これまでみてきた長野県産業の退潮は総体として長野県産業の国際競争力の低下によっても たらされた。それは長野県企業の海外直接投資をチャンネルとする産業空洞化という主体的要 因と、東アジア諸国の産業競争力の増強という客体的要因が重なってもたらされたのである。
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アメリカ合衆国 EU 中国 アジアNIEs ASEAN
後者に関しては東アジア諸国の工業発展が特定の段階で長野県産業の特定業種においてキャッ チアップしたことで生じている。これまで日本は対欧米キャッチアップ型経済発展を実現して きた。その過程で日本がアジアの中ではリードを維持してこられた。雁行型経済発展論にみら れるように、その先頭には日本が描かれてきた。それが可能だったのは東アジアの中で日本の 先端産業も含めた技術力の優位性が、継起するイノベーションによって維持され、また川中の 部品、デバイス、川上の素材分野における競争力が盤石であったからである。しかし、今とな ればそこには大きな前提があったのである。それは雁行型経済発展論が描かれた時代のものづ くりの基本がアナログ式のそれであったということである。このものづくりには熟練労働が必 要であり、また開発、設計、製造工程の中、ならびにその各々の連携の中で種々の「調整」が 必要で、日本型のものづくりにはこの種々の「調整」にも長けていたところがあったので、日 本の産業競争力はアナログ式のものづくりが続く限りにおいて、東アジアで先頭の位置を占め 続けると想定されていた。ところが、デジタル化、IT化の推進で、アナログ式のインテグラル 型クローズドアーキテクチャーの優位性が、デジタル式のモジュラー型オープンアーキテク チャーにとって代わられると、雁行型経済発展論の前提自体が覆り、蛙飛び型の経済発展が実 現されることになる。後にみるように、殊に電気機械器具製造業、情報通信機械器具製造業に おいてこの傾向が近年強まっている。アナログ式のインテグラル型クローズドアーキテク チャーが支配的な下では、製造企業の海外直接投資の後、製造移管元の工場の空いたラインで より付加価値の高い製品の生産に置き換えが実現されれば、産業の高次化が実現される。また 移管先で機械等の資本財はおろか部品・デバイス等の中間財の調達ができなければ、従来通り 移管元の取引メーカーから中間財等が移管先に輸出されるので、資本財・中間財の輸出誘発効 果が享受され、産業空洞化は起こらずにすむ。他方、製造企業の海外直接投資は移管先には直 接投資をチャンネルとする技術移転によって工業化の主体的要素が育ち、現地部品メーカーの 育成を通して裾野産業も育ち、移管先の工業化をバックアップするものとなる。アナログ式の ものづくりには従業員が各現場で品質を作り込んでいく技能形成が不可欠なので、そこには時 間がかかる。そこでおいそれとはキャッチアップされないという過信も生まれ、そうしたこと から雁行型経済発展の先頭には日本が居続けるとの幻想が生じたのかもしれない。ところがデ ジタル式のモジュラー型オープンアーキテクチャーではいとも簡単に蛙飛びが可能となった。
したがって、東アジアの工業化のプロセスにはこの雁行型経済発展のプロセスと蛙飛び型のプ ロセスが非連続にして並行ている。また途上地域の工業化という視点で見れば、東アジアは初 めて工業化に成功したし、時のリーディングインダストリーにおいて特定の業種で初めて先進 工業業国に対してキャッチアップに成功した。前者はアナログ時代に、後者はデジタル化の時 代に。長野県企業の東アジアでの事業展開はこの両プロセスに跨っており、まずは東アジアの
工業化のこのプロセスを、各々の歴史的規定性に基づいて整理しておきたい。そうしなければ、
長野県企業の東アジアでの事業展開も立体的に捉えられないであろうし、長野県産業の退潮も その歴史的規定性が明確にはならない。
そこでまずⅤ-1において、東アジアの工業発展を取り上げ、その歴史的規定性を与えてお きたい。東アジアの工業化は叙上のように、途上地域での初めての成功事例をなしている。そ れがなにゆえ可能であったのか、その歴史的要因を探り、そのうえで長野県企業の東アジアで の事業展開が東アジアの工業化といかなる関係にあるのか明らかにしていきたい。
さらにデジタル化が進むと、東アジア諸国の工業競争力が一段と増強され、時のリーディン グインダストリーにおいて初めて先進工業国に対して特定の業種においてキャッチアップが実 現される。そこでⅤ-2でデジタル化、IT化、モジュラー型オープンアーキテクチャーと各々 のインパクトを明らかにし、最後にⅤ-3で東アジアの工業化、デジタル化、IT化、モジュラー 型オープンアーキテクチャーをグローバル資本主義化という歴史的大動脈の中で位置づけ、そ のうえでグローバル資本主義の歴史的規定性を考えたい。グローバル資本主義の展開プロセス の中にはサブプライム・リーマンショックという激動も含まれているし、西欧諸国はこれら ショックに継起して財政・金融危機に直面した。またその対処が、その帰結を歴史に学ぶこと ができない中央銀行による異例の「非伝統的な金融政策」によって実現されている。IT/グロー バル資本主義は当初は米主導で進展し、サブプライム・リーマンショックによって、グローバ ル資本主義は多極化し、新興国の市場に大きく依存するようになった。こうした変容ならびに
「非伝統的な金融政策」の影響も踏まえて、グローバル資本主義の動態が日本の地域経済に与 える影響を長野県経済に即して明らかにしていきたい。
グローバル資本主義は一方でニューヨーク、ロンドン、東京にグローバルシティーを形成し た。グローバル企業の本社機能と「金融グローバリゼーション」によって肥大化した金融セク ターがグローバルシティーに集中して「繁栄」するなか、「産業グローバリゼーション」によっ て地方量産工場の機能が新興国に移管して地域経済は「疲弊」する。グローバル資本主義はグ ローバルシティーの「繁栄」と国内の地域経済の「疲弊」を同時にもたらしているのである。
グローバル資本主義の展開によってもたらされた地域経済の「疲弊」という危機には手つかず のまま、サブプライム・リーマンショックが生じ、それは「金融グローバリゼーション」の危 機であり、グローバルシティーの危機でもあり、この危機に中央銀行の「非伝統的金融政策」
によって対処された。しかしこの対処にはそれ特有の限界が潜んでおり、その限界が発露した 場合は金融危機が直接に地域経済にも波及する危険性が含まれているのである。以下これらの ことを明らかにしていきたい。