2.4 正極における拡散係数測定法とその現状
2.4.3 μ + SR による手法
ミューオンスピン緩和法(μ+SR)とは μ+を試料に打ち込み,トラップされた μ+のスピン緩和を 測定するものである.μ+スピンは崩壊時に放出される陽電子の異方性から測定される.共鳴周 波数が異なるものの緩和時間と拡散に関する考え方はNMRとほぼ同じである.ただしμ+自身 が質量数の小さい水素原子核のように振る舞うため,通常は μ+(疑似的な H+)の拡散現象の 情報が得られる.リチウムイオン電池の正極材などのようにトラップされたμ+よりも十分に速く動 く核スピンが存在する場合は目的のイオンに関する拡散現象をとらえることが期待できる.
LiCoO2において,杉山[66, 67]はLixCoO2中のμ+はO2−と安定的な結合状態にあるとし[66, 68, 69],150–300 Kの温度範囲において.μ+スピン緩和に寄与するのはLi+の拡散によるもの だとした.観測されたジャンプ頻度𝜈 = 1 𝜏̅⁄ から300 KのLi自己拡散係数はx = 0.75で1 × 10−10cm2 s−1であると報告している[67].杉山の研究グループはLixMn2O4においてもμ+SRに よるLi拡散係数測定を試みており,250 Kにおいてx = 0.92でのLi自己拡散係数は1 × 10−11 cm2 s−1と見積もっている[70].
図2.11 LixCoO2におけるジャンプ頻度𝜈 = 1/𝜏̅の温度依存性[66]
図2.12 LixCoO2における300 Kでのジャンプ頻度𝜈から計算されるLi自己拡散係数[67].
実線はVan der Venによるモンテカルロシミュレーションの結果[71].
2.4.4 中性子線による手法
内殻電子の数が少ない Li のような軽元素は X 線などでは測定しづらいが,中性子線だと それなりの散乱断面積を持つ.したがって軽元素に着目した構造解析などでは中性子線はし ばしば用いられる.
Li に関しては 6Liと 7Liの間には吸収断面積の違いが 104倍程度と非常に大きいという特 徴がある[72].この特性に着目し,高井は中性子線ラジオグラフィー(NR)を用いた同位体トレ ーサー実験をLiMn2O4で行った[73].7LiMn2O4(6Li / 7Li = 0.1 / 99.9)に6LiNO3水溶液(6Li /
7Li = 95 / 5.0)を薄く塗布し300–800°C範囲でアニールを行い拡散プロファイルの測定を行っ
た(図2.13).600°C近傍で活性化エネルギーが変化しており,その値は高温側で1.1 eV,低
温側では0.77 eV であった.600°Cより低温での結果を参考に室温へ外挿すると 1.3 × 10−14 cm2 s−1というLiトレーサー拡散係数の値を得ている.
図2.13 天然存在比(6Li / 7Li = 7.5 / 92.5)で規格化した温度800°C,拡散時間3 hにおけ る6Li同位体濃度の拡散プロファイル(左)とLiMn2O4におけるLiトレーサー拡散係数の温 度依存性(右)[73]
中性子線には X 線等には見られないユニークな特徴として非干渉性散乱断面積が大きい 原子核が存在するという点があげられる.1H に関しては特に非干渉性が強く,準弾性散乱
(QENS)を用いたダイナミクスの測定が行われている.QENS における拡散係数測定では得ら れたスペクトルを Bragg ピークと原子核の拡散による準弾性散乱ピークに分けられる.すなわ ち,散乱関数𝑆(𝑄, 𝜔)は以下のようになる.
𝑆(𝑄0, 𝜔) = 𝐴(𝑄0)𝛿(𝜔) +1 𝜋
Γ𝑄0
Γ𝑄20+ ℏ2(𝜔 − 𝜔0)2 (2.35)
𝛿(𝜔)は Bragg ピークに対応するデルタ関数だが,実際は装置分解能程度の幅を持つ.準
弾性成分はLorentz関数で表される.半値幅Γ𝑄0は散乱ベクトルの大きさ𝑄0が小さい領域にお いては次のように表せる.
Γ𝑄0= 𝑄02𝐷self (2.36)
Li に関しても非干渉性散乱断面積を有しており,蒲沢によってLiMn2O4のLi拡散係数測 定が試みられている[74].400 KにおいてLiMn2O4のLi自己拡散係数は1.8 × 10−8 cm2 s−1と 見積もっている.
図2.14 中性子線散乱におけるエネルギースペクトル(b)と準弾性成分の半値幅Γ𝑄0より見積
もられたLi自己拡散係数(c)[74]