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ドキュメント内 寸山 村 と 海 村 の 地 理 ' ' (ページ 41-59)

(旧期 ・新期 原状地

)

5 %

状地 の扇端 .新期扇状地 の屑頂付近)

い も , 棚( 1 . 4 吟 野 菜 類 ( 1 . 5 i )

= 荒 著 内 作 西 物 ・ ( 北 1 . 2 ( ㊨ 所 期 扇 状 地 の 扇 扇 央 鵜 . )

進み.現 在広 く畑地の分布 している詔 円野 ,行方地区 も将来 用水路 を引 き水田化 する計画 が 立て られ ている。次に畑地 で栽培され ている作物について見 ると.果樹 .慕 .苗床 .タバ コ 野 菜 と種 々載,TB・されているが , ‑ :丁ついて考泰す る。

(j) 果 樹 類

との地区 の果樹 といえば .かつては r日本原 の育 リンゴ」 が有 名で あった。 脊 1)ンゴ比 大正末年 上り栽培が初め られ.貯詫 リyゴが終 り.信州,甘森等○本場の 出廻 るtでの端

に出荷されろため.市場 で好評 を壮 くし増産 されていたが .昭和28年頃 エ̲b病等 虫 の発生 と広 戸風 の韻事が 出て.それ以 汲安徹 し現在 兜が多 く栽培 され てい る。 が しか し全 体的にみるとその

借両 親比叡少 で7a̲q,栽培 してい る現状 で,果樹は この地方では閃花 期 と広 戸風の来恐期 とが一致す るため .収

に彩tDL伸び なやん でい るO (例 えば今

S42

年の台風22号の形櫛で広 戸風が発生 し梨 の50飾畝収 ,水朋の50飾減収被等予想が出

されている。) r. .

(。) 苗 木

苗木 の育成は安達神風 の開拓期に初 せ り.戦中.吸後の山林 の荒廃 とそれに植林 を とい う気迎 と.ク ロボコ土壌が他 の作物 と比故 して苗木の育成に適 してい ることな ど合わせて 育成 が続 け られ .現在国道沿の上町 .海 牛の凸林省 津山営林署 と個人経営 も行 なわれ現在 20町歩以上 に適 し近年増加傾向に あ り,将来性 もある。 そ の部類は松 ,杉.樽が主 であ

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少主に森林故合を通 じて出荷 されてい る。

H 茶 園

素性広戸風の東独肋までに収唖を終 り.樹福が低いため故事は少な くてすみ .戦前か ら 盛んに栽培されていたが.吸後米作,サ ツマ イモ畑 と転換が行7tわれ現在6 2&の栽培両 横で林野の工場 とクィア ,ブ して経営を行 なっていて.茶 もこの地方の適作で什ない。

(⇒ その他畑作物

このほかに主 を もの としてサ トイモ .タバコ. トウモ ロコシ.I).Yガイモ.大豆等稚々 栽培されているが前の二作物 をのぞいて他はすべて 自家消費であ9.商品作物が伸びない 裡由 として .広戸風の苛を剖 す.ク ロボ'コ土相 (強軽性土壌) に適する作物 として.しか も商品 として近郊/7聖村 と十分に凝争 しうそ商品作物が現在 な く低滞 しているのが現状 で町 自体 も,%作 .酪鹿を中心 とす るBt渠榊造 を日ざしている。

(5)河川 と田地に よるi'諸政

この地方の地業が米 .安中心で畑作物従であ 9.山唖 vcおける扇状地 で土地 が傾斜 してVl るため河川の水はその流巌を一定にせず.出水時 に結多

二 i

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:の水が虐時間に出水 し,たびたび 洪水'/)半 をだすのであるが,河水JL;,1には河川が地下I.・'C酸適 し,表面水はわずかとをb典桝 の ITl水として不十分 で.古来 よb用水砿保のため国に示す横 に多 くの淘池が薬価されてきたo その大 h+5分は津山築城後国主茄氏の治 世中に保店奨励 .また虎民開拓欲 に上って輿耕 された ものであるO この ような矧也もこの地方の早番 を地蔵させ るにいた らず .大正15年の大草 魁の 上う7i::畢誓が延々発生 し耕地盤理組合を作 り,潜池の新築 ,・L&理が続け られた。特に昭 和6年 にJi2.田,北青野村の捕搬用水を得 上うとして.また当時の不況に際 しての失業救済対 策を含めて.施川上沢に郡波池の軒並=跡が始め られ ,用水路 を含めて昭和 18年に完 成 し た.LiJに示す

標に

幹諒水路が東西

7 /

C伸び .軽い池に大谷池 .シ ャカメン池 .女夫池 ,野田池 , また渇水池に補水 として花川 .郡

川 .福殴川に放水 し.そ の利‑/!:地区は絹本 ,荒内西 .中 島四 ・丸 広岡,金沢.久常帝 ,'El.成松の南部.高円の高殿川添而一 部でその面横は.

651.51AAで,貯水̲I.'t.・は85万 トン (岡山疎放 4位)で あるO この為 この地区 では近年水不 足のために早晋が発生 した こと(けな く.今年の 占. 7月の 日照 りに も田租糊が一週間ほ ど遅 れた程庇である。 この様に邪臨池 を初め とす る簡他 と高岸川 ,那岐川 ,滝川 ,岩倉川 とその 間t鍋の 目の どとく用水路がは

b

め ぐらされておb.邪作地域 も同に示す通 Dで.新潮虜状 地のみを らす.旧糊の第三湖眉扇状地に も広 がってい る。用水は他懸 bと

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:I)l収 上る州懸b

そ して余水.天水を利用 する 「シククV」 で時VCけ 朝水を利用する所 もあるが.大部分は 前

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C)

二 者の両用 で滞概 されており.河川 ではす でに寛文年 間 上 り番水制が施行 され現在 も尚厳行 されて卦 b.各地 ごとにその水利権は きまってお り.工事 .修理 .兼魚,出水の時には利用 者が反別 に人数 を出 して行い .池の水が不足する場合吐 ,他 の余 ってい る池の水 を もらい . 水代 を払 うOそれは主 に酒,米 であったが現在け 硯領及び工 '̲*においで仕坊 の別 当が行 夜わ れ る。 卓‑/t個 々の池は戦地で ある那妓池の用永組 合に入 .)てい る。 そ して市水制で当番に当 った,者が一 日中水藩 を行い不足す る田

水 を流 してい るO 江 戸時代 には水 の争いO‑【度 々起 D.

その ことが多 く文字亨に記せ られてい る。

次(GL将来'

閥 .3.計画 につい て見 ると.呪屯 巧桑 川の丑 怒な水 を利用 しようとい う計画が あ る。 これ吐西原川 の東側の谷 に

ダ4

趣設丹千億円.ITT水温 188万 トン) を建設 し.これに

桑川上流の′J、坂か ら水路 tn:よって水 を引 く‑計画であるo この計画は鹿家の二 .三 男対策 と して昭和52, 5年頃か ら計画された ものである。 とい うのは ,二 .三 男の就蛾先が無 く.

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誰村防止策 と して畑地 を増成 して彼 らをこの経営にあた らせ .姓

増産 を考 えたので あるO 奈鹿町 だけでな く,PL津田,英EEl同郡 合せて8

D

O町歩の畑地造成 が計 画され た .しか し.経 済還展の苦 しい今 日では二 .三gJL・Ttもちろん長男

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Cが怒盟 し.初 めの計 画 と矛 盾 して きた.

又このダム計画に よZl蔑品町LZ)受益地4,.沌庁の25町 で奉るが .畑地 姓人手がかか 9経常 に什 架理が あ iJ.町 としては ダムの水 を使用 して放牧地去,こす る計画 である。

尚 これか らの土地利用の方向 として畑地 の7(田化 とい うIltが大 きく挙げ られ る。 それは畑 経緯等が多 くF/余事に追われてい るのが矧 LCで 与る こと,水 田の方が投入労力が少 くてすむ こ と及び単 当収入が多い こ と。 史に米 は販売面 で確 保されてい る ことなどの理 由L^=よるoそ し で 上す計画されてレ、るのが高 円野一帯 の畑地 .ニ訳 の南の県道 沿の畑地 である。そ うな2'と 旧糊 扇状地所の土地利用 が水田(・て変 るわけで .奈義町 でけ広い,1'ヨ地 帯 としては 薄山営林歩管 右の苗木地帯 と.巧桑川 と西 原川 の関の山地 L.い塾 した畑地背 ぐらい になる.更にその栽培 作物 も自景 消禦用 を除 くと乳牛の飼料用作牡

&

(j放牧場 と して利用され るであろ うと思われ るo これは町 の酔出推進の意図か らも‑f・廻 され る

C

町 の計画 してい る水m .解放中心の

仏英

に対応す る地利用が近い うちに'r'7'f々に表 われ て くるであろ う。

4r 1 ‑222

悪 上 敏 夫

41 ‑ 25

大 T< 小 夜 子

41 ‑250 山 下 孝 子

一・57‑

8

畜 産

奈義町 .勝北町は筒状地上 にあ b.全耕地両横中水田は秦坂町が85・4串.勝北町 が8 816 年と大 きを位置 を占めている. しか し,頚状地 にあることと. この地方特有 の広 戸風 と干専 に より米 の反 当収入は他地域 と比較す る と低 ,不安定 であるo そのため蝕菜は米 だけに依存す るには あせ

D

に も自然条件 が悪 く.比価 常 は水田に よる収入 だけで行 えない. そ こで鹿家壮 乳牛 .和牛 ,垂軌 頚租 とい った 畜

に力を入れて生活 の安定 を計ろ うとしている エうに思わ れ る。

表8‑ 1 一

轟 町 勝 北 町

a家総数 1,556戸A 曲家指数 1,428戸 C 飼輩B 飼滋頭数 A 飼卓 t) 飼慈項数 D

£生家数 ‑A×100凸家牡 盲 ×100 乳 牛 116戸 5.59頭 8.5/ 99) 555 a,9

・役 肉用牛 828 1.158 61.5 819 116占 57.4 欣 51 285 2.5 27 284 1.

局 10 10 0,1 ll ll 0..1

め ん 草 7 7 U.1 5 5

o

山 羊 19Id 209 14.5 1一14,9 158 10,4

(岡山県 凸林統計:3に 上る S40年)

奈謝JT.勝北町 の富津の概楯 をみ てみ ると.襲 8‑1で も明 らか を よう約 号とん どの鹿家が家 畜 を飼養 してい ることがわか る.

29 ▼▲J IJ 1J 7 4 年nU 1111111 ・654rO21nU nU0nUnU(UnUnU ∩︺nUnUnU0nUnU 7

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2I58図l

40年

しか しをが ら和牛 は著 しく減少 してい る し.乳牛 も莫作集約酸鼻地域 の指定を受けてい るに もかかわ らず. 37年 ごろか ら減 少 し比 じめている。そ の他 豚 ,鶏 につい てみ て もやけb 57 年 ころか ら淑少 してい る状態で ある。

ここでは聞 き取 Dを中心 に して皆木 .久常 .日本原地区LR:かけ ろ畜産の状態を見てい きたい と 思 う。

(1) 皆 木

標高500mぐらいの険 しい山々に閉まれた南北に細長 く延びてい る谷間に皆木が あるo 谷間の中央 を馬桑川 が流れ .耕地は 山に くっつ くよ うに してわずか ばか 9ある。我 々の巡検 コースで津山盆地以外 のただ一 つの地区 であるO 皆木 の全戸数Iji5d戸であるが .そ の内ほ とん どが凸家である。一 戸平 均の油面凍結 8‑ 7反 .昔は炭焼が感ん であったが ,現在は 炭の諏賓が少夜いためLLJは荒れ放111に売 ってLnao 杉 .ひの き,松 な どが育たない とい う

とだか らしかたのない ことであろ う.一 戸平均桝地 面朗が占〜 7反 とい うことで も牧草され る ようにほ とん どの農家は兼兼良濠 であるO 現在昏木 には ,和牛2 0頭 あせ り.乳 牛10g;rj もせ りが 同種 されてい る。 昭和504Fとろには ,ほ とん どのJl‑2家が和牛を1‑ 2顕圃亜 して いた とい うことである。 これは どこで も共通のこ とと思わ九 るが,(1)水田を糾す役牛 と して.

( 2 ) 既

月巴巨蓮.(5)仔牛生産 として利用できたためであろ う。 ところが現在その数20頭 あ

7 ta

に寸で荻少 したの!・iなぜ であろ うかo 聴取に 上る と誠大 の原因は芸者の髄村 .鹿家の主人 の 出軌 目礼 あるいは郵便局

.

出協を どへの励め な どで.いわゆるd5ち ゃん良薬"にな ら ざるを得 ない状態であるため,牛な ど家 畜を昂兼する人手が足

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ないのであ 9.

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u=帳 快の 普及に

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和牛の役牛 としての漬妹がな くたって きた ことに よる よ うであるo しか しなが ら

「牛 ,,‑{飼わん ようにJrって苛が:l ,'Jlれん で困る。 牛がお りゃ‑ どうで も刈 らに ゃかえんが牛で もか らん と堆肥が でけんけ‑」 と去年 (4 1年) に和牛口軽 を止め られ た方がその必嘩性 を 話 して くれた。 現在和 牛の役用牛什 か らす ,全部 肉用牛で ある。そ して以 前の仔牛生 建地 符 か ら現 在は仔牛を買レ、,それ を大 きくして売 るとい った肥育地 帯 となっている。入会地 .共 有地 比 な く,

料はそ のほ とん どを田んぼのあぜ革に 上ってい るとい うことで も1戸I.,Cl頭 飼矧 が ‡雅か らぬ ところで あろ う。 乳牛は5戸が句題 してか b, 4,..5E]Afi飼養 してい る拙家 が2戸. 1疏飼育が1戸で ある この地区 忙殺初 に乳牛が導入 された'のが昭和50年 で ある。

乳牛1頭伺壌 してい Z,典家でのr増さ取 りに 上る と.その家 では水 Ef]8反 ,畑5反 .乳牛1軒 で老犬?.Laが専菜 で働いてお り,そ の内畑 4反(.‑tタバ コ. 8畝が飼料 の トウモ ロコシを構えて か9.乳牛の出井経営 に占め る位懸け タバ コ収入についでいるO飼 料は夏の トウモ ロコシ,

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