• 検索結果がありません。

6月4月

ドキュメント内 論文発表会_2005年)レジメ.PDF (ページ 45-63)

時点

k:授業に遅刻した

あてはまらない あまりあてはまらない あてはまる

よくあてはまる

  授業に遅刻した学生の割合は 4 月の時点では「あてはまらない」と答えたものが 59.6%

だったのが 6 月になると 29.6%にまで落ちている。10 月になると 26.6%とそこまでの減少 ではないもののやはり遅刻しないと自信を持って答えられる学生の割合は減ってしまって いる。なんといっても 4 月から 6 月にかけて倍近いものが遅刻するようになってしまうと いったのを見ると、大学入学から2ヶ月という短期間でこのような適応を半数以上の学生 がしてしまうということであり、大学初年時にこの状態にならないように、何らかの形で 大学側の規則の強化も必要なのではないかと感じてしまう。 

29.9 29.7 29.4 7.3

31.1 28.5 30.5 9.0

70.9 14.7 8.53.1

0% 20% 40% 60% 80% 100%

パーセンテージ

10月

6月 4月

時点

l:授業をサボった

あてはまらない あまりあてはまらない あてはまる

よくあてはまる

   

項目 l「授業をサボった」だが、これも遅刻と同じように 4 月から 6 月にかけて大幅な数 値の変化が見られる。高等学校や義務教育段階では授業をサボるようなことは当然だが許 されてなく、このような習慣が以前から身についていたとはまったく考えられない。授業 や学校には毎日必ず来るといった約 12 年間を通して行ってきたことが、大学に入学して 4 月から 6 月までのたったの 2 ヶ月のうちにできなくなってしまうことを考えると、やはり それだけ大学の出席に対する規則の欠陥があると考えられる。12 年間突き通してきた習慣 が大学の最初の 2 ヶ月でここまでの変化を及ぼすのは非常に興味深い項目であり、大きな 問題点としても目に留まった項目であった。 

分析結果全体を通してわかった傾向として、大半の学生が適応といった点に関して考え ると 6 月ではまだ慣れ始め程度で大きな区切りは 10 月にくるものが多いこと。また、多く の項目において 6 月に数値が変化するものの 10 月にはまた初期化される傾向が強いことか ら、学生は 6 月など半期の後半になり試験や課題など初めて成績といった大学から評価さ れる機会が近づくにつれて半強制的に大学に対する適応が急速化し、評価が済んだ後の 10 月には、夏休みといった長期的な休暇の影響もあり、その適応力が元に戻されるというこ とだ。 

論文全体と通して得られた考えとしては、それは学生にとっての「大学」と言ったもの が誇っていた価値が以前ほど高くなくなってきているといったものだった。 

大学や社会に対する学生の期待度は入学時に最大となり、時間の経過とともに期待度が 次第に低下していく傾向が見られる分析項目も決して少なくなかったことから、以前に比 べ大学に進学する価値が薄れてきてしまっていると考えられる。 

どの時代の若者も、その社会の激しい競争の中で成功、あるいは単に生き延びていくた めに最も何が必要なのか、と言った問いの答えを探してさまよってきた。この当然のよう な問いだが、実際に問われると答えになりそうな答えは現代社会の中ではそう簡単には浮 かんでこない。これには実際に正しいとされている唯一の正解がないと言った現代社会の 特徴を反映している。 

以前は高等教育への進学、また知力や学力を武器にした学歴が社会での成功の鍵として、

絶対的な答えとして示されていた。しかし、それらの答えも時代の波に押し流され、学生 の間でもこれからの社会派学歴よりも実力が重要視されている、あるいはこれからはその ようになっていくはずだと考えるものが非常に多いことが本論文の分析では明らかになっ ている。 

勤勉にひたすら努力をし、大学に進学し、よい学歴を得、よい社会的地位を獲得すると 言ったレールはもはや剥がされ、自分たちの親世代の問題であったレールにうまく乗れる か否か、ではなく今の大学生はレールを自分で作れるかどうか、つまりは学生個人の実力 が問われる時代になってきた。 

この時代の過渡期に適応しようともがいた結果いわゆる「近頃の若者(学生)」が誕生し たと考えられる。単位取得において必要でなければ出席はしないといったような講義に対

する姿勢、関心のない講義やつまらない講義は聞かず携帯電話に相手をしてもらうなど、

近頃の常識がないとされる学生問題が生じるようになった。 

一見学生の態度や常識に問題があるかのように見えるが、これらはれっきとした学生の 社会や時代に対する適応が生み出した社会の産物であり、問題として捉えるのならば、文 字通りの社会問題なのだ。 

本論での調査結果には、予想通りの結果を示すものや、予想とは大きく異なり、これは 大きな問題だと思われるようなものもあったが、視点を変えて考えてみると、これは果た して本当に深刻な問題なのだろうかと悩まされた。 

確かに、いわゆる「常識」とはかけ離れた学生の新社会的価値や大学生活における新し い適応形態には驚かされるものも多く、特に講義に対する姿勢に関しては、実際に度が過 ぎていると感じるものも中にはある。だが、この新しい適応形態と価値観の変化・変動の 波と言ったものは考えてみればいつの時代の過渡期にも存在していたはずだ。そのたびに 既存の社会的価値は新社会的価値にその地位を奪われないよう必死に波を抑えようとした が、どれも結果として新社会的価値に飲み込まれていった。これがたまたま現代の学生が 乗っている波は大学そのものの意味合い自体を変えてしまいかねないものであるのだが、

なぜ今までも同じように時代の過渡期を通過してきた日本の社会はこれに異常なまでの拒 絶反応を示すのだろうか。若者が乗ってしまった波の勢いが強すぎたのかも知れない。 

・新社会の産物としての学生の新能力 

新社会的価値の承認はそう容易なものではない。近年の若者の新価値は認められるどこ ろか基本的に問題視されてきた。ここで視点を変えて、モラトリアムや大学レジャーラン ドを満喫し、自由に生きている「今の大学生」やいわゆる「現代っ子」と言った者は現代 社会の産物そのものであり、現代の申し子のような存在である。そしてそれがゆえに彼ら は現代社会にもっとも適応を遂げた日本人であることが言えるだろう。「具体的に〜が分か らない」ではなく「何が分からないのかが分からない」と言った新社会的価値に適応した 結果、以前のように「レール」や「答え」を探すのではなく逆に答えを探さないようにす る若者が誕生した。これはやる気がない、生きる気力がない若者と旧社会的観念では定義 され問題視されるのに対し、新社会的価値に染まった若者の間では割り切り主義として認 識され認められる。 

これは現代社会で問題となっている価値の二分化の顕著な例を考えたものだが、言うま でもなくこれは対立構造のごく一部に注目したものであって、旧社会的価値と新社会的価 値はいたるところで衝突している。本論でも見たように、ガンバリズムは依然として根強 い部分を見せるが、その反面自分にとって必要なものとそうでないものをうまく割り切る 生活形式の学生も多く存在し、これが講義に対する姿勢では強く結果に反映されていた。 

このような新社会的価値の波の善悪は別として、新社会的価値の社会になったことによ って台頭してきた若者の新しい能力も存在する。例えば情報化社会への適応結果として、

簡単に物事を信用しない学生やこれを通り越して大学では誰ともつるまず、単体としてど 新社会的価値 

割り切り主義ワリキリズム  器用な人間、要領の良い人 

個人的な実力の追及  旧社会的価値 

努力主義ガンバリズム  真面目な人間、努力家  社会に添った価値の追求 

のグループにも属さないで行動する学生、絶対的な答えがない(レールが用意されていな い)社会への適応結果として社会的な価値ではなく、自分個人の興味関心に基づいた生き 方や将来への展望、そして資格の追求など、新社会の申し子にふさわしい適応形態を示し ている。 

確かにものは言いようであり、簡単に物事を信用しないことが度を超えるとひねくれた 人間不信な若者となり、社会的な価値ではなく、自分個人の興味関心に基づいた生き方を 追及するがあまり、卒業後に社会でうまくやっていけない学生が誕生することもあるだろ う。現段階ではこのような新社会的価値の波の短所を旧社会の権威が協調性がない学生や コミュニケーション能力がかけた学生と言ったように必死に強調しているのだが、新社会、

つまりは時代の波に飲みこられるのもそう遠くない未来なのかも知れない。 

次々に誕生する新価値の良し悪しは一概には言い切れない部分が多すぎて自分でも理解 しかねる程だが、本調査結果を見、現代の申し子と言われる自分の世代を見渡してひとつ 言えることは、大学生の新しいもの(それが文化であれ社会であれ)に対する適応力は、

目には見えないが、徐々にだが確実に高まってきているような気がした。現代の申し子も またすぐに次世代の申し子と異なった価値観の衝突に苦悩する時代の過渡期にぶつかるに 違いない。 

本調査と全く同じ質問項目を 10 年後に同じ大学で調査したとしたら、おそらく本論とは 全く異なった調査結果と回答パターンが出てくることだろう。 

   

生きづらい青年期からの自立 

―吉本ばなな『キッチン』から読み解く居場所と媒介者の役割― 

  宮﨑  多希代   

(1)問題提起 

この論文は、生きづらい現代において大人になるためには自分を受け入れ、目標を見つ けるきっかけを与えてくれるまたは夢を応援してくれる他者が必要だということを主張す ることを目的とする。 

現代の若者は豊かな時代に生まれ育ち、過保護にされている。何もかもが便利そしてハ イスピードで、たくさんのモノに囲まれているわれわれは、自分で考える力や手に入れる まで待つといった辛抱強さや苦難を乗り越える野心といったものに欠け、達成感や満足感 を得られる機会が少ないと感じる。時代が豊かになったのは喜ばしいことであるが、どう 生きていったらいいかという問題が難しさを増している。 

さらに人間関係が希薄化しているため、大人になる過程で必要である重要な他者との出 会いが少ない。交友範囲が家と学校に限られている結果、異年齢層とのかかわり方がわか

ドキュメント内 論文発表会_2005年)レジメ.PDF (ページ 45-63)

関連したドキュメント