第1節 日本経団連「経営労働政策委員会報告」からの考察
2006年12月19日、日本経団連は御手洗会長の新体制の下で最初の「2007年度版経営
労働政策委員会報告」を発表した。 「イノベーションを切り拓く新たな働き方の推進を」と 題されたこの報告では、企業を取り巻く環境の変化や経営と労働の課題、経営者のあり方
について述べられている。この報告が目指すものは、日本の成長力と競争力の強化であり、
そのための具体的行動として、企業レベルでの成長力強化と生産性向上のための取り組み を求めている。そして、経営労働政策委員会報告の序文で御手洗会長は、 「グローバリゼー ションは事業機会を世界中に拡大し、いっそうの豊かさを享受し得る好機を提供している。
競争の激化はあっても、世界経済の構造変化に積極果敢に立ち向かい、世界のダイナミズ ムを自らのものとするという姿勢こそが好機をつかむ鍵となる」と述べ、日本の一層の成 長のためには、多国籍企業の新たな挑戦が必要だと受け取れる表明を行っている。
多国籍企業は、 1980年代後半から日米摩擦を背景とした直接海外投資による国際化で推 し進められてきたものである(第1章・第3節)。この流れを受けて日本の大企業は海外生 産を積極的に展開した結果、収益の半分以上を海外で稼ぎ出す多国籍企業にまで発展した。
それに甘んじることなく、グローバル化の加速する国際社会で更なる競争優位を得るため に、日本経団連は企業経営改革の手を緩めてはならないことと、そのためのイノブ‑ショ ンを推進している1。 .yヽ、
しかし, 1980年代の多国籍企業化は産業の空洞化や中小企業の倒産、リストラクチャリ ングなどの痛みを伴いながらの産業構造の切り替えであった。具体的には、正社員の駆逐 とコストの安い非正社員の使い捨てである。多国籍企業化を推進することは悪いことでは ない。ただ、過去の経験を生かせなければ日本の労働者はますます苦しめられることとな るだろう。ただでさえ、正社員は成果主義による二極化、非正社員は不均衡処遇による格 差などに直面し、悩まされている(第3章)。さらに、正社員以外の雇用形態は不安定であ
るという日本の労働慣行が少子化の解決をより一層困井にし、ワーキングプアの問題も深 刻化させている。これらの問題を引き起こした要因は様々であるが、企業による労働力搾 取が関係していないとは言い切れない。日本経団連の多国籍企業の推進は、コスト削減一 辺倒の考えを企業とともに改めていく過程と同時進行であることを強く願う。
このような経済界偏重の短期的な数字の追求と、労働力の使い捨ては、明らかに労働者 を代替可能な道具や機械と見なしている。労働者の管理方法はテイラーの科学的管理法を 出発点として、労使関係を重視した人事管理、その発展形としてのHRMと、改良が重ね
られてきた。これら歴史の産物を駆使し、企業は労働者を人間として取り扱わなければな らない。そもそも労働者とは、経営資源のうちの一つに属する。企業における経営資源は ヒト、モノ、カネ、情報と言われ、その中でもヒト、すなわち労働者は意思や主体性を持
1 JLP.NET 「07日本経団連『経営労働政策委員会報告』を批判する」
bttp:〟www.jlp.net/union/070101.btml (2007年1月10日確認)
つことから、他の経営資源とはやや異なっている。モノ、カネ、情報を使いこなして競争 に打ち勝つ組織構造を作り上げるのも、企業の目的の大部分である利益を上げるのも、す べて労働者である。意思や主体性は、時として勤労意欲の低下など、組織にとって不都合
をもたらすものではあるが、成長という無機物には存在しない機能を兼ね備えている。成 長は、人間を開発可能な資源と見なすHRMの人間観にもその重要性が表されている。
また、意思や主体性をコミットメントという形で企業に取り込んでいくことができれば、
企業にとってそれは大きな強みとなる。 ⅢRMが目指すフレキシビイリティーも、従業員の コミットメントなくしては実現しない。このように企業の成功にとって労働者とは、なく てはならない存在であり、 HRMでも経営戦略の達成には人的資源の力が大きく関わってく る。日本経団連が「経営労働政策委員会報告」で、企業の成長力強化と生産性向上のため の取り組みにはイノベーションが大きな役割を果たすとし、そのために人材力の強化を挙 げていることからもそれは裏付けられる。
日本経団連が企業レベルに求めるイノベーションによる成長力強化と生産性向上の取り 組みには、以下の三点が挙げられている。 ①経営トップによる企業理念・戦略の明確化と 変化を厭わない企業風土の確立、 ②研究開発投資‑の積極化とICT (情報通信技術)の有 効活用、 ③人材力の強化である。さらにこの三点に加えて、製造業に比べて生産性の低い 非製造部門である第三次産業でも人材力強化に注力しなければならないとされている2。そ の上で、 「経営労働政策委員会報告」は企業を支える人材の育成の観点から、企業に対して その企業にとって必要な人材像を明確にすること、適切な人材育成・教育訓練‑の取り組 み、従業員の自己啓発の支援を強調している。ここからは、企業に求められる人材の多様 化や高度化が人材教育の重要性を高めていることや、イノベーションの原動力を人材に求
めていることが読み取れる。
このように日本経団連が人材の強化を重視する背景には、少子高齢化による労働力人口 の減少がある。日本の労働者は労働力搾取などの悪い意味での労働力の流動化は非正社員 の増加からも明らかであるが、北欧諸国のような自信を持った転職など良い意味での労働 力の流動化についてはまだレベルは低い。また、標準化できない部分の技術継承にはアウ
トソーシングか終身雇用制しか方法がないため、オープンネットワーク経営のメリットを 認識しつつも、アウトソーシングできない部分はやはりまだまだ人材を囲い込むことが企 業にとっては一般的である。非正社員の正社員登用が進んでいることがその証拠である。
しかし、日本経団連は人材が「人財」であることは認めているにもかかわらず、社会保 障制度の持続可能性を確保しなければならないという観点から、 「国民一人ひとりが自らの
ことは自らが守るという自助努力を基本に、公的な制度‑多くを依存する姿勢は是正して
2 日本経団連、 「2007年版 経営労働政策委員会報告(概要)」
httpJbwwJieidanrenDrjphqpapesebolicyWf (2007年1月17日確認) 、 2ペ ージ。
いかなければならない」と「経営労働政策委員会報告」で表明している3。そしてその理由 には危機的経済状況を挙げ、その打開のためには負担の抑制に重点を置く改革の推進を掲 げている。しかし、この見解には大いに疑問を感じる。社会保障制度とは、公的扶助、社 会保険、社会福祉、公衆衛生と医療から成り、特に企業は社会保険の部分で従業員の社会 保険料を折半で支払っている。社会保障制度は国民の生存権を守る上でも重要であり、ワ ーキングプアの問題を考えると、一部ではその社会保障制度ですら十分に機能していない。
それにもかかわらず、日本経団連は「高齢者は必ずしも経済的弱者ではない」とし、 「現役 世代等の負担の抑制に軸足を置いた改革が必要」だと述べている4。日本は極端な二極化に
よって、いわゆる「勝ち組」に入ることのできなかった労働者は働いている年代の頃でさ え,家庭を持ちたくても物理的に不可能な、ギリギリの生活を強いられている。年金に期 待できないために、 60歳以降も仕事を続けたいと考える労働者が七割を超えるという調査 結果も出ている。それにもかかわらず、高齢者世代を経済的弱者ではないと言い切る日本 経団連の明確な理由が私には分からない。 「現役世代等の負担の抑制」が狙いであるようだ が、現役世代というよりはむしろ、 「現役世代等」の「等」に当たる部分が負担するコスト
の抑制を狙っているとしか私には思えない。そしてこの「等」の部分には、もちろん企業 が含まれる。
このような「経営労働政策委員会報告」から、経済界は人材を「人財」として重視する ことの必要性を認識しながらも、それと同時に、相変わらず極限までコストを削減しよう としていることが分かる。企業にとってコスト削減は競争力強化という重要課題のために もー概に悪いことだとは言い切れない。しかし、それに偏りすぎている徹底した賃金を含 む人件費削減には賛成できない。少し行き過ぎの観がある企業の行動は、人材をコストの かかる「人罪」とでも見なすかのような気さえする。企業に成功と繁栄をもたらす担い手 である従業員を一体どこまで酷使し続ければ気がすむのか。最後はもう日本経団連の影響 云々ではなく、企業自身の経営哲学にかかっている。
第2節 BPRとHRM
平田周氏によると、 BPR (Business Process Reengineering ビジネス・プロセス・リ エンジニアリング 以下、 「BPR」と称す)は突き詰めていくと、どのように効率よく、快 適に仕事ができるかというような、ヒトの問題に至るものである5。根本がヒトの管理に帰 結するBPRは、ヒトの管理を行うHRMの今後の展開の刺激となるのではないだろうか。
この節では、 BPRを概観するともに、企業と従業員にもたらす影響を考察したい0 BPRはアメリカで1990年頃に提唱されたものである。日本では1990年代前半に一世を
3同上、 6ページ。
4同上 6ページ。
5平田周、 『リエンジニアリングVSリストラクチャリング』、日刊工業新聞社、 1994年、
13ページ。