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  本論文で明らかになった点は、大きく次の三点に集約することができる。

  一つ目は、ウィレムスの音楽教育が内的聴感の育成に重きをおいたものであるということで

ある。ウィレムスの教育実践では最初に聴覚やリズム感といった音楽的な感覚を育てるが、そ

れは音楽理論を知識としてではなく実感を伴って理解しようと試みるとき、あるいは楽器を演

奏しようと試みるときに、音楽的な感覚とともに自らの内側で音の響きや音楽を想起すること

が必要不可欠だからである。例えば、聴き取った音高変化を手で表現し次に波線で表現した図

形楽譜へと繋げ、さらにそこから五線譜へと導入していくという段階や、音程の歌から音程の

知識を教えるという段階などに、実践から理論へ導いていこうとする教育的な意図を見出すこ とができる。ウィレムスは、子どもたちの感覚に働きかける実践と緻密な段階設定を通して、

子どもたちが内側から豊かな音楽を想起し、感受することのできる内的聴感が育まれることを 目指している。そのように先に育まれた感覚に対する裏付けとして理論を教えていくことに よって、理論と実践とが乖離しない音楽教育を実現しているということができる。さらに、音 楽的な感覚が最初に育まれていることによって、子どもたちが楽器に触れることになる時、す でに自発的な表現の意識に基づいて演奏することが可能となっている。

  二つ目は、楽譜に一切触れることなく音楽教育が始められるという教育視点に、「知識を与 える前に経験させる」という新教育運動の影響がみられることである。この教育視点は、ウィ レムスの音楽教育にとって特徴的な要素の一つではあるが、それはジャック=ダルクローズや コダーイ、オルフらの代表的な音楽教育にも共通していることはすでに述べてきた通りである。

そのため、この点において、ウィレムスの音楽教育は当時から斬新なものだったわけではなく、

新教育運動という時代背景に寄り添ったものであるということができる。このように、同時代 に生まれた教育学や音楽教育とともに「ペダゴジー・アクティヴ」や「メトード・アクティヴ」

などと総称される思想と実践であるということが明らかとなった。

  三つ目に、「音楽」の三要素と「人間の生」の三要素の緊密な関係性に基づく教育思想は、

晩年に至るまで終始一貫した軸として機能していたということである。序章の第

4

節に述べた 通り、ウィレムスがこの「音楽」と「人間の生」の関係性を発見したのは音楽を専門的に学び 始めるより以前のことであった。むしろこの発見によってウィレムスは音楽の道を志すように なったとさえいえる。第

3

章第

2

節に述べた通り、ウィレムスは、最初の講演である『音楽に 関する哲学的な新しい構想とそれらの実践的な応用』以降、ほとんどの著書の中で「音楽」や

「人間の生」と、例えば「聴覚」などといったそれぞれの著書のテーマとなる音楽的な諸要素

を照らし合わせることによって自らの論考の説明を試みている。なぜこのように終始ぶれるこ

とのない一貫した音楽教育思想を構築することができたのであろうか。それは、ウィレムス自

身が発見したこの思想を、長きにわたる放浪生活やダンカンとの共同生活の中で深め、十分に

熟してから音楽教育を学び始めることができたという特異な経歴に因るものと考えられる。

  ウィレムスは、音楽は言葉であり芸術であるという考えに基づいて子どもたちが母国語を習 得していく過程に着目し、それに倣うことによって音楽的な諸要素を自然に身に付けるための 手順を考案した。したがって、子どもたちが文字の読み書きを学習する前に話し始めるように、

楽譜の読み書きの前に音楽的な感覚を育てていく。最初は「聴く」能力を育成することに特に 力を入れ、楽音のみならず、微分音や音程のない音の高低、強弱、音色、余韻といった音のニュ アンスまでも聴き分けられる繊細な聴覚を育成する。これらの実践は、聴覚育成という目的に 加えて注意深く音を聴こうとする姿勢と意識、集中力を養うことを可能にしている。歌による 即興や、音楽を聴き、その情動を捉えて身体表現することも最初の段階から行われる。また、

多くの親しみやすい歌を習得することによって、将来的にその歌の中から音程や和音に関する 知識が与えられる。これらの実践を通して先に子どもたちが自らの内側で音や音楽を聴き感受 することができる能力を育成してから、楽譜の読み取りや書き取り、音楽理論などのソル フェージュの学習へと導かれる。このように、子どもたちの母国語の心理学的な発達過程に基 づいてウィレムスの音楽教育の手順は綿密に段階設定されている。

  単純に楽器演奏に関わる「技能」のみを比較するならば、ウィレムスの音楽教育で育った子 どもたちは楽器に触れ始めるのが遅い分不利な点があるかもしれない。しかし、子どもたちが 楽器を演奏し始める時には、すでに子どもたちの内にさまざまな音色のパレットをもっており、

楽譜も読めるようになっている。子どもたちは、自ら表現したいものを表現するための「手段」

として、各自が好みの楽器を選択する。このように、音楽的な感覚を先に育てることによって、

音楽を自分たちから生み出される言葉のように扱っていくウィレムスの音楽教育は、自分たち のルーツではない西洋芸術音楽を学ぼうとする我々日本人にこそ有益なものなのではなかろ うか。

  音楽家が音楽を表象し、演奏や作曲に生命を吹き込むために、内的聴感の存在は不可欠なも

のである。しかし、目に見えないものだけに教育成果を確認することは困難であり、その存在

の重要性に比して教育の重要性はそれほど叫ばれてこなかったようにも思われる。本来は、目

に見えないものであるからこそいっそう、意識的に教育の働きかけがなされるべきである。

ウィレムスの音楽教育では、このように全ての音楽家にとって重要な能力である内的聴感を全 ての子どもに授けてようとする。つまり、専門家を育てることではなく、真に音楽を理解し情 操を育むための「人間」を育てる一環として質の高い教育を実現しているのである。ここに、

ウィレムスの音楽教育の最大の意義を見出すことができる。 

  音楽家志望であるかどうかに関わらず、すべての子どもたちがこのような質の高い教育を

「楽しみながら」享受できることは、将来、音楽の聴き方や楽しみ方を知り、愛好する人間を

増加させていくことに直結している。音楽文化に理解や親しみをもった良質な聴衆を獲得して

いくことは、究極的には音楽文化の裾野を広げ、隆盛させることに繋がっていく。その意味に

おいて、ウィレムスの音楽教育は、音楽家にはならない大多数の市民が音楽を理解し愛する土

壌を育むことに大いに貢献するものであろう。