病 祈 祷
」
は じ め に 近
世 後 期 の 民 衆 は
、 異 国 の 脅 威 や 飢 饉
、 疫 病 の 発 生 な ど 陰 鬱 と し た 世 情 に よ る 不 安 か ら
、 宗 教 的 救 済 を 強 め
、 そ の 一 端 は
「 え え じ ゃ な い か
」 の よ う な 乱 舞
・ 狂 踊 に 代 表 さ れ る
、 集 団 行 動 と い う 形 で 現 出 し た
一
。 こ の 時 発 生 し た 民 衆 信 仰 は
、 修 験 や 陰 陽 師 を は じ め と す る 様 々 な 民 間 宗 教 者 に よ っ て 展 開 さ れ
、 こ う し た 中 か ら 独 自 の 宗 教 イ デ オ ロ ギ ー を 持 つ
、 近 代 の 創 唱 宗 教
( 天 理 教
・ 黒 住 教
・ 金 光 教 な ど
) が 成 立 し て い く
二
。 特 に 疫 病 流 行 と い う 事 象 は
、 爆 発 的 な 信 仰 を 生 み 出 す エ ネ ル ギ ー を 孕 ん で い た
。 そ の こ と は 先 に あ げ た 創 唱 宗 教 が 伸 長 し た 要 因 の 一 つ が
、「 病 気 直 し
」 で あ っ た こ と か ら も 窺 え る
三
。 そ の た め 祈 り に よ っ て 病 が 快 癒 し た と い っ た 偶 発 的 事 象 が あ っ た 場 合
、 そ の 神 仏 は 治 病 に 効 験 が あ る と し て 祀 ら れ
、 そ の 効 験 が 得 ら れ な く な れ ば 棄 て ら れ る
「 祀 り 棄 て
」 の 現 象 が 度 々 見 ら れ た
四
。 農 村 に お い て 祭 礼 は
、 本 来 産 土 神 に 対 す る 信 仰 を 背 景 に 継 続 さ れ て き た も の で あ り
、 農 耕 社 会 に と っ て 重 要 な 儀 礼 で あ っ た
。祭 礼 は そ の 地 域 の 伝 統 と し て
、集 団 や 村 落 共 同 体 を 維 持 す る 装 置 で あ る と 同 時 に
、「 ハ レ の 日
」と し て 位 置 づ け ら れ
、 特 別 な 料 理 や 酒
、 催 さ れ る 歌 舞 音 曲 な ど は
、 農 民 の 抑 圧 さ れ た 感 情 を 発 散 さ せ た
。 と こ ろ で 祭 礼 に は 祝 祭 だ け で な く
、 厄 災 を 払 う こ と を 目 的 と し た 呪 術 儀 礼 的 祭 礼 も あ っ た
。 本 論 で 取 り 上 げ る 除 病 祈 祷 は こ れ に あ た る
。 農 村 社 会 に お い て 天 候 不 順 や 疫 病 は
、 生 命 の 危 機 に 直 結 す る 問 題 で あ る
。 農 民 ら は こ う し た 災 禍 を 村 か ら 取 り 除 く た め
、 一 致 団 結 し て 祭 礼 を 執 行 し た
。 こ う し た 祭 礼 は
、 村 落 社 会 の 状 況 を 反 映 す る も の で あ り
、 こ れ を 分 析 す
- 139 -
る こ と で
、 村 落 民 の 宗 教 的 欲 求 や 心 性 を 明 ら か に す る こ と が で き る
。 近 年
、 幕 藩 領 主 に よ る 医 療 政 策
五
や 在 村 医 療 に 関 す る 検 討 に 加 え
六
、 疫 病 流 行 時 に お け る 地 域 社 会 の 動 向 や 民 衆 心 性 に 関 す る 研 究 が 活 発 に な さ れ て い る
。 疫 病 を 民 衆 知 と の 関 連 で 検 討 し た も の に 加 藤 光 男 の 分 析 が あ る
。 加 藤 は 文 久 二 年 の
「 麻 疹 絵
」 に 記 さ れ た 情 報 と 当 時 出 版 さ れ て い た
「 麻 疹 養 生 伝
」 の 内 容 と を 精 査 し
、 そ れ ら が 当 時 の 医 学 書 に 基 づ い た 情 報 で あ っ た こ と を 指 摘 し た
七
。 ま た 村 落 社 会 の 状 況 に つ い て は
、 正 士 梓 の 検 討 が あ り
、「 村 方 に お け る 疱 瘡 の 様 子 な ど の 研 究 は 民 間 信 仰 な ど に 留 ま る 場 合 が 多
」八
い と
、 村 方 で の 疱 瘡 や 治 病 儀 礼 の 情 報 の 享 受 と 近 隣 地 域 へ の 展 開 状 況 に つ い て 検 討 し て い る
。 次 に 疫 病 と 民 衆 心 性 に 注 目 し た も の と し て 高 橋 敏
、 筑 後 則 の 検 討 が あ る
。 高 橋 は
、 安 政 五 年
( 一 八 五 八
) の コ レ ラ 騒 動 を 通 じ
、 疫 病 の 恐 怖 に あ ら ゆ る 除 災 儀 礼 で 対 応 す る 民 衆 の 宗 教 行 為 に つ い て 検 討 し て い る
九
。 ま た 筑 後 は
、 民 衆 が 疫 病 の 根 源 を
「 疫 病 神
」 に あ る と 認 識 し て い た 当 時 の 疫 病 観 に つ い て
、 こ れ を 単 に 後 進 的 と 解 釈 す る の で は な く
、 当 時 の 社 会 を 規 定 し て い た パ ラ ダ イ ム に 基 づ い て 評 価 す べ き と し
、 呪 術 や 習 俗 に 関 す る 検 討 の 重 要 性 を 指 摘 し て い る
一
〇
。 民 俗 学 の 分 野 で は 宮 本 袈 裟 雄 が
、 数 あ る 修 験 道 儀 礼 の 中 で も
、 治 病 儀 礼 が 修 験 に と っ て 最 も 重 要 で あ っ た こ と を 指 摘 し
、
「 符 呪 集
」 に 収 め ら れ て い る 呪 符 の う ち
、 治 癒 儀 礼 に 関 す る も の を と り あ げ
、 症 状 ご と の 呪 符 と 修 法 に つ い て 丹 念 に 検 討 し て い る
一 一
。 ま た 宮 本 は 治 癒 儀 礼 と 民 間 医 療 と の 関 係 に つ い て も と り あ げ
、 医 師 に よ る 治 療 が 思 わ し く な か っ た 場 合
、 民 衆 は 民 間 宗 教 者
( 修 験
・ 巫 女 な ど
) が 施 す 治 癒 儀 礼 や 治 病 行 為 に 依 存 し て い た こ と
、 特 に 修 験 が 民 間 医 療 に お い て 重 要 な 位 置 を 占 め て い た こ と を 指 摘 し た
。 修 験 に と っ て 治 病 儀 礼 は
「 対 庶 民 の 宗 教 活 動
」 と し て
、 重 要 な 収 入 源 で あ っ た と い う だ け で は な い
。 村 の 在 地 修 験 の 大 半 は
、 宗 教 活 動 の み で は 生 活 を 維 持 で き ず 農 耕 に も 従 事 し て い た
。 こ の こ と は 宗 教 者 と し て の 存 在 性 の 希 薄 化 と い う 状 況 を 生 み 出 し た
一 二
。 治 病 儀 礼 は 在 地 修 験 に と っ て 宗 教 者 と し て の 存 在 意 義 を 再 確 認 す る 機
- 140 -
会 で も あ っ た の で あ る
。 ほ か に
、「 民 俗 学 的 手 法
」 を 用 い
、 疫 病 と 民 衆 心 性 に つ い て 年 中 行 事 の 分 析 か ら 検 討 し て い る も の に 鯨 井 千 佐 登 の 検 討 が あ る
。 鯨 井 は
、 東 北 地 域 の 民 俗 行 事
・ 儀 礼 と そ の 担 い 手 に つ い て 検 討 し
、 と く に
「 疫 病 神 送 り
」 や
「 鳥 追 い
」 の 習 俗 に つ い て
、 当 初 は 純 粋 に 村 落 か ら 災 厄 を 追 い 出 し
、 村 内 の 社 会 規 範 を 回 復
・ 再 生 さ せ る こ と が 目 的 で あ っ た の が
、 次 第 に
「 悪 代 官 を 疫 病 神 に 模 す
」 と い っ た 社 会 的 制 裁 機 能 へ と 変 容 し て い く こ と
、 そ の 行 為 に 民 衆 の 不 安 と 願 望 が 凝 縮 さ れ て い た と 結 論 づ け て い る
一 三
。 こ の よ う に 疫 病 と 地 域 社 会
、 民 衆 心 性 に つ い て 取 り 上 げ た 検 討 は 各 分 野 で 研 究 蓄 積 が 見 ら れ る
。 し か し 互 い の 研 究 成 果 が 結 び つ い て い る と は 言 い 難 い
。 こ う し た 研 究 状 況 に つ い て 高 橋 敏 は
、「 仏 教 史
、 民 間 信 仰 史
、 民 衆 思 想 史 等
、 縦 割 り の 専 門 分 野 の 研 究 の 深 化 は あ っ て も
、こ れ を 総 合 化 し
、分 析 す る こ と が な か っ た
。」
一 四
と し
、 各 分 野 で 蓄 積 さ れ た 検 討 が 統 合 さ れ て い な い こ と を 指 摘 し て い る
。 近 世 期
、 民 衆 に と っ て 呪 術 的 治 療 は 医 療 行 為 の 一 環 で あ っ た
。 つ ま り 近 世 後 期 の 疫 病 流 行 と 地 域 社 会 に つ い て 把 握 し よ う と す る な ら ば
、 幕 藩 権 力 の 医 療 政 策 の 分 析 に 加 え
、 当 該 地 域 の 疫 病 除 け に 関 す る 呪 術 や 習 俗 に つ い て
、 ま た 呪 術 的 治 癒 儀 礼 を 担 う 在 地 修 験 の 動 向 や 地 域 民 と の 関 係 な ど
、 総 合 的 に 分 析 す る 必 要 が あ る
。 そ こ で 本 章 で は
、 ま ず 近 世 後 期
、 秋 田 藩 の 医 療 政 策 と 領 民 の 疫 病 観 に つ い て 明 ら か に す る
。 そ し て 文 久 二 年 当 時 の 領 民 の 疫 病 観 を ふ ま え
、 上 法 寺 喜 楽 院 の 除 病 祈 祷 祭 に つ い て 分 析 し
、 霞 や 近 隣 地 域 民 の 喜 楽 院 に 対 す る 信 仰 の 様 相 と 在 地 修 験 の 動 向 に つ い て 検 討 す る
。 な お
、 幕 末 維 新 期 か ら 明 治 初 年 に お け る 秋 田 藩 の 宗 教 政 策 と 神 仏 分 離
、 在 地 修 験
・ 神 職 の 動 向 に つ い て は 田 中 秀 和 に よ る 研 究 が あ る
一 五
。 田 中 の 検 討 は こ れ ま で 等 閑 視 さ れ て い た 幕 末 期 秋 田 藩 の 在 地 修 験 や 神 職 が 自 己 意 識 を 変 質 さ せ て い く 過 程 に つ い て
、 寺 院 統 制 の 視 点 か ら 検 討 し
、 高 く 評 価 さ れ て い る
。 し か し そ の 検 討 は 藩 政 側 か ら の 史 料 に 限 定 さ れ て お り
、
- 141 -
抽 象 的 な レ ベ ル で の 議 論 に 留 ま っ て い る
。 そ こ で 本 章 で は
、 田 中 の 検 討 も 踏 ま え つ つ
、 幕 末 維 新 期 に 執 行 さ れ た 麻 疹 除 病 祈 祷 祭 と い う 具 体 事 例 を 検 討 す る こ と で
、 当 該 期
、 秋 田 藩 の 在 地 修 験 と 地 域 社 会 の 動 向 に つ い て よ り 実 態 的 に 明 ら か に す る こ と を 目 標 と す る
。 検 討 対 象 と な る 上 法 寺 喜 楽 院 は
、 雄 勝 郡 大 沢 村
( 現 在 の 秋 田 県 横 手 市 雄 物 川 町
) の 在 地 修 験 寺 院 で あ り
、 神 仏 分 離 令 以 後 は 金 峰 神 社 と 改 称 し た
。 近 世 期 の 寺 領 は 除 地 六 七 石 余 で
、 大 沢 村 を は じ め と す る 一 二 か 村
( 枝 郷 を 含 む
) を 霞 と し
、 氏 子 は 四
〇
〇 軒 程 度 あ っ た
。 喜 楽 院 は 当 山 派 正 大 先 達 世 義 寺 の 直 末 寺 で
、 同 家 に は 代 々 住 持 の 阿 闍 梨
・ 大 越 家 な ど の 補 任 状 が 多 数 残 さ れ て い る
。 ま た 藩 内 で は 元 禄 年 間 に 修 験 大 頭 を 勤 め て 以 降
、 代 々 修 験 大 頭 の 格 を 有 し た
。 秋 田 藩 の 修 験 統 制 は
「 修 験 大 頭
― 頭 襟 頭
― 末 派 修 験
」 と い う ヒ エ ラ ル キ ー 型 の 構 造 に な っ て お り
、 喜 楽 院 は 領 内 の 有 力 修 験 寺 院 の 一 つ で あ っ た
。 近 世 後 期
、 雄 勝 郡
・ 平 鹿 郡 の 在 地 修 験 は
、 修 験 大 頭 職 に あ っ た 両 学 寺 を 中 心 に 一 切 経 堂 や 長 日 護 摩 堂 の 建 立 を 計 画 し 勧 進 活 動 を 展 開 し た ほ か
、「 逆 賊 除 伏 之 祈 祷
」 を 共 同 で 行 う な ど 集 団 化 す る 傾 向 に あ っ た
。 喜 楽 院 と 両 学 寺 は 親 戚 関 係 に あ り
、 両 寺 院 の 結 び つ き は 特 に 強 固 だ っ た
。 喜 楽 院 の 除 病 祈 祷 も
、 こ う し た 幕 末 期 の 在 地 修 験 の 動 向 の な か で 執 行 さ れ た も の で あ っ た と い え る
。 一
、 秋 田 藩 領 の 流 行 病 と 民 衆 の 疫 病 観 ま
ず
、 近 世 後 期 の 秋 田 藩 領 に お け る 疫 病 の 発 生 状 況 と 藩 内 の 医 療 体 制 に つ い て 確 認 し て お く
。【 表 1
】 は 秋 田 藩 領 に お け る 災 害 や 飢 饉
、 流 行 病 の 発 生 時 期 に つ い て
、 秋 田 藩 領 全 域 と 雄 勝
・ 平 鹿
・ 仙 北 三 郡 と に 分 け て
、 年 表 形 式 で 示 し た も の で
- 142 -
- 143 -
あ る
。『 秋 田 藩 町 触 集
』 に お い て 流 行 病 に 関 す る 記 述 が 見 ら れ る の は 一 八 世 紀 後 半 以 降 で あ り
、 天 保 期 以 降 に は 傷 寒
( 腸 チ フ ス
)、 麻 疹
、暴 瀉 病( コ レ ラ
)な ど が た び た び 流 行 し て い る
。ま た 本 稿 で 取 り 上 げ る 雄 勝・ 平 鹿 地 域 に つ い て み て い く と
、 寛 政 二 年( 一 七 九
〇) に は 赤 痢
、 文 政 二 年( 一 八 一 九) に は 疱 瘡
、 文 政 五 年( 一 八 二 二) に は 傷 寒 が 流 行 し て い る
。 な か で も 特 に 頻 繁 に 病 が 流 行 し て い る の が 藩 直 営 鉱 山 で あ る 院 内 銀 山 で あ る
。 三 好 貴 子 に よ れ ば
、 院 内 銀 山 に お け る 疱 瘡 の 大 流 行 時 期 は 天 保 九 年
( 一 八 三 八
)、 弘 化 元 年
( 一 八 四 四
)、 嘉 永 三 年
( 一 八 五
〇
)、 安 政 元 年
( 一 八 五 四
)、 そ し て 今 回 取 り 扱 う 文 久 年 間
( 特 に 文 久 元 年
( 一 八 六 一
)) で あ る と し て い る
。 ま た 疱 瘡 の 流 行 に つ い て 三 好 は
、「
( 院 内 銀 山 は
) 人 口 の 密 集 地 帯 で あ り 衛 生 状 態 も さ ほ ど 良 く な い の で 被 害 は 凄 ま じ か っ た よ う だ
。」 と 指 摘 し て お り
、 一 度 疫 病 が 発 生 す る と 爆 発 的 に 蔓 延 し て し ま う 状 況 が 窺 え る
一 六
。 幕 府 や 藩 に よ る 疫 病 対 策 は
、 救 恤 と 治 療 法 の 情 報 収 集 や 提 供 に あ り
、 秋 田 藩 に お け る 近 世 後 期 の 町 触 に は
、 飢 饉 と 疫 病 に 関 す る 記 述 が 度 々 見 ら れ る
。 秋 田 藩 の 医 療 政 策 史 上 特 徴 的 な も の と し て 挙 げ ら れ る の が
「 売 薬 統 制
」 で あ る
。 天 明 六 年( 一 七 八 六)
、 秋 田 藩 は 領 内 に お け る 売 薬 行 為 を 城 下 の 高 堂
・ 銭 屋
・ 滝 口 の 三 店 の み に 限 定 し た
一 七
。 ま た 寛 政 九 年
( 一 七 九 七
) 閏 七 月 に は
、 他 領 よ り の 薬 売 り に よ る 売 薬 行 為 を 禁 止 し
、医 学 館 で 調 合 し た 薬 を
、郡 役 人 を 通 じ て 肝 煎・ 長 百 姓 に 渡 す と い う 配 薬 体 制 を 整 え た
一 八
。 こ う し た 売 薬 へ の 規 制 は
、「 施 薬 は 利 潤 の み を 考 え て な さ れ る べ き で は な い
」 と い う 九 代 藩 主 佐 竹 義 和 に よ る
「 仁 政
」 の 一 環 と し て 行 わ れ た と さ れ る
一 九
。 以 後
、 秋 田 藩 で は 年 二 回 の 配 薬 に 加 え
、 疫 病 流 行 時 も 配 薬 を 指 示 し
、 藩 医 に 対 し
「 付 屋 敷 借
・ 屋 敷 守
、 外 町 長 屋
・ 借 屋 之 者 等
」 と い っ た 困 窮 者 へ の 治 療 を 指 示 し て い る
。
【 A
】 麻 疹 流 行 に 付 御 施 薬 被 成 下 候 儀
、 被 仰 渡 候 事
覚