3.1 序論
第 2 章で述べたように、NCM622/黒鉛のセルの充放電サイクルにおける容量低下の 主要因とDCR上昇の主要因は、正極のMn溶出 [3-1,3-2,3-3] による結晶性低下がも たらす正極の容量低下と正極の DCR 増加、および負極の SEI 層の成長がもたらす電 位ずれ [3-4,3-5] によるセルの容量低下と考察した。正極のMn溶出の原因はヤーンテ ラー効果による結晶構造の歪みなどで生じると考えられている [3-6,3-7]。そのため、結 晶構造内のイオン結合を強くすることで Mn 溶出を抑制させる検討がなされており、O と 強いイオン結合をする元素を遷移金属の一部に置換する方法で対策している。置換元 素としては、Al [3-8]、Mg [3-9]、Fe [3-10]、Zn [3-11]、Mo [3-12]などが検討されており、
置換により結晶構造が安定化することが述べられている。さらに、Al [3-13]、Mg [3-14]、
Zn [3-11]では、結晶構造が安定化することで、サイクル特性が向上したと報告されてい る。これら元素置換材の中でも、6 価の Mo は強固に酸素とイオン結合するため、もっと も結晶構造を安定化させ、特に 4 mol%の置換が有効であることが報告されている [3-12]。そのため、報告例は見られないが、サイクル特性向上が期待できる。
一方、負極のSEI層の生成成長の要因は、正極中のMn溶出による負極への析出に よって、負極上でMnが触媒のような効果でSEIを成長させること [3-3] や、負極の充放 電で膨張収縮させながら、新規界面で Li イオンと電解液が還元反応し、SEI を成長させ
- 72 -
ることが報告されている [3-13,3-14,3-15]。また、負極の SEI 層が生成成長する際に負 極中に吸蔵されたリチウムを消費するため、セル内の負極の作動電位が高電位側にず れ、正極と負極の作動電位のバランスが崩れ、容量低下すると考えられている [3-16,3-17]。そのため、負極のSEI層の生成成長を抑制するために、電解液添加剤の還元分解 による負極活物質へのリチウムイオン伝導ポリマーの被覆が報告されており、代表例と してはビニレンカーボネート (VC) が挙げられる [3-18, 3-19]。第2章でVCを用いて検 討したが、十分な SEI 生成成長抑制の効果は得られなかった。本章では VC の効果に 加えて、Mo 置換による効果を検討した。他の負極活物質の表面改質の方法としては、
正極からの金属溶出による負極への被覆が報告されており、LiCoO2の場合、Co が正 極から溶出し負極にCo が析出することで、Coが電解液との反応を阻害し、SEI層の生 成成長を抑制していると考えられている [3-20,3-21]。一方、本研究で検討するMo の溶 出に関する報告例は見られていない。
そこで、本章ではMo置換NCM622正極を用いたセルでサイクル特性を評価し、正極 のMn溶出抑制と、負極のSEI生成成長抑制に着目し、サイクル劣化抑制メカニズムを 検討した。
3.2 実験方法 3.2.1 材料の作製
本研究で用いた正極活物質のリチウム遷移金属酸化物のLiNi0.6Mn0.2Co0.2O2
(NCM622) とLiNi0.6-xCo0.2-yMn0.2-zMo0.04O2 (x + y + z = 0.04) (NCM622Mo) は固相
- 73 -
法で以下の手順にて作製した [3-12, 3-22, 3-23]。理論量のNiO、MnO2、Co3O4、 MoO3および理論量よりも3%過剰のLiOHを混合し、プレスしてペレットにした。その 後、ペレットを酸素雰囲気中600 ℃で10時間予備焼成した。予備焼成したペレットを粉 砕し、再びペレットに圧縮し、酸素雰囲気中で900 ℃で10時間焼成し、100 g程度の正 極活物質を作製した。過剰量のLiOHを用いる手法は高温焼成によるリチウム蒸発を補 償するための技術である。
3.2.2 電極の作製
3.2.1で作製した2種類の正極活物質を用いて正極を作製した。正極活物質、導電剤
のアセチレンブラック (HS-100) (デンカ株式会社製)、バインダのポリフッ化ビニリデン (PVDF) (クレハ株式会社製) を93:3.5:3.5 wt%で混合し、これらにN-メチル-2-ピロリド ン (NMP) (富士フィルム和光純薬株式会社製) を加え、スラリーを作製した。PVDFは NMPに12 wt%溶解したKF#1120を用いた。得られたスラリーを15μmのアルミニウ ム箔上へ塗工量220 g/m2となるように、株式会社サンクメタル製のコンマコーターで塗 工し、120 ℃で乾燥させ、電極合剤密度3.1 g/cm3となるように、日立パワーソリューショ
ンズ製の120 ℃熱ロールプレス機でプレスし、塗工厚71 μmの正極を得た。一方、負
極は、負極活物質の黒鉛 (日立化成株式会社製)、増粘剤のカルボキシメチルセルロー ス (CMC) (ダイセルファインケム株式会社製)、バインダのスチレンブタジエンゴム (SBR) (JSR株式会社製) を重量比98:1:1 wt%で混合し、これらに純水を加え、スラリ ーを作製した。CMCは1 wt%で希釈した水溶液を用いた。得られたスラリーを8 μmの
- 74 -
銅箔上へ容量比1.2となるように塗工し、乾燥後、電極合剤密度1.4 g/cm3となるように 100 ℃でロールプレスし、負極を得た。
3.2.3 セルの作製および試験
得られた2種類の正極と負極を用いて、それぞれ正極45 × 70 mm、負極47 × 74 mmに打ち抜き、両面塗工された正極6枚と負極7枚を最外層が負極となるようにセパ レータ(宇部興産株式会社製) を介して積層し、1 Ah級セルを作製した。電解液にはエチ レンカーボネート (EC)、ジエチルカーボネート (DEC) を体積比1 : 4 vol%で混合したも のに、ビニレンカーボネート (VC) を1.0 wt%と、六フッ化リン酸リチウム (LiPF6) を1.2 M溶解させた溶液を用いた。
また、本研究において、Mo置換したNCM622正極を用いたセルをCell-Mo、Mo置 換していないNCM622正極を用いたセルをCell-Refと呼称した。
これらセルを固縛治具で60 Nにて挟み、ナガノサイエンス製の恒温槽内に固定し、
25 ℃で充放電サイクル試験した。充放電サイクル試験は東洋システム株式会社製 TOSCATを用い、25 ℃で25% SOCから75%SOCの間を2.0 CAの休止なしでCC 充放電を3000回繰り返し、500サイクル毎に0%SOCから100%SOCの容量を測定 した。容量測定は、充電上限電圧4.2 V、充電電流0.2 CA、CC-CV で6 時間充電し、
30分間の休止後、下限電圧2.5 V、放電電流0.2 CA、CC放電し、放電容量を算出し た。また、DCRは50%SOCに相当する3.7 VにCC-CV (定電流-定電圧) で充電電流
- 75 -
0.2 CAでCC充電し、30分間の休止後、放電電流1.5 CAで10秒間放電した際の電 圧降下 (V) を用いて、オームの法則により算出した。
また、劣化抑制メカニズムを検討するために、3000サイクル前後のCell-Moおよび Cell-Refについて、それぞれ50%SOCに対応するOCVの3.6 Vに調整した後、Ar置 換されたグローブボックス内で25 ℃にて解体した。Figure 3.1に解体後の解析フローを まとめた。解体分析は全て25 ℃で試験した。解体後の電極は三極式セル試験および分 析で用いるため、SEI被膜へのダメージを考慮し、溶媒で洗浄することなく取り出した。取 り出した電極をφ16 mmに打ち抜き、2種類の10 mAh級の三極式セルを作製した。電 解液やセパレータは同一の新品を用いた。一つ目は、リチウム金属を対極および参照極 としたセル (10 mAh級ハーフセル) であり、正極および負極の単極劣化評価のために作 製した。正極は上限電圧4.3 V、充電電流0.2 CA、終止条件5時間のCC-CV充電を し、下限電圧3.0 Vで、0.2、1、2 CAのCC放電によりそれぞれの放電容量を算出し た。負極は下限電圧0.01 V、充電電流0.2 CA、終止条件5時間のCC-CV充電をし、
上限電圧1.5 Vで、0.2、1、2 CAのCC放電によりそれぞれの放電容量を算出した。二 つ目は、解体後の正極と負極を合わせ、リチウム金属を参照極としたセル (10 mAh級フ ルセル) であり、充放電サイクル時の正極と負極の動作電位を測定するために作製し た。なお、試験条件は、25 ℃、充電上限電圧4.2 V、充電電流0.5 CA、CC-CV で3 時 間充電し、30分間の休止後、下限電圧3.0 V、放電電流1.0 CA、CC放電し、これら充 放電中の正負極の作動電位をそれぞれ調査した。
- 76 -
Figure 3.1 解析フロー
Disassembled
electrode Φ16mm Cell test 10mAh-class Half Cell Capacity check of each cathode and anode 10mAh-class Full Cell Available potential check during cycling Instrumental
Analysis Cathode
Anode
XRD Crystal structure STEM-EDX Mo substitute state XANES Metal Valence
ICP-AES Metal amount
XPS SEI
- 77 -
3.2.4 材料および電極の分析
作製した正極活物質の結晶構造を確認するため、XRD解析した。装置は株式会社リ ガク製RINT-2500HLを用い、線源CuKα、管電圧50 kV、管電流250 mA、走査範囲 10°≦2θ≦70°、走査速度0.5 deg. / min、サンプリング間隔0.01 deg. / stepの条件で 測定した。
作製した正極活物質のMo置換を確認するため、一次粒子断面にて、STEMとエネ ルギー分散型X線分析 (EDX) を組み合わせたSTEM-EDX分析をした。断面加工は FIBにて実施し、装置は株式会社日立ハイテクテクノロジーズ製 FB-2100を用いた。
STEMの装置は株式会社日立ハイテクテクノロジーズ製HD-2700を用い、EDXの装置 はAMETEK, Inc. 製 Genesis XM4を用いた。EDXの加速電圧は200 VでMoおよび Ni元素の分布を測定した。
充放電サイクル前後の正極における遷移金属の酸化状態、つまり、金属価数を比較 するため、X 線吸収端構造 (XANES) で解析した。装置は 高エネルギー加速器研究機 構 の BL-9C を 用 い た 。 遷 移 金 属 Ni、Co、Mn の 価 数 推 定 に は NiO (Ni2+)、 LiNi0.8Co0.15Al0.05O2 (Ni3+)、CoO (Co2+)、LiCoO2 (Co3+)、MnO (Mn2+)、MnO2 (Mn4+) お よび Mn2O3 (Mn3+) を標準試料として用いた。測定したサンプルは 100%、50%、 0%SOCに相当するセル電圧4.2 V、 3.6 V、 2.5 Vの正極を用いた。なお、解体した1 Ah級セルは3.6 Vであるため、3.6 Vの正極は解体後のものを用い、他の4.2 Vと2.5 Vの正極は対極の負極と合わせた10 mAh級フルセルを作製し、充放電により調整した。
4.2 Vの電極は充電電流0.5 CA、CC-CV で2 時間充電し、2.5 Vの電極は放電電流
- 78 -
0.5 CA、CC-放電し、それぞれ正極を取り出し、XANES測定した。
充放電サイクル前後の負極の SEI の量を確認するため、XPSおよび ICP-AES 解析 した。XPS の装置は、株式会社島津製作所製 AXIS-HS を用いた。X 線源には管電圧 15 kVと管電流15 mAのAl-Kαを用いた。測定条件は、走査速度を0.1 eVステップで 20 eV/minとし、ジオメトリをθ = 90°、分析面積を600 μm × 1000 μm、イオン銃の加速 電圧を2.9 kV、励起電流を15 mA とした。また、Arエッチング時間を0.75-20分間、す なわち、Arエッチング深さは、SiO2のエッチング速度の4 nm/minを標準とする換算から 3-80 nmに相当する深さ方向の分析をした。一方、ICP-AESの装置はPerkinElmer, Inc.
製OPTIMA8300を用いた。解体した負極からφ16 mmの試料を 3枚打ち抜き、それら
を 10 vol%の王水に浸漬し、得られた抽出液を測定試料とした。結果はこれら測定値か
ら1 Ah級セルの負極の全体量に換算した。
3.3 結果と考察
3.3.1 Mo置換正極活物質の定性
Figure 3.2に NCM622Moと NCM622の XRDスペクトルを示す。これらのピークは いずれもR3m構造であり、かつMo酸化物やLi化合物のピークが見られなかった。
次に、Figure 3.3 に断面 STEM 像と-EDX 分析の結果を示す。(a) には作製した NCM622Moの一次粒子の断面STEM像、 (b) および (c) にNiおよびMoのEDXマッ ピング像をそれぞれ示す。この結果から、Niと同様に、Moも均一に一次粒子内に分布し ていることが分かる。
- 79 -
Figure 3.3 作製したNCM622Mo正極活物質の断面STEM像と EDXマッピング像による元素マッピング像:
(a) 断面STEM像、(b) Ni-EDXマッピング像、(c) Mo-EDX マッピング像
20 nm 20 nm 20 nm
(a) (b) (c)
Figure 3.2 作製した正極活物質のXRDスペクトル
10 20 30 40 50 60 70
Intensity
2θ/ degree
(003) (101) (006)/(012) (018)/(110) (113)
(107)
(015)(104)
NCM622Mo NCM622
- 80 -
以上のことから、Mo は NCM622 の Ni,Co,Mn サイトのいずれかに置換されていると 考えられる。
3.3.2 充放電サイクル試験
Figure 3.4に1 Ah級セルの充放電サイクルにおける容量変化、Figure 3.5に充放電 サイクルにおけるDCR変化を示す。NCM622Mo正極を用いたCell-Moの初期容量は 625 mAhであり、比較のために作製した NCM622 正極を用いた Cell-Ref の初期容量 は673 mAhであった。Cell-Moの容量が小さい理由は価数変化に寄与しないMo置換 活物質の量に起因すると考えられる。また、3000サイクル後の容量維持率はCell-Moと Cell-Refでそれぞれ87%、79%、DCR上昇率は104%、100%であり、Moを置換するこ とでサイクルにおける容量低下を抑制することが分かった。DCR 上昇率における 4%の 差は 3000 サイクルと長期であるため、ほぼ同等程度と考察した。さらに、目標の 1500 サイクルで比較すると、容量維持率は目標の 70%以上に対し、Cell-Mo で 94%程度、
Cell-Ref で 82%程度といずれも容量維持率の目標を達成できる見込みであり、一方、
DCR上昇率は目標の 130%以下に対し、Cell-Mo で 100%程度、Cell-Ref で 101%程 度とほとんど変化がなく、目標のDCR上昇率も達成の見込みであることが分かった。
なお、本章における充放電サイクルのDCR上昇率が第2章のFigure 2.2と異なる挙 動であるが、これはサイクル条件の差と考えられ、本章では時間あたりの正極活物質の 膨張収縮の回数を増やすために、Δ50%SOCの充放電範囲で試験したためと考えら