日本鉄鋼業 をとりま く原料事情 は,第 二次大戦後
,180度
の転換 を余儀 な く された。近隣植民地 と大陸の製鉄資源の直接支配,
とい う戦前の原料基盤 は 敗戦 によって失われ,原
料基盤の再構築 という課題 に直面す る。原料基盤の再構築 にあたって
,内
外の環境 変化,す
なわち「歴 史的=世
界 史的」事情が及ぼ した影響 はきわめて大 きい ものがある。その一つは
,米
ソ冷戦体制への移行の下で米国の対 日政策が もた らしたイ ンパ ク トである。極東の工業基地(=兵
器廠)と
しての 日本経済の再建 にあ たって,鉄
鋼業 は戦略的な基軸 に位置づ け られた。「なによりもまず鉄がこの国で国際的な経済 =技 術的水準 をもってつ くれ るかどうか」が
,「日本資本主義存立の『内発的至上命令』」であり
,「アジア
『冷戦』体制構築の成否をわかつ鍵」とみなされた。こうして
,「全体系の命 運」を握 る「基礎素材 と基本エネルギーの分野の一つ」 として日本鉄鋼業が 位置づ けられ
,「『日米経済協力』の枠組み」の下に再編 されていく。
(59)二つに ,製 鉄原料資源の開発をめ ぐる世界的分布の変革があげられる。世 界の製鉄資源
(鉄鉱石 ,原 料炭
)の産出は ,戦 前 まで主 として欧米先進国
(大西洋地域 )に 集中 し ,資 源産出地 に隣接する内陸部で鉄鋼業が発展 した。欧
日本鉄鋼業の原料 入手 システム と原料事情の変遷 107
米列 強 の植 民地政 策 にお いて
,製
鉄 資源 は,本
国 に豊富 に存在 したため,探
査・採鉱 。開発の対象 とされず に永 ら く潜在状 態 に眠 らされ た ままで あ った。
ところが
,第
二 次大戦後 に状 況 が大 き く変容す る。植 民地 。半植 民地 諸国 が相 次 いで独立 し,新
興 独立 諸 国 において国 内資源 の開発意欲 が高 まった。また
,欧
米 先進 国 にお いて も域 内資源 の枯 渇 化 傾 向が 目立 つ ようにな る。 さ らに,
日本の海外資源需要 が急速 に膨 らんで いった。 こ う した状 況下 で,国
際鉱 業 資本 も新興地域 の製鉄 資源 開発 に積極 的 に乗 り出す。 その結果
,東
南 ア ジアや 豪州,南
米,南
ア フ リカ な どにお いて,製
鉄 資源 が本格 的 に開発 さ れ るに至 ったの で あ る。以上 にみ る よ うな戦 後 の新 たな国際環境 に積極 的 に対応 しなが ら
,
日本 の 鉄鋼業 は独 自な製鉄 資源 の開発 。購 入 。利用 の シス テム をつ くりあげてい く。原料 問題 は,戦 後 において も久 し く日本鉄鋼業 に とってア キ レス腱で あ った。
それが
,
日本鉄鋼業 の国際競争 力の重要 なフ ァクター と して評価 され るに至 る。戦 後 にお け る鉄鋼 原料 問題 とは何 で あったか。 そ して
,そ
れ に対応 した原料 入 手 シス テム を どの ような歴 史 的 な事 情 と経 緯 の な か でつ く りだ したの か。 日本鉄鋼業 の原料政策 あ るいは原料戦 略 とは何 で あったのか。今 日
,
ど の ような課題 を抱 えてい るのか。(60)この ような問題 意識 と視点 か ら
,戦
後 にお け る 日本鉄鋼 業 の 原料 問題 の歴 史 的経緯 を,戦
後復 興期 (1945〜55年 ),高
度成 長期 (1956〜73年 ),低
成 長・減 量 合理化期 (1974年〜現在
)の 3期
に大別す る。 そ して,そ
れ ぞれ の画期 をつ くりだ した原料事情 と原料政 策 を概観 す る。(61)そ れ を通 して,日
本 型鉄 鋼 原料 入 手 シス テムが どの よ うに形 成 され,
また再編 されて きたのか,そ
して今 日どの ような課題 に直面 してい るか を歴 史的 に明 らか にす る。
108
名古屋学院大学論集(2)鉄
鋼 原 料 事 情 の 変 遷①
戦 後復興期
I
国 内資源依 存 。輸 入再 開期i
原料 の輸 入途絶 と復興 の停滞近 隣植 民地 と大 陸の製鉄 資源 の 直接支配 とい う戦 前の原料基盤 は
,敗
戦 と と もに崩壊 す る。すで に敗戦 以前 に,日本 の鉄鋼 生 産 は完 全 な麻痺状 態 に陥 っ て いた。船舶 喪失 に よる原料輸 入の途絶,
と りわ け強粘結炭 の絶 対的 な不足 に よる もので あ る。(62)敗戦 を境 に
,鉄
鋼 生 産 はい っそ う落 ち込 ん で い く。 製鉄 用石 炭 の不足 が最 も深 刻 な問題 で あった。敗戦 時 には15基
の高炉 が辛 う じて操 業 を続 けて いた もの の,1946年
末 に は 八幡 製 鉄 所 の3基
の み が操 業 す る とい う事 態 に な る。(63)1945年
9月 に発表 され た 占領軍 の対 日占領 方針 には,日 本経済 の非軍事化 と民主化が強 く打 ち出 され た。軍事産業の根幹 で もあ る鉄鋼 業 は,生
産 の再 開 にあた って対 日占領 方針 に大 き く制約 され るこ とにな る。 しか し,そ
の後 にお け る国際関係 の変化 に伴 い,米
国 の対 日占領政 策 は大 き く転 回す る。li
原燃 料 の輸 入再 開 と傾斜 生産 方式「石炭鉄鋼超 重点増産計 画」(1946年 12月閣議 決 定
)は
「傾斜生産方式」と も呼 ばれ
,敗
戦 直後 の経済 危機 を救 うため に とられ た最 初 の措 置 で あ る。傾斜 生 産 方式 を遂行 して い く上 で大 きな支 え とな ったの は
,一
つ は米 国の援 助 とい う形 でな され た原燃料 の輸 入で あ り,
もう一つ は価格調整給付金制度 や復金 融資制度 な どの国家的保護措 置 で あった。傾 斜 生 産 方式 は
,石
炭・鉄 鋼 の相互 増産 に よる直接 的効果 もさるこ となが ら,
日本政 府が こ う した措 置 を とるこ とを条件 に して,占
領 軍 か ら工業用原 燃 料 の輸 入許 可 を獲 得 す る とい う点 に政 策 的 効 果 を もって い た。(64)と りわ け,製
鋼 用 重油 の輸 入再 開 (1947年 6月)は ,石
炭 不足 に悩 む平炉 に とって まさに「千天 の慈雨」 とな り増産 の足 がか りとな る。(65)1947年
に進行 しつつ あった米 国の対 日政 策 の転換 は,48年
にな る といっそ う明確 とな る。 ロイヤル 声 明 (48年1月)に
続 いて,ス
トライク調査 団 に よ日本鉄鋼業の原料入手 システム と原料事情の変遷 109
る勧告 (同 3月
)が
出 され た。 ス トライ ク報 告 は,鉄
鋼 設備 を賠償 の対 象か ら除外す るこ とを勧告 し,
さ らに 日本経済 「 自立」の ため に将 来の あ るべ き 鉄鋼業 の規模 を明 らか にす る。 日本 の鉄鋼業 に 日標 を与 えた点 で も,そ
の意義 は大 きぃ。(66)
米 国 の対 日占領政 策 の転換 は
,製
鋼 用 重油 に引 き続 いて,鉄
鋼 原料 の輸 入 再 開 とな って現 われ た。鉄 鉱石 につ いては
,1948年
1月 に中国の海南 島鉱石 が戦後初 めて輸 入 され る。 原料炭 につ いて も,同
年 1月 に中国 の 開 らん炭 と米 国炭 の輸 入が始 め ら れ た。戦 前の 日本鉄鋼業 のベ ー ス・ コール で あった開 らん炭の輸 入 は,中
国 革命 の進 行 に伴 い再 び途絶 す る。 これ に対 して,米
国の強粘 結炭 は戦 後 日本 鉄 鋼業 のベ ース・ コール にな って い く。 その端緒 が,す
で に この時期 に開か れ て い たので あ る。 当時の輸 入原料 は きわめて割 高で あったが,輸
入補給金 制 度の下 で,
日本 の鉄鋼 メー カー は低廉 な価格 で購 入す るこ とがで きた。iii ドッジライ ンと原燃 料節約技術 の発展
こ う して 日本鉄鋼業 は
,米
国 の対 日占領政 策 の 「緩和 」 に よって再 起 へ の 転機 をつ かみ,原 料輸 入の再 開 を契機 に立 直 って い く。さ らに,1949年
の ドッ ジライ ン遂行 の過程 で国際競争 力 に対応 で きる ように再編 成 され,続
く朝 鮮 戦 争以後 の時期 に大 きな発展 をみ るので あ る。ドッジラ イ ンは
,戦
後 の 日本経済 を支 えて いた補 給金 と米 国 の援 助 とい う2本
の「竹馬 の足」を切 り捨 て,1ド
ル=360円
の 単一為替 レー トの設定 (1949 年4月)に
よ り,
日本経済 を国際競争の波 に巻 き込 んだ。 日本経済 の「 自立」を促 し
,米
国 の世 界政 策 の一 端 を担 わせ よう とす る意 図 が込 め られ て い る。鉄鋼業 に対 す る補 給金 は
,石
炭 の特 定産業 向 け補給金の廃止 (49年 8月) を手始 め につ ぎつ ぎと削減 され,50年
7月以 降,全
廃 され るに至 った。1949年
5月 か ら 10月 にか けて,GHQか
ら輸 入原料 の使用制 限 に関す る各 種 の司令・ 覚 書が相 次 いで出 され る。 さ らに,全
国の主要工 場 に米 国技 術者 が派遣 され指導 と監督 にあた った。こ こに 日本鉄鋼業 は
,戦
後初 め て 「合理化 」 に直面 し,積
極 的 な原 単位 の 向 上を 目的 とす る「合 理化」 を進 め てい く。米 国技 術者 が もた ら した新技 術110 名古屋学院大学論集
は
,過
去 の技術蓄積 と結合 して,そ
の後 の 日本鉄鋼業 の原燃料節約的技術発 展 の重要 な基礎 とな る。II
海 外 資源依 存へ の転 換期i
朝 鮮戦 争 と 日米経済協 力一 開 らん炭 の輸 入途 絶 と資源 ソースの転換―
ドッジ政 策 に よる補 給金撤廃 や輸 入原料 の削減
,
さ らに財政縮 減 に よる市 場 の収縮 は,
日本鉄鋼 業 の前途 に不安 を もた ら した。朝 鮮戦 争の開始 (1950 年6月)は ,そ
う した不安 を一掃 す る。朝 鮮戦 争 を契機 に特 需や一般輸 出が増大 し
,鉄
鋼 生産 が伸 長 す るなか で,鉄 鋼 原燃 料 が緊 急輸 入 され た。 開 らん炭 は
,1950年
6月 に大量輸 入契約 (年 間100万
トン)が
ま とまるな ど,再
び コー クス用炭 と して,
日本鉄鋼業 の主 要供 給 源 と しての地 位 を復元 しつつ あ った。しか し
,朝
鮮戦 争へ の 中国の参戦 (50年 11月)を 契機 に,開
らん炭 の輸 入 が途絶 す る。この ため,そ れ に代 わ る供給源 は,米
国 に求 め ざ るを得 な くな っ た。 こ う して,対
米依 存型の原料構 造がつ くりだ されて い く。朝鮮戦争 を経 て
,米
国は対 日早期単独講和の方針 を打 ち出 した。米国の世 界政策 ために 日本の工業力を積極的 に活用す るとい う「 日米経済協力」の方 針が提示 され る。1951年
1月 には,「 トップ レベル調査」がGHQに
よって行 なわれた。「 トップ レベル調査」は,大
規模 な鉄鋼生産 を示唆 してお り,
また サ ンフランシス コ講和会議 (51年 9月)に
おける日本側携行資料の基礎 に も なった点で も,注
目され る。(67)さらに
,51年
5月 のマーカ ッ ト(GHQ経
済科学局長)声
明において,「日 米経済協 力」の内容 と方法が具体的 に示 された。「製品の質 と価格競争の基礎に立 って 日本 を欧州 その他の諸国 と共 にアメ リカの緊急調達計画に参加 させ る」 というものである。同声明はまた
,東
南アジアの防衛 とそれに必要な経 済 開発 を強調 し,そ
こでの 日本の役割 を期待 している。 ここに,同
声明を契機 として
,東
南アジア開発 とい う問題が表面化す るのである。(68)ii
第1次
合理化 と原料節約技術の発展第