奥 田 進 一
減少が見込まれるが,畑地灌漑用水や水路機能を維持するための用水確保が必要であり,今後も 横ばいで推移すると思われる。農業用水は,灌漑用水だけでなく,古くから防火用水,環境用水
(景観形成,生態系保全,生活排水の希釈)収穫物・機械洗浄などにも利用され,地域の生活に 不可欠な存在となっている。農業用水の水利権の多くは,土地改良区や水利組合などの利水団体 がもっており,営農形態の変化や受益面積の減少等により変更が必要となっているものもある。
なお,新規に水利使用の許可申請に際しては,既存の権利者を保護するために,関係河川使用者 の同意を得て,その者の損失を補償した後でないと許可されない(河川法40〜43条)。また,
河川管理者の許可を得ることで,水利権を譲渡することも可能とされている(河川法34条)。
ところで,水利権の法的性質に関しては公権説,私権説,折衷説が存在する。このうち,「水 利権も現に私的利益の対象になり,慣行水利権でさえも優先権や排他的支配の性質を持っており 私権たることを否定できないが,公法上の各種制限によって公法的規律を受けるにすぎない」と する折衷説が妥当であるとされる。ただし,これらの学説の対立もあまり実益はなく,公権説に 立ったところで慣行水利権が私的利益の対象となっていることを否定できないし,私権説に立っ ても水利権が公法上制限を受けることを否定することもできないからである4。
さて,河川水を利用する際には,河川法の規定に従って河川管理者の許可を得る必要があるが,
一部の水利用においては私的な利用に近い水利用,すなわち慣行水利権が存在する。慣行水利権 は,河川法87条に規定される「みなし許可制度」により成立し,河川法102条違反に問われる ことはない。慣行水利権は,河川法上は「みなし許可水利」と称されるが,あくまでも河川管理 行政は許可制による一元管理を建前としており,慣行水利権もこれを法定化し,許可水利権に取 り込もうという姿勢で実務を継続してきた。慣行水利権は慣習法において秩序化されているが,
河川法制定以前から水利秩序に関する慣習は既に存在したのであり,河川法が慣行水利権の存在 を認めたことは,慣習法による水利秩序の存在を認めたことを意味する。つまり,結果として河 川法は,水利秩序全体を規律することができなかったわけで,慣行水利権については慣習法が規 律するという複雑な法構造をとらざるを得なかったのである5。また,慣行水利権が河川法上の 許可水利と「みなされた」からといって,その性格が変質するものではない6。
以上の手続を踏まえると,河川法23条により取得した水利許可と河川法87条により許可を得 たものとみなされた慣行水利権とが競合し,その結果として水利許可が慣行水利権を侵害する場 合があり得よう7。また,慣行水利権は成立しないものの,漁業等の河川利用者や河川環境その ものに対して水利許可に基づく利水行為が何らかの障害となる場合もあり得よう。とくに,後述 する「涸れ川公害」のように,発電等の目的による利水行為が河川環境を大きく変じるという現 象が発生している。既存水利権に対する侵害行為に関しては,侵害行為と損害の事実が明確にな ることが通常であり,判例も多く,学術上の議論も従前からそれなりになされてきている8。翻っ て,「涸れ川公害」のように,損害の事実が不明瞭であり,被害者は不特定少数者であり,とも すれば被害の主体は河川やその周辺環境そのものである場合には,訴訟にすらなり得ない。しか
し,涸れ川は水量侵害であり,まさしく公害であり,たとえ人的被害が発生していなくとも,環 境には取り返しのつかない程の極めて大きな負荷を与え,自然公物たる河川の機能そのものを不 全に陥らせ,最終的には水利秩序を崩壊させている場合もある。洪水の流下の妨害(ダムや取水 施設の設置により生じかねない),河川水の減少による公益の阻害(水質汚濁,景観の損傷,河 口閉塞,漁業被害など)等を発生させるような,公共的な機能を妨げる水利使用は許されないば かりか,河川空間のオープンスペース機能,河川湿地の自然生態系機能などの河川環境を損傷し ないことも重視されるべきだとする見解も存在する9。
本稿では,過去に発生した2つの大規模な「涸れ川公害」の事例を紹介し,公共財から自然資 源へとその概念を移行しつつある河川の利用のありかたを踏まえて,水利事業者の法的責任につ いて検証することを目的とする。
2.水をめぐる問題の概要
水をめぐる問題は,水害,水利,水質の3つの類型に分けることができ,それぞれについて利 害関係の対立が生じている10。この3類型は,ちょうど河川法の制定とその後の改正による同法 の目的変化の軌跡と合致する。
まず,水害問題についてであるが,わが国では1896(明治29)年に洪水防御に重点を置く河 川法が制定され,水害対策ともに農業生産が飛躍的に向上した。水害にかかる利害関係の対立は,
洪水被害として顕在化することになる。ただし,戦前においては1907(明治40)年の山梨大水害,
1910(明治43)年の関東大水害,1938(昭和13)年の阪神大水害などがあるが,大規模水害は
戦後に多発する。これは,治水対策により河川改修において河川の直線化が推進されたことに加 え,都市部における宅地開発が進み人口が急増したことに起因するところが大きい。そのため,
水害は国の防災対策の瑕疵に基づく人災であると認識され,1947(昭和22)年に国家賠償法が 制定されたことと相まって,昭和40年代に入ると水害訴訟が増加しはじめて原告勝訴も相次い だ。しかし,1984(昭和59)年1月26日の大東水害訴訟事件において最高裁が,「未改修河川 の安全性について,同種・同規模の河川の管理の一般水準および社会通念に照らして是認しうる 安全性を備えているかどうかを基準として判断すべきであり,未改修の部分で水害が発生しても,
河川管理者たる国には損害を賠償する責任はない」と判断するに至り,それ以降の水害訴訟では 原告敗訴が続き,水害訴訟は「冬の時代」を迎えたといわれる11。
つぎに,水利については1964(昭和39)年の河川法改正によってこれが明確に打ち出される。
同改正法の基本精神は,これまでの治水対策に加えて,とりわけ工業用水や上水道用水などの新 規の大量利水開発にあった。その結果,水系一貫管理の方策のもとで,水資源開発促進法ととも に,全国の水系に大規模な電源開発やダム建設が盛んに行われるようになり,水資源開発者と農 業や漁業などの既存利水者と,産業や都市などの新規利水者との対立構造に,水資源開発の犠牲
となる地域住民が組み入れられて一層複雑な利害関係が生じることになり,全国各地で反対運動 が湧き上がることになった12。
とくに地域社会への影響は深刻であり,大規模なダム建設などが行われると地域住民を賛成派 と反対派に分断して対立させ,地域活力の低下,過疎化,地域消失への過程をたどり,結果とし て地域コミュニティが崩壊することにつながる13。
そして,水質については1997(平成9)年の河川法改正でこの問題が正面に出されることにな る。産業構造の転換,水に対する価値観の多様性という流れにより経済成長や産業発展あるいは 生活水準の向上と水需要とが比例しなくなり,水需要の減退,水供給の過剰という事態を招いて いる。また,これまでの過度な水資源開発,洪水対策などにより環境問題が顕在化し,自然生態 系への影響だけでなく,国民の価値観が大きく変化し,河川環境や多自然型河川への再生が国民 的課題となったことが改正のきっかけであった。この改正では,治水,利水および環境の3本柱 が謳われ,100年以上を経過して初めて河川の本来の姿へ回帰する法的整備が行われたといえよ う。また,河川整備計画の策定に当たっては,必要に応じて住民等の意見を反映されることにな り,住民等が河川の将来計画に関わることができるようになった14。
ところで,水利問題は利用形態の違いによって生じる影響関係の調整問題と,水資源の有効利 用問題とに二分することができるという見解がある15。水質問題は水利問題と密接な関係にあり,
水を利用すれば当然に排水が必要であり,逆に水質が悪化すれば水利用を妨げる恐れも生じる。
なるほど水質は一般的に汚染の濃度が問題となり,その濃淡は水量によって影響されるといえよ う。つまり,水利権に基づく水利用において水量侵害行為があった場合には,水質汚濁による不 法行為の可能性も生じ得るのである。
今日のダムや河口堰の建設計画や建設中の事例の動向をみると,地域住民や関係者にとっては,
社会・生活基盤の整備工場,水需要の減退と水供給の過剰など社会的要因や産業における節水等 の技術的要因などにより,ダムや河口堰の建設・立地による経済的効果や波及効果,公共利益は 小さいか,あるいはほとんどないようである。このため,地域住民や関係者の多数はダムや河口 堰の建設計画に対して反対という意思表示を行うようになって来たのが現状である。また,予測 された効果と現実的な効果との格差が大きくなり,さらに,開発利益の帰属に偏りがあり,こう したことが水資源開発における利害関係の調整を困難にしているのみならず,コンフリクト構造 を一層複雑にしているという指摘がある16。
3.涸れ川公害
前述の通り,適法違法を問わず,水利行為が河川環境や地域住民の生活等に何らかの影響を及 ぼし,利害関係の衝突が発生する場合がある。とくに,河川環境に対する影響として深刻なのは,
河川の流水が極端に減少ないしは消滅してしまう「涸れ川」という問題である。さらに,もはや