の展望
社会的評価も高く︑教会の社会活動には若者も多数参 加しているので
四世代にわたるアプローチの方法を現 在研究中とのことで︑効果的な布教方法を見いだし︑社 会活動を信仰の中に位置づけ︑宗教活動として位置づけ ていくことにより︑今後の展開は開けよう︒
(戸
松義
晴)
1 .
教団名⑬天理教ハワイ伝道庁
2 .
歴史
天理教は明治三十年代の国内布教の行き詰まり(取締
り当局の干渉・圧迫の激化)によりその打開策のひと
っとして海外布教を積極的に推進してきた︒
ハワイにお
いても明治四十年前後に本席飯降伊蔵の﹁おさしづ﹂
日本の本島大教会の信者が神の言葉の取次)により
仕事のかたわら︑布教に従事していた
︒本格的なハワイ
における伝道は昭和四年でやはり本烏大教会長の命を
受け︑上野作次郎夫妻がホノルル教会を設置
したことに
始まる︒そして数年間で開設された教会は十を超えてい
たという︒しかしその活動も︑第二次世界大戦で︑教会
長が本土に抑留されるなどの打撃を受けた︒
戦後のハワイでの活動のメルクマールは
一九五一
年か
ら始まる中山正義口二代真柱の世界巡教である︒これを受
けて
一九五四年にハワイ伝道庁が設置された︒当
時 ︑
ワイ全島には二十四の教会があった︒そして︑教祖七十
年祭にあたる一
九五六年を境に︑戦後復興で多数の布教
師が来て︑教会を開設︒また︑教祖九十年祭に向けて
一九七四年から翌年にも第
二の
波があった︒この人たち
が今の活動の中堅となり︑
現在︑教会数三十七︑布教所
三十一となっている︒ただし︑国内の天理教同様︑信者
の個人宅を教会または布教所と呼んでいる場合も多数あ
3
る.
教団の組織構造と聖職者養成法
ハワイ伝道庁の専従職員は本部から任命されている
︒
現伝道庁長自身︑
ハワイに来たのは突然の本部からの任
命だという︒聖職者養成としては︑本部で行っている
‑ 48‑
カ月聞の修養科と同じカリキュラムを行
っている︒期間
は本部で
三ヵ
月で行うところを一ヵ月に圧縮したもの
で︑正式には修養会と呼んでいる︒これはアメリカ伝道
庁とのタイアップで︑英語・日本語両クラスで行われて
ノ、
いる
︒ただし九回に布教師になるための講習
のう
ち
わたる特別な講義﹁別席﹂と︑神の恵みを信者に取次ぐ 力を授与する﹁おさづけの理拝戴﹂は本部に行かなけれ
ばな
らな
い︒
4. 教団の規模と最近の趨勢 現在の教団の規模は﹁ょうぽく﹂と呼ばれる︑教団で 正式に認められたある種の霊能をもって布教をすること が許されている信者が千百人前後
その周辺を入れると 信者は千二百人程度である︒伝道庁内は庁長夫妻︑書記 二人︑勤務者が六人である︒伝道庁の専従職員は本部よ り給与をもら
っている
︒パ
ートタイム職員は現地採用
で
ある
︒土地
は本部からの資金及び現地信者の寄進にて取 得した︒現在
ホノルル教会と伝
道庁が
一緒になった建
物 と
少し離れたところに木造の文化センターがある︒
方
ハワイにある教会は国内にある伝統的な大教会の 系統別に組織されている︒なお一
九七四年から八五年 にかけて︑プレスクールを経営していた時期もある︒
5
.
宗教活動の特徴と問題点 基本的には国内とあまり変わりがない︒信者の入信動 機も︑身上(病気)
と事情(人間関係をはじめとする生
活上
︑
の解決であり︑教会での日常的な 全般の諸
問題)
布教活動も︑信者個人による戸別訪問︑奉仕活動などで
ある︒また
天理教で重視している聖地
.A".
(お
やさ
と)
の団体参拝(おぢばがえり)
は地理的条件もあって盛ん に行われているわけではなく
(なかには熱心な信者で 教祖殿での結婚式を希望する人もいる)︑個人的︑小グ ループでの参拝が中心である
︒それでも
﹁子供おぢばが
えりL
と高校生を対象とした親里セミナーは最大規模の 時は百五十人から百六十人が参加した
︒(普段は五十か
ら六十人)︒これらの団体参拝には︑信者が経営する学 習塾に来る子供や︑信者の友達など︑非信者を連れてい くばあいもある︒なお
婦人部も団体参拝を行
っている︒
ハワイでの天理教の特徴的な活動としては︑結婚式で のリング交換など︑冠婚葬祭をハワイアンスタイルとの 折衷で行うことがあげられる
︒
また地域の要請で車や事 務所のお融いが求められることも多い
︒ただ天理教に
はお誠いはないので
その後の講 地鎮祭の形式をとり 話に重きをおく︒また
︑教会によ
っては
ホスピスや精神 病のお助けを行
っているところもある︒伝道庁内には図
書館が開設されており日本語の図書が置かれ
ハワ
イ に仕事で赴任してきたビジネスマンやその家族(必ずし も信者とは限らない)に好評を博しているという︒こう した文化事業は︑さらに天理文化センターが主体とな
っ
て柔道雅楽︑鼓笛︑華道・茶道ジャズバンドなどを
通して日本文化の保存・普及に努めている︒また
ノ、
ザ
ーも盛んに行われ開催すると常時数百人の参加者(未
信者や近所の人を多数合む)がある︒
以上のような活動は︑従来の教会スタイルだと︑神道 的雰囲気が強くて若者が拒否反応を示してしまうが︑文 化活動を通して馴染んでもらいたいという意図によ
って
行われている︒
そして︑教えの根幹に触れるようなもの
でなければ
庁長の判断でハワイのスタイルを取り入れ
るように心掛けているともいう︒
しかし︑祭典などは︑
基本は翻訳できないものだからたとえ各国語でやると
しで
も︑
一体感が失われてしまう問題が懸念されている
︒
また
︑
言葉の壁やジェネレーションギャップが存在する
のも事実だ︒例えば新たに教師が日本から来ても英語力
不十分の場合は︑
若い信者の内面に踏み込めないという︒
そして日本から来た教師と二︑三世との聞の意識の岨酷
もみられる︒
英語使用者を表にたてようとしても︑英語
のできない一
世たちのプライドが高く︑隠居しないこと が︑こうした札離の原因のひとつでもある
︒祭典での祭
文と講話を日英同時通訳で行うなど︑札機の解消に努力
しているが現在は英語力不十分な一世たちから
三世たちへの世代交代の過渡期であるという︒またこう
したことは天理教特有の問題というよりも︑
‑ 50‑
ハワイの日
系宗教が等しく抱える問題であるという認識を庁長は持
っている︒
6 .
今後の展望天理教では︑図書館活動︑
雅 楽
そして柔道お茶や
お華などの文化事業を積極的に行っている︒これは二代
真柱が海外布教に熱心だったことに由来する︒しかし︑
これでうまくいっ
ているという考え方自体再考の必要は
あるだろうとのことである︒今後は若い人を中心に動い
てもらいたいと庁長はいう︒現に﹁ょうぽく﹂のなかで
非日系は一割程度だが︑教会にくる人は三分の一が三世
以降で︑若い世代には可能性があるという︒﹁布教の家﹂
で日本からの一世現地二︑三世の若い布教者を養成し
常時
二︑
三人の入寮者がある︒これからはできるだけ
若い世代が伸び伸びと活動できる環境をつくることが課
題であるようだ︒
8 .
分析
インタビューに応じていただいた永尾一夫庁長が指摘
する
通り
︑
ハワイの天理教が抱える問題はひとり天理
教ハワイ伝道庁だけの問題ではない
︒言
葉や世代聞の断
絶は他の教団にもみられることであろう︒
また
ハワ
イ
伝道庁の諸問題は国内の天理教でも確認できることでも
ある︒大教会の系統でつながっているために縦(布教の
親子関係)
のつながりは強いが
︑横(地域)のつながり
が稀薄な組織体制︒官僚制が高度に貫徹したために生じ
るやる気の欠加や個人の能力が十分に発揮できない︑発 揮させないような雰囲気︒さらには伝統を固守するあまり︑教外者とのコミユニユケ│ション不全に陥りがちな体質︒これらは天理教会体が直面しているしかもここ
十数年来の解決すべき課題でもある︒
(弓
山達
也)
1.
教団名
⑪
金光教ハワイ教務所2.
歴史
ハワイに金光教本部青年会幹事長が視察
ま み ち
し︑これを布教元年とする︒組織は真道会という名で発 一九二六
年 ︑
足するが︑本格的な布教は一九二八年に小倉教会の児玉
政行の赴任による︒
一
九二九年にホノルル教会 翌年に
はヒロ教会が設立された︒
一九三九年にホノルル教会は
リリハ街の現在地に移転︒教勢はオアフ島以外にも伸び
たが︑太平洋戦争で教師が米本土に拘留され︑布教活動
は禁じられた︒布教の再開は一
九五