戻 まつで
で 経芦 つ
量 宅
と見 に行 って 以来
︑そ れか らあ まり 寄り 付か なか った
︒こ んな ので 原爆 を表 そう とし ても かえ って 媛小 化し てし まう
︑ 原爆 の被 害と いう のは こん なも ので はな いと いう 印事 乞受 けた
︒高 温で 捻じ 向か った 鉄材 は︑ さび たも のを 放置 した 感じ で展 示し てあ った のに は心 打た れる もの があ った が︑ 内心 では やは り原 爆の 被害 はこ んな もの では ない とい う印 象が 強か った
︒同 じく 写真 集も ずい ぶん 後に なる まで 所有 して いな かっ た︒ それ は目 の前 二回 焼け 野が 原で あち こち に死 体が 転が って いる とい う光 景が 頭の 中に ある もの だか ら︑ 写真 集の 中の 情景 との ずれ を感 じて いた から であ る︒ 展示については現在のものは取り澄ましている︑きちんとしている印象が強くあるが︑国際文生露のものは︑手 で触 るこ とが でき
︑狭 い空 間に 置い であ って 展示 物で 顕き そう で︑ 一一 言っ てみ れば
﹁生 々し い﹂ 資料 かあ った
︒い まの はき ちん と整 いす ぎて いる
︒﹂
﹁長 崎の 原爆 展示 を弘 知す 市民 の会
﹂の 渡窪 正光 さん は次 のよ うに 述べ た︒
﹁つ らか った
︑大 変だ った
︑死 体が 転 がっ てい たな ど原 爆の 悲雪 ばか りが 盛ん に訴 えら れる のだ が︑ 歴史 的卓 義︑ 世界 史の 中で 先の 戦争 がど うい った も ので あっ たか とい うこ とも 同時 に見 てい かな くて はな らな い︒ 国際 文生 露の 頃の 展示 は意 識的 なも ので はな く︑ あ った もの をそ のま ま展 示し てい る印 象だ った
︑現 在の 展示 は﹁ 見せ 物﹂ 的な 印象 が底 辺に ある
︒﹂ 国際 文隻 語時 代と の違 いに つい て﹁ 長崎 の原 爆展 示を ただ す市 民の 会﹂ の北 村芳 正さ んは 次の よう に述 べて いる
︒
﹁被 爆体 験と は他 のす べて の体 験を 圧倒 する もの であ るの だか ら︑ 展示 にお いて 体験 のす べて を正 確に 展示 する とい うこ とは ほと んど 不可 能な こと であ る︒ 国際 文生 耳館 を初 めて 見学 した のは 小学 生の とき であ った
︒あ のと き抱 いた 印象 はと ても 強烈 なも ので
︑そ れに 比べ ると 現在 展示 はず いぶ ん柔 らか くな った よう に感 じる
︒教 育的 閏慮 があ りす ぎて いる とい う印 象も 受け る︒
被爆 資料 の展 示に つい ては
︑自 身の 原点 は国 際文 化会 館時 代の 展示 であ る︒ 当時 の展 示は 今で も一 つ一 つ記 桔亡 て いて
︑そ れほ どま でに すさ まじ い内 容の 写真 であ った
︒し かし 現在 の展 示に つい ては
︑原 爆の 威力 は伝 わっ てく るが
︑ 悲惨 さと いう 部分 では 足り ない よう な気 がす る︒ 国際 文生 一屈 の展 示は 教育 的配 慮と いう もの と関 係の ない とこ ろで 行わ れて いた
︒現 在の 展示 は怖 いと いう 印象 はず いぶ んと 薄く なっ てい る印 象を 受け る︒ 確か に子 供に とっ ては 怖い のだ ろう が︑ 国際 文生 露時 代の 展示 はあ んな もの では なか った
︒じ っく りと 時間 をか けて 見る ため の展 示に なっ て いる よう な印 象+ 乞受 ける
︒理 屈抜 きで
︑原 爆は あっ ては なら ない とい う想 いは 理屈 抜き で伝 えな くて はな らな いも の とし て持 って いな くて はな らな いと 考え る︒ もし 自分 が警 固す るな らば
︑前 の国 際文 生露 の内 容で
︑埋 め尽 くす よ うな 展示 でい いの では ない だろ うか
︒ま た体 験者 が少 なく なっ てき てい ると いう こと を考 える と︑ 実際 の被 爆者 が見 た光 景を
︑ど こま で中 等否
L再
現す るか が重 要で ある ので はな いだ ろう か︒ 歴史 観と いう 前提 をあ まり 与え ない ほう が 自分 で考 える ので はな いだ ろう か︒
﹂
﹁長 崎の 原爆 資料 展香 住考 える 市民 連結 協議 会﹂ の今 回斐 男さ んは 次の よう に述 べた
︒﹁ 展示 物か 多く なり
︑十 分 な時 間を 取り 見学 でき れば よい が︑ ほと んど の人 々の 受口 歴史 的説 明の 部分 につ いて じっ くり と見 る時 間も なく
︑被
爆盗蒋に白がいくこととなる︒となると国際文芸館時代の被爆容軒展示のほうがより﹃切実書というもの与えた
ので はな いだ ろう かと 感じ る︒ 具体 的に どこ と指 摘す るの は難 しい が︒ 修学 旅行 に引 牽し た先 生の 中に も前 の国 際文 化会 館時 代の 展示 に比 べや や迫 力が 足り ない とい う意 見か 多か った
︒初 めて 国際 文生 語に 行っ たと きの 印象 は﹃ 衝 撃的
﹄で あっ た︒ また 核実 験が ある 度に 座り 込み をし てき たが
︑そ のと きに 掲げ てい た大 弾幕 に参 加者 の名 前を その 都度 書い てい た︒ 参加 者の 名前 で埋 め尽 くさ れた 大弾 幕を 国際 文生 語に は展 示し ても らっ てい た︒ 現在 核兵 器と 自 分連 かど のよ うに 向か い合 って いる のか とい うこ とを 知っ ても らい たい
︑被 爆者 運動 につ いて の展 示を 設け ても らい
たい とも 思う
︒見 学者 には 六十 二年 前の 昔話 とし て終 わら せる ので はな く︑ 現在 も危 機的 な状 況が ある とい うこ とを 知っ て真 剣に 考え ても らい たい
︒﹂
│長 崎 原 爆 資 料 館 入 館 者 数 推 移
1 1
120 100 80
40 20
。
1 2 2 2 2 E 2
9 g B 9
。 。 。 。 。 。
9 g 9 9
。 。 。 。 。 。
8 7 8 9
。
2 3 4 5年
︻ 注 }
*
本稿 で参 照し てい る朝 日新 聞・ 毎日 新聞
・護 費新 聞の 記事 につ いて はこ れ以 降す べて 九州 版・ 西部 本社 版
であ
る︒
一九 八五 生広 島市 は一 九九 一年 まで の完 了を めど に広 島平 担苦 心資 料館 の改 装計 画を 明ら かに した
︒そ の 際い くつ かの 市民 団体 から
︑日 本の アジ アに 対す る侵 略戦 争に おけ る﹁ 広島 の役 割﹂ につ いて の展 示を 求 める 演が 上が った
︒広 島市 はこ れら の声 を受 け入 れる 姿勢 をと り︑ 戦時 中の
﹁軍 都と して の広 島﹂ を展 示 に盛 り込 むこ とを 決定 した
︒こ れに 対し て一 部の 被爆 者︑ 犠牲 者の 遺族
︑そ して 右翼 団体 が反 発し
︑広 島 市な どと 対立 する 形と なっ た︒ 広島 の歴 史に おい て﹁ 軍都 とし ての 広島
﹂に つい て展 示で 触れ るこ とは
︑
﹁加 害者 とし ての 広島
﹂の 側面 を提 蚕
9る
こと を意 味し た︒ 軍都 とし て重 要な 位置 を占 め︑ そし てア ジア 諸国 に対 する 加害 者の 側面 を有 して いた から 広島 に原 爆が 投下 され た︑ 原爆 撃﹁ は正 当な こと であ った と いう 印象 を見 学者 が持 つか もし れな いと いう 懸念 を反 対側 は主 事レ た︒ 最終 的に 広島 市は 当初 の予 定通 り︑
﹁軍 都と して の広 島﹂ の役 割を きち んと 盛り 込ん だう えで
︑広 島の 歴史 を量 歪
9る
こと を決 定し
︑平 到記
4室
料館 の墜 事に 踏み きっ た︒ そし て現 在︑ 広島 平和 記会 貸料 館東 一館 一階
﹁被 爆ま での 広島
﹂の コー ナー が﹁ 軍一 都と して の広 島﹂ を展 示し てい る︒ 明治 から 大正 を経 て︑ 昭和 二十 年の 原爆 量ト まで の広 島の あゆ みを
︑市 民生 活の 様子 とと もに 軍都 とし ての 性格 が強 まっ てい く様 子に つい て写 真パ ネル とと もに 説明 し てい る︒ まず 広島 平和 記念 資料 館建 設の 際に は﹁ 広島 の摩 旦を 摘く 上で
︑﹁ 加害 者﹂ とし ての 側面 を提
丞
9るか 否か が論 争の 焦点 とな って いた
︒臣 民崎 の場 合と 同じ く︑ 加害 展示 反対 側の 主張 は﹁ 原爆 投下 向車
( 1 )
( 2 )
論を 助長 する から
﹂と いう 理由 であ った
︒( 直野 章子
‑H Eg 明 主 目 白
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三市
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宮内 己目 (広 島市 立大 学国 際学 部﹃ 広 島国 際研
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第士巻・別冊所収・二OO五年)二二九二四一悪
戦後 五十 周宰 乞記 念し て一 九九 五年 にス ミソ ニア ン航 空宇 宙博 物館 にお いて
﹁エ ノラ
・ゲ イ展 示﹂ が企 画 され た︒ 当初 の展 示計 画で は︑ アメ リカ の
B29
爆撃 機エ ノラ
・ゲ イを 展示 する と共 に︑ 原爆 投下 によ っ ても たら され た被 害に つい ても
︑写 真や 被爆 資料 を展 一歪
9る
こと とな って いた
︒し かし これ に対 して 退役 軍人 やア メリ カ在 郷軍 人会 のメ ンバ ー︑ 保守 派の ジャ ーナ リス トや 歴史 営者 たち が企 画案 に反 対︑ 激し い 抗議 の末
︑幾 度と なく 企画 案の 訂正 が行 われ たあ げく
︑当 初の 案に 盛り 益ま れて いた 原爆 投下 の政 策決 定 過程
︑そ の是 非と 問う 学術 的議 論︑ アジ ア太 平洋 戦争 にお ける 日本 軍の 非人 道的 行為 を描 いた 写真 の数 々︑ 原爆 撃﹁ 後の 広島
・長 崎に おけ る物 的・ 人的 被害 を物 語る 展示 物︑ そし て今 日ま での 核開 発競 争に つい て の展 示な どが 削除 され る結 果と なっ た︒ そし て最 終的 に展 示さ れた のは 修復 され 光り 輝く
﹁エ ノラ
・ゲ イ﹂ とそ の乗 務員 たち を紹 介す るビ デオ 映像 のみ であ った
︒ス ミソ ニア ン航 空宇 宙樽 物館 にお ける
﹁原 爆展
﹂ は﹁ エノ ラ・ ゲイ 記念 展示
﹂へ とそ のコ ンヤ 与ノ トを すっ かり 変え られ てし まっ た︒ これ は博 物館 と退 役軍 人の 対立
︑で あっ たの と同 時に
︑﹁ 日本 とア メリ カ﹂ それ ぞれ で支 配的 な原 爆に つい て認 識の 対立 であ っ た︒ まず この
﹁原 爆﹂ とい うも のを 展示 とい う形 で﹁ 表現
﹂す ると いう 行為 をこ こま で複 雑化 させ た要 因 とし て考 えら れる のが
︑雇 史認 識の 多様 性﹂ であ る︒ 近年 摩史 を表 象し よう とす る行 為に は︑ 必ず と言 っ てい いほ ど異 なっ た歴 ゆ自 同士 の﹁ 対立
﹂と いう もの が生 じて くる 傾向 にあ る︒ (米 山リ サ暴 力・ 戦争 リド レス
│多 文化 主義 のポ リテ ィク ス﹄ 合石 波書 厄・
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O頁参 照︐
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・リ フト ン︑
G・ミッチェル(大塚隆沢芭﹃アメリカの中のヒロシマ下﹄(岩波書庖・一九九五年)一O
一 一 │ 一