ウィレムスは、
1927年にジュネーヴ音楽院での学生生活を終えると、そのまま同音楽院で教 鞭を執り始めた。
1925年から
1957年までジュネーヴ音楽院の院長を務めていたアンリ・ガニュ バン(Henri Gagnebin, 1886-1977)に高く評価されていたことが、その大きな理由なのではない かと考えられる。ガニュバンがウィレムスと初めて会ったのは
1925年、ウィレムスがジュネー ヴ音楽院に入学を表明しにガニュバンを訪ねた時である。この時ガニュバンは、ウィレムスに 対して音楽の専門家を目指すのには
35歳では遅すぎること、音楽を学ぶのには早期教育が必 要であることを伝えている
60。実際、ウィレムスが音楽院に在籍していた頃は楽器の演奏技術 が不確かであるように思われたと述べているが、しかしながら熱心にパイプオルガンの練習に 励んでいたことを認めている。何より、ウィレムスが音楽的な書法、歴史、美学などの分野に 長けていたことによって、音楽院にとって多領域にわたる講義を提供できる存在であったと評 価している。
ウィレムスは、1927 年にジュネーヴ音楽院で「上級ソルフェージュ(solfège supérieur)」の 第
1年次と第
2年次を教え始めたのを皮切りに、
1928年には「大人のためのソルフェージュ」
も受け持った。この時、ウィレムスはさまざまな国から来た学生と接する中で、彼らは全体的 に音楽的な発達が不十分であることを悟った。彼らの音楽の中心を成すものはあくまでも楽器 を演奏するための「技術(la technique)」であり、リズムや聴覚、音名などの音楽的な知識が欠 如していたのである。このためガニュバンは、ウィレムスが担当していたこの講義を「クリニッ ク」と呼んでいた
61。ウィレムスは、この問題意識をガニュバンに訴え、
1929年に同音楽院で
「大人のための聴覚育成(
développement auditif pour adultes)」の講義を担当し、後に
5歳以上
60 Jaques Chapuis & Béatrice Westphal, Sur les pas d’Edgar Willems, p. 34.
61 Ibid., p. 34.
の子どもを対象とする「子どものための聴覚育成(
développement auditif pour enfants)」のコー スも開設した。
1943年から
1948年にかけて、ウィレムスはジュネーヴで個人的に
3歳以上の 子どもたちを対象に集団レッスンを行っている。この経験がウィレムスの教育実践に新発見を もたらしたとウィレムス自身が語っているが
62、現在もウィレムスの音楽教育が
3歳から開始 されていることからも、その成果がうかがえる。
ウィレムスは、
1956年にジュネーヴ音楽院で子どもたちを対象に「音楽の入門」の講義を始 め、翌
1957年には音楽指導者に向けて「音楽の入門のための教育法」の講義を担当している。
この少し前に、ウィレムスは、指揮者パウル・クレツキ(
Paul Kletski, 1900-1073)の扇動によっ て、自らの音楽教育に関する資格証書(certificat)を作成している。1948 年と
1956年、それぞ れ一人ずつの学生に、この資格証書を授与した。ウィレムスは当初、音楽教師になるためには 試験や資格を与えずに教育することが理想であると考えていた。しかし、次第に社会的地位と いう観点ではほとんどそれが不可能なことであると考えるようになり、ジュネーヴ音楽院にお いて「順位(dans le rang)」を設定し、試験と資格証書を与え始めることにした
63。試験内容や 資格証書の実態については明らかになっていない。現在も、ウィレムスの音楽教育では国際 ウィレムス連盟の主導によって資格証書とディプロム(
diplôme)のための教育課程と試験が存 在している。この点において、ウィレムスの当初の理想とは乖離しているが、教師が「資格」
をもっていることの社会的な信頼性や、ウィレムスの音楽教育が普及していくにつれて、各国 の教育の質の均一性も求められるようになったという必要に迫られて実施されているものと 考えられる。
ウィレムスは
1927年以降スイスで教育活動に携わるようになってから、さまざまな地域に 赴いて教育実践を紹介し、多くの合唱団の指導を行った。具体的には、
1931年以降ベルギーに、
1934
年以降フランスに、
1954年以降ドイツとポルトガルに、
1963年以降アフリカ(モザンビー ク、アンゴラ、チュニジア)と南アメリカ(アルゼンチン、ブラジル、ウルグアイ、ベネズエ
62 Ibid., p. 34.
63 Ibid., p. 34.
ラ、ニカラグア)に、
1968年以降アゾレス諸島、ポルトガル領マディラ島、カナダ、ユーゴス ラビア、チェコスロバキア、ポーランド、ノルウェー、イスラエルに、
1969年以降イタリアに、
1970
年ソビエト連邦に、1972 年以降スペインに赴き、現地の音楽教育家たちと交流をもつと ともに教育実践を紹介した
64。この時に関わりをもった現地の音楽指導者たちによるウィレム スとの思い出が『エドガー・ウィレムスの歩みについて̶̶人生、作品、理想̶̶(Sur les pas
d’Edgar Willems- une vie, une œuvre, un idéal)』に収められている
65。現在ウィレムスの音楽教育 はヨーロッパ諸国と中南米諸国を中心に普及しているが、これらの国々を見ると、それがウィ レムス自身による活動の賜物であるということがわかる。さらにウィレムスは、これらの活動 と並行してリズム感や聴覚の育成に向けたいくつもの歌を作曲した。スイスのフランス語圏お よびドイツ語圏では多数の講演も行い、新たな音楽教育に向けた複数の著書を執筆した。ウィ レムスは、これらの多岐にわたる精力的な活動によって、自らの音楽教育を積極的に展開して いったといえる。
第
2項 ジャック・シャピュイら普及のための協力者
ウィレムスの弟子でもあったピアニスト、音楽教育家のジャック・シャピュイ(
Jacques Chapuis, 1926-2007)は、ウィレムスの音楽教育を普及することに多大な貢献をした人物である。シャピュイは、スイスのベルン州の都市ビエンヌ(ドイツ語ではビール)に誕生し、ビエンヌ 音楽院で学んだ後にジュネーヴ音楽院に入学した。ジュネーヴ音楽院では、ディヌ・リパッティ
(
Dinu Lipatti, 1917-1950)とニキータ・マガロフ(
Nikita Magaloff, 1912-1992)にピアノを師事 した。ウィレムスと出会ったのもこの時期であり、音楽院ではウィレムスの聴覚育成と即興の 講義に熱心に参加していた。シャピュイは音楽院を卒業後、
1948年から
1960年まで故郷であ り母校でもあるビエンヌ音楽院でピアノ講師を務めるようになる。その傍ら、演奏家としても、
また、スイス・フランス語圏の青年音楽アニマトゥール
66としても活動していた。しかし、音
64
資料
1「ウィレムスの生涯の活動年表」参照。65 Ibid., pp. 76-125.
66
主に解説つきの学校コンサートの企画の推進や生徒の参加によって創り上げる音楽活動などの運営役のこ
楽院の教育体質に不満を抱くようになり
67、ビエンヌに「ジャック・シャピュイ研究所̶̶ピ アノとヴァイオリンの新学校(
Institut Jacques Chapuis: école nouvelle du piano et du violon)」を創 設し、独立する。この研究所は、音楽の入門や音楽教育の基礎、ヴァイオリンとピアノに関す る「真の」器楽教育を推進することを目的としていた。この目的を達成するために、ウィレム スは研究所の創設当初から講師として招かれていた。以来、長年にわたってシャピュイはウィ レムスの音楽教育の普及に尽力するようになったのである。
1962年、シャピュイはウィレムス の精神と理想と音楽教育実践に基づいた初めての国際的な集会を催した。この集会には、ポル トガル、フランス、イタリア、スイスから音楽教師たちが集まった。シャピュイはまた、ビエ ンヌの研究所で講師を務めていたヴァレンティノ・ランニ(Valentino Ragni, 1935-)と共に、
1962年にウィーンで開催された国際音楽教育学会
ISME(
International Society of Music Education)の 国際会議でもウィレムスの音楽教育を紹介している。ランニは、作曲家、ピアニスト、音楽教 育者で、スイスのドイツ語圏にウィレムスの音楽教育を適応させるよう尽力した人物である。
1964
年にウィレムスは、シャピュイとポルトガルの音楽教育者ラケル・シモーズ(Raquel
Simoes)に対して、自らの音楽教育の専門的なディプロムを授与した。シャピュイは1964
年、
スイスのジュラ州ドレモンに、ウィレムス音楽教育研究所・音楽院(
Conservatoire et Institut d’éducation musicale Willems)の前身となるジュラ地方音楽学校(Ecole jurassienne de musique)を設立した。この学校では全てのクラスでウィレムスの音楽教育に基づく実践を試みており、
ジュラ州の町のみならず、スイス国内および諸外国からも注目を集めることとなった。これら の大きな流れに沿って、シャピュイは
1968年
8月
25日に現在の国際ウィレムス連盟(
Fédération Internationale Willems®)の前身となる「国際エドガー・ウィレムス音楽教育指導者協会」を設立した。この協会はドレモンにシャピュイが創設したジュラ地方音楽学校を拠点に、毎年スイ スやポルトガル、フランス、イタリア、ドイツを会場として研修または会議を開催した。発足
と。フランスでは
1970年代から国家資格化が進められた。詳しくは阪井恵(1993)「フランス音楽アニマシ オンにみる学習のための情報提供活動およびアニマトゥールの養成」『音楽教育学』第
23-2号、pp.40〜43
に述べられている。
67 Fédération Internationale Willems
ウェブサイトのジャック・シャピュイのプロフィール
http://www.fi-willems.org/index.php/69-fr-1(2016
年
3月
17日閲覧)
ドキュメント内
エドガー・ウィレムスの音楽教育の意義 : その思想および実践の考察を通して
(ページ 33-42)