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ドキュメント内 長 崎 原 爆 (ページ 97-109)

時期 であ ると いえ る︒ 場 二

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爆資料の数も六角堂の頃よりも飛躍的に培加した︒この背景には被爆者自身がそれらを持ち寄ったことがあった︒そ の意 味で は﹁ 被爆 者に よっ て作 られ た資 料館

﹂で あっ た︒ この こと から 来る 参加 意識 と︑ この 時期 の展 示が まさ に﹁ 被

害の理主であったために︑見学者に訴える力は強く︑共感を覚えるとの証言が多かった︒特に写真や被爆盗軒の強

いイ ンパ クト につ いて は︑ 政治 的な 一斗 一場 を超 えて

﹁評 価す る﹂ とい う意 向尽 か多 く聞 かれ た︒ 四十 一年 とい う長 きに 渡

り︑限られた人員そして専門員も配置していないという状況下で︑飛躍的に増えた被爆資料や展示の保存・管理を

行い

︑ま た見 学者 への 応対 もこ なし てい た長 崎市 職員 の働 きに つい ては 十分 な敬 意を 表す に値 する もの と考 えら れる

︒ 三︑ 長崎 原爆 資料 館の 展示 につ いて 考え たい

︒こ の時 期の 特徴 とし て挙 げら れる のが

︑原 爆資 料館 とな り︑ 長崎 の﹁ 復

里の象徴的建物から︑世塵恒久平和実現に努力する国際平和都市長崎の象徴的施苦﹂して国際的視野へと拡大した点である︒つまり急建なグローバル化の中で︑原爆資料館そしてその展示においても国際国家としての日杢室思議せざるを得ないという状況があり︑長崎の平和博物館から国際的な平和博物館へと大きく変容したのである︒そしてこの性格の変化もその一因となって︑もう一つの特徴として挙げられるのが︑展示が長崎という一地方都市の枠を超えた政普遍場の中で大きく翻弄された点であるロ展示が外部からの﹁力﹂によって幾度と亦責雲雀なくされた事態

は展 示史 にお いて 最大 の出 来事 であ った とい える

*た ろう

︒ 論争 の中 で大 きく 翻弄 され たの はC 11

﹁日 中戦 争と 太平 洋戦 争﹂ コー ナー であ った

︒﹁ 長崎 の原 爆展 示を ただ す

市民の会﹂から連語を受けて自民党長崎市議団が長崎市に問い合わせ︑展示脚杢宮入手した︒それを見た自民党亘崎市議団からの抗議を受け︑長崎市は旧日本軍の加害行為を指摘する説明文を書き事したり︑写真を削除した︒この差

し替 えに つい て中 国駐 長崎 総領 事館 が不 快の 念を 示し

︑さ らに は中 国紙 の批 判報 道を 受け

︑長 崎市 は﹁ 南京 大虐 殺﹂

の展 示写 真か ら変 更し

︑最 終案 とし てい た﹁ 南京 入城

﹂の 写真 を再 度窒 史し

︑中 国側 の理 解を 得た 南京 大虐 殺に 関連 する 写真 に差 し替 えた

︒そ の後

﹁長 崎の 原爆 展香 住た だす 市民 の会

﹂が

︑﹁ 日中 戦争 と太 平洋 戦争

﹂コ ーナ ーの 車反

虐殺の写真とビデオは︑反日宣伝映画の房面であると指摘︑調査の結果︑原爆資料館署晶菱電疑惑がある内容

の差 し替 えを 決定 した

︒﹁ 日中 戦争 と太 平洋 戦争

﹂コ ーナ ーの 選択 ヒデ オ映 像中 の三 百三 十六 画面 のう ち百 五十 二画 面を

︑三 面マ ルチ は八 十三 画面 のう ち二 十四 画面 を新 聞記 事や 新聞 社所 有の 写真 に改 めた

︒ 論争 では 平和 博物 館で ある

﹁原 爆盗 蔀館

﹂に おい て戦 争の 歴史 をと う接 っか

︑つ まり 十五 年跡 事期 にお ける アジ ア 諸国 への 日本 の﹁ 加害 行為

﹂を 展示 する べき か否 かが 問わ れ︑ 長崎 の原 爆資 料展 示を 去五 る市 民連 籍協 議会 は﹁ アジ アに 対し て反 省と 謝罪 を示 すた め日 本の 侵略 と加 害の 歴史

︑外 国人 被爆 者の コー ナー を設 置す べき であ る﹂ と主 事レ た︒ 一方 加害 展示 に反 対す る長 崎の 原爆 展香 乞た だす 市民 の会 は﹁ 日中 関係 の歴 史を 展主

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こと によ って

︑原 壌奴 下は 容認 すべ きこ とで ある とい う印 季乞 見学 者に 与え てし ま‑ つ﹂ と主 張し てき た︒ しか しこ れら の意 見に 対し て

E

市は 一貫 して

﹁加 害展 示で はな く︑ 原爆 撃下 に至 る戦 争の 歴史 を教 科書 に準 拠す る形 で年 表と して 提示 した

﹂と して

き た

こ ︒ うし た論 争の 背景 には

︑本 島等 前長 崎市 長が 現職 のと き行 なっ た﹁ 天皇 の戦 争責 任雪 国﹂

︿一 九八 八( 昭和 五十

八)年士一月七日)以時五島市富豪撃事件﹂(一九九

O(

平成 二) 年一 月十 八日 )や アジ アへ の加 害行 為に 対す る謝 罪を 初め て﹁ 平和 宣言 文﹂ (一 九九 五( 平成 七) 年) 中に 盛り 込み

︑そ して 一九 九六 年元 旦の 朝日 新聞 の﹁ 加害 展示

﹂に つい ての 記事 が一 面ト ップ とし て大 々的 に報 道さ れた とい うこ とが あり .長 崎市 の政 治状 況は 緊事 レた 状況 にあ った とい える

︒聴 き取 り調 査の 中で

︑﹁ 加害 展示

﹂に 関し て当 時﹁ 長崎 の原 爆展 香乞 ただ す市 民の 会﹂ 側か 杢島 氏の 強い 影響 力の 存在 を認 識し てい たと の証 言ロ を得 たが

︑資 料館 に勤 手レ てい た複 数の 巨語 市職 員の 証一 言ロ によ れば

平和 一軍 一一 員と いう 形で の方 向性 は示 され たも のの

︑加 害展 示に つい ては 本島 市長 の影 響力 を全 く威 判じ てい なか った とい う︒ 今回 の調 査で 本島 氏本 人に 聴き 取り 調査 を行 うこ とは 出来 なか った が︑ そう いう 緊迫 した 状況 が持 続し

︑長 崎原 爆資 料館 の開 館に 際し

︑展 示で

﹁加 害﹂ が焦 点と なり

︑﹁ 論理 宇﹂ が過 熱し た要 因と なっ たと 考え られ る︒

﹁加 害展 示﹂ の是 非を めぐ って は︑

﹁ア ジア に対 して 反省 と謝 罪を 示す ため 日本 の侵 略と 加害 の歴 史の 提示 が必 要 であ る﹂ とい う意 見︑

﹁日 中関 係に おけ る加 害の 歴史 を展 示す るこ とに よっ て︑ 原爆 相殺 論と なっ てし まう

﹂と いう 意見 の対 立で あっ た︒ それ では 論争 から 十年 が経 過し た現 時点 で︑ 日本 国民 は﹁ 十五 年戦 争に おけ るア ジア 諸国 への 戦争 責任

﹂に つい て︑ どの よう に考 えて いる かを 丞

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興味 深い 調賓 なめ る︒

二OO

七年 一月 二十 五日 付の 朝日 新聞 に掲 較さ れた

︑﹁ 愛国 心﹂ につ いて の世 論調 査の 結果

( 1 )

によ れば

︑日 本国 民の 約八 割が 愛国 心を 持っ てい るこ と︑ また アジ ア諸 国へ の侵 略や 植民 地支 配に 対し て八 割以 上の 人が 反省 する 必要 があ ると 寝レ てい ると いう こと が明 らか とな った

︒つ まり 日本 国民 の多 くは 愛国 心が ある と同 時に

︑過 去の 歴史 につ いて 反省 の必 要性 を認 識し てい るの であ る︒ この こと から 日本 国民 は過 去の アジ ア諸 国へ の侵 略行 為は

﹁反 省す べき こと

﹂と して 受け 入れ

︑同 時に

﹁原 爆は 絶対 悪で ある

﹂と 翠醐 して いる こと が分 かる

︒さ らに この 世論 調査 の拡 翼を 受け て︑ 国際 法筆 者・ 大沼 保昭 は︑ 碕菌 心が ある 人ほ ど反 省す る必 要が ある と考 える 傾向 か強 く︑ 愛国 心が

﹃全 くな い﹄ 人で は反 省を 必要 とい う答 えが 六十 三% なの に対 し︑ 愛国 心が

﹃大 いに ある

﹄人 では 反省 が必 要と いう 考え が八 十八

%に のぼ る︑ とい う点 に着 目し

︑こ のこ とか ら﹁

﹃反 省す るリ ベラ ル

H

愛国 土棄 望台

﹄対

﹃反 省は 聡す べき 自屈 と見 る愛 国主 義者

﹄と いう 対立 が︑ 全く 国民 の意 識か ら求 離し た晶 携の 図式 であ るこ とを 物語 る﹂ と指 摘し てい る︒

( 2 )

つま りこ れら のこ とか ら考 えて も﹁ 侵略 行為

﹂を 展歪

9

こと がた だち に﹁ 原爆 投下 容認 論﹂ に直 結す ると はい え ない よう にみ える

( 3 )

しか し現 在の 世界 の核 情勢 を見 ると

︑﹁ 加害

﹂・

﹁被 害﹂ とい う﹁ 二項 対立

﹂︑ つま り﹁ 日米 関係

﹂そ して

﹁日 本 とア ジア 諸国 との 関係

﹂で

︑﹁ 原爆

﹂を 理堅

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#/ 庁で はな く︑ 別の 視角 から の換 珂も 必要 であ ると 考え られ る︒ 作家 井上 ひさ しは

︑戯 曲﹃ 父と 暮ら せば

﹄で 前口 上と して 次の よう に述 べた

Z

﹁ヒ ロシ マ︑ ナガ サキ の話 をす ると

﹃い つま でも 被害 者意 識に とら われ てい ては いけ ない

︒あ のこ ろの 日本 人は ア ジア に対 して は加 害者 でも あっ たの だか ら﹄ と云 う人 たち がふ えて きた

︒た しか に後 半の 意見 は当 たっ てい る︒ アジ ア全 域で 日本 人は 加害 者だ った

︒ しか し︑ 前半 の意 見に 対し ては

︑あ くま で﹃ 否!

﹄と 言い つ守 つけ る︒ あの こ個 の原 子爆 弾は

︑日 本人 の頭 の上 に落 とさ れた ばか りで はな く︑ 人間 の存 在全 体に 落と され たも のだ と考 える から であ るロ

﹂ 明ら かな よう にこ こで は︿ 加害

﹀と (枯 塗百

﹀が 対立 的な 概念 とし てあ るの では ない こと

︑人 類に 対す る原 爆投 下と いう より 普遍 的な 形で の原 爆の 捉え なお しが 必面 楚と 思わ れる

︒従 って 展示 につ いて も︑ 同様 に人 間の 歴史 とい う見 地に 立っ た﹁ 原爆 の展 示﹂ を模 索じ てい く必 要が あろ う︒ 論争 では

﹁戦 争の 歴史 を展 一不 する か否 か﹂ とい う点 に焦 点が 当た るあ まり

︑本 来重 視さ れる べき であ る被 爆資 料に つい ての 論議 は︑ ほと んど 展開 され てこ なか った

︒論 争自 体が 展示 を充 実さ せる 方向 に展 開せ ずそ の意 味で は︑ 建設 的で はな かっ た︒ イン タビ ュー 中で

︑資 料展 示に 関わ った 元市 の職 員が

︑世 界に 二つ しか ない 建物 資料 を展 歪

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ため の建 物を 建設 する とき は︑ 一つ のプ ロジ ェク トを 作り

︑二 年が かり

︑三 年が かり で取 り組 むべ きこ と︑ 通常 の仕

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