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6 . 今後

ドキュメント内 教化研究 No.11 (ページ 55-61)

の展望

社会的評価も高く︑教会の社会活動には若者も多数参 加しているので

四世代にわたるアプローチの方法を現 在研究中とのことで︑効果的な布教方法を見いだし︑社 会活動を信仰の中に位置づけ︑宗教活動として位置づけ ていくことにより︑今後の展開は開けよう︒

(戸

松義

晴)

1 .

教団名

⑬天理教ハワイ伝道庁

2 .

歴史

天理教は明治三十年代の国内布教の行き詰まり(取締

り当局の干渉・圧迫の激化)によりその打開策のひと

っとして海外布教を積極的に推進してきた︒

ハワイにお

いても明治四十年前後に本席飯降伊蔵の﹁おさしづ﹂

日本の本島大教会の信者が神の言葉の取次)により

仕事のかたわら︑布教に従事していた

︒本格的なハワイ

における伝道は昭和四年でやはり本烏大教会長の命を

受け︑上野作次郎夫妻がホノルル教会を設置

したことに

始まる︒そして数年間で開設された教会は十を超えてい

たという︒しかしその活動も︑第二次世界大戦で︑教会

長が本土に抑留されるなどの打撃を受けた︒

戦後のハワイでの活動のメルクマールは

一九五一

年か

ら始まる中山正義口二代真柱の世界巡教である︒これを受

けて

一九五四年にハワイ伝道庁が設置された︒当

時 ︑

ワイ全島には二十四の教会があった︒そして︑教祖七十

年祭にあたる一

九五六年を境に︑戦後復興で多数の布教

師が来て︑教会を開設︒また︑教祖九十年祭に向けて

一九七四年から翌年にも第

二の

波があった︒この人たち

が今の活動の中堅となり︑

現在︑教会数三十七︑布教所

三十一となっている︒ただし︑国内の天理教同様︑信者

の個人宅を教会または布教所と呼んでいる場合も多数あ

3

.

教団の組織構造と聖職者養成法

ハワイ伝道庁の専従職員は本部から任命されている

現伝道庁長自身︑

ハワイに来たのは突然の本部からの任

命だという︒聖職者養成としては︑本部で行っている

‑ 48‑

カ月聞の修養科と同じカリキュラムを行

っている︒期間

は本部で

三ヵ

月で行うところを一ヵ月に圧縮したもの

で︑正式には修養会と呼んでいる︒これはアメリカ伝道

庁とのタイアップで︑英語・日本語両クラスで行われて

ノ、

いる

︒ただし九回に布教師になるための講習

のう

わたる特別な講義﹁別席﹂と︑神の恵みを信者に取次ぐ 力を授与する﹁おさづけの理拝戴﹂は本部に行かなけれ

ばな

らな

い︒

4. 教団の規模と最近の趨勢 現在の教団の規模は﹁ょうぽく﹂と呼ばれる︑教団で 正式に認められたある種の霊能をもって布教をすること が許されている信者が千百人前後

その周辺を入れると 信者は千二百人程度である︒伝道庁内は庁長夫妻︑書記 二人︑勤務者が六人である︒伝道庁の専従職員は本部よ り給与をもら

っている

︒パ

ートタイム職員は現地採用

ある

︒土地

は本部からの資金及び現地信者の寄進にて取 得した︒現在

ホノルル教会と伝

道庁が

一緒になった建

物 と

少し離れたところに木造の文化センターがある

ハワイにある教会は国内にある伝統的な大教会の 系統別に組織されている

︒なお一

九七四年から八五年 にかけて︑プレスクールを経営していた時期もある︒

5

.

宗教活動の特徴と問題点 基本的には国内とあまり変わりがない︒信者の入信動 機も︑身上(病気)

と事情(人間関係をはじめとする生

活上

の解決であり︑教会での日常的な 全般の諸

問題)

布教活動も︑信者個人による戸別訪問︑奉仕活動などで

ある︒また

天理教で重視している聖地

.A". 

(お

やさ

と)

の団体参拝(おぢばがえり)

は地理的条件もあって盛ん に行われているわけではなく

(なかには熱心な信者で 教祖殿での結婚式を希望する人もいる)︑個人的︑小グ ループでの参拝が中心である

︒それでも

﹁子供おぢばが

えりL

と高校生を対象とした親里セミナーは最大規模の 時は百五十人から百六十人が参加した

︒(普段は五十か

ら六十人)︒これらの団体参拝には︑信者が経営する学 習塾に来る子供や︑信者の友達など︑非信者を連れてい くばあいもある︒なお

婦人部も団体参拝を行

っている︒

ハワイでの天理教の特徴的な活動としては︑結婚式で のリング交換など︑冠婚葬祭をハワイアンスタイルとの 折衷で行うことがあげられる

また地域の要請で車や事 務所のお融いが求められることも多い

︒ただ天理教に

はお誠いはないので

その後の講 地鎮祭の形式をとり 話に重きをおく︒また

︑教会によ

っては

ホスピスや精神 病のお助けを行

っているところもある︒伝道庁内には図

書館が開設されており日本語の図書が置かれ

ハワ

イ に仕事で赴任してきたビジネスマンやその家族(必ずし も信者とは限らない)に好評を博しているという︒こう した文化事業は︑さらに天理文化センターが主体とな

て柔道雅楽︑鼓笛︑華道・茶道ジャズバンドなどを

通して日本文化の保存・普及に努めている︒また

ノ、

ーも盛んに行われ開催すると常時数百人の参加者(未

信者や近所の人を多数合む)がある︒

以上のような活動は︑従来の教会スタイルだと︑神道 的雰囲気が強くて若者が拒否反応を示してしまうが︑文 化活動を通して馴染んでもらいたいという意図によ

って

行われている︒

そして︑教えの根幹に触れるようなもの

でなければ

庁長の判断でハワイのスタイルを取り入れ

るように心掛けているともいう︒

しかし︑祭典などは︑

基本は翻訳できないものだからたとえ各国語でやると

しで

も︑

一体感が失われてしまう問題が懸念されている

また

言葉の壁やジェネレーションギャップが存在する

のも事実だ︒例えば新たに教師が日本から来ても英語力

不十分の場合は︑

若い信者の内面に踏み込めないという︒

そして日本から来た教師と二︑三世との聞の意識の岨酷

もみられる︒

英語使用者を表にたてようとしても︑英語

のできない一

世たちのプライドが高く︑隠居しないこと が︑こうした札離の原因のひとつでもある

︒祭典での祭

文と講話を日英同時通訳で行うなど︑札機の解消に努力

しているが現在は英語力不十分な一世たちから

三世たちへの世代交代の過渡期であるという︒またこう

したことは天理教特有の問題というよりも︑

‑ 50‑

ハワイの日

系宗教が等しく抱える問題であるという認識を庁長は持

っている︒

6 .

今後の展望

天理教では︑図書館活動︑

雅 楽

そして柔道お茶や

お華などの文化事業を積極的に行っている︒これは二代

真柱が海外布教に熱心だったことに由来する︒しかし︑

これでうまくいっ

ているという考え方自体再考の必要は

あるだろうとのことである︒今後は若い人を中心に動い

てもらいたいと庁長はいう︒現に﹁ょうぽく﹂のなかで

非日系は一割程度だが︑教会にくる人は三分の一が三世

以降で︑若い世代には可能性があるという︒﹁布教の家﹂

で日本からの一世現地二︑三世の若い布教者を養成し

常時

二︑

三人の入寮者がある︒これからはできるだけ

若い世代が伸び伸びと活動できる環境をつくることが課

題であるようだ︒

8 .

分析

インタビューに応じていただいた永尾一夫庁長が指摘

する

通り

ハワイの天理教が抱える問題はひとり天理

教ハワイ伝道庁だけの問題ではない

︒言

葉や世代聞の断

絶は他の教団にもみられることであろう︒

また

ハワ

伝道庁の諸問題は国内の天理教でも確認できることでも

ある︒大教会の系統でつながっているために縦(布教の

親子関係)

のつながりは強いが

︑横(地域)

のつながり

が稀薄な組織体制︒官僚制が高度に貫徹したために生じ

るやる気の欠加や個人の能力が十分に発揮できない︑発 揮させないような雰囲気︒さらには伝統を固守するあまり︑教外者とのコミユニユケ│ション不全に陥りがちな体質︒これらは天理教会体が直面しているしかもここ

十数年来の解決すべき課題でもある︒

(弓

山達

也)

1.

教団名

金光教ハワイ教務所

2.

歴史

ハワイに金光教本部青年会幹事長が視察

し︑これを布教元年とする︒組織は真道会という名で発 一九二六

年 ︑

足するが︑本格的な布教は一九二八年に小倉教会の児玉

政行の赴任による︒

二九年にホノルル教会 翌年に

はヒロ教会が設立された︒

一九三九年にホノルル教会は

リリハ街の現在地に移転︒教勢はオアフ島以外にも伸び

たが︑太平洋戦争で教師が米本土に拘留され︑布教活動

は禁じられた︒布教の再開は一

九五

0

年代にずれ込んだ

ドキュメント内 教化研究 No.11 (ページ 55-61)

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