れることである。このうち,「技術の波及」は「技術的外部経済性(technological externalities)」,
「中間投入財」と「集中化された労働市場」は「金銭的外部経済性(pecuniary externalities)」
に峻別されてもいる(クルーグマン 1999: 52)。現在の産業集積論では,以上がマーシャル集積 論に関する通説的理解となっている。
以上はモデル化を前提とした要点整理であり,クルーグマンによるマーシャル集積論のモデル に関しては,ある前提条件があること,および2つの特徴があることが重要となる。ある前提条 件とは18世紀末に見られた歴史的実例を検討した結果から導き出されたものであって,地域集 中化が起こる「きっかけとなった出来事(initial event)」よりも「集積過程の性質(the nature of the cumulative process)」を重視するという前提に立っている(クルーグマン 1994: 77)。地 域集中化の直接的契機が「ささいな出来事(small accidents)」や「小さな偶然的出来事(small accidental events)」であると繰り返し述べていることに明らかなように,クルーグマン自身は 産業集積の発生論にはあまり関心がなく,産業集積の生態論に高い関心を寄せている。
また,クルーグマンによるマーシャル集積論の特徴のひとつは,19世紀末の産業集積と現代 の産業集積を同列に把握しようとしている点である(クルーグマン 1994: 77)。訳書では「こう した集積過程は持続する」となっているため,真意が伝わりにくかったと思われるのだが,原文 では ʻpervasiveʼ であって,歴史的,地理的に広範に見られるといった意味合いである。そして,
もうひとつの特徴は「技術的外部経済性」よりも「金銭的外部経済性」,つまり「技術の波及」
よりも「中間投入財」と「集中化された労働市場」が重視されている点である。経済学者なのだ から市場構造に注目するのは当然だとも思えるのだが,クルーグマンによるマーシャル集積論に 対する批判は,まさにこの点に集中している。その批判が抱える問題の一例を明らかにするため に,この分野において影響力が大きい2人の日本人研究者を取り上げる。
まずは経済地理学における批判を取り上げる。たとえば,山本(2005: 127─129)は「マーシャ ルが論じたことは,ひとたび産業の局地化が発生したならば,その局地化現象が持続する理由で あったのに対して,クルーグマンが示したのは局地化が発生するメカニズムに過ぎない」のであっ て,クルーグマン・モデルが「マーシャルの考え方に沿ったものではない」と指摘している。そ して,「クルーグマン理論の最大の問題の1つは,技術のスピルオーバーを相対的に軽視し」た 点にあると続ける。上で紹介したように,これは明らかな誤読である。たしかに,それでもある イデオロギー的立場に立てば主張には一貫性が見られるのだが,後述するようにその立場が原因 でマーシャル集積論の解釈に大きな誤解,あるいは歪曲が生じている点は否めない。
次に地域経済学における批判を取り上げる。たとえば,中村(2004: 33)は「技術・技能の伝 播(知識のスピルオーバー)が,軽く扱われているところに分析の限定性が現れている」と述べ た上で,さらに「収穫逓増の静態的分析にとどまり,収穫逓増効果という経済のダイナミズムに かかわる問題を,その発生,発展,消滅にかかわる動態的な分析として行うことはなされない」
と捲し立てる。発生論ではなく生態論であるという分析は支持できる。しかし,消滅の要因に関
して,クルーグマン(1994: 78)は技術の標準化をあげており,かつこの問題は山本(2005)が 発生論であって生態論ではないとする論拠ともなっている。したがって,こうした議論をいくら
《集積》しても,没交渉的である限り知識のスピルオーバーが生じるはずはないのである。
2.問題の所在,および本稿の構成
問題点について指摘する前に,本稿がクルーグマンによるマーシャル集積論に注目する理由を 述べておこう。理由のひとつは敵の敵は味方という単純な理屈である。クルーグマンは「マルク ス的な理解あるいはデリーダ的な『ポスト・フォーディズム』への傾斜」を見せる経済地理学に 対して手厳しい批判を行っている(クルーグマン 1999: 90)。これは訳者が穏便な表現に改めた もので,原文には「『ポスト・フォーディズム』という言い回しで素性がわかるというものだ(The giveaway turns out to be the phrase“post-Fordism.”)」といった赤狩りを彷彿させる表現や,「デ リダかぶれのレギュラシオン学派(the Derrida-influenced regulation school)」や「脱構築派地 理学(deconstruction geography)」といった揶揄も見られる。
言うまでもなく,この背景には激しいイデオロギー対立があり,山本(2005)によるクルーグ マン批判には「デリダかぶれのレギュラシオン学派」による報復攻撃としての意味合いがある。
しかし,「脱構築派地理学」に関してより重要なのは,ピオリ&セーブル(1993)による「クラ フト的生産体制」という問題提起に対して,「リストラと危機の議論の持つ暗さを論駁するとい う目的から,過度に楽観的である」,あるいは「階級闘争についてのマルクス主義の主張に対して,
直接的な挑戦をすることになる」といった敵対的な態度を鮮明にしているということである
(ディッケン&ロイド 1997: 452)。このため,「クラフト的生産体制」に関する理解を深めようと する意図や発想をそもそも持ち合わせておらず,筆者と問題意識を共有し得ないのである。
第二の理由は立地論批判の的確さである。クルーグマン(1994: 15)は立地論が「市場構造を モデル化することについてはまったくといってよいほど注意を払っていなかった」と批判してい るが,実は同様の批判は地理学内部にも古くから存在する。たとえば,千葉(1966: 92)は「貨 物の移動が実現するためには商取引が成立するという前提がなくてはなら」ず,「これには信用・
宣伝・金融などというファクターが介在する」のだが,「偶然性があるとか,外部のものにうか がい難い慣習に左右されるなどの理由から,地理的条件としてはほとんど考慮されず,たまたま 地理的習慣性などといった不得要領な言葉で片づけられ」てしまい,結局,立地論では「単に貨 物の運搬輸送のみが考えられ」ていると指摘している。以上は歴史地理学からの批判である。
マーシャルの根源的な問題意識は「大規模生産の経済はどの程度まで内部経済によらなくては ならないのか,またどの程度まで外部経済によって得られるか」(マーシャル 1965: 262)である。
仮に双方の本質が分業のメリットにあり,企業の規模は「取引費用(transaction costs)」に規定 されると考えれば,ウェーバー集積論との接点を見出せもする。しかし,市場構造を除外すれば,
「金銭的外部経済性」より「技術的外部経済性」を重視せざるを得なくなり,必然的にイノベーショ
ン・プロセス偏重の議論に陥る。先の誤読も「標準化される技術に代わって,新しい技術の発生 が繰り返しなされるような状況こそ必要だ」とする問題意識に起因する(山本 2005: 130─131)。
技術革新の永久機関である千年王国主義的産業集積論を標榜するのは自由だが,歴史的事実をも 否定する態度は非科学的であって,単なる錬金術に終わる公算が大きい。
しかし,最大の理由は優れた歴史認識にある。マーシャルの時代に「産業地域」が世界各地で 同時多発的に誕生しており,グローバリゼーションの中でのローカリゼーションという点で現代 に見られる産業集積と共通性を有していることを,クルーグマンは正しく理解している。たとえ ば,「産業地域」の同時多発性に関して,クルーグマン(1994: 49)は「産業が集中化していく過 程は非常に特徴的であったので,19世紀後半には大いに注目を集め,1900年には米国国勢調査 報告書にもこのテーマですばらしい論文が掲載された」と明確に指摘している。また,1890年 にはイギリスでマーシャルが『経済学原理』において,また1909年にはドイツでもアルフレッド・
ウェーバーが『工業立地論』において産業集積について論じている。
また,クルーグマン(1994: 33)は19世紀後半にアメリカ国内に「産業地域」が同時多発的に 誕生した過程を「地域の多様化(regional divergence)」と呼び,その原因に「輸送ネットワー ク(transport networks)」をあげている。つまり,この過程は「鉄道型離陸(railway take-off)」
(ロストウ 1961)の一局面であった。ロストウ(1961: 75)によれば,鉄道には「スミス的機能(the Smithian function)」,つまり「国内輸送費を引き下げ,新しい地域と生産物を商業市場に登場さ せ,そして全般的に,市場を拡大する」働きがあった。そしてさらに,クルーグマン(1994: 82)
は, 当 時 の「 画 期 的 な 発 明(the epochal innovations)」 が「 鉄 道 と 蒸 気 船(railroads and steamboats)」であったのに対して,現代において生産のための「サービスの地域集中化
(localization of service)」を促進した技術として,「情報」を伝達する技術をあげている。
以上のように,クルーグマンには,産業集積が交通革命や通信・情報化によって急速にグロー バリゼーションが進展し,新たなビジネスの機会が生まれた状況への地域的対応だとする認識が ある。重要なのは,以上がマーシャルとの共通認識であるということである。たとえば,「運輸 通信手段の改良が産業の地理的分布におよぼした影響(the influence of improved means of communication on the geographical distribution of industries)」に関して,マーシャル(1965:
258)は「運輸通信手段の低廉化にともなって,遠隔な地域のあいだの意見の自由な交流が容易 となると,産業の立地をきめる力のはたらきも変わ」り,「特定の産業を特定の地区へ集積させ る(concentrate particular industries in special localities)傾向を強めた」と指摘している1)。
以上のような優れた歴史認識を有しつつも,クルーグマン・モデルには致命的な欠点がある。
その欠点とは空間経済学から「産業地域」を「追放(exile)」2)したことである。分析対象が「米 国における製造業地帯(the U.S. Manufacturing Belt)」3)に摩り替えられているのである。「産 業地域」と「製造業地帯」は同時に誕生した。ロストウ(1961: 75─76)によれば,鉄道には「近 代的な石炭・鉄・機械工業の発展をもたらし」て,国民経済の軸となる「近代的基幹産業部門の