岩と泥質岩との互層であるo硬岩は緑色
,ih
'・.岩は濃い灰色を宴しているO②③④⑤の波蝕柵およびその周辺は安山岩Jj,'胸襟凝灰岩('典塊岩)よりなるOまた,近くの長島やローソク島,カシカマ島もこれで槻正されている.、罪の師部(図2‑⑩)は,安山岩男角凍救灰岩の上に溶岩状の安山岩がのっているOこの安山岩の部分の海慶は,ほぼ垂直崖であるが,下部の角錬凝灰岩のところはほぼ45度の藍であり,両者に明瞭な偵斜の変換点をもつ特徴ある海崖がみられる(写真5参照)C また,浄土ケ滞付近にある隠岐島ユース・ホステル入口付近には断片的な段丘がみられ,良丘面は畑地となっているL,第三糸と思われる砂岩シルト岩互層に不敬合にのる段丘瞭屑の厚さは約1.4,rLで,それを構成する掛ま,大きなものでは直径が5(洲まどのものもあるが,普うかま5cm以内の小さな円棟である(写真4参照)oただし,この段丘の存在する小さな谷は,布施帝にむかってロを開いている谷であるC,
段丘面の海抜高度を測定してみると,約8.55mである.このような高さに段丘面が存在することは.海面がかつて段丘面付近に位匠したことがあり,その後の相対的な地殻変動や海水準変化によって現在の位際に落着いたことを示している。2.波蝕棚の調査 波蝕棚面の観察と断面形の測故を行なったO断面形の測最はノ、ソドレベルを使用して行ない,高さは測魚用ポールでセソチ単位で読みとり,距馳ま巻尺で測定した。このようにして得た断面形は図5に示した。 平均海面の位置については,波蝕棚の測定時刻の海面高度を測定し,これから潮位表(西婿の潮位)によって平均海面の高さをG.定したOなお西棟の潮位現況は,昭和47年度潮位表から次のように読みとれる。 平日平均高潮位22C7r平日平均千制艶‑22C7#t ‑lil‑ー 寸 ニ ー の
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