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ドキュメント内 出会い・信頼・安らぎ (ページ 197-200)

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第四章 現実を生きる

 われわれ教育者は、毎日、子ども炬ちに真向かって生きている。そこに、

われわれの現実がある。われわれは、この教育者と子どもとの教育的関係の 基本的在り方を求めて、われわれの考察を開始し距のであっta。しかも、そ れは人間として、そして教育者としての自分を問うことを意味してい叛。

 そのkめの手がかりを求めて、われわれは、ボルノー、ヤスパース、ブーt バーなどの西洋の思想だけでなく、親鷺を中心に仏教の思想を探ってきだ。

それらの思想をそれ自体として研究するというよりは、われわれの考察の手 がかりになる限りにおいて、それらなわれわれなりに考察してき炬と言っta 方がより正確であろう。

 従って、最終章にあ炬る本章では、われわれは、教育者としての自分がい かに生きるか、即ち教育者としての在り方に対するわれわれなりの結論を提 示すべきであろう。しかし、それは、あくまで現在の時点における、一つの 試論にならざるをえない。なぜなら、この問いは、われわれが教育者である 限り、常に自らに問い続けていかなければならないものだからである。ここ で示される考察は、今後われわれがこの問いを更に深めていくだめの前提と なるべき性格のものである。

1 教育的雰囲気と庇護性

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 われわれは、教育を支える不可欠の前提として、〈教育的雰囲気〉という 概念に注目してきk。ボルノーによれば、それは「教育者と子どもの間に成 立し、あらゆる個々の教育的ふるまいの背景をなす情感的な条件と人間的な 態度の全俵?を意味するものであっだ。しかも、それは教育の成就にとって 全く根本的な意義を有するものであっXe。

 こうし炬く教育的雰囲気〉の基本形は、幼児が家庭という保護空間でもつ

ことができる{言頼(Vertrauen)と底護性(Geborgen一一

heit)のく気分〉に見ることができる。しかし、幼児の成長に伴う生活 圏の拡大によって、それらは失われざるをえない。

 やがて、子どもだちは、彼搬閻を形成し、そこに「寛いだ」気分

を味わい、温かい安らぎ(庇護性)のもてる場所を見い出そうとし始める。

この「外部の未知なる世界と内部の包護的な世界との相互関係」は、人間的 く生〉の不変な基本的関係のひとつとして、成人した後もいつまでも残る、

とボルノーは言う。

 従って、 「子どもがこの種のより狭い領域の中で被包感(庇護性)がもて

るようにしてやること、そして一一が

いつもそこにあるようにし、もしそれが阻害され炬ときはいつでもすぐに回 復されるようにしてやることが、教育の第一の、そして必須の課題なのであ

る凹

 く教育的雰囲気〉については、序章において詳しく考察してきtaので、こ こではごく簡単に触れるにとどめる。

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ドキュメント内 出会い・信頼・安らぎ (ページ 197-200)

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