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第一節 く我〉とく汝〉との出会い
「現代の鍵をにぎることば」一く出会い〉の概念を考えようとするとき、
なによりもまず、マルチィン・ブーバーの名前が浮かんでくる。
ブーバーは、『我と汝』(1923年)において、人聞疎外という時代状 況を踏まえ、〈我〉(Ich)一一〈汝〉(Du)とのく出会い〉の中に、〈
我一三〉のく関係〉の中に、人格性の確立と、人格的存在としての人間の救 いの道を見出そうとした。
われわれは、ブーバーの『我と汝』を中心にして、〈出会い〉の意味を考 察することにしよう。
1.ブーバーの人間観
ブーバーは、人間存在の基本的あり方を、「人間が・人閻・と共にあるこ
と」(Mensch−mit−Mensch−Sein)即ち〈共存在〉と
してとらえ、二つの根源語があるとした。根源語とは、単独語ではなく、対 応語である。即ち、〈我一一汝〉とく三一それ〉(Ich−Es)である。
ブーーバt一は、〈我〉はそれ自体では存在しないと考える。「根源語〈我一 汝〉のく我〉と、根源語〈我一それ〉のく我〉があるだけである.( 1前者を
〈人格的存在〉(Person)と呼び、後者をく個的存在〉(Eigen一一
wesen)と呼ぶ。
「根源語く我一それ〉のく我〉は、〈個的存在〉として現れ、〈経験と利 用〉のく主観〉(Subjekt)として自己を意識する。根源語く我一汝
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〉のく我〉はく人格的存在〉として現れ、(依属する属格なしに)〈主体〉
(Subjektivitat)として自己を意識する。〈個的存在〉は、
他の〈個的存在〉かち自己を分離させることによって物質の相違を現す。〈
人格的存在〉は、他の〈人格的存在〉とく関係〉(Beziehung)に
入ることによって明らかとなる∫Zl
しかし、「二種類の人間があるのではなく、人間性の二つの極があるのみ である。いかなる人間も純粋な〈人格〉だけでは存在し得ないし、純粋な〈
個的存在〉だけで生きているわけではない。……すべての人間は、この二重 の〈我〉の中に生きている回
現実の人間は、両極のもつれ合い、その緊張関係のうちに存在し、その関 係は常に変化しているのである。
〈個的存在〉としてのく我〉について、ブーバーは次のように言う。「〈
人格〉はく我〉そのものを直視するが、〈三二存在〉は、わが種類、わが民 族、わが創り出したもの、わが才能などというような自己の所有するものを 問題とする。……〈丁丁存在〉は、経験と利用とによって、できるかぎり他 者を所有しようとする。〈それ〉かち自己分離を行い、〈それ〉を自己のも のにしようとし、しかも、この二つが非現実的なものの中で行われること、
これがく個的存在〉の働きである剤
人間とくそれ〉の世界との根本関係は、「世界の構造をたえず検討する〈
経験〉と、人間生活の多様な目的と維持、便利化、設備化を行うく利用〉を 含んでいる。〈それ〉の世界の拡大とともに、〈それ〉の世界を経験し、利 用する能力もまた増大しなければなちぬ.(S/
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〈それ〉の世界は、彼にとっては、生活の維持、発展のために存する目的 化された世界であり、その目的を実現するために存在者を利用する手段化さ れた世界である。この客観化され、対象化された世界が、ブーバー一のいう〈
それ〉の世界である。
「人間は、〈それ〉なくしては生きることができない。だが、〈それ〉の みで生きるものは、真の人間ではない。向
このくそれ〉の世界において他の人間を対象化し、〈それ〉化するところ のく個的存在〉は、それ自身他のく個的存在〉によって対象化される。他者 を〈それ〉として見る者は、自分自身をも〈それ〉として見ることになる。
人爵が人間でなくなっているこの状況を、ブーバーは人間疎外の問題として 把えている。
この状況を打開する道を、ブーバーはく我〉とく汝〉とのく出会い〉(
Begegnung)およびく我一汝〉のく:関係〉(Beziehung)
の中に見出そうとするのである。