︒量
一=
一ロ
は三
回 の委 員会 論事 佐踏 まえ
︑建 替え に関 する 某本 的な あり 方の 素案 に加 え︑
﹁韓 国人 被爆 者な どを 含む 外国 人被 爆者 コー ナー
﹂の 設置
1
﹁原 爆・ 平和 問題 に精 通し
︑館 の運 営を
リl
ドで きる 専門 職員 の配 置﹂ を新 に盛 り込 ん戸
︑ ( 8 一九 九二 (平 成四 )年 十月 十五 日︑ 長崎 市は 新資 料館 の基 本設 計が 終了 し︑ 建物 の構 造や レイ アウ トの 概略 を盆 衣 した
︒資 料展 示は 見学 しや すい よう 地下 二階 ワン フロ アに 集約 する とし
︑フ ロア 面事 乞昼 間の 二倍 に拡 大し た︒ また 地下 一階 に平 和学 習ホ
lル
や語 り部 研修 室︑ ビデ オ室 を設 け︑ 見学 者は 地階 で平 和学 習を 済ま せる こと がで きる よう にし た︒ また 地上 一階 には 図書 室や 情報 処理 室︑ 二階 には 会議 室︑ 図書 閲覧 室な ども 設け ると した
︒
( 9 )
一九 九一 二平 成五 )年 五月 一干 八日
︑国 際文 盤石 館の 解体 工事 に伴 い︑ 同館 の展 示資 料の 約六 割を
︑隣 接し てい る
平和文生露出フロア(四百四十平方メートル)で展示し︑平和会館一階に展示中の核兵器開発などに関する資料を移し展示するための場︑現在国際文生蕗で行なっている原爆のアニメのビデオ上映の場としての仮説展示場ヲ
レハ ブ百 四十 五ぱ )が 建設 され た︒
(1 0)
六月 手九 日︑ 新資 料館 完成 まで の被 爆関 係資 料な どの 布教 叫展 示場 への 運搬 作業 か始 まり
︑国 際文 生耳 館職 員室 耳 いの もと
︑業 者が 作業 に当 たっ た︒ 平和
A語には国際文接語で展示してきたパネル写真など約五百三十点を苧ν︑
プレ ハブ では 平和 会館 にお いで ある 核兵 器に 関す る模 型や 原爆 のア ニメ が移 され た︒
(1 1)
七月一円長崎国際文化会館が新レく関鍾9るまでの哲平間被爆資料などの展一
. Z
行 なう︑仮 展示 場が
フオ
L
ンした︒国際文生露から移レたパネル写真などの被害担約五百三士官加え︑同館が建
E
てい
た初
公開
容器
いな
ども展示された︒﹁原爆による被害の実相﹂を伝えるスペースとして平和会館一階フロアが︑﹁平和への願い﹂のス
ペー
スと
して
平和
会館
前プ
レハ
ブ仮
設展
示場
か利
用さ
れた
︒ (1 2)
この
集試
展示
場概
要は
以下
の内
容で
あっ
た︒
A平和会蕗一階フロア入り口原爆で廃嘘と化した長崎市街の写真をパックに︑カーテン生地に描いた巨大キノコ雲を配置‑B平和会館一階フロア内①原爆投下②被爆の惨状
①漏
戸必
傍に
よる
壁室
ロ
④爆風による被害③放射能による被害
⑥被
爆者
の訴
・え
C
平和
会館
尊ノ
レハ
プ仮
設展
一‑
事
核の脅威を主ヲ模型原爆の記録映画の上映
七月十九日︑長崎の原爆の惨状を三十八年間伝えてきた長崎国際文化会館の周辺部分の解体工事が始まった︒一九
五五 (昭 和三 十) 年の 開館 以来 の入 場者 数か 三百 六十 七万 五千 九百 四十 七人 にの ぼっ た︒ {1 3)
i
七長
自
際文
隻
重
体 解の体工
事
f山
ま
十一月七司長両国際文化議運替え工事安全祈願祭が執り行われ︑本島長崎市長‑伊減達也同館館長︑
の建 設共 同企 業一 体( 五業 者) の代 表考
b約八土宗出席した︒
(1 5)
工事
担当
十二 月八 司新 資料 館に 被爆 じた 浦上 天主 堂の 南側 壁面 の一 部を 実物 大で 復元 展示 を行 なう こと が明 らか とな った
巨露市は︑アーチ門を備えた高さ十メートル︑横千四メートルの原寸大の壁を展蚕9
るた めに
︑感 蔀分 には レン ガ以 外の 材料 を用 いる が︑ 下に 散り ばめ るレ ンガ につ いて は同 天主 堂の 被爆 当時 のレ ンガ を用 いる こと を計 画し た︒
(1 6
翌一 九九 五( 平成 七) 四月 二士 二日
︑統 一地 方選 挙が 行な われ
︑長 崎市 長選 挙で 現職 の本 島等 民か 落選 し伊 藤一 長 氏が 当選 した
︒ 九月 二十 四日
︑﹁ 長崎 の原 爆資 料展 示を 考え る市 民連 絡協 議宏 耳﹂ が発 足し た︒ 同協 議会 は長 崎重 一日 の
AE
︑長 崎原 爆 欝火 者協 議会
︑巨 語原 爆遺 族ム 耳︑ 長崎 在日 朝鮮 人の 人事 等る
A耳
︑平 和公 園の 被爆 遺構 を保 脊す る
A R
長崎 県被 爆二 世教 職員 の
A耳
︑平 和を 考え る会 の七 つの 市民 団体 メン バー によ って 主に 構感
dれ
てい る︒ 同協 議宏 耳は 長崎 証言 のム 耳︑
平和を考える会など長崎市の七つの市民団体から成り︑建替え中の長崎国際文生露の展示の在り方について市民の
考え を反 映さ せよ うと 市に 働き かけ るこ と目 的と して いた
︒こ の日 の会 合で は︑ 日本 の加 害責 任を 明ら かに する 展示
をど うす るか が議 論と なっ た︒ とに して いる
︒
(1 7)
十一 月十 四日
︑﹁ 長崎 の原 爆資 軒展 示を 考え る市 民連 絡協 建五
﹂は 新資 料館 の展 示に つい ての 以下 のよ うな 項目 を 明記 した 要請 文を 長崎 市に 提出 した
︒こ の要 請書 では 以下 の事 項が 要請 され た︒
(1 8)
﹁侵 略と 加害 の歴 史の 展示
﹂な ど要 請項 目を まと め︑ 近く 長崎 市に 文書 で提 出す るこ
﹁要 請す るこ とが ら ー︑ 現在 の展 示に 加え てい ただ きた い展 示の 内容
( 1 )
太草 津戦 争の 全体 像と
︑原 爆投 下の 原因 を明 らか にし てく ださ い︒ ( 2 ) 日本 の侵 略と 加害 の歴 史を 展示 して くだ さい
︒ ( 3 ) 長崎 と戦 争の かか わり につ いて 展示 して くだ さい
︒ ( 4 ) 外国 人の 強制 連行
・強 制労 働と 外国 人の 被爆 を明 らか にし てく ださ い︒
2︑
資料 展示 の企 画案 の公 開に つい て
( 1 )
原爆 資料 館の 展示 につ いて 市民 の意 見を 聴く 会を 開い てく ださ い︒ ( 2 ) 長崎 市原 市量 権火 資料 協議 会の 担議 内容 を公 開し てく ださ い︒
3︑
建設 され る原 爆資 料館 の名 称に つい て ( l ) 長崎 の原 爆資 料館 であ るこ とが 誰に もは っき り分 かる 名称 にし てく ださ い︒
一九九五年十一月十四日
以 上 長崎 の原 爆盗 蒋展 示を 考え る市 民連 誌初 嬰費 五﹂
これに対して信勝達書語国際文生一館館長は︑外国人被爆者については﹁資料が十分に集まらなかった﹂との理由で個別のコーナーは設立9
証言 の中 で紹 介し
︑ま た﹁ 日本 の侵 略︑ 加害 責任 の明 記﹂ につ いて は﹁ 侵略 戦争 と原 爆 被害 を一 つの 流れ とし て捉 えた い﹂ と答 えた
︒
(1 9)
十一 月二 干一
R
長崎 市は 建替 え中 の旧 長崎 国際 文化 会館 の新 名称 を﹁ 長崎 原爆 資蔀 館﹂ とす るこ とを 明ら かに し
名称についてはすでに長崎国際文生語建替検討委員会が﹁原爆被害︑世界恒久平和などを象撃るものに﹂と答 た ︒
申し てい た︒ また 名称 変更 の理 由に つい ては
﹁旧 施設 は当 初︑ 博物 館や 結婚 披露 宴蚕 場な ども ある 複合 施設 であ った ため に国 際文 化会 館と いう 名称 とな って いた
︒観 光客 から も刷 染み にく いと の声 があ った
︒新 施設 は現 実的 に原 爆資 料の 展示 施設 にな る﹂ と説 明し た︒
{2 0)
十二 月十 八日
︑﹁ 長崎 日の 丸会
﹂は 伊藤 長崎 市長 に﹁ 圭春 開館 する
﹃原 爆資 料館
﹄の 展示 内容 に関 する 要盟 主国
﹂を 提出 した すよ
︒そ の内 容は 以下 の二 点で あっ た︒
①原爆実会議につながる﹁日本の侵略と加害の歴主に関する展示を避けてほしい
②原 爆撃
﹁を 批判 する 国内 外の 研究 を広 く紹 介し てほ しい
翌一九九六(平成八)年一月一司四月に関箪9
る長 崎原 爆容 範館 が先 の戦 争で の日 本に よる 加声 付為 を説 明す る
展示を常蓋9
る方 向で ある こと を朝 日新 聞か 一面 トッ プで 暫定
︒日 本の 加害 行為 につ いて 事つ のは
﹁日 中戦 争と 太平 洋戦 争﹂ コー ナー であ ると し︑ 一九
三0
年代 以降 を中 心と する 年表 や地 図・ 映像 でた どる
︒南 京大 虐殺 や旧 日本 軍七 三
一部
隊︑
従軍
嬰苔
姉の
問題
につ
いて
触れ
る予
定で
ある
とし
てい
る︒
また
﹁被
爆者
の訴
え﹂
コー
ナー
では
被爆
者の
イン
タ
ビューを流す三台のうち︑一台で朝鮮人被爆者と捕虜収容所で被爆したオーストラリア入やオランダ人やイギリス人
の証
言を
放映
する
予定
とし
てい
る︒
外国
人被
爆者
の問
題を
﹁長
崎で
の加
害﹂
の史
実と
捉え
︑独
立し
たコ
ーナ
ーと
して
設
置す
る予
定は
ない
とし
た︒
(2 2)
一一
月八
日︑
この
報首
﹄乞
受け
長崎
日の
丸会
は長
崎市
盆附
を訪
れ︑
自民
党市
議団
に﹁
日本
の加
害と
侵略
に関
する
コー
ナ
ーの塾詰止を費耳で扶議してほしい﹂との要望書を提出した︒これに対して自民掌巾議団佐藤忠団長は同会の要望
書に
同意
する
意向
を示
した
︒ (2 3)
二月
二士
二日
︑監
修五
官会
議で
﹁日
中戦
争と
太平
洋戦
争﹂
の確
認が
非公
開で
おこ
なわ
れた
︒ (2 4)
コーナーの年表展示案を提示・映像原案の試写と展示台本
二月
一干
九日
︑長
崎市
は要
請を
受け
関係
者以
外非
公開
とな
って
いた
展示
台本
を自
民掌
巾議
団に
閲覧
させ
た︒
(2 5)
三月七日︑伊藤一長長崎市長は︑日本の加害責任について﹁﹃日中戦争と太平洋戦争﹄の展示の中で︑客観的史実
を一
不す
︒(
加害
責任
は)
日中
戦争
と太
平洋
戦争
の展
示部
分で
中学
︑高
校の
教科
書に
準拠
する
形で
客観
的史
実を
紹介
す
る﹂
と述
べ︑
独立
した
コー
ナー
で取
りト
存る
考え
がな
いこ
とを
明ら
かに
した
︒ (2 6)
三月二十一日︑長崎市費五教育厚生委員会は﹁長崎日の丸会﹂から出されていた﹁日中戦争と太平洋戦杢コ!ナ
ーの 設置 の反 対を 求め る﹁ 長崎 原爆 資料 館の 展示 内容 に関 する 陳情
﹂に つい て論 議し た︒ 長崎 市が 最終 的な 展示 内容 案を ハ会 表し た︒ 強制 連行 や南 京大 虐殺
︑従 軍尉 安婦 など につ いて は年 表や 映像 で﹁ 客観 的史 実﹂ とし て紹 介す るに とど まり
︑﹁ 加害 責任 の展 示コ ーナ ーで はな い﹂ との 考え をあ らた めて 示し た︒
(2 7)
三月 二十 二日
︑長 碕市 は事 前に 長崎 市側 から 展示 脚本 を入 手し た自 民党 長崎 市議 団( 佐警 箇長 )か ら抗 議を 受け
︑ 旧日 本軍 の加 害行 為を 指摘 する 説明 文や 写真 など を削 除し てい たこ とが 発覚 した
︒
Cコーナー必事への道前史託︑
﹁日 清戦 争の 勝利 は中 国や 朝鮮 に対 する 日本 人の 優越 感を 強め た︒ 日露 戦争 によ って 日本 の﹃ 一等 国意 識は 強ま り︑
国民は﹃大日杢帝国の栄光に浸った︒欧米に対する筆嘉手﹂膨らませた日本は︑さらに朝鮮半島の植民地支配や中
国へ の勢 力拡 大を した
﹂と いう 説明 文は 削除 され
︑﹁ 炎天 下︑ 連存 され 長距 離の 移動 で多 薮の 死者 を但 した
﹂と の説 明
を予定していた﹁パターン死の行進﹂の写真は﹁真珠湾攻撃﹂に差し替えられていた︒長崎国際文芸館の伊藤達也
館長 は﹁ 抗議 喝か 原因 で説 明文 など を常 設展 示か ら削 除し たの では ない
︒ス ペー スが 確保 でき れば 常設 展霊
9る
方針 た った
﹂と コメ ント した
︒
{2 8)
三月 一干 五日
︑﹁ 日中 戦争 と太 平洋 戦争
﹂コ ーナ ーで 日本 の加 宝ロ 行為 を指 摘す る展 示寄 軒の 一部 が自 民掌 巾議 団の
抗議後︑削際されていたとされる問題について長崎の原爆資料展示を考える市民連結協議会﹂は長崎市や市建喜
派に 対し て抗 議の 申し 入れ を行 い︑ 事情 説明 と以 下の 項目 につ いて 要求 した
︒
①市 民の 声を 聴く ため の公 開討 論の 場を 設け る
②日 本の 侵略 と加 害の 事実
‑外 国人 コー ナー の設 置