ユ96 23.
ユ24 14,
52層 6.
834 100.
49980
人数195
309 225 105 834
初詣への参加状況
45920
人数335
197
!82 120
83
たとえばなし %0
23. 4
37.1
27, Q 12. 6
10 0. 0初詣
%
40. 2 23. 6 21. 8
14 ., 4
10 0. 0
本調査の値とほぼ等しくなる。このことかちも墓参りは今でもかなり普 遍的に行われている宗教行事であることがわかる。初詣については,2
〜3年に1度を合わせると60%近くの者が行くと答えている。しかし これはNHKの調査の{よくする}55.・1%,{することがある}2 6.7%,{しない},17,8%と比べるとかなり低い値である。
次に(家の宗教)について述べたい。結果は,(家の宗教に対する興 味〉を含め[表3一一3一一21]に示した。この結果も宗教学会の値と比 べながちその傾向を考察したい。あると答えたもの43.6%は宗教学
[表3・一3一一21]
1)家の宗教
人数 ある 364 ない 169
わからない 301計 834
家の宗教及び興味
fol)60
43.
20.
36.
100.
2)家の宗教に対する興味
人数
ある 99どちらともいえない 184
わからない 102 計 389
6310 人数 神道 16 仏教 278 キリスト教 12 その他 14 わかちない 44 計 364
% 25.
47.
26.
100.
5320 %443810 462320 7 10 1
・マ鋭
会の41.80%とほぼ一致する。ここで特徴的なことは{わかちない}
と答えたものの割合が36.1%と非常に多いことである。宗教学会に も同様の質問があるが,報告書にはデーターが記されていないので比較 はできない。この{わかちない}と答えた者の存在は,あるとは自信を もって言い切れないが,さりとてないとも言えないという日本の宗教的 特徴を良く表していると考えちれる。またあると答えた者のうち,神道
4.4%(7.4%),!仏教76.4%(79.5%),キリスト教2 3%「〈4.23%),その他3.8%(8.75%),わかちない12.
1(統計なし),〈( )内は宗教学会〉であり,宗教学会の数値と大 差はない。(家の宗教に対する興昧)は本調査が25.5%があると答
えているのに対し,宗教学会は11.03%と大差があるように見える。
しかし宗教学会の調査は,家の宗教があると答えた者にだけ答えさせる という配慮がなされていないため,全体に対してこの質問を行っている。
従って数値が低くなるのは当然で,この(家の宗教に対する興味)も本 調査の結果とそう大差はないと考えられる。
次に個人の宗教について考えてみたい。結果については[表3−3−
22]に示した。この結果で注目されることは,{持っている者}16.
8%,{関心がある}16.7%,とこの割合が他の調査と比べかなり 高いことである。宗教学会は本調査と同様の質問でそれぞれ10.3%,
16.1%であるし,統計数理研究所「日本の国民性調査」において2
0才〜24才の青年で,{持っている,信じている}12.6%,NH
K宗教意識調査16.5%と比べても本調査の結果はかなり高めである。この結果が宗教回帰現象を示すのか,それとも地域性によるものなのか は,ここでは判断できない。この質問の後{持っている},{関心があ る}という者に対して,それはどんな宗教であるかを問うている。{家 1溺1
[fi 3−3v−22]
持っている
持っていないが関心がある 持っていない
わからない 計
家の宗教とおなじ 家の宗教と違う 特定の宗教ではない
計
人数
107
51 114 272
個人の宗教
人数:
140 276 139 834 279
% 16. 8 16. 7
33.1
33. 5 10 0. 0
持っているもの.関心があるもの %
39、3 神道 18.8 仏教 4L 0
10 0. 0
人数
6 8 キリスト教28
その他 9計 51
%
11. 8 15. 7
54.9
17. 6 10 0. 0
と同じである}と答えている39.3%は家庭における宗教教育,ある いは家庭の宗教的雰囲気かちの影響と考えられるが,{家の宗教と違う.
F︸
,{特定の宗教ではない}と答えている,18.8%,41.4%の存
在は興味深い。オルポート(前掲書)は青春期の宗教について「通常は 思春期にさしかかって始めて宗教情操の進化に重大な転換が起こる。発 達のこの時期において青年は宗教的態度一実際あらゆる態度一を自己の パーソナリティーに対する受けうり的適合かち第一義的なものへと変えるように強いちれる。もはや両親の考えに任せておけない」。としてこ の時期を自我の確立とともに回心を含めた宗教的転換期とみている。本 研究において{宗教を持っている},{関心があるとする}とするもの は全体からみれば1/3強の少数派である,しかし何ちかのかたちで宗
1細1・1
教を求めている者の存在は無視できない。青少年期という自我の確立期,
宗教的転換期において,なんら宗教教育がなされていない日本の現状を 見ると少数派といえども宗教に興味関心を持った層がどのような宗教に 引かれて行くのかは非常に興味深い。
「表3−3一一23]
1,農林業
2,自営業(商.工)
3,サービス業 4,自由業
5,管理職(勤め)
6,専門術職(勤め)
7,事務職(勤め)
8,販売(勤め)
9,労務
10,公務員 11,その他 12,無臓
)計
人数
73 136
6 3
14 25 423
7
73 61
2
11 834
家庭の職業
0 8374707883︐23 . . . 0 %8600130087010 1⊥ 5 1
最後に(家庭の職業),(家族状況)を[表3−3−23]に示して おく。この両質問については,質問紙の中には項目を入れず,後で学校 から資料を得,それをもとに集計したものである。職業については,職 業分類表に従ったが,資料に会社員とだけ記されていて具体的職種がわ かちないときは{7,事務職}にすべ入れた。従って分類としては不備
と考えられるが,調査の持つ制約上やむを得ないと考えている。
両親 母子家庭 父子家庭 計
家庭状況 人数 %
756 90.6 66 7.9 12 1.4
834 100.0
・糊1 物.
4節,結果及び考察(その2)
1),宗教的意識と人格的諸要因 a,宗教的意識と社会態度
第3章3節で述べたように,宗教的意識は4つの因子かち構成されて いた。それは{1,神仏に対する信仰心},{2,宗教的心情},{3,
現世利益},{4,生への感謝と努力}の・各因子である。また社会態度 は,{1,社会に対する信頼感},{2,自己受容.他者受容},{3,
自己の存在感}の3因子から構成されていた。そして仮説では宗教的意 識の高いものはより自己実現的な生き方をしているとした。このことを 宗教的意識各因子と社会態度各因子を比較することにより明らかにした い。[表3−4−1]に両調査の因子間相関を示した。なお相関係数:は
[表3−4−1]
社Factor1 会Fact。r2
態 Factor3
度
宗教的意識と社会態度との関係 宗教的意識
Facterl
−O. 102 ( **)
O. 345 (***)
O. 139 (***)
*p〈e. es
Factor2
−O. 163 (***)
O. 326 (***)
O. 182 (***)
**p〈O. Ol
FactDr3
−O. 133 (***)
O. 224 (***)
O. 058 ( *)
Factor4
0. 154 (***)
O. 385 (***)
O. 225 (***)
***p〈o. eol
(N−834)
ピアソン相関係数を用いた。社会態度各因子かち宗教的意識各因子を眺 めてみると,かなり特徴的な関係が認められる。まず第1因子{社会に 対する信頼感}に対し宗教的意識各因子は第3因子の{生への感謝と努 力}をのぞき大きくはないもののいずれも負の相関を示している。また 第2因子{自己受容.他者受容}に対して宗教的意識各因子はかなり高
鯉…
い相関を示している。さちに第3因子{自己の存在}に対して宗教的意 識各因子の相関係数は概して低い。
まず始めに社会態度第1因子{社会に対する信頼感}と宗教的意識と の関係かち考察したい。この第1因子は社会の中で生きて行く個人が社 会との連携を保ち,社会を信頼の目でみていると姿を表している因子で ある。すなわち人格面かち考えれば社会性を身につけた人聞の姿を表し ているといえる。宗教的意識各因子との相関係数はすべて有意な相関を 示してはいるがいずれもO.2以下であり無関係ではないが両尺度間に は明確な相互関係があるとは言えない。しかし第4因子の{生への感謝 と努力}以外はいずれも負の相関を示していることは大変興味深いeデュ ルケムは社会学的立場かち宗教の機能には,個人が宗教的規範を身につ けることにより社会との関係を密にし集団の連帯性を高める働きがある とした。そして伝統的な宗教的規範かちの逸脱が高いアノ.ミーを招くと している。本研究で作製した宗教的意識尺度は日本社会における伝統的 な宗教的意識を前提にしたものである。従ってこのデュルケムの見解を かなり支持する結果が得られるものと予想していたしかし明確な相互関 係は見ちれないが社会に対する信頼感の因子と宗教的意識の3因子が負 の相関を示すということはこのデュルケムの見解とは逆のことを意味し ている.ただ相関係数が有意とは言え低い値での見解であるのでこのこ とを断定することはできない。仮説では宗教的意識の高い者は盲己実現 的な人間であると述べた,ここで述べた自己実現は人間の人格において 社会化の側面と平入化の側面との両方を兼ね備えた人格をさしていた。
しかしこの結果の意糾するところでは宗教的意識と社会化の側面とは関 係しないことが分かった。さらに宗教的意識3因子と負の相関を示すと いうことは,社会かち孤立し社会に対し信頼感を持てないものが宗教的
謄陸i
なものに頼るという宗教の持つネガティブな傾向をやや示していると考 えられる。
次に社会態度第2因子{自己受容.他者受容}と宗教的意識各因子と の関係について考察したい。この第2因子は人格面では個人化の要素が 強く他者への尊重.そして他者を受け入れるという態度を示したもので ある。この因子と宗教的意識各因子との相関が第3因子の{現世利益}
を除きいずれも0.3以上の値を示していることは非常に重要である。
これらの数値は強い相関を示しているとは言えないものの834名とい う人数を対象とした調査としてはかなりの相関があると言える。このこ とは神や仏という自分の存在を越えたものを認め,大自然や宗教的象徴 に畏敬の念を持ち,現在ある生を感謝するという心の構えが持てるとい う人格構造と,自分を大切にし,他人を尊重するという人格的構造とが 密接に関わりを持っていることを示している。仮説で筆者はフロムの宗 教研究の方法批判に言及し,宗教の問題は日常の生活態度を問題にすべ きであることを述べた。本研究で示した宗教的意識は神や仏に対して,
あるいは宗教的象徴に対しての内行動であり反応準備体制であった。こ うした聖なるものに対しての意識が聖なるものの領域にとどまちず,日 常生活における自己を尊重し他者をも認めるという心の構えと相互に関 連しあうということはきわめて重要なことである。このことは宗教的情 操をかん養することめ必要性を示唆していると言えよう。オルポートの 示した内発的宗教の人格的成熟への働き,フロムの人道主義的宗教にお ける自己実現的側面と本研究の宗教的意識が同じものであるという断定 はできない。しかし背景とする宗教文化の違いはあっても,本研究で示 した宗教的意識の自己実現的側面は重要であり,オルポートの内発的宗 教フロムの人道主義的宗教と合い通じるものがあるではないかと考えち 簸
れる。最後に社会態度第3因子{自己の存在感}と宗教的意識各因子に ついて述べておきたい。この因子と宗教的意識各因子との相関係数はい ずれも低く相互関係が明確とは言えない。これらから宗教的意識は人格 の社会化面との関係はないが,自己受容・他者受容という個性化面との 関係の深いことがわかった。このことは仮説3を支持していると言える。
b,宗教的意識と対人態度
対人態度調査は否定的態度3項目と肯定的態度2項目をあげ,それら の態度を示す者に対して自分はどういう態度で接するのかを問うたもの である.否定的態度に対する質問1〜3の回答は大きく分けて4つの立 場がある.第一は自分もそういう面があるとする立場(1),第二はそ
ういう人に対し七無関心な立場(2,3),第3はそういう人に立ち直 って欲しいとする立場(4,5),そして第4は助けてあげたいとする 立場(6)である。〈( )内は回答番号〉 ここで1の立場を自己客 観化のできる人間とみるか,事実そうであるのかを判断するのは難しい。
そこで1の立場を別の次元としておき2.3.4.の立場を見ると2−
3−4,と進むにつれて否定的な態度をとる人間との関わりが大きくな っていることがわかる。オルポートは人格的成熟の基準のひとつとし七 自己が他への暖かい関係を持つことをあげている。そうした意味でも4,
の立場である何とかしてあげたいと思う者ほど日常生活において自己実 現的であるといえる。そこで対人態度と宗教的意識との関連をみること により,宗教的意識の高いもの程自己実現的であるとした,仮説3を明 らかにしてゆきたい。まず「周りの人が信じちれないという人に対する 態度」,「生きて行くことに意味やもくてきを見いだせないと言う人に 対する態度」と宗教的意識との関連について考察をしたい。この両質問
・轄96