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3 . 教団の組織構造と聖職者養成法

ドキュメント内 教化研究 No.11 (ページ 37-40)

(昭和三)年東京生まれで︑幼少のころから心霊現象を 感じる資質があったという︒

一九五三(昭和二十八

)年

二十五歳のときに米空軍パイ

ットと結婚し

︑渡米した

一九六四(昭和三十九)年︑

ホノルルに移り︑結婚衣装 のブティックを聞いて結婚相談を始めた︒

一九七五

和五

十)

年︑

ハワイ進出中であった天台宗の布教活動に 接

し そこでの羽場慈温師との出会いを契機として︑尼 になることを決意

比叡山で得度

・受戒し

ホノルルに

戻って

地蔵の霊感による個人的悩みの解決を中心とする

宗教活動を行︑7︒

一九

七九

(昭和五十四)年に独立を決

意し

二年後に現在

地に

高山石寺が完成︑法人登録する︒

天台宗ハワイ教区とは独立して活動を行っている︒

3 .

原点にあるためいかにして寺の後継者を育て組織的

運営を図る

かということが

今後の最大の課題である︒

7 .

その他(アンケート以外の調査結果)信者はどのようなこと

がらの解決を求めて慈久師のもとへやって来るのだろう

か︒その中心は人間関係の悩みと病気である︒サンデ

ー・サービスに参加する信者数名にインタビューしたと

﹂ろ︑具体的な人間関係の悩みとしては就職への不満

(日系四十代女性)︑親・夫の両親との不仲(中国系三十

代女性)︑娘の自閉気味(日系五十代女性)︑息子の非行

(日系三世六十代女性)が挙がり︑病気としては臆鞘

炎・静脈癌(同)︑出産後の体調不順(日系三世二十代

女性)パーキンソン氏病(日系七十代男性)が挙がつ

た︒慈久師はこうした悩みを抱えて訪れる人々の話を聞

き︑地蔵の霊感(身体的変化などを兆候とする)によっ

て信者に対して具体的なアドバイスを与えていく︒

また

一回の相談で慈久師との関係が終わるのではなく︑

後もサンデ

ー・サービスをはじめとする

寺院の宗教行事

に参加し︑信者として活動することになるが︑行事にお

いても対面での関係が維持されている︒サンデー・サ

l

ビスでは︑勤行・

説教

の後

一人ずつ慈久師のもとへ来

て相談をし︑背中を向いて数珠による呪法を受ける︒

8 .

分析

慈久師と四十代を中心とする信者との聞で人格的まじ

わりが積極的に追求されており

30 

これが寺院の宗教的活

動の支柱になっている︒その反面︑設立から十数年を経

て︑今後寺院をいかに組織的に維持運営していくかが課

題となっているという︒個人的な布教活動がのちに所属

教団の組織的開教へと引き継がれた例が他の教団にもみ

られる︒しかし

︑高

岩寺は当初から天台宗による組織的

布教と一線を画してきた︒そのため︑独自に後継者を育

成する方向へ進んでいくと思われる︒さらに︑慈久師は

ホノルル近郊に在住する個人が抱えている宗教的悩みに

自らの個人的な宗教的資質によって応えてきたが

﹂ ︑

7

した資質がいかにして継承されうるのかという問題もあ る

(黒

崎浩

行)

1 .

教団名

④本派本願寺ハ

ワイ

別院

工白老白= Olz

m

g

o

﹁ ニ MO

2 .

歴史 明治前期にハワイに移住した広島・山口

・熊本出身の

移民が真宗の布教を懇願し︑一八八九(明治

二十二

)年

かがひそうりゅう

西本願寺

二十一世明知は︑曜日蒼竜をハワイへ派遣し た︒一

八九

八 (明治三十二年にはハワイに布教監督の

職制を設け

里見法爾が監督として派遣される

︒翌年

今村恵猛が監督に就任するが︑今村は当時ハワイ諸島各 地で起こった市民啓発問題などの日系人移民の問題解決 に献身し︑本願寺ハワイ教団の形成を飛躍的に推進した︒

一九

OO(

明治三十三)年には現在地に本堂を建立︑ま

た︑日本語教育のための付属学園やハワイ女中学校︑仏 教青年会︑仏教日曜学校を創設し︑各種教化組織を展開 させていった︒これらの活動の中

であるホノルル布教 場 は

一九

O

六(明治三十九)年に別院に昇格し︑今村 が初代輪番に就任している︒太平洋戦争中にはハワイ全

ー+、

島の開教師の抑留などに遭う︒戦後︑大谷光照門主夫妻 がハワイ開教区を巡教する

本山および現

地教団人の積 極的な支援のもと現在に至

っている︒

3 .

教団の組織構造と聖職者養成法 本派本願寺ハワイ教団は︑各島の﹁教区﹂がつくる五 つの連合会(ホノルル本願寺連合会

オアフ島本願寺連

合会

︑ カウアイ島本願寺連合会︑マウイ島本願寺連合会︑

ハワイ島本願寺連合会)からなる︒

ハワイ別院には本派 本願寺ハワイ教団本部が付設されている

︒問教師養成は

日本の本山を中心に行われているが︑近年はプレ得度プ ログラムという現地開教師養成のためのプ

ログラムが導

入されている︒

4.

教団の規模と最近の趨勢

メンバーは二千五百世帯で全米の本派本願寺教団で

最大規模の別院である︒六十五から七十代の日系 世が中心であり︑白人が約百人︒若い層の信者数は減少 傾向にある︒

5 .

宗教活動の特徴と問題点

パリハイウェイをはさんでハワイ別院の向い側にある

フォ

l

ト学園をはじめとする学

校運

営︑

日曜学校

仏 教

青年会︑婦人会などさまざまな組織的教化活動を展開

している︒他島から移住してきたメンバーや他島へ移住

するメンバーは電話連絡によって引き継がれるなど

ワイ教団内の連繋も密になされている︒しかし若

い層

の信者数の減少にみられるように︑家庭

の宗

教としての

世代を経た継承が弱まっている︒そのかわりに︑聖典重

視の姿勢や非日系人による日本文化としての仏教受容

とい

った新しい傾向がみられる︒

(水

谷浩

1 .

教団名

⑤モイリリ本願寺

玄旦

== 工

O

‑M

O師 一

2 .

三十九)年︑本派本願寺布陸別院の布一九

O

六(明治 歴史 教場として創立された︒モイリリ地域の人口増加にとも なう信者の増加によって一九二

O

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