新島の学部構想
新島は数多くの私立大学設立ノ趣意書を執筆している。その中では草稿 に終わったものと活版印刷されたものがある。
それぞれには、「専門部」としてどのような「学部」を設置したいか、
ということが述べられている。
それぞれの「学部構想」を表にしたのが表1である112)。
(表1) 新島の学部構想
年 文書・演説録名 種別 学部構想 1 1882
(M15)同志社大学設立之主意
之骨案 草稿 先ツ三部ヲ設ケ布イテ諸学科ニ及フベシ:三部トハ何ソ、
曰ク宗教兼哲学、医学、法学ナリ〔略〕理学、文学ノ二部
〔略〕決シテ之ヲ蔑視スルニアラサル
同年 府会で府医学校存廃が議論。大村達斎経営の洞酌医学校を同志社の医学部として、府医 学校を継承する案が生じ、消滅。新島、岡山にペリーを訪ね、医学校設立に関して協議。
2 同年 同志社大学設立之主意 草稿 先宗教〔「并哲学」〕、医、法ノ三部ヲ置キ、資力ノ加増スルニ随ヒ数学部ニ及ホサントス 3 同年 同志社大学設立ヲ要スル主意 草稿 我校ニ於テ現今設置セント欲スル学科ハ乃神学、哲学、法学、医学等ナリ
4 1883
(M16) 同志社大学校設立旨趣 活版
我邦ノ状情ヲ以テスレハ欧米諸国ノ如キ全備ノ専門校ハ 容易ニ設立シ得ベキニアラス、故ニ姑ク先ツ諸科ノ内ニ就 テ最モ急且ツ要ナル者ヲ撰ハサルベカラス、即チ法学ノ一 科是ナリ
5 1884
(M17) 明治専門学校設立旨趣 活版
第二条 本校ハ先文学部ヲ設置シ、 文学、歴史、哲学、
政治、経済、等ヲ講究セシム/第六条 本校ハ先文学部 設立ノ資本トシテ金七万円ヲ募集シ漸次法、理、医学部等 ニ及ボスモノトス
(M18)1885 新島渡米中、同志社医学校設立構想に対してアメリカンボードが反対意見表明し、断念。
(M19) (9月)同志社病院、京都看病婦学校授業開始(正式開業は、1887(M20)11月)。1886
6 1888
(M21)
私立大学ヲ設立スルノ 旨意、京都府民ニ告ク
〔知恩院演説〕
活版・雑誌 掲載
此ノ私立大学設立ノ事ハ、明治十七年以来、私ト山本覚馬 両人ガ、発起人トナリ〔略〕天下ニ訴ヘ〔略〕今回理事委員 ノ方ノご尽力ヲ乞ヒ、此ノ大会ヲ開イタ訳デゴザリマス〔=
明治専門学校と同趣旨〕
7 同年 同志社大学設立の旨意 活版・
雑誌掲載
吾人が先つ将来に於て設んとする大学専門の学科は、現 今同志社に在る神学科の外に於て、政事、経済、哲学、文 学、法学等に在り、若し是等の諸学科を一時に設置するこ と能はずんば、漸次に其最も実行し得易き者よりして設置 せんと欲す〔=明治専門学校と同趣旨〕
8 1889
(M22)〔同志社大学設立資金
募集に付〕 草稿 〔神学に加えて〕進テ文学、法学、理学、医学等の諸学科をオキ 9 同年 同志社大学設立の大意 印刷 政治法律文学理学工学医学等の専門を置き 10 同年 大学設立主旨 草稿 〔神学に加えて〕進テ文学、法学、理学、医学等の諸学科を置き
(M23)1890 ハリス、ハリス理化学校のために 10 万ドルを寄付。
そして、新島が各大学設立趣意書で言及した学部について、学部設置の 優先順位を加味して記号化したものが表2である。ここでは、先ず設置し たい、あるいは、設置を明言した学部を「◎」、事後に漸次設置したいと した学部を「△」、順序が不明なものを「○」とした。
(表2)新島の学部構想の優先順位
年 文書・演説録名 学部構想
宗教(神学)
哲学 医学 法学 文学 理学
1 1882 同志社大学設立之主意之骨案 ◎ ◎ ◎ △ △ 2 1882 同志社大学設立之主意 ◎ ◎ ◎
3 1882 同志社大学設立ヲ要スル主意 ◎ ◎ ◎
4 1883 同志社大学校設立旨趣 ○ ◎
5 1884 明治専門学校設立旨趣 ○ △ △ ◎ △
1886 京都看病婦学校、同志社病院業務開始
6 1888 私立大学ヲ設立スルノ旨意、京都府民ニ告ク〔知恩院演説〕 ○ △ △ ◎ △
7 1888 同志社大学設立の旨意 ○ △ △ ◎ △
8 1889 〔同志社大学設立資金募集に付〕 ○ ○ ○ ○ ○
9 1889 同志社大学設立の大意 ○ ○ ○ ○ ○
+工学
10 1889 大学設立主旨 ○ ○ ○ ○ ○
上記の表のとおり、新島は、初期の大学構想の時点から、「宗教兼哲学」
と「医学」、「法学」を先ず設置したい専門部として掲げており、医学につ いては、京都看病婦学校と同志社病院が設立された後も大学において設置 したい専門部であることを明言しつづけている。
新島が医学を重視していたのは、新島が2度目の1884-85年訪米中に執筆 した My Humble Schemes of the Speedy Evangelization of Japan(日本伝 道促進についての私案113))と題する次のアピール文を読めば明らかであ る。新島はそのために3つの重要な戦略を掲げた。
Ⅰ The highest possible education should be given to the Christian ministry.
Ⅱ Educating physicians thoroughly on the Christian basis should be a great auxiliary to the direct Christian work.
Ⅲ Providing chairs for other professional studies like Jurisprudence, Political Science, Political Economy, Philosophy, History, Literature
&c. should be a mighty means to attract, and bring the choicest students under the Christian influence.114)
第1は、キリスト教牧師のために最高の教育を授けること。
第2は、キリスト教に立脚した完全な医学教育を行うことは、キリスト 教の仕事に対して直接的に偉大な援助になる。
第3は、法学や政治学、経済学、哲学、歴史、文学等の専門教育の機会 を与えることは、キリスト教の影響下に極上の学生を引きつけ、誘う強力 な手段になること。
新島は、キリスト教に基づいた完全な医学教育を第2の戦略として掲げ たのである。
新島の医学部構想
それでは、具体的に、新島はどのような医学部をつくろうとしたのであ
ろうか。
新島はいくつかの大学設立趣意書でそれに関して述べているが、その内 の主なものを下記のとおり紹介したい。
一医学ヲ授クルノ目的ハ、医ハ乃チ仁術タルノ本意ニ基キ、富豪ノモ ノニ侫セス貧ひんろう婁ノ人ヲ擯ケス、身体上ノ疾病ヲ治療スルノミナラス、
又人心上ノ固疾ニ至ル迄モ医治スルコトヲ計リ、疾病ノ源トモ云ワル ベキ心中ノ病ヲ療治シ、我カ同胞ノ身体ヲシテ心ト共ニ健全ナラシメ、
人間最上ノ歓楽福祉ヲ嘗シメハ真ノ国医ト云へクシテ、其ノ功モ僅小 ナラサルナリ、依テ如斯真医ヲ養成スルハ方今ノ一大急務ト云ワスシ テ何ソ〔略〕法学部ノミニシテ5万円ノ資金ヲ要スル事ハ明瞭タルベシ、
且医学部ノ如キハ米国ノ名医2名ヲ聘セント欲スレハ9万円ノ備ナカ ルベカ〔ラ〕ス115)
(1882年「同志社大学設立之主意之骨案」)
医学設置ノ目的 医ハ仁術ナリト古人モ云レタレハ、医者タルハ必ラ ス其術ヲ以社会ヲ益スルヲ計ベキニ、当今ノ医師ハ決シテ然ラス、徒 ニ其術ヲ売リ己ヲ利スルヲ以医業終局ノ目的トナシタル者少ナカラサ レハ、弊校ニ於テ此科ヲ設クルハ切ニ此弊風ヲ矯正シ其業ヲ売ルノ主 義ニ非シテ、普ク世人ヲ救ヒ貧人ヲ恤〔あわれ〕ミ社会ヲ利スルノ愛 国士人ヲ養成セン事ヲ希望スルナリ〔略〕法学、医学ニ至リテハ更ニ 博士ヲ聘セサルベカ〔ラ〕ス、又学舎ヲ増シ病院ヲ築カサルベカラス、
今此事業ヲ全フセント欲セハイカニ減省ストモ11万円ノ資金ヲ要セザ ルベカラス、仮令ハ法科ヲ設クルニ5万円、医科ヲ設ルニ6万円ト概 算シ、之ヲ募集スル116)
(1882年「同志社大学設立ヲ要スル主意」)
新島は、「薬ヲ売リ又芸ヲ売ル又名ヲ売ル利ヲ射ル」という商業主義の 日本の医療制度を強く批判し、その一掃を企図していた。そのために、キ リスト教に基礎をおく医学教育によって病を得ている人の身体だけでな
く、疾病の源とも言うべき心の病気も治療して、心身共に健全の人に導き、
各々人生最上の生きる喜びと福祉を与えたい、そのような「真ノ国医」と もいうべき医師を育てたい。そのために、米国から(2名の)医師を招聘 し「病院ヲ築」いて米国流の医学教育を行う。その費用としては9万円(6万 円)の資金をあてる義捐金を募る、としたのである。
新島は他に「医学校規定」を著しているが、そこには明確に「本校之授 業ハ英米2国之医学ヲ採用スヘシ」117)と定めている。新島の念頭には、英 米医学こそが患者を心身共に健康に導く医学であるという確信があったの である。
ドイツ医学に関して新島がどのような理解をしていたのかは記録に無い が、ベリーは、ドイツ医学を無神論と懐疑主義に基づくものと批判し、「こ の国で医療宣教師は医学教育に力を注ぎ、クリスチャンの意思を日本の中 で育てることに何よりも献身するときだと考える」という意見を持ってい た118)。新島もまたヨーロッパの不信仰を自らの Christian college 設立の 直接の動機にしたことは既に述べた通りであり、彼がドイツの大学につい て、「高尚ナル専門科ヲ攻修スルニ至リテハ実ニ他国ノ右ニ出ツヘキモ、
諸政府ノ直轄スル所ナレハ自治精神ニ欠乏スル憂ナキモ保証シ難シ」119)と 感じてもいるから、彼もベリーと同一の意見を持っていたのは間違いない であろう。