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25 周年記念集会に参加して

住友さん、福村さんご両人の、具体的な体験談 が興味深かった。住友さんの、自分の不登校経験 を 20 年間封印したくなる気持ちもわかる気がし ますし、福村さんのいじめの体験や、お父さん の「首に縄つけてでも学校へ連れていけ」という 言葉も生々しかった。またそれ以上に、今、福村 さんがソーシャルワーカーとして関わっておられ る事例や、以前の仲間に久々に会うと「よう生き てたな」と思うという話に、現実の厳しさを再確 認させられたと同時に、「弱さのなかにこそ働く ちから」の話で、「SOS を出すことの大事さ」に、

とても共感しました。

私は、大阪の会と 20 数年前に出会ったことで、

毎月地元で親の会をするきっかけをいただき、学 校に行かない子どもをもつ親御さんの生の声を聞 かせていただけて、ものすごく勉強させていただ きました。大阪の会の定例会にはほんの数回しか 参加していませんが、イベント等に参加させてい ただいたり、また、「ココナッツ通信」の購読者 として、ずっとゆるくつながらせていただいてい ますので、半分「内輪」の気分でおります。なの で、個人的には大変おもしろく有意義な会で、何 より、25 周年をお祝いする気持ちと、15 年ぶり

(?)ぐらいに福村さんに再会できてお話しを聞 けたこと、おしゃべりできたことがとてもうれし く、参加してよかったとつくづく思いました。

また、全国各地からも来られていて、25 年続 けてこられた実績とつながりの大きさ・広さ・深 さに感銘を覚えます。そして、山田さん、住友さ ん、福村さん、それぞれのお立場の視点から、考

えるべきことの重さ・深さに、いろんな思いが去 来しております。

ただ、子どもさんが今まさに学校に行かなく なって戸惑っておられる親御さん、当日新聞を見 て初めて「こういう会があるのだ!」と知り、と にもかくにも駆けつけた親御さんがもしおられた としたら、そういう方にとってあの場はどうなの だろう、という思いが頭をよぎりました。終わっ てからも何かモヤモヤした気持ちがあり、それが 何なのかを、感想を書きながら整理したくなりま した。そして、「ちらっとでもそういう思いが頭 をよぎったのなら、私はこういう発言ができたの ではないか?なぜ、あの時にそのことを思いつか なかったのだ…」などと後悔しているのです。

具体的に書きます。会場から、「質問について 答えてくれないのですか?」という発言が出た時 のことです。山田さんが、「答えを求めるのは違 う」とおっしゃるのは、私はよくわかります。ただ、

わざわざ質問用紙が用意されていたのです。書い ておられた方も多かったように思います。そして、

山田さんがその質問用紙を読んでおられた間、奥 村さんが、場をつないでおられました。

質問を書かれた方は、当然、全部答える時間は ないだろうし、自分の質問に答えてもらえないか もしれない、ということは理解されていると思い ます。でも、いくつかの質問をピックアップして、

話題にされるのだろうと思われて当然だと思いま す。なのに、一つもその質問用紙の質問について 触れられなかった。私は質問用紙を見ていないの で何とも言えないのですが、もしかしたら、すべ ての質問が、具体的に、「うちの子の場合、どう

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したらいいのでしょう?」的な、具体的なアドバ イスを求める内容だったのでしょうか?もし、そ うだとしたら、一切質問内容に触れられなかった のもわかる気がするのですが、それでも、その質 問の具体的内容に答える・答えないとか、アドバ イスをするとかは別にして、パネラーのお二人と 山田さんとで、どれかの質問を話題にしてディス カッションすることは無理だったのでしょうか?

そういう声が、会場から出ていたように記憶して いますし、「書いた意味ないやん」という声も聞 こえてきました。でも、そういう声はかき消され てしまったように感じました。

その後、終了時までを通して、どういう方が発 言されるかも気になりました。発言がなければ、

口火を切るような形で、「内輪」の方が発言する ことも必要ですが、それはあくまでも、「質問し たい」と思っている方が質問しにくい雰囲気を変 え、手を挙げやすくするためですよね。私には、

あの場が、前述のような親御さんが発言しやすい 場になったとは思えませんでした。それは、「長 く親の会に関わってきた人の発言が多く、その時 間が長い」と感じたからです。

そして、あえて書きますが、「不登校対策法案」

についての話の比重が高かったのではないか、と 思ったからです。わざわざ東京等からそのために 来られたということから、その重要性も十分わか ります。ぜひとも訴えたい気持ちも十分わかりま す。ある意味、私など、「あの内田良子さんがわ ざわざ来られたんだ!」と感心しました。それだ けでなく、他にも遠くからそのために来られた方 がおられる、それだけ重要な問題で、切羽詰まっ たことなのだ、というのもわかります。

ただ、自分の子どもが学校に行かなくなって「ど うしよう」と戸惑っておられる方にとって、その 話が繰り返し出てくることはどうだったのだろ う?もし私がその立場だったら、いらだってしま うように思います。正直、内田さんが2回も発言 されたことに私は、「その時間を他の方に回して ほしい」と思いました。親でもないのに、少しい

らだってしまったのです。

また、これはちょっと厳しい見方かもしれませ んが、皮肉にも、あの場がある意味で「学校的」

であったように思いました。発言力のある人が発 言し、そうでない人の声がかき消されてしまう。

「学校」では、「先生」が話し、話すのが得意な生 徒や主張をしっかりする生徒、あるいは、積極的 ないわゆる「優等生」が発言し、場の雰囲気を作っ てしまう。発言力という点において「弱い」生徒 は、なかなか発言しにくい。「学校」だけでなく、

いろんな場でそういうことがしょっちゅう起きて いて、そうでない場作りの講座を経験してきた私 は、しょっちゅういらだっています(笑)。

ただ、いらだつだけでなく、何とかしたい。後 で書きますが、あの時、「なら、今この場にいる 私はどう行動する?」ということが考えられな かった私自身に、後でいらだっています(笑)。

「親の会」の定例会とは違う、ということも理 解しています。なので、定例会では配慮されてい るのでしょうし、今回のイベントは目的が違うの で、「具体的なケースについての質問は、ぜひ定 例会でお願いします」ということだったのだろう とは思います。それでもやはり、初めて来られた 方、やっとの思いで来られた方は、どんな思いで 帰られたのだろうと気になっています。

ここからは、私自身の反省点です。先ほど書 いた、 「私はこういう発言ができたのではないか」

という、その内容です。質問用紙には書いたけれ どそれには触れられなかったし、だからといって 発言を求められても、あの場ではちょっと話しに くい。でも、まっただ中の親御さんにすれば、何 かを持って帰りたいと思うのです。お一人お一人 の具体的な悩みについての答えはないにしても、

今後に活かせる情報があれば、と思うのです。

もちろん、それは、大阪の会の定例会であり、

ココナッツ通信に載っている(載せていただいて いる)会、チラシコーナーに置かれた情報、など があるから、それでいいと言えばいいかもしれま せん。

ただ、私が何を反省しているかというと…。

あの日、私は、二つの会をはしごして参加しま した。

この会の前に、「これからの連携のカタチ〜ひ きこもり・若者支援マップが描く未来〜」(主催:

「社会的」ひきこもり・若者支援近畿交流会)と いう、西成のウェル大阪で開かれた会に、ほんの ちょっと顔を出しに行きました。このマップに

「スペースわん」を掲載して下さったご縁からで す。12:30 開始だったので、20 分しかいられなく て、開始前に関係者の方にご挨拶したのと、オー プニングの挨拶を聞いただけで、中身は全く聞く 時間がなかったのですが。その情報や、ココナッ ツ通信には載っていない親の会(狭山の会のチラ シを持っていたにも関わらず、チラシ置き場がも ういっぱいだったので、置きませんでした)の紹 介を、せめてもの情報として出せばよかった…と。

参加者に、子どもさんがひきこもっておられる 方や、そういう情報を必要としておられる方がお られたかどうかはわかりませんから、発言したと しても役に立ったかどうかはわかりません。ただ、

どこかで、初めて参加された方に向けた何かを発 信できたら、と。「合うかどうかはわからないけ れど、親の会や支援の場はいろいろあって、決し て孤立無援ではない、どこかにつながれたら、ま た別の展開があるかもしれないですよ」と。

私があの時できたことと言えば、それぐらいか な、と。でも、あの時私は完全に「内輪」意識で いました。初めて来られた方に対する配慮よりも、

久しぶりに会えた福村さんと話したい、というこ とに気持ちがいっていました。だから、そういう ことに全く頭が回っていなかったのです。

たぶん私のモヤモヤは、この自分自身の「場」

に対する姿勢だと思います。「その場のあり方や 進め方にもし疑問や不満を持ったとしたら、それ を後から批判するのではなく、その場で自分の発 言でできることを考える」というのが、私が「ら くだ」の指導者の講座で学んだことではなかった か、と。それができていない自分へのモヤモヤです。

また、先ほど、場が「学校的」だったと書き、

発言力のある人が発言して、そうでない人の声が かき消されてしまう、と書きましたが、これは、

多くの場で感じていることで、そのことに日頃か らうんざりしていて、できるだけそうならないよ うな場作りをすることを心がけているにもかかわ らず(これも「らくだ」の指導者として学んだこ とです)、そのことを意識して行動できなかった ことへの後悔が、何かしら後味の悪さを感じてい る主な原因だと思います。

最初に書いたように、個人的にはおもしろく、

山田さんの「ハイジの CM」の話なぞ大笑いしま した。ちなみに、私は某塾のテレビ CM、「♬お お〜、YDK 〜♬」の「やればできる子」という フレーズもキライですし、「♬やる気〜スイッチ、

君のはどこにあるんだろう〜。見つけ〜て〜あげ るよ〜、君だけのやる気スイッチ〜♬」というの もキライです。前者には、「その反対は、『やって もできない子』だよね。どこかに『やってもでき ない子』がいるってことだよね。それを見下して ないかい?」とツッコミたくなるし、後者には、「や る気スイッチは人に見つけてもらうもんじゃね え! 自分で見つけて自分で押すんだよ! 押さ ないなら押さないと自分で決断するんだよ!」と ツッコミたくなります。

私も「塾産業」の一員ではありますが、山田さ んの批判される「塾産業」の一員になってはいな いか、自分で自分のことは見えにくいので、何か ありましたらご指摘いただけるとありがたいです。

また、福村さんの「SOS を出すことの大事さ」

は、認知症の母の介護を通して痛感したことでも あり、それは子育てなどあらゆることに通じると 思っています。「親の会」を通じて、親御さんの 気持ちを学ばせてもらい、また、介護との共通点 も見え、介護の会にもつながり、本当にありがた いご縁だと感謝しております。

今後ともよろしくお願いいたします。

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