(〜 ̀41
)
108 ‑ 118除 虫 菊 タ バ コ
作 付面積 収 横 位 作 付面横 収 稚 Et S5年 146a 15.9t
15年 468 15.1
55年 275a 62.5t
56年 217 47.7
‑11占‑
表2‑7〔果細栽培面横及 び収穫丑 〕 (統計年報に よる ) 単位 :・l‑d・ t
モ モ ブ ド ウ ミ カ ン カ キ
頚 培 面 親 l扶種丑 栽 培 面 穣 収裸 足 面 鎌栽 培 収 穣丑 栽 培面 硬 収 竣戟 成 囲
而 成 未 成歯面 領 成 路面 凍 未成閲面 鎌
昭和59年 4.djLa 口.8ha 24t SFla 0,9Jla 54t 18lta 40t 1朗 a 24t
40年
(‑ 41) 4F.Ia 2 lLa ddt 1/73 1/,a 28t
除 虫菊 も以前の ような盛況 は見 られないが,鏡 .安食一帯に栽培 され てい る9菜 タバ コ栽培 は この10年間比較的その作付 ・収種 量を維持 してい るO これ は後 述する経 済的理由に よるも のと思われ るOこの よ うにそれぞれの作付の作付 ・収鮮量は以諭 と比較 して,減少傾 向にあ る 那.この ような怨業の停滞気 味の中にあ って,その打解策 として注 目をあぴ・増加傾 向にある もの として ,果樹栽培が あげ られ る コ果樹 とい って も ミカ ンが主で 畑 と同様の嬢傾斜の土地に 次第に広が っておt),寄 島町の土 地利用は従来の畑主 ・田従 の型か ら,果樹 歯 (花 未 も含む) を組み 合わせた歯芸的耕地利用に移 ろ うとしてい るo姓協の方で も将励卒業 として,推進 して いる●
寄島地区で の果樹栽培 (特に ミカン)は昭和52‑ 55年頃か ら徐々に作付 された もので あ って,その歴史は浅い とい って よいD
これ らの数種の 監斐生 産物 の 内で も 【タバコ " ・q果樹 (ミカ ン) "の烏菜食轍 を少 し詳 しく述 べてみ ると,
(タバコ)
脅佐 ・鏡を中心 として栽培 され てい る韮 タバコは専売公社の規制のもとにお こなわれてお り, 収納価 格も専売公社に よ って決め られ てい るので,戯家に と っては価格の変 動な どを考慮する 必要 もなく,安心 して計画的に経営で きる。 これ らの葉 タバ コは県北におい ては戦 前まで 備 中糞 pが 見 られたが,覇在は全然 見 られない ‑当地におい ては q黄色薬 'がほとんどで ある 荷床は2.月10E傾 行なわれ,菅は dまい "とい ういなわ ら床を庭の掛 こ作 っていたが.現在 で は ビニ ールノ、クス床の 中で マ ッチ箱程度 の ¶ゎ く"の中に苗床 をつ くり (1寸6分 (5'.78) 頂角TC・10アールにつ き2.500こ程度) ,毎 日1‑ 2回 (朝 10, 11時頃 と昼す ぎ) 水を 欠か さず,温度 も50℃ 以下に保存 しなければいけない。 4月10日〜 20日頃本 田へ植付け するO (2の木 田は 5月中頃肥料を入れ ておいて植 付けの準備を してお く), 1nの うねをつ
‑ 117‑
くt), 45(7間隔で麦 と麦 の問に (風か きの役 目だけでな く,病気 を防 ぐ役 目をす る)掩 えつ け,浦よけのため ビニールの角キャ ップでおおい,追肥 (化学肥料 ・油かすetc )を絶えず 欠かせない ことが必要で あるoそして 6月 2 0日過ぎか ら 8月10日頃にかけて成熟 した菓
(緑斐 →黄斐)を下の方か ら順に1枚1枚 もいでい くoもぎと った兼は2問四角の乾焼場で qあさなわ "にあんでつ るし, 5‑8日徹夜で乾燥 され る̲乾操 の燃料は薪か ら最近では ガス ・ 重油を使用 したバー ナにかわ ってきた。その場合 の温度 は 5dIc 〜 70℃で オ L/ンLy色の斐具 合に常に保つ必要がある 、
糞 タバコの生産には植 付けか ら収榛 まで多くの労働力を要す るO乾燥時のつ り込みは特に労 脚力を要求 され, 5‑占日間 も徹夜で働 くことは重労働であ ったO この ような重労働の結 輿, 他家の得る収益は10アー ル当り, 15万円前後で肥料代 とか ,燃料典 ,人夫層を 引くと10 万円前後の収益であ って ,あまり良い収入 とはいえない。偲家に とってタバ コ収納 の規準価格 が一定 しているために 巾安心 して金が入 る"とい う魅 力が大きいので行なわれてい るようであ Tjoしか し現在の若年令層の他産業への就織に よる離村現象に よ り怨家は労働 力の 不足を きた している渦中にあ る今 r‑i, タバコ収益の伸 びも停港 してお ().タバ コ栽培は減少をたど ってい る。いずれは廃絶 して しまう運命にある栽培作物で あろ うO (写2‑ 1)
(ミカン)
5‑ 4年前か ら町l訟協などの将励に よって,力を入れている ミカン栽培において,その栽培 面払 ・収種 Bを増 している .不況な 農業において,将来期待で きる商品作物 として盛んに新品 種の改良な どを行な っているb
ミカ ンの棒掛 硬 卜 早生 (わせ) (11月切‑11月未収確)‑ ミヤガワ ・オキツ② 」晩 生 (おくて) (11月20日〜 12月15‑ 16日収種)‑ イL,カワ ・ノ、ヤシ⑤ ‑ 中吐 (な かて) 症) ① の中間)A‑ 、スギヤマがあり, ・描 .は遅 く収 健す ると糖 酸が減 って,貯蔵がき かないそ うで あるQ私達の訪れた頃は晩生の収好時期 であちこちに収硬す る主婦の歩が見 られ たD ミカンは小さな苗木を植 えて, 5.‑4年す る果実がつ くそ うで ,消毒は年4軌 年数が立 っにつれて,その回数が少な くし,除草 も少な くしてい く ミカンの成長皮合いは土地の高低 に非常に大き くWv筆 され .如 、ほど成長が早いそ うであZ,。 また 日光が あまり強 くて・q やけ る・条件の状掛 こな ると成長が遅い o収硬 された ミカ ンは 巾よそ "とい ‑て,床に並 らぺてや ゎらか くした後,鵬 とか仲 買人を通 して'出荷され るOしか し収摩す る人が女性の年雑音が 多 く見 られた ように .若者及び男性 の労働力の里庄 .鯛 ・鯛方への出稼ぎが多 く・ ミカン栽 培のための労働力不足に は非常に頭を鳩めている。
‑ 118一
表2‑ 8 〔飽 菜 板 生 産 砺 ・生 産 性 (45年〜 44年)〕 (統 計申 掛こよる) . 単投 ;百万 円
農 業 粗 生 産 額
所得生産飽・#
讐 計 作物計 米 麦 推豆いく項類こ も 守 莱 一花 工芸 めに 乳 1
衷 2‑ 9 〔主要家畜 ・にわ とり飼養怨家数 ・頑羽数〕 (統 計年 報に よる) 戸 , 単位 :顔 羽
乳 用 牛 肉 用 牛 に わ と り 豚
飼養怨家敬 頭数 飼養鹿家軟 頭数 飼蛋 岱家数 頭数 封責 趨家数 頭数
昭和 声 頭 戸 頭 戸 (100
享 ゆ
戸 頭59年 50 80 10 10
5
08 257 50
2604(‑0〜4年1) 4 10 1
1
50 400 l 4 I 17以上の ような農産物 に対 して 寄島 町の位家の 輯生 産額か らみて ,重要な収入源 として解 像 業 (養鶏含む )が上げ られ る O (衰 2‑ 8参照)
鴫侶 とい って も乳牛・と養鶏が 中心で ,鞄か ま大正末期に比較的経営規模の大 きい怨家に導入 さ れた 。しか し乳牛の飼育頭 数は停滞傾 向を示 してい る。 (衰 2‑ 9参照)
畏 鞠某は柴木に顕熱 こ見 られ る C秋 田 .嘱原養鶏所をはじめ として,寄島町には西島 ・有 田避 鞠所 とい った比横 的経営規模の大きな怒粗所が見 られ る 。これ は飼准腿 家数 は減少傾 向にある にもかかわ らず羽数が少しずつ ではあ るが増加傾 向に あ ることか らもわか る これ らの養胡所 で は若めす (ひな)の考成 とか・鶏卵を 目的 として多角的に行なわれ てい る。私達 が訪れた秋
田発 鞠所の御 主人の話す と ころに よるとF,秋 田養鶏所は,
LILq和12年現在 の触主人が始め られ昭和15年 には県 の委託隼鞄所に指定 され,羽数 も1,000 羽のにわ と りが稚 され ,当時では El本で10乳 中国地方では第1位の規膜で あ ったそ うで, 研和 25年に委託統 制が解除 され ると∴ ふ卵 目的で一本化 した Oそ して昭和 54年には有限会 社柴木車鶏所を発 足させ ,近代資金を借 りて草笛 を大規模化 させたJ 58年には アメ リカのノ、
‑119‑
イラインの広島県の権利を もら って,息子 さんが松 永に株 式会社 「秋 田種鵜飼 」を 設立 し,飽 場の数も2 1を数え,そ こで働 く人 も1 10人 とい う規模で ,広島県の若めす の4口車をここ で飼燕 してい るとい うことであるo柴木におい てii現在の衝主人が鶏卵 を主に行ない ,逓 2回 の割合で水島 et・ご\,多 く出荷してい るとの ことだ った,
で はこれか ら先,寄 島町IB兼の将 来はどのよ うT.・.方向へ進展していくのだろ うか O
前述の ごとく本町において は耕地がせ ま く,また傾斜地が多いため,機械化 が全然 行なわれ ないので ,.そのため生産性を上げることがで きないo また肥料兜 とか人件甥 etcの高騰 にか かわ らず ,作物価格がそれに比例して高 くな らない Oこうした諸原因が雌民の股箕に対す る気 がまえを喪失 してい き,現金収入の比較 的い い方へ と就織 してい くoq串こ若者の離村へ と結び ついてい くoこうす ることによ っ{・労働力不 屯は否定で きない現 実 とな 1て現われ,僅集後継 者に悩 まされ ることは避け がたい坪 美であ るG こ うした 自然条件 ,社 会的条件を克服す るもの として
町
群協が将励推進 しているのが ミカン栽培で あ る oミカ ン山地の造成を耐掩附 に行ない,川がな く,ため池1本に頼 よ っていた 水利の 問題 も;!:.1]襟 川か ら水を引き ,里 庄に布地を造る工群も2‑5年か ら石工 され ,昭和47年まで には完成す
るとの ことで畑作 油灘 も可能 とな り, ミカン巌培促進 の計画 もJJibを1='iるものと期待 され てい る n また本抑 こねいては現在で は所 FIに しか見 られないが,隣 りの正頑な どで盛 んに行 なわれ てい る花木栽培 ('i照菊栽培 )の方の将親 も町の方で行な ってい るよ うで , これか ら先 ,発展をみ るものと思われ る ,,こうして 見ると将来は ミカ ンと1‑E木栽培を中心 とした園芸 的耕 地利 用が 当 qにおけ る唯 一のl良薬 の進み うる泊で はなか ろ うかO こうした将 励政策に よ って, 町魁協当局 で は少 しでも甑村
化
,兼寅化 に よる他
案の衰退を くい とめ ようとしてい る.次に当町の旗業景観 を示す写斑を救せ てお こ う ‑ (写2‑ 2)
( 渡 辺 魔 人 )
‑ 120‑
3. 園
芸
大島の繭の海岸沿いに位置す る長浜 ・正頭 ・大工の浜 ・井の砂 などの地区は初島山が瀬 戸内 海に迫 っているので ,平地に恵 まれず,わずかに傾斜のゆるやかな畑地が ,海岸近 くの山嘘 に
‑
JSるだけであるC
そ こでは,麦類 ・イモ規 ・豆類 ・野菜 ・除虫菊な どが 主に栽培 され てい たoLたが 11て, こ れ らの地区では,半農半漁の生活を強い られ ,掛 こ頼某か らの収入 が‑裕福ではなか ったが ‑
主に生はを支えていたo
ところが,以前か ら瀬戸内海の寅鍋島で農地栽培されていた寒菊が,神島で も栽増 され るよ うにな り,それが軒との 「HJi塵普及所」の人たちの協力を得て,昭和50年頃,大島の長浜地区 で も栽培され始めた .これが,長浜地区の菊栽培 の起 l)であるD
その当初 は,寒菊だけではな く,その他の花では金蓋花 .矢車草 ・ス イ トピー ・グラLyオ ラ スなどの坪根源も試験 的に我培 されたO
しか し,い ろいろ試みた練乳 菊が娘 も栽培方 法が簡単で ,しか も毎年球根や種なども仕入 れな くて もよいので,缶金があ まり必要 とされなか った .,そ して,もう一つの大 きな理 由は,
これ らの地区の気候,特に,気温が菊栽培を盛んにさせた。
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