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ドキュメント内 教化研究 No.12 (ページ 187-200)

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風 刷

新 と

生 涯 学 習 ー ー

達 左 往

を求め︑あるときは禅宗の僧堂に参篭し︑またあるとき

︑ 僧 風 の 刷 新

││

捨 世 派 と 興 律 派

は比叡山へ行くというようにいろいろと他宗の勉強を

していた︒あるとき私は彼らに﹁浄土宗にも先人の示さ

私が黒谷金戒光明寺の教師修練道場の責任者の立場にれた道があるのではないか﹂というを話をしその拠り

あった教学局長時代のことである︒十名前後の若い僧侶所として次のようなことを述べた︒

たちが︑立派な僧侶を目指して本当に真撃な修練をして宗教というものは︑権力の側から保護されると︑どう

いた

︒彼らはどういう形で自分たちを修練していくのかしでも堕落するものである︒浄土宗は徳川幕府から非常

な庇護を受け

そのお陰で大宗団に発展したが

反 面 僧風の堕落ということもあ

ったようである

︒一方それに

対する自浄作用も起きてきた

僧風の刷新を目指す︑捨 世派と輿律派という

こつの流れである︒私がこのことに

注目したのは東山高校在職中のことである

同校は明治

元年の出発であったので

明治維新前後の学校教育のこ とについて調べることにな

ったが明治初期の浄土宗を

遡ると︑捨世派と興律派の活動というものに注目せざる

を得なかっ

たのである

浄土

の拾世派の始祖は称念上

人で

あり

その後︑澄禅上人︑忍徴上人︑関弾誓

上人

︑ 通上人︑徳本行者などの

一連のすばらしい徳者が出て

大きな教化の実を上げてきた

︒八宗

泰斗と仰がれた福田 行誠上人は︑徳本行者の孫弟

で捨世派の系統であ

った

が︑その福田行誠上人は

明治維新後の廃仏毅釈の嵐を 乗り越えるために﹁僧風の刷新﹂を第

一に挙げ︑拾世派

の僧風をもとに指導されたものである

︒もう一つの興律

派には︑徳厳和上︑慧頓和上︑

天然和上︑戒憧和上︑志 運和上︑真寂和上︑大連和上とい

った和上と呼ばれる方

が現れ︑徳風が非常に向上したのである

﹂ の

二つの派は︑ある面では一

体となり︑ある面では

対照的な存在であった︒

拾世

派は

ただ一向に念仏を唱

ぇ︑身を山岳の中に置いて荒行をし

やがて社会に戻つ

て大衆の中に身を投じながら念仏を勧める

︒弾誓上人の

行業を見ても︑徳本上人の行業を見てもみなそうである

その念仏聖の導きは﹁ただ一向に念仏すべし

﹂という元

σ

﹃ 一

枚起請文﹄

に還れという教えであり

ひたすら

念仏を申すことによ

って僧風を確立し︑自分たちの使命

‑182‑

を達成していくという風格というものがここに現れてい

るように思うのである︒

一方の興律派は︑釈尊に還るという考え方であり︑釈

尊の教︑えである戒律を中心として僧風を確立しようとす

る流れである︒輿律派の僧侶は律院に寵りあまり外

へ出

ることはしない︒

外へ出れば自ずから戒を破る機会が多

なるため︑律院にあ

って清浄な生活をし︑念仏の生活

が具現されていく︒

大衆はその律院へ参拝して清浄な雰

囲気

︑あるいは和上に出会

って非常に大きな感化をうけ

喜びを得る︒

﹂のように両派は対照的な商があった︒二万はただ

向に念仏を申すという僧風︑もう一方は律によって自分

の日常生活を清浄にして僧侶らしい日常の行法︑作法を

確立していくという僧風

﹂ の

二つの流れが徳川時代の

浄土宗の自浄作用となって宗風を支えて来たと考えられ

やがて明治になり︑廃仏竪釈の嵐にこの二つの派が敢 る

然として立向かい僧風の刷新を目指すのである︒﹁宗団

は外からの攻勢によっては崩れないが︑内なる僧風の乱

れによって蝕まれそして滅んでいく︒この未曾有の法難

を乗り切るためにはまず第一には僧風を確立しなくて

はならない﹂というのが明治初年の廃仏監釈を乗り越

えるための指導理念であった︒

︑ 教 学 と 布 教 教 化 の 振 興

知恩院には江戸時代からの﹁日鑑﹂がある︒現在︑資 料集として江戸の中期︑第十三巻まで刊行されている江戸時代からの日誌である︒この日鑑の明治前後を見てみ

そのようないろいろな論議が真剣にかわされたこ

とが如実にわかる︒明治十年︑知恩院大会議という初め

ての宗会が開催されている︒各地の代表者が集まり︑当

面する宗門の諸問題をどうすべきかについて論議してい

るが

その中の重点の

一つ

は前に述べた僧風の確立︑

JI

新で

あり

︑ 二つ

目は学問を盛大にすること︑三つ目は巡

回布教を盛大にすること

‑183‑

つまり今で言えば指定巡教あ

るいは御親教を初めとして布教を盛大にするということ

である︒この三項目が中心となり︑そのほかいろいろな

問題が提案され︑論議がなされている︒その議事録の草

案及び正式の議事録が残されていて︑読んでみると非常

に教えられる点が多々あるのである︒

学問を盛大にするという点では︑まず知恩院の山内に

学校が興される︒これが今の偽教大学並びに東山高校の

出発でありその中で宗学︑仏教学というものを研究す

る道が聞かれるとともに︑次第に各地に宗侶養成の学校

が設立されてくるのである

布教を盛んにするとい

点では︑様々な試みがなされ ていることがわかる

例えば布教を志す人々が知恩院に 集まりいろいろと研修をする

みんな手弁

当で︑自坊を

捨 て

布教の研讃に入

ってきている︒この

純粋な布教

勉強に対して︑本山としては捨てておくことはできない といったような建議がなされ︑不惜身命の精神でも

って

布教をしなくてはならないというようなことが盛んに強

調された︒

ただし時代の違いが感じられる部分も多

例えば現在は詠唱は教化の有力な手段として発展してい

るが

︑ その記録を見ると︑興すべきこととして専修念仏 の策励が強調され布教上排すべきこととして﹁詠唱﹂

とか﹁議論﹂が挙げられるなど

現代の世相とはずいぶ ん違うことも多く見られる

明治初年のこのような動きは︑江

時代に確立した檀

林制度を︑つけて時代に即した学場を各地に建設して︑学

聞を盛大にするという基本方針によるものと考えられる

血ハ律派には学者が多く輩出したのでそれと一

体にな

っ て近代の学

聞が盛大にな

っていく道がつけられてきたの

であろう︒

その結果︑浄土宗においては錦町々たる大

学者

が明治から大正

・昭和にかけて輩出された

︒黒田真洞師

を始めとして︑望月信亨師︑荻原

来師︑小野玄妙師

林彦

明師

椎尾弁医師︑

矢吹慶輝師

︑きら

星のごとく

に全仏教界を︑全学会を指導した先達が続々として現れ たのである

また教化活動においても︑例えば共生会運

動︑光明会︑真理運動等︑

いろいろな信仰運動が出てく

る︒

また社会事業においても浄土宗は先進教団であ

った︒

昭和九年に﹃

社会事業年鑑

が宗務庁社会課から出版さ

れているが

それを見ると全国津々浦々に至るまで

寺院一

教化事業を行

っており目隠学

校︑保育園︑ある いは託児所というように

いろいろな事

業が報告されて

いる

大変な数である

このようにして浄土宗は教化の 面においても先進教団として

一大飛躍を遂げてきたので

あるが

﹂れはやはり明治以後の浄土宗指導者の卓見に よるところ大である

僧侶養成を考えるとき︑

理想的な宗侶のあり方という

ものの原点をどこに求めるべきかということが先ず問わ れるのであるが︑以上のような明治維新前後の変革期危 機の歴史をみると︑先ず僧風を確立すること︑学問を盛 大にすること︑布教教化を盛んにすること︑という三つ に重点を置いて宗侶養成というものがなされて行き︑

の危機を一応乗り越えたと思うのである︒僧風確立の拠 り所は江戸時代から連綿と続いており︑更にそれを遡れ ば︑宗祖法然上人のご人格︑ご風格が基本となって宗風 が形成されるのである︒要約すれば

一つは念仏を中心

として専心するという純粋な僧侶の姿を描くことができ るであろう︒もう一つは僧侶らしい生活である

︒戒律も

完壁に守ることは困難ではあるが︑行儀作法

日常の立

ち居振る舞い等︑僧侶としての生活の有り方はすべて律 に規定されているのであるから

その律によって自らを 律することで僧侶らしい雰囲気というものが備わるので ある︒

浄土宗の宗風としては︑僧侶が僧侶らしい僧侶で あることが目標とされ

その僧風が師匠より弟子へと受 け継がれ︑宗風が確立されたものと

えるのである

︑ 生 涯 学 習 制 度 の 充 実 を 現在の教師養成機関は︑大正大学︑例教大学における

教師養成の課程︑少僧都・

律師養成講座等教師養成講座 検定制度等︑非常に多岐にわたっているが

その養成機 聞の発展の基礎には国の教育制度の整備というものが深 く関わっている︒明治以降︑学校教育制度が整えられ国 の学校教育制度が確立されるに従って︑宗門も檀林制度

‑185‑

から教校制度へと整備され︑教校から中学校へ︑更には 仏教専門学校を経て偽教大学へ︑宗教大学から大正大学

へと改革がなされてきた︒

しかし︑現代社会における教育界の状況は多くの矛盾 を露呈し︑根本的な教育の改革が叫ばれている︒

で は どのような問題が教育制度の改革の上で出ているかとい

えばそれは生涯学習︑

生涯教育体制への移行を基本と した教育改革が基調をなしている

この問題はこれから の教師養成制度を考えるうえにおいても無視できない点

ドキュメント内 教化研究 No.12 (ページ 187-200)

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