立
祁 須
三浦
に
柚
y陥
飾
東 京区 乱
安
矢羽
平 伎 侠
のl
夷
−一 一
太
衛 フ 京
− −一 一一
字
久 悲
F 】
海 岸 線 と出 現 耶 境
明 冶m 年丿川⊃ ブ)ぺ 国 境 と 一致 レレ ノ
国 名
明 治初年関東地方の国 ・郡略図
一74
−75 ―
争ぷC
祐 つ
な 州
を べ か.ヽ 津限 川 ツ:湊独友ぶ/μ に )
ご つ
●
●
●
●
‑ j ■〃● ミー
●
●
●
●
●
●
・・ │
●
Q
●
‑
●
−・■ −■
● ・
・
・ 9
e
S Q
●
一一 ‑
ツ ハ ‥‑ … …
一 一 −
●
●
●
¶−■ │ .■・za −㎜ 〃 71‑ ‑ 〃 〃・
●
●
| ●
■■・ゝ− & 6
一 一一
●
●
●‑ ●
● 一一 一 一 一
●
り
●
●
●●
g
−−・
●
●
●
●
9
−
夕
−I− ●.== −・ミd= ・‑ Φ 〃 − 「Z ゝ
.ソ
●・
Q
●
●
●
●
Q
‑
●
●
●
●
9
■‑ ・
|
●
p
●
●
●
一 一 一一
●
●
●
●
争
●
● S
一 一
四 − W ■■−−
●
●
−−− ㎜ ■ ●
一 一
II =㎜ ・
−− 一一
ヤー!・III j1 411111フ︲・︲ II I
!−r−
‑
ツ( 円)
し<
々︶励
卵
︱・II
言つ
0‑2
バ
% 3 ■ ワ回
乙 厄 ヤノ澪賜 悦う 豹 芙士九弓/ ノ 、 犬 引
●
●
0/□
●
パ
一一 ア6 −
●
加
●
谷 町ぐ町
穿匹 に 章
『 武 蔵 国 郡 村 誌 』
は じ め に
( 明 治8 年 ) の 分 析
第2 章・第3 節で挙げた要約にあるように、「プロトエ業化論」のフラン 白レ・モデルでは、農村工業の発展の影響によって農村工業地域のみならず、
農業地域をも巻き込んだ社会経済的な構造転換が起こることを想定している。
明治初期の関東地方では、第3 章で述べたようにフランドル・モデルで描か れているようなものとはかなり性格が異なるが、蚕糸業の発展が内陸地域の 所得水準の上昇、さらに米の消費量の増加をもたらし、それによって太平洋 沿岸地域では米作農業が移出産業として発展して、地域間分業が進行したと 考えられる。それゆえ蚕糸業は、 その発展によって当時の関東地方において 社会経済的な構造転換を巻き起こしたという意味では、「プロトエ業化の時 代」の農村工業としての資格をある程度有していたと思われる。ただし蚕糸 業は、江戸時代からの発展の歴史を全くもっていないとはいえないものの、
幕末期開港後の生糸輸出の増加などによって急速に発展した産業であり、他 の伝統的な農村工業と比較すると特殊なものであったといわざるをえない。
したがって換言すれば、当時の関東地方のその他の農村工業については、蚕 糸業とは異なり、その発展が地域内における社会経済的な構造転換や、そう ではないにしても、例えば所得水準の顕著な上昇をもたらすような影響力を もっていなかった可能性もあるのである。
そうしたことを検証する意味も含めて、本章では逆に開港後の綿織物輸入 の増加によって大きな打撃を受けたと思われる、明治8 年(1875)頃の埼玉 県の足立郡( 1 )の農村工業の状況を、埼玉県編『武蔵国郡村誌』(1954年、
以下では『郡村誌』と略称)を用いて分析していくことにする。なお後述の 第4 ・ 工表によってみる限りでは、足立郡では349 の内261 (74.8%)の宿 町村新田において、それぞれ総輸出額の10%以上に当たる米(水稲)・精米 の輸出を行なっているので、基本的には東京(江戸)近郊の穀倉地帯として の役割を担っていたと考えてよいであろう。しかし第2 章・第T 節で述べた
− 7 7 −
よ う に、 明 治7 年 当 時 の 埼 玉 県 は 一 応 工 業 県 であ り 、 特 定 産 業 へ の 特 化 は 他 の 工 業 県 と 比 較 し て そ れ ほど 顕 著 で は な か っ た が、 強 い て 言 え ば 、 全 生 産 額 の14.2 %を 木 綿 糸 ・ 綿 織 物 が 占 め て い た こ とが 特 徴 で あ っ た。 な お 中 村 哲 氏 に よ れ ば、 当 時 の 足 立 郡 の 南 部 地 域 は 綿 織 物 業 の 先 進 地 域 と さ れ て い る( 2 )。
一 方 第2 ・1 表 に 示 さ れ て い る よ う に、 埼 玉 県 全 体 と し て み た 限 り で は、 蚕 糸 業 は顕 著 な 発 展 を 遂 げ て い た と は 考 え ら れな い 。
1. 価 格 換 算 方 法 につ い て
『 郡 村 誌 』 に は、 明 治8 年 当 時 の も の と 考え ら れ る 「 物 産 」 が 各 宿 町 村 新 田 毎 に 記 載 さ れ て い る が 、 生 産 数 量 の み で 生 産 額 に つ い て の 記 載 は全 く な い 卜 几 そ こ で 詳 細 な 分 析を 行 な う た め に は対 象 地 域 、 本 章 の 場 合 で は足 立 郡 の 当 時 の 各 生 産 物 の 単 位 当 た り 平 均 価 格 の 判 明 す る 補 助 資 料 を 用 い て 、 上 述 の「 物 産 」 の 生 産 数 量 に 関 し て 価 格 換 算を 行 な う こ と が 必 要 と な る 。 そ れ に つ い て 最 も 簡 単 な方 法 は、 郡 毎 に 各 生 産 物 の 単 位 当 た り 平 均 価 格 が 記 載 さ れ た、1 年 後 の『 明 治9 年 全国 農 産 表 』 を 利 用 す る こ と で あ る が 、 こ の 資 料 に は 第2 章 の 冒 頭 で も 述 べ た よ う に、 調 査 品 目 数 が 著 し く 少 な い と い う 欠点 が あ る。 し か も 明 治8 年 前 後 の 東 京 に お け る 工石 当 た り の 米 価 の 変 動 を み る と、
明 治7 年 (6. 101 円 ) 、8 年 (6. 858 円 ) 、9 年(4. 671 円 ) と( 4 )、8 年 か ら9 年 に か け て 暴 落 し て い る の で 、 物 価 変 動 の 面 か ら 考 え て も 『 明 治9 年 全 国 農 産 表 』 の 利 用 は適 当 で は な い 。
次 ぎ に 工年 前 の『 明 治7 年 府県 物 産 表 』 の 内 、 足 立 郡 が 属 し て い た 埼 玉 県 の『 物 産 表 』 に 関 し て 、 各 生 産 物 の 生 産 額を 生 産 数 量 で 除 し て 、 単 位 当 たり 平 均 価 格 を 求 め る方 法 が 考 え ら れ る。 こ の方 法 を と れ ば 、 調 査 品 目 数 の 面 で も、 物 価 変 動 の 面 で も 比 較 的 問 題 は 少 な い 。 し か し な が ら そ の 場 合 で も 埼玉 県 の『 物 産 表 』 と 、 『 郡 村 誌 』 の 足 立 郡 内 の 各 宿 町 村 新 田 の 「 物 産 」 の 記 載 内 容 を 比 較 す る と 、 同 一 の 生 産 物 で あ っ て も単 位 に 関 し て は一 方 は容 積 表示 、 他 方 は 重 量 表 示 と い う形 に な っ て い たり 、 小 倉 帯 地 に 代 表 さ れ る よ うに 、 前 者 に は 記 載 の な い「 物 産 」 が 後 者 に は記 載 さ れて い る と い う よ う な ケ ー ス も あ る 。 そ こ で 本 章 で は 次 善 的 手 段 と し て 、 物 価 面 で 足 立 郡 内 の 大 部 分 の 地 域 が 東 京 府 の 影 響 を 強 く 受 け て い た と 思 わ れ る こ と を 考 慮 し て( 5 )、 埼 玉県 の
『 物 産 表 』 を 用 い て は 価 格 換 算 が で き な い ケ ー スに つ い て の み 、 東 京 府 の 一 7 8 −
『 物 産 表』 を 利 用 す る こ と に し た(丿 。
以 上 の よ う な 方 法 に よ っ て 価 格 換 算 を 行 な い 、 そ の 上 で349 の 足 立 郡 内 の 宿町 村 新 田 の 生 産 の 概 況 が 見 て 取 れ る よ う に 、 整 理 を し た も の が 第4 ・1 表 であ る(7 )。 同 表 を 見 て も 分 る 通 り 、 各 宿 町 村 新 田 に お け る 生 産 の 内 容 は千 差万 別 で あ る が 、 同 表 と 地 図 工〜3 ( ≪)を 見 比 べ る と 、 大 ま か に い って 東 京 府の 近 接 地 域 や 主 要 街 道 で あ る中 山 道 の 周 辺 地 域 に 、 工 産 物 を 初 め と す る、
多 種 多 様 な 物 産 を 生 産 す る 宿 町 村 新 田 が 集 中 し て い る と い え る。 例 え ば 米 と 穀類 を 除 い て、1 品 目 で 総 生 産 額 の50 % 以 上 を 占 め る よ う な 特 産 物を 有 す る もの で は、A 4 原 島 村 ( 主 産 物 は 醤 油 ) 、A8 谷 古 宇 村 ( 菓 子 ) 、B 4 前 野 宿 村( 鼻 緒 ) 、B17 蓮 沼 村 ( 小 倉 木 綿 帯 ) 、C 9 元 郷 村 ( 漉 返 紙 ) 、C 日 上 新 田 村( 青 縞 ) 、E 5 横 曽 根 村 ( 漉 返 紙 ) 、E 6 塚 越 村 ( 木 綿 縞 ) 、G 7 砂 村( 清 酒 ) 、H 8 中 尾 村( 製 茶 ) 、H13 広 ヶ 谷 戸 村 ( 薪 ) 、H14 大 谷 口 村
( 薪 ) 、H15 井 沼 方 村 ( 薪 ) 、H17 原 山 新 田 ( 薪 ) 、J 1 与 野 町 ( 清 酒) 、 川3 元 宿 村( 小 倉 帯 ) 、0 1 桶 川 宿 ( 酒 ) 、06 南 村 ( 酒 ) 、P 5 下 日 出 谷 村( 薪) 、Q2 上 生 出 塚 村 ( 清 酒 ) が 挙 げ ら れ る が 、 こ れ ら の 宿 町 村 新 田 は 全て そ の よ う な 地 域 に 位 置 し て い る 。
と こ ろ で 第4 ・1 表 に 挙 げ た よ うに 、 上 述 の よ う な 価 格 換 算 を 行 な っ て も や は り 「 価 格 換 算 が 不 可 能 な 物 産 」 が あ り 、 そ の た め に生 産 の 全 容 を 明 ら か に す るこ と が で き な い 宿 町 村 新 田 は 少 な く な い 。 し た が っ て 第2 節 で は明 治8
年 当 時 の足 立 郡 の 農 村 工 業 の 状 況 に 関 し て の 分 析を 行 な う が 、 そ の 場 合 に は当 然 の こ と な が ら こ の よ う な こ と は 大 き な 障 害 に な る と 考 え ら れ る。 だ が 以 下 で は一 応 、 こ れ ら「 価 格 換 算 が 不 可 能 な 物 産 」 を 無 視 し て 分 析を 進 め て い く こ と に し て 、 何 ら か の 傾 向 が 確認 さ れ た 後 に そ の 都 度 吟 味 を 加 え る と い う こ と に し た い( 9 )。
2. 明 治8 年 の 足 立 郡 の 農 村 工 業 の 状 況 (1 )
本節では足立郡内の宿町村新田を対象として、[1 ]農村工業の発展と共 に、所得水準が上昇していくような傾向を看取することができるのか、それ と関連して、[2 ]農村工業の発展にともなって、周辺地域からの人口流人 が促進されるような傾向があったのか、さらに[3 ]農村工業の発展がその まま東京( 江戸)への「輸出」の増加、つまり「江戸地廻り経済圏」の形成
− 7 9 −
に 繋 か っ て い く も の で あ っ た の か 、 と い っ た 、 以 上3 つ の 問 題 を 中 心 と し て、
こ の 地 域 に お け る当 時 の 農 村 工 業 の 状 況 に つ い て 分 析を し て い く こ と に し た い。
[1 ] 農 村 工 業 の 発 展 と 所 得 水 準 の 上 昇 の 関 係
足 立 郡 内 の347 宿 町 村 新 田 の 現 住 人 □(10 ) 1人 当 た り の 総 生 産 額 の 分 布 に つ い て みて み る とo 口 、 第4 ・:L 図 に み ら れ る よ う に 工 産 物 く1 2〉を 全 く 生 産 し て い な い 「 純 農 村 」 に 関 し て は、 そ の86 % ま で が11 円 未 満 の と ころ に 集 中 し て い る
(
卜 ‰ そ れ故 換 言 す れ ば 、 工 産 物 を 生 産 す る 宿 町 村 新 田 につ い て は、相対 的 に 現往 人 口 工人 当 た り の 総 生 産 額 が 高 か っ た と い う こ と に な る。 以 下 で は こ の よ う な こ と を 踏 ま え て 、 工 産 物 比 率1 %以 上 の131 の 宿 町 村 新 田
( 以 下 で は こ れ らを 便 宜 上 、 「 工 村 」 と 呼 ぶ こ と に す る) に つ い て 、 第4 ・2 表 に示 し た 工 産 物 比 率 と 現 住 人 口1 人 当 たり の 総 生 産 額 を 使 っ て 、 農 村 工 業 の 発 展 と 所 得 水 準 の 上 昇 の 関 係 の 分 析 を 行 な う こ と に す る(1‑1)。
第4 ・2 図 はx 軸 に 工 産 物 比 率 、y 軸 に現 住 人 口1 人 当 た り の 総 生 産 額 を と っ て 、 足 立 郡 内 の131 の 「 工 村 」 に つ い て 両 者 の 相関 を 示 し た も の であ る。
両 者 の 間 の 相 関 係 数 はr =0. 35で あ る か ら、 工 産 物 比 率 と 現 住 人 口 工人 当 た り の総 生 産 額 の 間 に は、 相 関 関 係 は無 い と みて よ い で あ ろ う。 な お 念 の た め に 第3 次 産 業 が 盛 ん で あ る と 思 わ れ る 宿 や 町 、 お よ び 「 価 格 換 算 が 不 可 能 な 物 産 」 を 産 出 し て い る 村 や 新 田 な ど 、 工 産 物 比 率 や 現 住 人 口1 人 当 た り の 総 生 産 額 が 正 確 に 算 出 さ れて い な い 度 合 い の 高 い「 工 村 」 を 除 外 し て 相関 図 を 作 っ て み る と、 第4 ・3 図 の よ う に な る 。 こ の 場 合 に も 、 工 産 物 比 率 と 現 住 人 口1 人 当 たり の 総 生 産 額 の 間 の 相 関 係 数 はr こ0.10 と な る の で 、 や はり 両 者 は無 相 関 で あ る と い え る 。
し た が っ て 当 時 の 足 立 郡 に お い て は、 宿 町 村 新 田 単 位 の レ ベ ル で みた 場 合 に は、 一 般 的 に は、 農 村 工 業 の 発 展 に と も な っ て 所 得 水 準 が 上 昇 す る と い う 傾 向 を 看 取 す る こ と は で き な い と い え る の であ る 。 な お 第4 ・2 図 を み ると、
「 工 村 」 の 中 で は現 住 人 口1 人 当 た り の 総 生 産 額 に 関 し て は、E 6 塚 越 村 が 突 出 し て い る こ と が 注 目 さ れ る が 、 こ の 点 に関 し て は 、 「 農 村 工 業 の 発 展 一 所 得 水 準 の 上 昇 」 の 傾 向 が 見 ら れ な か っ た こ と と 合 わ せ て 、 次 節 に お い て再 検 討を す るこ と に し よ う。
[2 ] 農 村 工 業 の 発 展 と 周 辺 地 域 か ら の 人 口 流 入 と の関 係
次 ぎ に、 同 じ く 第4 ・2 表 に 示 し た 工 産 物比 率 と 人 口 吸 引 比 率 を 使 っ て 。
− 80 −