• 検索結果がありません。

313頁 314頁

ドキュメント内 出会い・信頼・安らぎ (ページ 44-60)

40

 B 苦悩(Leiden>

 ヤスパースは、種々のく状況〉を通じて姿を現す〈苦悩〉の例として次の ようなものを挙げている。繰り返し耐え忍ばねばならぬ肉体的苦痛、〈生〉

を疑わしいものにするばかりでなく、その人間の本質を奪う病気、意志の弱 さ、老衰、隷従、飢餓、等々。

 〈苦悩〉はく現存在〉の制限であり、部分的な破壊である。「あらゆる苦 悩の背後には死がある∫儒

 悩みの種類やその程度には確かに大きな差異があろうが、結局、すべての 人に同じ悩みが降りかかりうるし、いかなる人も〈苦悩〉を免れることはな い。〈苦悩〉を回避し、有限化する考えは、われわれを救ってくれるように 見えて、そうではない。

 〈限界状況〉のうちではじめて、〈苦悩〉は避けちれないものとして存在 することができる。「今や、私は私の1墜を自分に与えられた分として考え、

真に悩み、それを自分自身から隠さず、悩みを肯定しようとする意欲と、最 終的には肯定できないという緊張の中を生き、悩みと闘ってはそれを制限し ようとしたり、先へ引きのばしたりする列

 「もし、〈現存在〉の幸福だけしか存在しないとすれば、〈可能的実存〉

       (3)

は眠ったままにとどまってしまうであろう。」〈苦悩〉がく現存在〉を破壊 するとすれば、幸福は本来的存在を脅かす。本来の幸福になるためには、ま ずそれが危うくされ、次にそこから回復されなければならない。「幸福の真 理は、挫折の上に立っている凶

 ヤスパースにおいては、〈苦悩〉を通してく実存〉の覚醒がなされるので

g/

ある。.即ち、「〈可能的実存〉は、自分が自分の〈超越者〉とひとつになっ ていること、しかも存在のく限界状況〉の中で思索される一つのく根源〉(

Ursprung)¢、おいてそうなっていることを知るという経験に向か禦  く苦悩〉は、今やく絶対者〉の中に置き入れられる。「私のく悩み〉はも はやたまたま、私だけがひとり見捨てられた状態としての宿命ではなくなり、

〈実存〉のもつく現存在〉の現象になる。……他人が悩むのを見るとき、あ たかも他人が自分に代わって悩んでいるように考えられてくるのであり、ま たそのとき、世界のく苦悩〉を〈実存的苦悩〉として引き受けるべきだとい       (s>

う要求が、〈実存〉に向けて発せちれているように考えられてくるのであるel

(}) 『名著ヤスパース』315頁

(2)(3)㈹ 上掲書 317頁

(S)(6) 上掲書 319頁

 C 争い(Kampf)

 〈死〉とく苦悩〉は、私の行為に関わりなく、〈限界状況〉として私の前 に現れることもあるが、〈争い〉とく負いめ〉(Schuld)の方は、私 が共に関与して働きかけつつそれらを招き寄せることによってのみ、〈限界 状況〉となる。つまり、〈争い〉とく負いめ〉は、能動的に私によって引き 起こされるものである。

 〈争い〉とく負いめ〉がく限界状況〉であるのは、それらが私のために生

タz

ずるのでなければ、私はく現存在〉することができないかちである。即ち、

「どのようにしても、私はそれから免れることはできない。なぜなら、私が

〈現存在〉するということによって、既に私はく争い〉とく負いめ〉を生み 出すことに関与して働いてしまっているかちである∫例

 すべての生物は、知ると知らぬと、欲すると欲せざるとにかかわらず、〈

現存在のための争い〉つまりく生存のための争い〉を行っている。人問は、

無意識的にだけでなく、生存圏を拡大するために意識的なく争い〉を行って いる。また、精神的理念および実存に基づいた〈争い〉も存在する。それは、

人を覚醒させ生産的にすると同時に、それ自身が創造の源泉になっていくよ うなく争い〉でもある。ヤス7 xQ…一スにとって、〈争い〉はまた、<可能的実 存〉の間のく愛〉の表現として、〈実存〉の開示のためのく争い〉でもある。

このく争い〉は、仮借なき照明によって、自己のく根源〉に到達するために 行われる相互の徹底的な問いかけである。

 ヤス7xO一スによると、〈争い〉の本質は二つに大別される。

 ① 力による〈争い〉(Kampf mi七 Gewalt)

 この〈争い〉は、強制し、限定し、抑圧し、あるいは逆に、場所(領域)

を創り出す。このく争い〉において、私は敗北し、〈現存在〉を失うかもし れない。

 ②愛におけるく争い〉(Kampf in der Liebe)

 この〈争い〉は、力を用いず、何らの勝利欲ももたず、もっぱら顕わにな

ること(Offenbarkeit)だけを求める。この〈争い〉において、

私は自分を包み隠すことによって〈争い〉を避け、〈実存〉を放棄すること

gs

もありうる。

 註

(1) 『名著ヤスパース』329頁

 次に、この二つのく争い〉の内容を検討してみよう。

 ①〈現存在〉のための力によるく争い〉

 「私がく現存在〉することは、それだけでもう他の人々かち何かを奪い取 ることであり、逆にまた、他の人々も私から何かを奪い取っている!!)」私の 得るあちゆる地位は他人を締め出し、私のすべての成功は他人をみすぼちし

くする。私の〈生〉は、私の祖先のく争い〉における勝利の上に立っている。

 しかし、その反対のこともまた言えるであろう。即ち、「すべてのく現存 在〉は、相互的な助け合いに基づいている七二が〈現存在〉できるのは、

私の両親の保護のおかげであるし、私は生涯を通じて他人の援助を受け、か っ私の方からも社会的連帯の中で援助を行っている。けれども、究極的なも のは、やはり〈争い〉であり、またそのつど勝利を占めた者による搾取なの

である。

 「〈現存在〉が力による〈争い〉に固く結びつけられたものであるという ことは、実は乗り超えることのできない、どうにもならないく限界状況〉な のである。(3i「もしも、私がどこにおいても他の生命を犠牲にして生きるこ となど望まないとしたなちば、私は生きることを断念しなければならないで あろう。(4i私が生きようと欲すれば、私はある行為の受益者であちざるをえ ないのである、

g4

 このような〈限界状況〉においてはs「いかなる永久に薯当する最終的な、

客観的な解決もなく、存在するのは、そのつど歴史的な解決のみである.( i このようなく限界状況〉の中に私がく実存〉するためには、次のことが要求 されるであろう。即ち、受動性ではなく両極性の中でく生〉を捌まえ、しか も私の歴史的状況の中でそのく生〉に属する諸条件をも忘れることなく掴ま えねばなちないのである。私にできるのは、ただ世界の中でのみ、私の根源 に基づいて、実現の働きをすることができるだけである。つまり、<限界状 況〉に立つとき、われわれく現存在〉は、完結もしていず、また完結するこ

との不可能なものとして現れてくるのである。

(1>②  『名著ヤスパース』 323頁

(3) 上掲書 329頁

(4) 上掲書 328頁

(S> 上掲書 332頁

 ②〈実存〉のためのく愛〉における〈争い〉

 ヤスパースによればく実存〉はく交わり〉〈Komlnunikation)

の中でのみ実現されてくるが、このく交わり〉は時間を通じて運動するもの として、さまざまなく状況〉の変化の中で行われる。それ故、そのつどのく 状況〉の中では、その〈状況〉の見通しがたさのために、〈愛しながらの争

い〉(Liebender Kamp七)が生じてくる。

夕よ

 存在の確信は、ただひとえに胸襟を開き合っ・た腹蔵のなさをめざすく争い

〉(Kampt um offenbarkeit>のうちかちのみ現れ出

るという事態こそは、〈現存在〉の中におかれたく実存〉にとって、どうに もならない〈限界状況〉なのである。このく状況〉に立つとき、〈実存〉は 最も深く自分を意識するようになることができるが、しかしこの上もなく途 方にくれて絶望することもありうる。

 このような〈愛しながらの争い〉においては、現象の見通しがたさにもか かわちず、〈実存者〉相互に〈根源〉を求め合う。この〈根源〉というのは お互いがもつ〈自由〉としてのそれであって、この〈自由〉は盲目のもので はなく、知恵の輝きによってあらゆるものを明るく照らし出しながら、〈決 断〉をするものである。このく争い〉の中では、現在のく状況〉における〈

真実〉(Wahrhei七)、即ち、こうしたく交わり〉の中で実現される

〈存在の真実〉が求められる。批判的吟味を行って魂を純化するための手段 として、相互的な問いかけが「あくことなく、とどまるところを知ちずに」

(Keine Grenze)行われる。

 〈愛しながちの争い〉においては、力(Gewalt)は全く用いられな い。〈愛しながらの争い〉が可能になるのは、そのく争い〉が他人(相手)

に対すると同時に、自分自身に対しても行われ、この二つの面を一つに併せ っっ行われる場合に限ちれる。この〈争い〉は、全く同等の水準の上でのみ 行われる。互いに愛し合う〈実存者〉同士は、一方的に相手に要求すること をせず、互いにともに要求し合う。従って、他人と私自身とをとことんまで        コ

吟味するこの〈争い〉は、〈連帯性〉(Solidaritat)を基盤と

a6

してのみ可能なのである。

 私に対して容赦ないく争い〉が挑まれてくるとき、そのく争い〉は私を存 在可能性において脅かし、その結果として、私のく実存的〉なく存在確認〉

を覚醒させることができるのである。ヤスパースの言葉を借りてみよう。

 「私は、私自身と、私の愛する他の〈実存〉と争わねばならない。」「私 が……争わねばなちないという事実は、〈死〉やく苦悩〉や外的強制を超え て、私を揺さぶり動かすものでありうる。なぜなら、その事実は、自己存在 の現象の根源にかかわるものだからである∫ )」

 けれども、〈争い〉が避けちれてしまうならば、〈現存在〉同士の関係が どんなに大きな充実を示そうとも、〈実存〉の空虚さが生じてしまうであろ う。〈争い〉というく限界状況〉が経験されないならば、その〈現存在〉が どんなに豊かな客観性をもとうとも、〈実存〉という意味においてはそのく

現存在〉はく非存在〉(Nichtsein)になっているのである。その ときには、〈実存的非存在〉の表現として〈孤独〉(Einsamkeit)

の可能性が見えてくるであろう。「なぜなら、私は愛することもせず、また 愛しつつ争うこともしなかったのだから、胸襟を開いたく実存〉になっては       (?)

いなかったからである。」

 〈愛しながらの交わり〉の真の道程は、直接的なまた普遍的な形では呈示 することはできないとヤスパースは言う。「というのも、その道程が現実的 になったときには、いつもそれは一回限りの、真似のできないものであるか ちである回

 われわれは、第二章の第二節において、「地獄におちてもかまわない」と

97

ドキュメント内 出会い・信頼・安らぎ (ページ 44-60)

関連したドキュメント