く、疾病の源とも言うべき心の病気も治療して、心身共に健全の人に導き、
各々人生最上の生きる喜びと福祉を与えたい、そのような「真ノ国医」と もいうべき医師を育てたい。そのために、米国から(2名の)医師を招聘 し「病院ヲ築」いて米国流の医学教育を行う。その費用としては9万円(6万 円)の資金をあてる義捐金を募る、としたのである。
新島は他に「医学校規定」を著しているが、そこには明確に「本校之授 業ハ英米2国之医学ヲ採用スヘシ」117)と定めている。新島の念頭には、英 米医学こそが患者を心身共に健康に導く医学であるという確信があったの である。
ドイツ医学に関して新島がどのような理解をしていたのかは記録に無い が、ベリーは、ドイツ医学を無神論と懐疑主義に基づくものと批判し、「こ の国で医療宣教師は医学教育に力を注ぎ、クリスチャンの意思を日本の中 で育てることに何よりも献身するときだと考える」という意見を持ってい た118)。新島もまたヨーロッパの不信仰を自らの Christian college 設立の 直接の動機にしたことは既に述べた通りであり、彼がドイツの大学につい て、「高尚ナル専門科ヲ攻修スルニ至リテハ実ニ他国ノ右ニ出ツヘキモ、
諸政府ノ直轄スル所ナレハ自治精神ニ欠乏スル憂ナキモ保証シ難シ」119)と 感じてもいるから、彼もベリーと同一の意見を持っていたのは間違いない であろう。
き、それは危機意識といってもよい程であった。一方、彼は、自分の受け たアメリカの医療に対する信頼があった。キリスト教に立脚した完全な医 学教育こそ、日本に対するキリスト教の伝道促進の大きな戦略の一つにも 位置づけていたのである。
そして新島がつくろうとした医学部は、臨床を重んじ、患者を中心に位 置づけた英米流の医学であって、彼には、それこそが、患者の心身を健康 に導く「真医ノ医学」であるという確信があった、と断言しても良いであ ろう。
注
1) 『同志社百年史』(通史編1)289-290頁、学校法人同志社、1979年。
2) Arthur Sherburne Hardy : Life and Letters of Joseph Hardy Neesima, Reprinted by Doshisha University Press, Kyoto, 1980, pp.228-229.
3) 神谷昭典『日本近代医学のあけぼの 維新政権と医学教育』28頁、医療図書 出版、1979年。
4) 川端眞一『京の医学 −慈仁の系譜と府立医大の草創』126-127頁、人文書院、
2003年。
5) 同書127頁。
6) 神谷前掲書61頁。
7) 田中不二麿「教育瑣談」『明治百年史叢書 第150巻 開国五十年史』(上巻)
722-723頁、原書房、昭和45年。
8) 田中潮洲述「相良知安」『医海時報』、1924年、神谷前掲書2頁。
9) 相良隆弘開設ホームページ「我が国近代医学制度創設の功績者 相良知安」
http://sagarachian.jp/main/(2013/11/30調査)
10) 同書10頁。
11) 同書48-57頁。
12) 川端前掲書145-148頁。
13) 前掲相良氏ホームページ http://sagarachian.jp/main/76.html(2013/11/30調 査)
14) 同ホームページ http://sagarachian.jp/main/75.html(2013/11/30調査)
15) 同ホームページ http://sagarachian.jp/main/76.html(2013/11/30調査)
16) 神谷前掲書48頁。
17) 前掲相良氏ホームページ http://sagarachian.jp/main/76.html(2013/11/30調 査)
18) 同書99頁。
19) 同書101頁。
20) 同書99頁。
21) 大塚三七雄『明治維新と独逸思想』122頁、日独出版協会、昭和18年。
22) 同書には、全編にわたって、明治維新以来の日本の政府体制・軍政・国家主 義思想・政治論・経済論・哲学・宗教・文芸・教育がいかに独逸思想の影響 を受けていたかが綴られている。ただし、医学についてはすっぽり記述が欠 落している。
23) 石附実『近代日本の海外留学史』付表「明治第一期(元 -7年)の海外留学者」、
中公文庫、1992年。
24) 順 天 堂 ホ ー ム ペ ー ジ「 歴 代 の 堂 主 紹 介 」http://www.juntendo.ac.jp/way/
president.html(2013/11/30調査)。なお、翌1870年には、大学東校から11名 の学生がドイツに留学している(石附前掲書192頁)。
25) 『東京帝国大学五十年史』387-388頁、東京帝国大学、昭和7年。
26) 『文部省布達全書』(明治4年、5年)67頁、明治18年。
27) 同書135-152頁。
28) 文部省が定めた変則医学教則には外国語の規定がない。同書145-152頁。
29) 「医制略則」は全文が神谷前掲書(233-253頁)に収録されている。
30) 長与専斎「松香私志」『松本順・長与専斎自伝』(東洋文庫386)137-138頁、
平凡社、1980年。
31) 改正された「医制」は神戸市医師会編『神戸市医師会沿革史』(11-14頁、神 戸市医師会、昭和12年)および国立公文書館デジタルアーカイブ[請求番号]
本館2A-009-00・ 公01441100[件名番号]021による。
32) 長与前掲書147-148頁。
33) 同書145頁。
34) 『文部省布達全書』(明治15年)4-9頁、1885(明治18)年。ただし、第10条に は次の但し書きがある。
「但他ニ相応ノ学力ヲ有スル者アルトキハ文部卿ノ認可ヲ経テ本文医学士ニ 代ルルコトヲ得」。
35) 神谷前掲書181頁。
36) 同書同頁。
37) なお、1886年に京都で開校した第三高等中学校については、本文の通り、医 学部のみ岡山におかれた。同校は、1894年に高等学校令により第三高等学校 に改組されたが、1897年の京都帝国大学設置に伴って1901年に専門学部(法・
工・医)を正式に廃止し、岡山にあった医学部は岡山医学専門学校(現在の 岡山大学医学部)となった。また、1887年に熊本で開校した第五高等中学校 は、医学部のみ、日本の近代医学発祥の地である長崎におかれた。同校も高 等学校令により第五高等学校に改組されたが、1901年、長崎にあった医学部 は独立して長崎医学専門学校(現在の長崎大学医学部)となった。戦後に設 立された熊本大学の医学部は、熊本藩の再春館と熊本県の熊本医学校の系譜 に連なるものである。
38) 石川県第二部学務課『現行学事規則』132頁、石川県第二部学務課、明治22年。
39) 文部省『学制五十年史』183頁、文部省、大正11年。
40) 慶應義塾大学医学部は、その沿革において、1873年開設の「慶應義塾医学所」
を福沢諭吉の蘭学塾創始(1858年)の次に掲げている( http://www.med.
keio.ac.jp/about/history.html, 2013/9/21調査)。慶應義塾医学所はイギリス医 学を採用したが、開設7年後の1880年に廃校となっている。なお、同医学所 の校長を務めた松山棟庵は、廃校後に高木兼寛と結んで成医会を設立した。
41) 神谷前掲書62頁。
42) 同書62-63頁、101頁。
43) http://www.ed.ac.uk/schools-departments/medicine-vet-medicine/about/
history/medical-school/18th-century (2013/09/22調査)
44) 神谷前掲書62頁。
45) http://www.med.upenn.edu/overview.shtml (2013/09/22調査)
46) http://www.archives.upenn.edu/histy/features/1700s/medsch.html
(2013/09/22調査)
47) http://www.pennmedicine.org/neurosurgery/about-us/history.html
(2013/09/22調査)
48) http://medicine.umich.edu/medschool/about/history (2013/09/22調査)
49) http://www.jefferson.edu/jmc/departments/neurology/history.html
(2013/09/22調査)
50) http://ocp.hul.harvard.edu/contagion/waterhouse.html (2013/09/22調査)。な お、ウォーターハウスはライデン大学でも学んでいる。
51) http://www.massgeneral.org/history/narrativehistory/ (2013/09/22調査)
52) http://www.jikei.ac.jp/jikei/history_1.html (2013/09/22調査)
53) 前掲『同志社百年史』(通史編1)297-298頁。
54) ただし、新島は、それは「結果」とも言うべきものであって、その「原因」
と言うべきものは、「己ヲ愛スル如ク人ヲ愛スベシ」というキリストの教え である、と続けている。『新島襄全集』(第1巻)110頁、同朋舎出版、1983年。
55) たとえば、カルクス著/北山初太郎訳『フロレンス・ナイチンゲール』、明 治23年刊。
56) 籠 晶子「新連載 現地レポート 世界の医学教育 ドイツ編」『週刊医学界 新聞詳細』第2514号、2002年12月9日、医学書院。
57) 川端前掲書167頁。
58) 神谷前掲書63頁。
59) 川端前掲書196頁。
60) 1889年、ドイツのベルリン大学に留学した北里柴三郎が破傷風菌の純粋培養 に成功、1897年、やはりドイツに留学した北里の弟子の志賀潔が赤痢菌を発 見した。なお、1900年以降、北里の弟子の野口英世が蛇毒や梅毒スピロヘー タの研究で世界的な業績を上げているが、野口はアメリカに渡り、ロックフェ ラー医学研究所に所属した。
61) 「 箱 館 市 デ ジ タ ル 版 」http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/soumu/
hensan/hakodateshishi/tsuusetsu_01/shishi_03-05/shishi_03-05-13-03-07.htm
(2013/09/22調査)
62) 以上、〔箱館紀行〕『新島襄全集』(第5巻)21-22頁、同朋舎出版、1984年。
63) 同書22頁。
64) 同書23頁。
65) 『新島襄全集』(第3巻)35-36頁、同朋舎出版、1987年。
66) https://www.amherst.edu/aboutamherst/news/news_releases/2011/08/
node/337711/ (2013/09/22調査)
67) 北垣宗治『新島襄とアーモスト大学』291頁(表1「新島がアーモスト大学 で履修したと考えられる科目と担当者」)、山口書店、1993年。
68) 『新島襄全集』(第7巻)、41-42頁、同朋舎出版、1996年。
69) 同書50頁。
70) http://www.stlukeshospitalnyc.org/About_St_Lukes/ (2013/09/23調査)
71) 前掲『新島襄全集』(第7巻)、60頁。
72) 同書68-69頁。
73) 同書 71頁。
74) 前掲『新島襄全集』(第3巻)、107頁。
75) 『新島襄全集』(第8巻)、110頁、同朋舎出版、1992年。
76) 長与前掲書132頁。
77) 同書134頁。
78) 前掲『新島襄全集』(第3巻)、114頁。
79) 長与前掲書133頁。
80) 同書134頁。
81) 前掲『同志社百年史』(通史編1)296頁。
82) ベリー『京都看病婦学校設立ノ演説』1頁、京都看病婦学校創立事務仮本部 新島襄刊、1886年。(新島遺品庫目録番号0164)
83) ベリーの演説録の冒頭に「殊に衛生局長よりは唯今賛成の語を被むり又医院 諸君には兼て余を今夕の演説会に招かれたり」とある。同書1頁。
84) 前掲『新島襄全集』(第1巻)、110頁。
85) 青山霞村『同志社五十年裏面史』126頁、からすき社、昭和6年。
86) 長与前掲書167-168頁。
87) 同書178頁。
88) 京都市編纂部『京華要誌』(上)135頁、京都市参事会、明治28年。
89) 前掲『同志社百年史』298頁。
90) 拙稿「新島襄、田中不二麿と岩倉使節団」『欧米から見た岩倉使節団』243頁、
ミネルヴァ書房、2002年。
91) 『新島襄全集』(第10巻)、169-171頁、同朋舎出版、1985年。
92) オーテス・ケーリ「ラットランドと新島襄と同志社」『新島襄の世界 永眠 百年の時点から』210-211頁、晃洋書房、1990年。
93) 新島襄「同志社学校設立ノ由来」前掲『新島襄全集』(第1巻)、34頁。
94) ケーリ前掲論文208頁。
95) Rev. J. D. Davis, A maker of New Japan Rev. Joseph Hardy Neesima, LL.D., President of Doshisha University, Kyoto, New York, Chicago. 1894, p.43.
96) 『新島襄全集』(第6巻)、363-377頁、同朋舎出版、1985年。
97) 同書159頁。
98) 『新島襄全集』(第3巻)、123頁。
99) 井上勝也「新島襄の畢生の事業 −開始に当たっての努力・忍耐・苦悩・祈 り−」『新島研究』(第100号)110-112頁、同志社大学同志社社史資料センター、
2009年。
100) 『木戸孝允日記』(第3巻)145頁、日本史籍協会、昭和8年。
101) 同書153頁。
102) 前掲『新島襄全集』(第6巻)、165頁。
103) 前掲『新島襄全集』(第1巻)、62頁。
104) 同書、55頁。
105) 以上、同書48-49頁。
106) 同書66-67頁。
107) 同書31頁。
108) 同書151頁。
109) 前掲『同志社百年史』(通史編1)411頁。
110) 前掲『新島襄全集』(第6巻)、366-368頁。
111) 同志社大学同志社社史資料センター新島遺品庫資料目録0111 112) 出典はいずれも前掲『新島襄全集』(第1巻)。
113) 前掲『新島襄全集』(第7巻)408頁。