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第 3 章 Kirkwall の Ba’ゲームの民族誌

第 2 節 Kirkwall の Ba’の起源と歴史

Robertson51は、Kirkwallに存続するBa’ゲームについて、その起源、変遷、勝者やボー ル・メイカー、さらには、オークニー諸島及び英国でかつて行われていた民俗フットボー ルなどについて整理した “Uppies & Doonies”(1967)というタイトルの著書を出版した。

その中で、Robertson はゲームの起源及び変遷について以下のように述べている。

Ba'ゲームについては、186316日のThe Orkney Herald 紙には「ゲームは、

かなり古くからおこなわれている。」と記載され、188316日の同 紙には「New

Year’s Dayのゲームは、私 たちのバラ(burgh)で何世紀もの間行われ続けてきた習

慣である」、さらに1914年にはMr. G. MacGregorが「上記の年中行事(Ba’)の 起源 は、それは推測の範囲であるが、はるか 2 世紀前に遡る」(括弧内筆者)と述べるな ど、ゲームが古くから存続していることについての記述がみられる。しかし、残念な がら、これらの記述は、事実として実証されたものではない。およそ 1850 年にプレ ー・スタイルに大きな変化が認められるが、だからといって 1800 年よりもはるか以 前に存在したゲームと別のものと言うこともできない。私は、この地方では 1650 代までにはフットボールが行われるようになったと‘Football Playing in Orkney’では 記述したが、それ以前に、スコットランドのメインランドから何度かフットボールが 紹介されていたのも確かである。Hossackは「Kirkwallでは、17世紀中ごろに男性 と少年によるフットボールがBa’ Leaという場所で行われていた。しかし、18世紀の 最後の10年あるいは20年前までに、ゲームはKirk Greenで行われるようになった」

52 と言っている。実際、教会前のGreen上での「ボールの争い」は、休日の大切な催

50 Orkney諸島の文化、イベント関係のガイドブック、紀行文、インターネットなどをた より

に筆者が作成した。

51 Robertsonについては既述しているが、詳細は本章「第4節2.」の「キー・パーソンの存在」

及び巻末の「インタビュイー一覧」を参照。

52 Robertsonは、B. H. Hossack が著した“Kirkwall in the Orkneys”, William Peace &

Son(1900)から引用している。Hossack は、オークニーのメインランドに近いストロンセイ

(Stronsay)という島で 1835年に生まれた。エジンバラで教師をした後、1891年にオーク

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しであり、望むものはすべて参加し、チームも Up-the-Gate Down-the-Gateに分 かれるけれども、ゴールにボールを運ぶというゲームではなかった。つまり、それは 15 世 紀 の 初 頭 ま で スコ ッ ト ラ ン ドで 大 変 人 気 の あ っ た 古 い タイ プ の フ ッ ト ボ ー ル で あった。そして、およそ 1800年に入る2-3年前にゲームは町のストリートへと移動 し、ゴールも位置づけられるようになる。しかしながら、ストリート上では、依然と し て ボ ー ル は 機 敏 で 巧 み な 足 さ ば き に よ る キ ッ ク や ド リ ブ ル に よ っ て プ レ ー さ れ る の み で 、 決 し て 地 面 か ら ボ ー ル を 拾 い 上 げ 、 手 で 持 っ て プ レ ー す る こ と は な か っ た 。 それが、1850年ころに現在のスクラム・プレーのスタイルへと変化する。それ以降、

本質的にはプレーのスタイルは変わっていない[Robertson 1967:114-115]。

また、KirkwallのBa’の起源について、筆者の質問に対して、Robertsonは以下のよう に述べている。

Kirkwallのゲームがいつ始まったか?それについては、事実より少し早いかもしれま

せんが、18世紀、あるいは17世紀以前に、フットボールは休日や結婚式に行われた と推察されます。そして、Kirkwallのゲームはオークニー諸島の他の教区で行われて いたゲームと同じようなゲ ームであったと思います。 それはキックによるゲーム であ り、動物の膀胱に草やわら を詰めたボールを用いた、 まさしくフットボールであ った と思います。時には、ボー ルは高く蹴り上げられ、誰 が一番遠くへ蹴るか争うゲ ーム でした。そして、1800年前後にゲームはストリートに移動し、依然とボールをキック するゲームが続きますが、1810年あるいは20年頃にボールを手で扱うプレーが見ら れるようになり、1850年までに、いやおそらく1840年頃にはボールを手で扱うゲー ムへと変化しました。それがいつか確定することは難しいですが、確かに 19 世紀前 半にはスクラムを形成し、 それぞれ自分たちのゴール へボールを運ぶゲームにな って いました。その理由として は、ボールは太陽とみなさ れ、その太陽によって土地 が肥 沃になると考えられていました。ドゥーニーズDooniesがボールを海中に運びゴール すると豊漁が約束され、一方、アッピーズ Uppies がゴールすると穀物の豊作が約束 されるといわれ、争ったのです。19世紀はじめに現在行われているようなゲームにな り、それ以降ゲームの様式は変わっていません[Robertson 2000:インタビュー]。

このように、ロバートソンによれば、KirkwallのBa’ゲームは休日や結婚式に教会前に あるカーク・グリーン(教会前の芝生の空き地)で ボールをキックして楽しむプレーであ ったのが、1800年代に入り場所をストリートへと移す。そして、ストリート上でも依然と してボールはキックされていたが、1850年前後にプレーヤーが増加したことで、多くのプ レーヤーがボールに密集するようになると、ボールはラグビーのように地面から拾い上げ られ、手で扱われるようになったというのである。つまり、Kirkwallのゲームは、1850年 頃を転機にして現在のようなボールに密集したスクラム状態でゲームは展開するようにな り、ボールをキックする場面を見るのは稀なゲームへと変容したということになる。中房 は、民俗フットボールをその行事性の有無によって、地域社会に 開かれた儀礼的ゲームと 自分たちの私的娯楽として行われるゲームの二つに大別し、前者を行事として行われるゲ

ニーに戻り、1891年にカークウォールに家を建て移住した。

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ーム、後者を随意に行われるゲームとしている[中房1991:34-35]。この類型化にしたがえ ば、Kirkwallのゲームは1800年ごろに随意に行われるゲームから行事として行われるゲ ームに変化したといえる。このような変化をもたらしたプレーヤーの増加については、 前 掲(表 16)の Kirkwall の人口変動を見ると、1811 年から 1861 年の 50 年間で人口がほ ぼ2倍近く増加していることから確認できる。また、フットボールの変遷史として、中村 に代表されるように、町中でのプレーから空き地へ、そして校庭、競技場へとプレ ーフィ ールドが移行するというのが通説とされているが、ここ Kirkwall では、その逆の道をた どっているのである。

Kirkwall に ど の よ う に し て フ ッ ト ボ ー ル が 伝 わ っ た か と い う 質 問 に つ い て は 、

Robertsonは「どこから、どのように伝わったのはよくわからない」と答えながらも、

石炭とともにワーキントン53 らやってきたかもしれません。私はそのゲームの誕生に ついては確かではありませんが、Kirkwall のゲームもワーキントンや Ashbourne ゲームがそうであるように独自の発展をもっているように思います。なぜならば、人々 はフットボールを行い、彼 ら独自の様式でそれを発展 させてきたからです。フッ トボ ールの習慣は、まさにその 中で発展し、そしてそれが 紹介されているのだと思い ます [Robertson 2000:インタビュー]

と、Kirkwallのゲームの誕生については不明としながらも、自分たちで独自にゲームを発

展させてきたことを強調する。

また Ba’の開催日が他のゲームと異なり、唯一元旦とクリスマスに行われている ことに

ついて、Robertsonは「なぜKirkwallにおいて、クリスマスと元旦にゲームが行われるよ

うになったのか、オークニー諸島では、告解火曜日よりも人々に休日として認知されてい たのが元旦であった」ということ、そして「Kirkwallでは、かつて告解火曜日は休日とし て受け止められていなかった」からではないかと述べている。さらに、「およそ 40年前ま で(2000年時点で)人々は、クリスマスには半日、場合によっては一日中仕事をしていた」

(括弧内筆者)そうで、クリスマスより元旦のゲームに勝利し、勝者(winner)としてボ ールを獲得することに重きがおかれ、年に2回のゲームの受け止め方にいくらかの違いが あると述べている。つまり、クリスマスのゲームは後付けで行われ、その価値も元旦 のゲ ームの方が高かったということである。しかしながら、今日地元住民の声としては、両方 のゲームの重みは同じであり、勝者の価値も変わらないと返事が返ってくる。それは、英

53 Workington はブリテン島のイングランド北西 部の町で、民俗フットボ ールが存続し て い

る 17か所のうちの一つの町である。

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国においても、休日としてクリスマスが元旦を超える盛り上がりをもつようになっている こともその一因と思われる。ゲームの歴史に対する認識は薄れ、楽しみがそれまで の1回 から2回に増えたと受け止め、特に若い世代にとって、ともすればクリスマスの方が重要 という感覚で捉えられているようにも見受けられる。

さらにRobertsonは、ゲームの変容について、著書の中で「1800年頃に、競争的なスト

リート・フットボールへとつくり上げられる変化は、2-3年かけて徐々に起こっていった ようである。そのゲームへの変化は、少なからず、スコットランドのメインランドなどの 外からの影響を受けたとみなすことができ 」、「ゲームが自然にストリート上での競争的な ものへと発展していったのか、あるいはそれは、およそ 1800 年に外部からの影響によっ て生まれた新しい形のゲームが、それまで教会前で行われた古いローカル・ゲームにとっ て代わったのか定かではない。しかしすでに、Kirk Green上でのゲームにおいて二つの相 対するチームは存在しており、その二つのサイドは新しいゲームにも容易に採用された」

[Roberson 1967:115-116]と述べている。その背景には、先述のように「Uppiesの勝利は 農作物の豊作をもたらし、Doonies の勝利は豊漁の証となるというかつての信仰があり」、

また「年に一度の祝儀的儀式として行われた。その両者には、12世紀に教会が建設された 後に、町が伯爵(Earl)と司教(Bishop)に二分されて以降、かなりの敵対的意識が存在 し続けていた」ということがあったようである。

他方で、ゲームの起源を伝説に求める記述もある。S.トゥーリー(Sigurd Towrie)54 は、

彼の開設するウェッブ・サイトの「カークウォール・バー(The Kirkwall Ba’)」という記 事の中の「バーの起源(The Origin of the Ba’)」の項で以下のように述べている。

Ba'の起源については、いくつもの言い伝えがある。その中でもっともよく知られて いるのが、ゲー ムの始まりは、ある少年がTuskerという邪悪な動物の支配から町 を救ったという話に由来するということである。それは、犬のように歯が突き出てい ることからそう呼ばれている。ある少年が、Tuskerという邪悪な動物を退治に出か け、首尾よく退治した。そして切断した首を馬の鞍にかけ、オークニーに持ち帰ろう とする途中に、Tusker1本の歯が少年の足に突き刺さった。そしてその傷口から 毒が入り、少年は死んでしまった。しかし、死に至るまでに彼はよろめきながらも、

マーケット・クロスまでもどり、その動物の首をそこから集まった人々に向かって怒 りを込めて投げ放った。この民俗的説話のモチーフは、“Orkneyinga Saga”の中で詳 細に記述されている、オークニーのSigurd伯爵による歴史上の話とほぼ一致してい る 。 伯 爵 は 、 ス コ ッ ト ラ ン ド に 出 か け 、 あ る ス コ ッ ト ラ ン ド 人 の 伯 爵 に 敵 対 す る Maelbrigte Tusk と い う 敵 を 負 か し た 。 そ し て 、 伯 爵 は 、 馬 の 鞍 に 切 り 落 と し た

54 Sigurd Towrieは、1968年に Kirkwallに生まれ、現在、地元新聞を発行する The Orcadian で働いている。“Orkneyjar”というオークニー諸島の歴史、民俗学、風土について記事を掲 載するウェブ・サイトを開設し、その中の‘The Kirkwall Ba’’の記事では、Ba’ゲームにつ いて詳細に説明している。おそらく、ウェブ・サイトの中では一番詳しい。

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