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日時:2009年1月24日(土) 13:00〜16:00 会場:東京学芸大学環境教育実践施設 多目的室 参加者:45名

プログラム

■趣旨説明

■パネリストより発題(3名、各30分)

■グループ討議

■全体討議

<講師プロフィール>

村上 千里(むらかみちさと)氏

(特定非営利活動法人 「持続可能な開発のための教育 の10年」推進会議 事務局長)

平井 朗(ひらいあきら)氏

(環境・平和研究会共同代表・大東文化大学非常勤講 師)

三宅 隆史(みやけたかふみ)氏

(シャンティ国際ボランティア会(SVA)企画調査室 長・教育協力NGOネットワーク(JNNE)事務局長)

【概要】

国連ESD の10年(2005年から2014年)に関連して、

現在、国内外でさまざまな ESD の取組みが実施されて います。しかし、ESDは必ずしも一枚岩ではなく、積 極的推進派から批判的オルタナティブ派まで、多様な 声がそこには含まれています。ミニシンポジウムでは 立場を異にする方々にお集まり頂いて討論を行い、そ れぞれの立場の考えを味わいながらESDについての理 解を深め、新たな実践の可能性を探りたいと思います。

※ミニシンポジウムは、「持続可能な開発のための教育

(ESD)論」(環境教育専攻選択必修科目、担当教員: 原子栄一郎)の一環で行います。

村 上 千 里氏

「持続可能な開発のための 教育の10年」

推進会議 事務局長

こんにちは。「持続可能な開発のための教育の10年」

推進会議というNGOの事務局長をしています、村上 千里と申します。日本でESDを進めていく団体という ことで、「ESD-J」という呼び方で知っていただいてい るかと思います。いろいろESDを調べるにあたって、

私どものWebサイトにアクセスしていただけたようで、

どうもありがとうございます。ESDとは何かというの はWebサイトなどで皆さん調べていただいたりしてい るので、今日は、「ESD-J」がなぜESDを進めようとし ているのか、どういうふうに進めようとしているのか、

それからその前に私自身がどうしてESDを進めようと 思ったのか、というようなところをお話させていただけ ればと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

まず、組織としての自己紹介です。「ESD-J」は、国 連で「持続可能な開発のための教育の10年」が2005 年から2015年までの10年間進めることが決まったとい うことで、この流れを良い追い風にして、それまでの 日本国内で様々進められていた環境教育、開発教育、

人権教育、平和教育といったより良い社会をつくって いくための教育活動をもっともっと広げていこうと。そ れから、教育の本流(メインストリーム)に、そういう 社会の課題を扱う学び、それから参加体験型で問題解 決につながるような学び、そういうものを広げていこう という思いでつくられた団体です。現在100団体くらい の団体会員、300名くらいの個人会員によって支えられ ている組織です。活動内容は、地域でESDを進めてい こうとする人たちとつながってネットワークをつくって いくこと。それから国や自治体がESDをもっともっと 進めていくために、また本当に効果的なESD推進のた めの施策をとっていくための政策提言をしていくこと。

それからESDの活動をもっといろいろな人に知っても らうために普及活動を行い、また教育の担い手の方々 にESDを知って頂くための研修をしていくこと。ニュー スレターなどをつくって情報発信をしていくこと。それ から、ESDの10年というのは国連のプログラムなので、

各国でそれぞれ動きがあります。そういう動きを日本 に紹介したり、日本の動きを海外に発信したりしなが

ら、世界でESDがよりよく広がっていくことを視野に 入れた活動も行っております。このような5本の柱で 活動を行っています。

では、この「ESD-J」に私がどうして関わり始めた かということを、問題意識とともに紹介させていただき たいと思います。私が環境NGOというところに足を踏 み入れたのは1992年、今からもう17年も前になります。

それまではコンピューターをつくる会社で営業などをし ていたのですが、限られた市場にいろいろな企業がた くさんのコンピューターを売るために競争している。私 はそんな中、自社のコンピューターをとにかく買っても らうためにこんなに遅くまで残業している。でも、自社 のコンピューターでなくても世の中そんなに変わらない のではないかと自分の仕事に疑問を持ちました。そう いうために自分の時間を使うよりは、もう少し社会の問 題にアクセスできる仕事をしたいと思い、転職を考え たのが始めです。

そのころは環境NGOというものが今ほど知られてい るわけでもなく、ジャーナリストになるのがいいのか、

行政マンになるのがいいのか、いろいろ求人広告など を見ながら悩んでいたわけですが、その時たまたま出 会った会社が、「日本リサイクル運動市民の会」という、

NGOから出発してその時には100億くらいのビジネス をしていた会社でした。ちょっと変わり種のNGOだと 思います。そこは何をしていたかというと、リサイクル を広めるためにフリーマーケットをするということから 始まった団体でした。しかし、どうもリサイクルをやっ ているだけでは、世の中は変わらない。もっと生産に つながるところ、出てしまったものをどう何回使うか という話よりは、もっともっと根本的にどのようなもの を、どれだけ、どのように作るのかといった生産のとこ ろにアプローチしないと、世の中は変わらないというこ とで、有機農業運動の方面で活動を展開し、「らでぃっ しゅぼーや」という有機農産物を宅配で販売してい くというビジネスを立ち上げた会社でした。この「ら でぃっしゅぼーや」がスタートして5年目くらいで100 億円のビジネスをやっていました。そういう代替提案 をして、それが経済として成り立つということを形にし て見せるというところがすごく面白いと思って、転職を しました。NGOというのは様々なテーマに関して、異 議申し立て、もっと良いようにしていくための意見を出 していくという団体です。今で言う社会起業ですけれ ど、「食える」市民運動というものを始めていた団体で 活動したというのが私の根っこにある経験です。ジャ パンエコロジーセンターというところで、環境問題のこ

とをもっとたくさんの人に知ってもらうための仕事を私 はやっていました。それで、ちょうど1992年というと 地球サミットが開催された年で、その頃から「地球環 境問題」というのが初めて新聞に単語として並びはじ めました。それに対してNGOが国際社会の中で意見 を言って、活躍していることがおそらくはじめて広く知 られはじめた頃だったと思います。それから環境問題 への運動が「対立から対話」へというキーワードで様々 な代替案を提案しながら、より良い社会を作っていく という方向で動きはじめました。私自身は情報センター の仕事をしていたので、こんな活動をもっとたくさんの 人に知ってもらうためにはどうしたらいいのかというこ とを、日々問題意識として持っていました。環境NGO の最前線で戦っている方々の話を間近で見ると、とに かく専門的で難しい運動なので、普通の人に関心を持っ てもらうことの難しさも同時に感じていました。

その一方で、環境教育というものに出会ったのもこ の頃でした。環境教育フォーラムに参加しました。そ こで参加体験型の学びや自然の中で体験を通して、い ろいろな人と話し合いながら自分の考えを出していく、

コミュニケーション力を高めるような学びとか、そうい うものに出会って、楽しく環境問題を伝えるということ もできるということを感じました。でも、わりとそこで 語られている環境教育は、自然の中で自然について学 ぶことが多く、「それだけやっていても今ここにある社 会の問題は解決するの?」というのが私の問題意識と してありました。海外の開発の問題であったり、国内 の農業の問題であったり、そういうことが根本的に変 わっていかないと、社会というものは良くならないと思 うけれども、当時の環境教育はそれにきちんとアプロー チしているのかという問題意識を持っていました。もっ と私生活の中で自分たちの生活を問い直す、見つめ直 す、そこからいろいろな社会の問題につながっている ということに気づいていく。もしくは、そういうことを 変えていくために自分たちの暮らしや地域を変えてい くということが必要なのではないかと思って、仲間たち と「都市環境教育研究会」という小さなサークルを始 めました。そこで住民参加のまちづくりの手法や開発 教育といって、主に世界の貧困・格差の問題、難民の 問題、平和問題というものを日本の人に伝える教育活 動、そういうものと出会って、「環境教育と開発教育が ドッキングするといいのではないか」ということを考え ながら活動をしていました。

その後、仕事としては、「地球環境パートナーシップ プラザ」という市民と企業と行政が一緒になってパー

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