(昭和三)年東京生まれで︑幼少のころから心霊現象を 感じる資質があったという︒
一九五三(昭和二十八
)年
︑
二十五歳のときに米空軍パイ
ロ
ットと結婚し
︑渡米した
︒
一九六四(昭和三十九)年︑
ホノルルに移り︑結婚衣装 のブティックを聞いて結婚相談を始めた︒
一九七五
昭
和五
十)
年︑
ハワイ進出中であった天台宗の布教活動に 接
し そこでの羽場慈温師との出会いを契機として︑尼 になることを決意
比叡山で得度
・受戒し
ホノルルに
戻って
地蔵の霊感による個人的悩みの解決を中心とする
宗教活動を行︑7︒
一九
七九
(昭和五十四)年に独立を決
意し
︑
二年後に現在
地に
高山石寺が完成︑法人登録する︒
天台宗ハワイ教区とは独立して活動を行っている︒
3 .
原点にあるためいかにして寺の後継者を育て組織的
運営を図る
かということが
今後の最大の課題である︒7 .
その他(アンケート以外の調査結果)信者はどのようなこと
がらの解決を求めて慈久師のもとへやって来るのだろう
か︒その中心は人間関係の悩みと病気である︒サンデ
ー・サービスに参加する信者数名にインタビューしたと
﹂ろ︑具体的な人間関係の悩みとしては就職への不満
(日系四十代女性)︑親・夫の両親との不仲(中国系三十
代女性)︑娘の自閉気味(日系五十代女性)︑息子の非行
(日系三世六十代女性)が挙がり︑病気としては臆鞘
炎・静脈癌(同)︑出産後の体調不順(日系三世二十代
女性)パーキンソン氏病(日系七十代男性)が挙がつ
た︒慈久師はこうした悩みを抱えて訪れる人々の話を聞
き︑地蔵の霊感(身体的変化などを兆候とする)によっ
て信者に対して具体的なアドバイスを与えていく︒
また
一回の相談で慈久師との関係が終わるのではなく︑
のそ
後もサンデ
ー・サービスをはじめとする
寺院の宗教行事に参加し︑信者として活動することになるが︑行事にお
いても対面での関係が維持されている︒サンデー・サ
l
ビスでは︑勤行・
説教
の後
︑
一人ずつ慈久師のもとへ来
て相談をし︑背中を向いて数珠による呪法を受ける︒
8 .
分析
慈久師と四十代を中心とする信者との聞で人格的まじ
わりが積極的に追求されており
‑
30これが寺院の宗教的活
動の支柱になっている︒その反面︑設立から十数年を経
て︑今後寺院をいかに組織的に維持運営していくかが課
題となっているという︒個人的な布教活動がのちに所属
教団の組織的開教へと引き継がれた例が他の教団にもみ
られる︒しかし
︑高
岩寺は当初から天台宗による組織的布教と一線を画してきた︒そのため︑独自に後継者を育
成する方向へ進んでいくと思われる︒さらに︑慈久師は
ホノルル近郊に在住する個人が抱えている宗教的悩みに
自らの個人的な宗教的資質によって応えてきたが
﹂ ︑
7
した資質がいかにして継承されうるのかという問題もあ る
(黒
崎浩
行)
1 .
教団名④本派本願寺ハ
ワイ
別院
工白老白= 工Oコ℃印lz
m
コg
白o﹁ ニ 三‑M印一Oコ
2 .
歴史 明治前期にハワイに移住した広島・山口・熊本出身の
移民が真宗の布教を懇願し︑一八八九(明治
二十二
)年
︑
かがひそうりゅう
西本願寺
二十一世明知は︑曜日蒼竜をハワイへ派遣し た︒一
八九
八 (明治三十二年にはハワイに布教監督の
職制を設け
里見法爾が監督として派遣される
︒翌年
今村恵猛が監督に就任するが︑今村は当時ハワイ諸島各 地で起こった市民啓発問題などの日系人移民の問題解決 に献身し︑本願寺ハワイ教団の形成を飛躍的に推進した︒
一九
OO(
明治三十三)年には現在地に本堂を建立︑ま
た︑日本語教育のための付属学園やハワイ女中学校︑仏 教青年会︑仏教日曜学校を創設し︑各種教化組織を展開 させていった︒これらの活動の中
心
であるホノルル布教 場 は
一九
O
六(明治三十九)年に別院に昇格し︑今村 が初代輪番に就任している︒太平洋戦争中にはハワイ全
。
ー+、島の開教師の抑留などに遭う︒戦後︑大谷光照門主夫妻 がハワイ開教区を巡教する
︒
本山および現
地教団人の積 極的な支援のもと現在に至
っている︒
3 .
教団の組織構造と聖職者養成法 本派本願寺ハワイ教団は︑各島の﹁教区﹂がつくる五 つの連合会(ホノルル本願寺連合会
オアフ島本願寺連
合会
︑ カウアイ島本願寺連合会︑マウイ島本願寺連合会︑
ハワイ島本願寺連合会)からなる︒
ハワイ別院には本派 本願寺ハワイ教団本部が付設されている
︒問教師養成は
日本の本山を中心に行われているが︑近年はプレ得度プ ログラムという現地開教師養成のためのプ
ログラムが導
入されている︒
4.
教団の規模と最近の趨勢
メンバーは二千五百世帯で全米の本派本願寺教団で
最大規模の別院である︒六十五から七十代の日系 世が中心であり︑白人が約百人︒若い層の信者数は減少 傾向にある︒
5 .
宗教活動の特徴と問題点パリハイウェイをはさんでハワイ別院の向い側にある
フォ
l
ト学園をはじめとする学校運
営︑
日曜学校
仏 教
青年会︑婦人会などさまざまな組織的教化活動を展開
している︒他島から移住してきたメンバーや他島へ移住
するメンバーは電話連絡によって引き継がれるなど
ワイ教団内の連繋も密になされている︒しかし若
い層
の信者数の減少にみられるように︑家庭
の宗
教としての
世代を経た継承が弱まっている︒そのかわりに︑聖典重
視の姿勢や非日系人による日本文化としての仏教受容
とい
った新しい傾向がみられる︒
(水
谷浩
志
1 .
教団名
⑤モイリリ本願寺
玄旦
== 工
Oコ
四三 印コ ヒ豆
‑M
Oコ師 一
2 .
三十九)年︑本派本願寺布陸別院の布一九